鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

味のある演奏の巨漢指揮者

2006-11-20 | Weblog
 19日は雨の中、東京・渋谷のNHKホールでのN響コンサートを聴きに行った。指揮者の75歳のイタリアの巨漢、ネルロ・サンティのせいか、会場は3階席まで超ぎっしりの満員。演奏開始の午後3時過ぎに最前列におよそ音楽好みには見えないプロレスラーみたいながっしりした男性が女連れで現れ、椅子に座ったのを後ろから見たら、椅子席から両肩がはみ出していたのがおかしかった。幸い、隣は空席だったため、事なきを得た。目を上げると、巨漢の指揮者がタクトを振っているのだから妙といえば妙な取り合わせだった。
 演目の最初はモーツアルトのオペラ、「コジ・ファン・トウッテ」、「フィガロの結婚」、それに「ドン・ジョヴァンニ」で、ソプラノ歌手のアドリアーナ・マルフィージが見事に歌った。アドリアーナ・マルフィージは表情豊かな美人で、会場入口で配布されたパンフレットよりやや太めではあったが、きれいなよく通る声で、満場の拍手を受け、オペラ歌手には珍しいアンコールとして「蝶々夫人」を歌った。
 休憩時間にロビーに出ると、この種の会場にはまれな男性トイレが女性のそれよりも長い行列を作っていた。寒くてトイレに行く人が多いのか、クラシックファンには男性のが多いせいなのか、不思議な風景ではあった。
 休憩後はチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調作品64.通称「宿命」というようであるが、出だしから暗い感じの曲である。指揮者のネルロ・サンティは休憩の間にお色直しをいsたとみえ、黒からグレイのモーニング姿でタクトを振った。最初もそうだったが、楽譜をみずに指揮をする、すべて頭に入っているということだろう。パンフレットにはチャイコフスキーを最も得意とする作曲家だそうで、これまで日本で交響曲第2番、第4番、第6番を指揮しており、第5番は初めてだ、という。聞いたことがないのは当たり前だ。
 交響曲を聴くといつでもいろいろなことを瞑想する。前から2列目なので、楽団員のすべての顔が見られないのが不満である。以前は双眼鏡で団員の演奏している顔を眺めながら、何を考えているのだろうか、などと思いやったり、指揮者の仕草をじっくり観察したりしていた。交響曲の楽章の最後はいつも全員が必死になって楽器を鳴らして、最高に盛り上がったところで突如終わる。特に最後は全員全力で演奏して、大団円といった感じで終わる。この「宿命」もそうかな、と思って拍手が出たところで、まだ演奏が続くハプニングがあった。日本で演奏されることの少ない交響曲ならではのハプニングであった。
 演奏が終わって、団員の女性がさっと立って引っ込んだので、何事か、と思っていたら、2度目のカーテンコールの時に大きな赤い花の花束を持って現れ、サンティさんに贈呈していた。そして3度目のカーテンコールで引っ込む時にコンサートマスターを抱え込むかのように舞台の袖に連れていって、終幕となった。こんあことを見たのは初めてで、指揮者がコンサートマスターを拉致することなんてありなのかな、とも思った。
 芸術の秋の一コマでした。
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なにか変だよ、中田くん

2006-11-19 | Weblog
 ワールドカップで決勝トーナメント進出を逃した中田英寿が意外なところに顔を見せた。事もあろうにAPEC首脳会議でベトナム・ハノイに赴いた安倍首相の宿舎に現れ、安倍首相と会談に及び、18日付けの日本の新聞各紙に写真入りで大きく報道されたのだ。中田氏はホーチミン市でストリートチルドレンにサッカーを教えることで、ベトナム入りしたようであるが、この会談がどちら側から仕掛けたものか、定かではないものの、ワ-ルドカップでのぶざまな戦績についてきちんとしたコメントも一切ないのに、いきなり安倍首相とのツーショットを披露するとはサッカーファンならずとも納得しがたいものがある。
 実は中田英寿はこの前の中国・北京市順義県にある太陽村で受刑者の子供たちと交流したと、北京の日刊紙「京華時報」が伝えた。以前に上海で「チャイナ・ファッション・アワード」を受賞した際にそんな約束をし、中国の女優、周迅と一緒に訪れた、という。人民日報にはその女優とともに写真におさまっているところが掲載されている。
 日本ではワールドカップ以来、すっかり消息が途絶えていたのに海外では活発に動き回っているようだ。海外では日本のマスコミ各社の記者が追いかけるようなわずらわしいことがないから、素直に動き回れるからだろうが、なにか変な気がする。よく日本では無名だが、海外の特定の国でだけ有名な芸能人がよくいるが、中田氏の場合、逆である。
 そんなことを思っていたら、今週発売の週刊文春(11月23日号)で「中田英寿、タヒチでCMモデルと熱愛」との記事が出ていた。写真週刊誌のFRIDAYに載った記事の引用だったのだが、白雪とかいうモデルらと数人でタヒチへ出かけた時に密会のスナップ写真として撮られたようなのだ。モデルが近くCDデビューするのにうまく利用されたようであるが、ワキが甘いとしかいいようがない。選手時代にマネージメントを任されていた所属事務所のサニーサイドアップの関与するようなことではないのだろうが、中田氏本人を含め自己コントロールができていない。
 そもそも今後、中田氏がどういう活動をしていきのか、をまず決めるべきだろう。おそらくもう決めているのだろうが、きっちりとワールドカップの総括を含め、日本で記者会見を開いて説明すべきだろう。海外でこそこそ動き回っているのだけはやめた方がいい。受刑者の子供や不幸な子供は日本にもいっぱいいる。堂々と国内でサッカーの普及に努めればいい。サニーサイドアップもマネジメントをしているのなら、中田氏に言い含めてワールドカップへのきっちりとした決別をつけないといけないだろう。自らにホームページにちょこっと書いて事足れりではいい大人のすることではないだろう。そのうえでのことなら、何をしてもいいと思うが、少なくとも時の権力者に媚びを売るような青少年の夢を壊すようなことはやめてほしい。
 中田英寿よ、サッカーの世界で生きていくのか、媚へつらいのただの人になるのか、はっきりしてほしい。
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違和感残る東京ベイ幕張オープン

