イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「インドで考えたこと」読了

2010年08月13日 | Weblog
堀田善衛 「インドで考えたこと」読了
開高健の本を読んでいると武田泰淳や吉行淳之介などとともによく出てくる作家だった。それでこの本のタイトルも知っていたわけだが、最近読んだ本にも出てきたので始めて読んでみた。ずっと「ぜんえい」と言う名だと思っていたら「よしえ」という名前だそうだ。

前半は「アジア作家会議」に同席した他国の作家との交わり、後半はインドを旅した感想になっている。
作家がインドを旅したのは1956年の晩秋から1957年の初頭にかけてらしいが、日本は驚異的な高度成長を続けている最中だが、他の参加国は太平洋戦争の惨状から立ち直れないでいる頃だったということだ。ちなみに不参加だった韓国は北朝鮮より経済状況は悪かったそうだ。そんな時期があったとは知らなかった。
表現の自由もままならなかったこれらの国々の人々はある意味、命をかけて自分の国の伝統と文化を守るために文章を書く。
「noblesse oblige」という言葉があるが、まさしく、この人々は自分の義務を果たすために命を懸けようとしているのだ。
日本人は経済成長を遂げるため引き換えとして国としての伝統と文化を一切捨ててしまったのかもしれない。
ひとつは宗教心だろう。人間とシャチは自分の命をつなぐ意外に“殺し”ができる動物らしい。多分、人間はその自らの残酷さを封じ込めるために宗教というものを編み出したのだと僕は思っている。明治になった頃から廢佛毀釋で実生活のなかから宗教を排除し続けているのだらか仕方がない。
120歳を超えるけど何処にいるのかわからない人がいっぱいいたり、親や子供を殺す輩がやたらと多いのはきっとそんなことが原因に違いない。難波の町を歩いているとそんなようなやつがわんさかいる。
アメリカの大統領だって就任式の時には聖書に手を乗せて宣誓をするのとは大違いだ。
自民党は「真の保守を。」などとほざく前に「真の宗教心を。」と唱えたほうがいいのではないか。オウムはダメだが・・・。

後半はインドそのもの印象が語れている。
50年前のインドといえばあまり想像しなくてもとんでもなく貧しい国だということはすぐにわかる。本の最後は「その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは、生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている。」という言葉で結ばれている。作家は、インドの人々と文化の中から大きなバイタリティを感じていたのだろう。
実際、今はBRICsの一角として目覚しい発展を遂げているが、この作家は50年前にすでに予言していたのだ。

インドで考えることというと、「生と死が一体となった、メメントモリの思想。」と思いがちだが、作家の思ったことは少し似ているがちょっと違うことだったのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする