イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「火花」「スクラップ アンド ビルド」読了

2015年08月23日 | 読書
又吉直樹、羽田圭介 「火花」「スクラップ アンド ビルド」読了

 芥川賞作品を2編しか読んだことがない人間が芥川賞について書くのもなんだが、芥川賞作品というのは、感動させてしまったり共感されたりしてしまうともらえないのではないかと思う。
主題があってもそれは単にレトリックを完成させる材料であるだけだ。
この2編も漫才師や、老人の介護問題というのはたまたま著者の身近にあったものであっただけであって漫才師の苦悩や老人介護の先行きなどは大きな問題でははいはずだ。読む人によって、その時々の精神状態によってさまざまに感じ取ることができる、まるで能面のような作品に仕上げる。それが芥川賞だと思う。
 しかし、読む人すべてにその人だけの感想を持たせるということは多分これほど難しいものはないということもなんとなくだがわかるような気がする。
「ここで泣いてくださいね~。」って書くほうが絶対たやすいことは間違いない。

 そんな小説を書くためにはきっと法則というか、作法がきっとあるのだという前提で書かれたのが、「火花」という作品なのではないだろうか。
導入部の言い回し、章が変わるたびに挿入される情景描写はたしかにTHE芥川賞と思えるようなフレーズだ。
 マキタスポーツというタレントが、「絶対売れるJ-POPを作る法則」というものを発表していたが、どんな業界でもそんな法則が存在するのだろう。
 選考する人たちも、文芸春秋も、ある意味商売だから話題作りもしたいし、買ってほしいしというなかでは、だれもが納得できる法則で書くことができる有名タレントが出てきてそれにホイホイ乗りました。というのが本音ではないだろうか。だから少しは権威も保たねばならないというところでもう1作品受賞させたのが第153回芥川賞ではなかったか・・・。

 しかし法則だけではいけない。もうひとつ、「人間はこんなときこんな心の動きをしてしまう。」ということを、今までの誰もが考え付かなかったけどこれは多分きっとこんな心の動きってあるんだろうなということを書ききらなければならない。
 作法は勉強できても心の動きは勉強できない。ここが常人とはちがうところなのだろう。漫才師という職業はある意味、そこをもっとも得意とする人々の集団なのだと思う。人を笑わせるということは人を感動させるより難しいし、アドリブでの切り返しなんかでも相手の心のうちを読みきらないとお金をもらえるレベルにはならないだろう。(だから美人女優と結婚できたりするんだろうな。私のことをわかってくれるのはこの人だけ!ってなことになるんだ。きっと)すごい人間観察力だ。
 その中の一握りの人たちがテレビに出ることができる。週に1回はテレビで見るような芸人さんは又吉でなくてもだれでも一流の小説を書くことのできる才能を持ち合わせているということだ。あとは作法を知っているかどうか。そこが又吉のすばらしいところだと僕は考えた。
 師の作品を読みつないでいくと、受賞作というのは師でさえも後の作品に比べると物足りなさを感じる。又吉直樹はこれからどこまですごくなるのかはわからない。しかし、せっかく、「小説家で食っていってもいいよ。」という切符をもらえたのだから、芸人が書いたから売れたのではなく間違いなく小説家かとして売れているのだというような作品をものにしてもらいたいものだ。
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