2006-11-18 | Weblog
 千葉市幕張の幕張プリンスホテルがいまなにかと話題のアパグループに買収され、新たに東京ベイ幕張としてオ^プンし、17日その披露パーティが開かれ、縁あって招かれ、顔を出した。新たに4階すべてに大浴場を設けたのと、レストランを全面改装したのが特徴で、知らなかったが建築家、丹下健三氏の設計となる54階のガラス張りの外観はそのまま残した。3000人収容のホールもそのままとなっていて、そこを使って披露目のパーティが大々的に行われた。しかし、いわゆる都心のホテルの完成披露パーティとしてはなにか感じの違う妙な感覚の残るパーティであった。
 パーティはグループ代表の元谷外志雄の挨拶に続き、アパホテルの元谷芙美子社長が自慢たらたらの挨拶。安倍首相となにか親交があり、とかくうわさのある人物で、成功した経営者にありがちなお金といけいけドンドンの話ばかり。2万室、会員200万人が目標とぶちあげ、聞いている人にとって経営の参考となるような話は一切ない。続いて、千葉市長を皮切りに国会議員、ロッテ球団代表、幕張メッセ社長ら地元の名士の来賓祝辞が延々と続き、最後は壇上に大勢の来賓が上っての酒ダルの鏡割りで、乾杯。やっと食事にありつけるわいと思って時計を見ると、もう約1時間は経っている。
 1000人を超えるパーティの参加者はこれでもか、これでもかというアパ礼賛の祝辞に半ばうんざりしていた。パーティがはじまっても国会議員や関係者の祝辞
が続き、やや食傷気味であった。アパグループ発祥の地である石川県小松市でのオープン披露パーティならこれでいいだろうが、千葉とはいえ都心のホテルの完成披露パーティではちょっといただけない。
 開始1時間半くらいして、真っ赤なドレスを着た支配人の池田久美子氏が中締めの挨拶を始めたところで、もういいやと退出した。  
 帰りにいただいた紙袋のなかを見ると、お茶のペットボトルとなぜかロッテのチョコレート、それにパウンドケーキ、小さめの洗顔石鹸が入っていて、まるで結婚式の引き出物の雰囲気。もらっておいて失礼ではあるが、ちょっと笑える感じである。
 全体に近代的なホテルの完成披露パーティにしては泥臭くて、違和感の残るセレモニーであった。確か、昨年のいまごろ話題となった耐震偽装問題で、アパグループのホテルだか、マンションもそうだ、との声があったと思うが、なぜかいまに至るまで表面化していない。後で、アパグループが耐震偽装か、政治家がらみで、なにかスキャンダルで世間の注目を集めるようなことがあった際には映像として、振り返られるようなイベントであった。元谷会長夫妻を間近に見たのは初めてのことであるが、2人の持つ雰囲気がどうも企業経営者として健全さが感じられなく、企業としてのアパグループになにか不自然なものが感じられた。この意味で、アパグループの絶頂期がいまであるような気がしてならない。
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知事受難の時代?

