イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「生き物の死にざま」読了

2019年12月23日 | 2019読書
稲垣栄洋 「生き物の死にざま」読了

生き物がその寿命を終えるその時を追いかけている本である。その死に方は壮絶で、まさに「死にざま」である。
そして、その死にざまを見せるときというのはオスであってもメスであっても次の世代に命をつなぐ場面であるというのが自然界の掟のようだ。

ハサミムシのメスは卵を守り子供が生まれると自分自身を最初のエサとして子供たちに提供し生きながら死んでゆく。タコのメスも卵を産むと絶食状態で守りきり孵化を見届けて息絶えるそうだ。
メスの最後というのは壮絶さの中にも神聖さが感じられる。それに対してオスというのはなんとも悲しげだ。
カマキリのオスはすべてではないがメスに頭を喰われながらでも交尾をやめない。アンコウはメスの体にとりついたのちそのまま溶けて精巣だけが残る。アンテキヌスというネズミは成熟すると男性ホルモンの分泌が過剰になりひたすら交尾できるメスを探し回り、交尾したいというストレスのせいで毛が抜け目も見えなくなるほどになるそうだ。
ちなみに、カマキリのオスはやり得で逃げ切れるやつもいるそうだが、オスを食ってしまったメスの卵は食べられなかった時よりも2倍の大きさの卵塊を生むそうだ。メスも必死だし、子孫を残すという意味ではオスも食べられた方が本望ということらしい。
こう見てみるとオスというのはかなり損な役回りをしているような感じがするのだがこれが自然界では一番効率がいいからそうなってしまっているのだという考え方があるそうだ。メスは交尾のあとも卵を産まねばならないがオスは精子さえ手渡すことができればもう体は必要ない。そんなところだろうか。これは人間にも言えそうでなんだか寂しくなる。

どちらにしてもオス、メスとも次の世代に命を手渡すことができればあとは死を待つだけ。それがまさに「死にざま」であるというのがこの本の本質である。

生物が子孫を残す戦略にはふたつある。大量に子供を産んで生き残る数を増やそうという戦略。子供を産む数は少ないがそれを丁寧に育てて子孫を残す戦略。大半の生き物は前者の戦略を取るのだが哺乳類、究極は人間だが後者の戦略だ。
そして著者は、後者の戦略は、生き残る価値のある強いものだけにその権利が与えられると書く。これは手厳しい。人間の中にもその格差が存在しているのだということを暗に示しているかのようだ。はたして僕はどっちなのだろうかと不安になるのだ。

著者の職業は生物学者だそうだが、文章はかなり文学的だ。以前に読んだ、「鮭サラー その生と死」を思い出した。昆虫にそこまで感情がないのはわかっているけれどもきっとそう思いながら死んでいっているのに違いないと思えてくるような臨場感のある文章だ。
特に、「蚊」が命がけで家の中に侵入し人の血を吸って卵を産む行為が書かれた章はあまりにもリアルだ。そう思っていても夕べ、季節外れのこの季節、僕の血液を狙って顔の周りに危険を冒しながらも飛んできた蚊には敬意を払うことなく殺虫剤をおみまいしてしまうのだ。
少なくとも人間以外の生物の世界には“老衰”というものはない。それが必死で生きる生き物の世界なのである。

しかし、動物の中には、人間のエゴというか欲望というか、そういうもののために命を落としてゆくものもある。この本に掲載されているのはブロイラーと実験用のマウスである。彼らは次の世代に命をバトンタッチするために死ぬのではない。また、ゾウが持っているかもしれない生死観、老化しないハダカデバネズミを例にあげて、ヒトは死に対して本当に正しい感覚を持っているのだろうかと疑問を投げかける。


僕もこういうことには興味があるほうだからこの本に出てくる生物の大半についてはその死に方を知っていたけれども、題材の編集と文章力の前に僕の知ったかぶりは吹き飛んでしまったのだ。
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