小玉武 「開高健 生きた、書いた、ぶつかった!」読了
師の没後25周年が近づいてきたせいか、また師について書かれた本が出版されていた。
今度の著者は同じサントリー宣伝部に勤務していた人だ。
ある時代に特化して書かれたものではなく、少年期~青年期~サラリーマン時代~芥川賞前後~闇の三部作~オーパの頃~晩年と順を追いながら書かれている。師とは一時期、上司と部下という間柄だったようだがその近い関係をわざと強調せずに書いているという印象を受ける。
伝記としては今まで読んできたいくつかのものとそんなに内容が変わっているのもでもない。
ただ、今まで書いてきた人たちと大きく異なるのは牧羊子の評価の仕方だ。
谷沢永一にしても向井敏にしても、師の死後大分経ってから書かれた本の著者たちもこの人を肯定的に書いている人はまずいなかった。
この女性がいなければ開高健という作家は生まれなかったのだろうし、それゆえ牧羊子は師を見出して育てたのは自分であるという自負と独占欲から師を縛りつけ、死期を早めたのではないのかというのが大半の見解だ。
しかし、著者はそうではないのだと主張している。妻を愛していなければ自宅に先輩作家を招いて手作りの食事を披露することはなかったであろうし、茅ヶ崎の邸宅にしても当初は家族から逃れるための別邸として建てられたところへ道子と共に押しかけてきたのだというのも定説になっているが、離れの書斎に台所やシャワールームまで作ったのは師を気遣った羊子のほうであって師が家族から逃れるためではなかったというのだ。境目の扉に猫が通れるほどの小窓があってそこから食事を差し入れてもらっていてそれほど家族とは距離を置いていたというのもそういう先入観を持っている人の考え方に過ぎないという。
また、「夏の闇」に登場する女性についてもかつての愛人がモデルになっているというのが定説だが、ここにも牧羊子の姿が投影されているのだと言っている。
そのほかにも、「日本三文オペラ」執筆のための取材時、アパッチ族と交流を持てたのは間接的ではあれ、牧羊子の影響があったのではないかと想像している。
師も牧羊子のことについてはあまりいい事を書いていないのは事実だが、これも師のサービス精神が旺盛なことに起因し、師の特有の道化だというのだ。
著者と牧羊子関係というのは最後のほうに書かれているが、プライベートなことで真夜中の電話で起こされたりするほど親交があり、師の死後は出版物や師を記念する行事などの運営で行動を共にすることが多かったそうだ。
そういう部分もあってあえて悪くは書けないという部分もあったのだろうと思えるが真実はまあ、誰にもわからないのでどちらでもいいといえばどちらでもいいのであるが・・・。両方を読んで、両方に対して、そうだったのか!と思えばそれでいい。
「オ-パ」については、非常に両極の評価があると書いている。要はこれを書いた人だから嫌いだ。逆にこの本から好きになった。という人たちがいるというのだ。師の著作にはこれ以前にも「私の釣魚大全」と「フィシュ・オン」があるけれども、これらとも大いに異なるというのだ。
確かに「オーパ」シリーズと「もっと・・・」シリーズを書いているあいだは創作をほとんどしていなかったそうで、これがなければまだまだ優れた著作が出版されていたのではないかとかいうような批評を読んだことがあるが、これを書いたからこの作家が嫌いであるというコメントを見たことがなかった。これは残念なことだ。
複数の批評家の批評を引用しているが著者の判断は、「オーパ」は師が体験した戦前戦後の混沌、ベトナム戦争の悲惨さ、作品でいうと、「青い月曜日」、「輝ける闇」「夏の闇」それらを礎石として書かれたものであるという批評を取り上げそれを結論としている。
僕もきっとそうであったと思う。師はここで一区切り、釣りという行為を通して自分の人生を振り返るかまたは総括をして新しい創作に向かおうとしていたに違いないと思うのだ。
まあ、これも人それぞれがどう感じるかであって師がどんな位置づけでこれを書いていたということは当たり前だが師にしかわからない。読む人がそこから何かを感じればそれでいいはずだ。
そういう意味でこの本は今までの伝記と比べるとかなり視点と評価軸が異なる様相の書かれ方になっている。
ただ、伝記ばかりを読んでいるのではなく、僕も再び師の著作に戻らなければならないと思い始めている。
