石井恭二 「正法眼蔵の世界」読了
「正法眼蔵」は曹洞宗の開祖であり永平寺を作った道元の著作だ。本物は当然読むことができないであろうと思うのでその解説書ならと思って買ってみたが、やっぱり何を書いているのかがまったくわからない。
読めない漢字が山ほど出ててきて辞書を引きながら読んでいたが、それでもやっぱりわからない。
こういう本は机にきとんと座って、教科書として読むべきものなのだろう。まあ、それでもやっぱり理解はできないのだと思うが・・・。
しかし、坊さんというのはこんな難解なものを読んでいるのだと思うと尊敬に値する人々なのだとあらためて思った。坊主丸儲けなんて今後一切言わないでおこう。
そんななかでも僕なりにわずかながら解釈してみたところでは、
時間というのはその瞬間瞬間がスライスされたような状態で積み重なっているだけで、前後の関係があるようで実は独立をしているのです。だから過去をくよくよしたり未来を悲観してはいけません。もちろん、前後は因果でつながっていないので自分を変えることもたやすいことになるのです。そして、欲望や煩悩を持つのが人間本来の姿であるのだから、それをありのまま受け入れて生きなさい。そしてそんな悩みの尽きない人々を見守っていくために僧たちは人知れず山にこもって修行をしているのです。
人の一生は死で終わるのではないのです。入ってきて出て行く・・・。もうひとつ大きな世界がある。生は一時の在りようであるだけなのです。だからそれにこだわる必要はないのです。しかし、常に意識していなければ悟りは得られません。(メメント・モリということだろうか。)
と、こんな感じだろうか・・・。それとも全然違った解釈をしてしまっているのだろうか。
それさえもわからない1冊であった。
「正法眼蔵」は曹洞宗の開祖であり永平寺を作った道元の著作だ。本物は当然読むことができないであろうと思うのでその解説書ならと思って買ってみたが、やっぱり何を書いているのかがまったくわからない。
読めない漢字が山ほど出ててきて辞書を引きながら読んでいたが、それでもやっぱりわからない。
こういう本は机にきとんと座って、教科書として読むべきものなのだろう。まあ、それでもやっぱり理解はできないのだと思うが・・・。
しかし、坊さんというのはこんな難解なものを読んでいるのだと思うと尊敬に値する人々なのだとあらためて思った。坊主丸儲けなんて今後一切言わないでおこう。
そんななかでも僕なりにわずかながら解釈してみたところでは、
時間というのはその瞬間瞬間がスライスされたような状態で積み重なっているだけで、前後の関係があるようで実は独立をしているのです。だから過去をくよくよしたり未来を悲観してはいけません。もちろん、前後は因果でつながっていないので自分を変えることもたやすいことになるのです。そして、欲望や煩悩を持つのが人間本来の姿であるのだから、それをありのまま受け入れて生きなさい。そしてそんな悩みの尽きない人々を見守っていくために僧たちは人知れず山にこもって修行をしているのです。
人の一生は死で終わるのではないのです。入ってきて出て行く・・・。もうひとつ大きな世界がある。生は一時の在りようであるだけなのです。だからそれにこだわる必要はないのです。しかし、常に意識していなければ悟りは得られません。(メメント・モリということだろうか。)
と、こんな感じだろうか・・・。それとも全然違った解釈をしてしまっているのだろうか。
それさえもわからない1冊であった。