ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

田舎の一分

2007年03月08日 09時45分35秒 | 田舎暮らし
村八分の残り二分、葬式と火事。
ここに来て何度かの葬式と一度の火事に立ち会った。
これは村のもっとも重要なことで、必ず隣保の人は葬式の世話をしないといけないし、災害のときは防災活動をしないといけない。
確かに火事や災害のときはみんなで防災作業をすることは必要だと思うけど、葬式はもう残り二分からはずしても良いのではないだろうか。
最近はみんながやってくれることを重荷に感じて、自宅や公民館ですることをやめて式場でする人が多い。
式場でやるとみんな業者がやるので隣保の人は手持ち無沙汰になり、単にご馳走を呼ばれるだけということになる。
村のこれまでの習慣を変えるのは容易ではないけど、もうそろそろ変わってもいいのではないか。
少なくとも自分自身に関しては葬式はまったく不要だ。

・葬式不要
・坊さん不要
・戒名不要
・法事不要
~と、まあこれで行きたい。

仏教は本来、生の宗教、生きる人のための宗教であり、死の宗教、死んだ人のための宗教ではない。
葬式仏教などいらない。
ただ葬式不要となると、密葬ということになるのかもしれない。
でもこっそり隠れてやる必要もない。
来る人を拒む理由もない。
やりたい人だけ私服で集まって宴会を開き大いに呑んで騒いでほしい。
思わず棺桶から飛び出して「いい加減にせぇ!」と叫びだすほどに。
そして散々酔っ払った挙句、帰りには軒並み飲酒運転で捕まって「ざまぁみろ!」草葉の陰から言うことだろう。

でもまあ、当分死ぬこともないだろう。
どんなに迷惑がられても少なくともあと10年は生きるつもりだ。
でも、早めに何度も言っとかないと残された人間が苦労する。

・葬式不要
・坊さん不要
・戒名不要
・法事不要
~と。

そして今度生まれてくるときは酒壷になって生まれてきたい。
これこそ古今東西の酒飲みの願いだ。
酒壷になって一生酒にひたってくらすのだ。
コメント (3)
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