師の没後25周年が近づいてきたせいか、また師について書かれた本が出版されていた。
今度の著者は同じサントリー宣伝部に勤務していた人だ。
ある時代に特化して書かれたものではなく、少年期~青年期~サラリーマン時代~芥川賞前後~闇の三部作~オーパの頃~晩年と順を追いながら書かれている。師とは一時期、上司と部下という間柄だったようだがその近い関係をわざと強調せずに書いているという印象を受ける。
伝記としては今まで読んできたいくつかのものとそんなに内容が変わっているのもでもない。
ただ、今まで書いてきた人たちと大きく異なるのは牧羊子の評価の仕方だ。
谷沢永一にしても向井敏にしても、師の死後大分経ってから書かれた本の著者たちもこの人を肯定的に書いている人はまずいなかった。
この女性がいなければ開高健という作家は生まれなかったのだろうし、それゆえ牧羊子は師を見出して育てたのは自分であるという自負と独占欲から師を縛りつけ、死期を早めたのではないのかというのが大半の見解だ。
しかし、著者はそうではないのだと主張している。妻を愛していなければ自宅に先輩作家を招いて手作りの食事を披露することはなかったであろうし、茅ヶ崎の邸宅にしても当初は家族から逃れるための別邸として建てられたところへ道子と共に押しかけてきたのだというのも定説になっているが、離れの書斎に台所やシャワールームまで作ったのは師を気遣った羊子のほうであって師が家族から逃れるためではなかったというのだ。境目の扉に猫が通れるほどの小窓があってそこから食事を差し入れてもらっていてそれほど家族とは距離を置いていたというのもそういう先入観を持っている人の考え方に過ぎないという。
また、「夏の闇」に登場する女性についてもかつての愛人がモデルになっているというのが定説だが、ここにも牧羊子の姿が投影されているのだと言っている。
そのほかにも、「日本三文オペラ」執筆のための取材時、アパッチ族と交流を持てたのは間接的ではあれ、牧羊子の影響があったのではないかと想像している。
師も牧羊子のことについてはあまりいい事を書いていないのは事実だが、これも師のサービス精神が旺盛なことに起因し、師の特有の道化だというのだ。
著者と牧羊子関係というのは最後のほうに書かれているが、プライベートなことで真夜中の電話で起こされたりするほど親交があり、師の死後は出版物や師を記念する行事などの運営で行動を共にすることが多かったそうだ。
そういう部分もあってあえて悪くは書けないという部分もあったのだろうと思えるが真実はまあ、誰にもわからないのでどちらでもいいといえばどちらでもいいのであるが・・・。両方を読んで、両方に対して、そうだったのか!と思えばそれでいい。
「オ-パ」については、非常に両極の評価があると書いている。要はこれを書いた人だから嫌いだ。逆にこの本から好きになった。という人たちがいるというのだ。師の著作にはこれ以前にも「私の釣魚大全」と「フィシュ・オン」があるけれども、これらとも大いに異なるというのだ。
確かに「オーパ」シリーズと「もっと・・・」シリーズを書いているあいだは創作をほとんどしていなかったそうで、これがなければまだまだ優れた著作が出版されていたのではないかとかいうような批評を読んだことがあるが、これを書いたからこの作家が嫌いであるというコメントを見たことがなかった。これは残念なことだ。
複数の批評家の批評を引用しているが著者の判断は、「オーパ」は師が体験した戦前戦後の混沌、ベトナム戦争の悲惨さ、作品でいうと、「青い月曜日」、「輝ける闇」「夏の闇」それらを礎石として書かれたものであるという批評を取り上げそれを結論としている。
僕もきっとそうであったと思う。師はここで一区切り、釣りという行為を通して自分の人生を振り返るかまたは総括をして新しい創作に向かおうとしていたに違いないと思うのだ。
まあ、これも人それぞれがどう感じるかであって師がどんな位置づけでこれを書いていたということは当たり前だが師にしかわからない。読む人がそこから何かを感じればそれでいいはずだ。
そういう意味でこの本は今までの伝記と比べるとかなり視点と評価軸が異なる様相の書かれ方になっている。
ただ、伝記ばかりを読んでいるのではなく、僕も再び師の著作に戻らなければならないと思い始めている。