イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「同窓会に行けない症候群」読了

2019年12月10日 | 2019読書
鈴木信行 「同窓会に行けない症候群」読了

50代を中心に同窓会に行けない人が増えているという。どうしてそういう人ができてしまうのかということを現代の日本の労働環境の分析を交えて書かれている。ただ、著者は、「宝くじで1億円当たった人の末路」というなんだか月刊宝島風のタイトルの本を書いているような人だから中身はあまりたいしたことがなさそうだ。

同窓会に行けない人はこんな人だということで四つの類型を取り上げている。
①会社で出世できなかったから。②起業して失敗したから。③「すき」を仕事にできなかったから。④「仕事以外の何か」をみつけられなかったから。という理由でそれがどんな原因から生まれるかというのが以下のとおり。

①の、「会社で出世できなかったから」については、バブル崩壊以降、企業の年功序列の制度が崩れた。上司が年下ですとはなかなか言えない。②の「起業して失敗したから。」については、日本では、一度失敗したら二度と立ち直れないほど復活するのは難しい。贅沢を覚える暇もないほどの猛スピードで爆発的な成功を遂げる起業成功者もいるけれどもそれは例外中の例外でその裏には何倍、何十倍の鳴かず飛ばずの例がある。③の『「すき」を仕事にできなかったから。』では、好きなことを仕事にして十分な収入を稼ぎ続けられる職業は限られていてそこで従事できるのは才能に恵まれた一部の人だけである。④の『「仕事以外の何か」をみつけられなかったから。』では、そもそも日本では労働時間が長くて趣味や家族サービス、子育てなどに割ける時間が諸外国に比べれば極端に少ないのだ。

と、なるのだが、これらの理由そのものがこの国の社会構造や労働環境の問題点を表しているのだというのがこの本の大まかな趣旨である。

そして、そこから導き出せる同窓会へ行けない人の心理状態というのが、承認欲求が満たされていない。または、自信を失っている。ので、「今の自分を見られるのが恥ずかしい。」という言葉でくくられる。
ここのところはなかなかうまい分析だとは思う。僕がこの本を手に取ってみたのはまさに僕自身が『同窓会に行けない』人間だからなのであるが、こうやって具体的に文章に書かれてしまうと、うなだれるしかない。高校時代の同窓会というのが5年に1回実施されているらしいのだが行ったことがない。必ず正月2日に実施されるので、仕事がありますとうまい理由を作って必ず断っているのだが、本心のところはまさにこのとおりだ。出世もしていない、かといってひとりで飯の種を得る能力も度胸もない。釣りは好きだがそれが仕事であるわけではなく浪費の種でしかない。子育てなんて面倒くさかっただけだから今では他人のようだ。
そう思うと、同窓会に行って、僕の今はこんな感じですなんて人に言えるものがない。それに、当時から記憶力というものがまったくなかったのでクラスメートでさえ名前と顔が一致しない。というか、名前さえもほとんど思い出せない。たとえ出席したとしても会場の中で呆然と経ちつくすしかないのである。だからやっぱり同窓会へは行けないのだ。

そしてそんなひとがどうしたら同窓会に出席できるようになるかという回答が、自分は自分、他人は他人という動じない心=「悟り」を開きなさい。となっているのがこの本の月刊宝島っぽいと思う所以なのである。
そして、ところどころ、コラムと称して「○○な人の末路」というのが出てくる。とりあえずは本題に関連したようなコラムにはなっているのだが、よほど“末路”が好きな人らしい。
同窓会に行かないと孤立化や老齢クレーマー(これは現実に僕も悩まされたことがあるが・・)になってしまうという恐れがあるという指摘のところでは身につまされながらも、読み物としては何の知性も感じられず、図書館に蔵書するほどの価値は絶対にないのではないかと思う本であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする