イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「人生複線の思想― ひとつでは多すぎる」読了

2019年07月11日 | 2019読書
外山滋比古 「人生複線の思想― ひとつでは多すぎる」読了

本好きがいよいよ読む者がなくなってくると、電話帳を読みなじめるという。本好きというような偉そうなことは言えないけれども、ぼくも手持無沙汰になったときなど活字がないとたまらなく寂しくなる。
この本も、目当てにしていた本の貸し出し予約の順番が近づいてきたのでそのつなぎにという感じで借りたものだ。

著者は「思考の整理学」という本の著者だ。

「新潮45」などに掲載されていたエッセイをまとめたもので、その内容は英文学者としての英語教育についての一言、戦時中、敵国語としての英語を勉強することの困難さ、年齢を重ねてからの様々なことに対する思いと多岐にわたっている。

特に、経験を積むことの意味、朝の効用についての独特の見解にはなるほどこういう考えもたしかにあるなと思わせられる。
「経験は最高の教師なり。」というけれども、お手盛りの経験ではダメなのだ。そう思っていたはずなのに自分経験不足の面があったことを、はたと気付かされる。
「朝の仕事は良質で見事な仕上がりであることが多い。」良質で見事な仕上がりではないにしても朝は気持ちがいい。僕の休日はいつも早いが、なにも釣りに行きたいがためだけではない。早朝というのは何かどこか日常とは異なる感覚があるのだ。けっして24時間営業のスーパーのパンが半額になっているからうれしいのではない。

タイトルにもなっている、「ひとつでは多すぎる。」そのあとには「ひとつでは元も子もなくなる。」と続くそうだ。逆説的に解釈すると、ひとつのことに執着していると失うものも多いということだろうけれども、これは本当に正しいのか、この意味のとおりなのか、それこそもっと歳を経ないとわからない。釣りの世界では、あれこれやっちゃうとどっちつかずになってしまう。僕は確かにそれに陥っている。しかし、寿命が長くなっているこのご時世、ひとつのことにこだわるには長すぎる。それは最後の最後にやっとわかることなのかもしれない。それを心に留めながら白秋から玄冬を生きてゆくということが必要なのだろう。

当時の「思考の整理学」感想を読み直してみると、勤務場所が近くなったら改めて読み直してみようと書いている。出たり入ったりで2回目の勤務になったのだから、蔵書のパッキンの中から探し出してもう一度読み直してみようかしらと思うのだ。
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