ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

赤い車がやってきた。

2007年03月14日 21時14分08秒 | 田舎暮らし
赤い車がやってきた。
近所の人は不思議そう。
きっともうこの集落には噂話が。

「やっと買い換えたか」
「またぶつけたのかな」
「よかった。まったくあの車この村の恥だったからな」

でもおあいにく様!
あの黄色いアホ車、車検に出したので、代替車が来ただけなのですよ。
これからもしつこく、乗り続けるのです。
少なくても次の車検まではね。
しかしあんなでこぼこの車を車検に出す人なんかそうそうはいないだろうね。
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田舎の値段

2007年03月14日 11時56分52秒 | 田舎暮らし
田舎の値段ってなんによって決まるのだろう?
いまどき田舎の土地や家を買うのは田舎暮らし系の人くらいのものだろうけど、田舎暮らし系の人は公示価格で決めるのではない。
自然の豊かさ、生活の便利さ、閉鎖的でないこと、自治体の支援があることなどで決める。
公示価格は田舎の値段を反映してはいない。気に入ったところだったら公示価格の2倍の金を出しても買う。
そこで公示価格以外にこのような価値を反映した別の基準があると田舎暮らし系の人も迷わないですむ。

まず自然度。どうして田舎に来るのかというと、たいていの人は田舎の自然にあこがれてやってくる。自然こそ田舎の財産なのだ。
ところがそれに気づいていない人が多い。そして川や側溝をコンクリートで固めてきれいになったといって、自分たちの財産を減らして喜んでいる。
田舎暮らし派の人からみればそのような土地は買わないか値引きの対象になるくらいなのだけど・・・。

自然度はメダカ、日本タンポポ、キジ、ホタル・・・など何種類かの動植物をスケールにして数値化することが出来る。
自然の豊かなところほど田舎の価値が上がり値が上がることになると、田舎の人も自然の価値を見直すだろう。
「自然を守ろう」なんてきれいごとを言ってもそんなこと田舎の人には通用しない。
第一散々都会の自然を破壊してその結果を享受している人たちが自然をまもろうなんていっても、そんなもの説得力なんかあるものか。
要は、自然を守ったらいくら儲かるか、自然を破壊したらいくら損するかを数字で出したらいいのだ。
すると、「自然を守ろう」というと「おかしなことを言う」といってる人たちだって、たちどころに自然擁護派に変わるだろう。

次に田舎暮らし派の人がなかなか田舎暮らしに踏み切れない主な理由は田舎の排他性だ。
都会では排除の論理はなかなか通用しない。ごみ屋敷や騒音おばさんがいてもこれを排除するのは難しい。
ところが田舎では排除の論理はまだ生きていて、異質な人間を排除しようとし、よそ者をなかなか受け入れようとしない。
30年もすまないと地元の人とは認めてもらえないし、中には3世代たたないと地元の人と認めてくれない所もある。
これが田舎暮らしをしたい人はたくさんいるけどなかなか踏み切れない大きな原因でもある。そしてそれが田舎の値段を下げている。
そこでよそ者の受け入れ度と定着率を数値化すればよい。さらに移住者や転出者の評価や自治体の田舎暮らしの支援度も数値化しよう。
これによって田舎暮らし派の人も安心して田舎の物件を選ぶことが出来るだろうし、田舎の人たちも閉鎖的だと自分たちの財産の価値が下がることを知るだろう。

最後に生活の便利さは駅や郵便局やスーパーや病院や学校までの時間を数値化すればよい。
ただこれは公示価格とそれほど変わりないものになるかもしれない。ただ徒歩の時間だけでなく車での時間も評価基準に入れると少し変わってくるだろう。
便利度は人口問題でもある。田舎に人がたくさんやってくるようになると、自然に便利になるだろう。

このように公示価格以外の新しい尺度を取り入れることによって、自然の保護ばかりでなく、田舎もまた変わっていくだろう。
都会の人は自然はあるものではなく、買うものだと考えて自然に金をかけよう。そして自然の保護は儲かるんだということを田舎の人にわからせよう。
それが自然保護のもっとも手っ取り早いやり方だ。
コメント (4)
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