2006-11-17 | Weblog
 このところ、都道府県知事のスキャンダルが相次いでいる。梶原拓岐阜県前知事が17億円もの県の経費を職員が隠匿していたのを容認していた、とのことで追及にあったのに続いて、福島県で5期連続当選の佐藤栄佐久知事が建設談合で退陣に追い込まれ、同じ談合で木村良樹和歌山県知事が逮捕された。さらには宮崎県でも官製談合で安藤忠恕知事に追及の手が及びそうだし、石原慎太郎東京都知事にも海外出張の際の経費が規定を大幅に上回るものだ、との批判が出ている。まさに都道府県知事受難の時代である。
 これまだ国会議員や企業経営者が不正を働いたり、ガバナンスに欠けた振舞いをして、世論の指弾を浴びるケースは結構あったが、知事がそうした局面に立つことはそれほどなかった。散発的に女性へのスキャンダルで退陣に追い込まれたケースもないではなかったが、最近起きているような相次いで知事が不正に手を染め、逮捕、もしくは自ら退陣を表明することが続出すると一種の流行のようなものを考えざるを得ない。
 岐阜県の梶原知事や和歌山県の木村知事は地方での活気ある行政の見本のようなケースでよくマスコミにも取り上げられ、パネルディスカッションのパネラーとしてもテレビ、雑誌によく登場していた人物でもある。それが庶民感覚として許せない県の経費を横流しして集団で横領していた事実を知って知らないふりをしていたとか、自宅から1000万円を超える贈答の高級腕時計が見つかったことを聞くと、本当かな、と首をかしげてしまう。いま一番ホットな安藤宮崎県知事は「私は関係ない」と言っているが、責任者としての発言といsてはいただけない。いずれ、司直の手が及ぶのは間違いない。
 小泉首相が5年半前に就任した時に改革の眼目として小さな政府という旗印を掲げ、政府の行ってきたことをできるだけ少なくして、地方に移管できるものは地方に移管してきた。この結果、国から地方へ移管されたものが結構あって、都道府県知事の権限が大きくなった、ということがあるのではなかろうか。建設会社の方でも国の公共工事では監視の目が厳しいので、攻め先を地方公共団体に切り替えた、とは十分の考えられる。その結果が国レベルでの談合がなくなったと思ったら、地方では相変わらず談合が繰り返されていた、ということだろう。福島県の場合は知事の弟が経営する紳士服製造会社がその窓口となっていて、知事がその会社の役員をしていた、というのだから、空いた口がふさがらない。
 それと、国政段階では不正、談合などに対する監視の目が結構いきわたってきたが、地方でもようやくその兆しが出てきて、槍玉にあがるようになってきた、ということだろう。地方の場合は昔からの顔馴染み、地縁で物事が進むケースがまだまだ残っているので、今後さらに知事や行政当局に対する不正監視の動きが強まることが十分に考えられる。
 知事のみなさん、身辺を身ぎれいにしておくことが必要ですよ。
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IT以外のことでは凡人のビル・ゲイツ

2006-11-16 | Weblog
 マイクロソフトの創始者で、いまや世界ナンバーワンの富豪、ビル・ゲイツ氏の保有する投資会社を中心とするグループがカナダの高級ホテルチェーン、フォーシーズンズホテルに買収提案をした。今後、高級ホテルに対する需要は増すことは明らかであり、投資対象といsて悪くはないが、マイクロソフトをゼロから立ち上げ、世界最高峰に登りつめたビル・ゲイツ氏がホテル買収とはいかにも夢がない。せめてIT関係で次代のマイクロソフトを超えるようなベンチャー企業を1つと言わず立ち上げてほしかった。ITでは巨人であっても、IT以外の分野では並みの人よいうことなのか。
 共同通信社の伝えるところによると、カナダのフォーシーズンズホテルはビル・ゲイツ氏が所有する投資会社を含むグループから1株87ドル、総額37億ドル(約4370億円)で買収提案を受けた。提案したグループはゲイツ氏のカスケイド・インベストメント、サウジアラビアの王族が運営するキングダム・ホテルズ・インターナショナル、フォーシーズンズの最高経営責任者の関係会社の3社で構成されている、という。フォーシーズンズの経営主導権争いに過ぎないのかもしれないが、ビル・ゲイツ氏が関与しているだけになんらかの意図がある、ともられても仕方がないだろう。
 フォーシーズンホテルは日本では東京・目白の藤田観光が経営する椿山荘の一角にあり、一泊4-5万円の超高級ホテルとして有名である。今後レジャーが高級化するにつれ、こうしたホテルに対する需要は増すことは誰しも予測できることで、一般の投資対象としてうなづける点は十分にある。
 しかし、これにビル・ゲイツ氏がかんでいるとなると話は別だ。ビル・ゲイツ氏はいまや世界ナンバーワンの富豪で、400億ドルを超える財団をもっている。この財団にはつい先頃、ウオーレン・バフェットも参加したばかり。それだけにビル・ゲイツ氏が次にどんなお金の使い方をするのか、に注目が集まっている。
 それが、高級ホテルではいかのも夢がなさ過ぎる。世界の青少年の憧れの的なのにホテル経営ではお先が知れる。ベンチャー企業を支援してくれ、とは言わないから、せめて夢を壊さないように願いたいものだ。
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陸上競技界の粋な試み

2006-11-15 | Weblog
 先日、陸上競技の為末大選手らトップアスリート数人が都内の小学校を訪れ、自らの技を披露することで、小学生に陸上競技の素晴らしさを直接見てもらう、という初めての試みを実施した。今後、全国各地の小学校を回って陸上競技のPRに努める、という。だれの発案か知らないが、小学生にトップアスリートのすごさを実際に目で見て、肌で感じてもらう、ということは素晴らしいことで、今後、陸上競技をめざす児童が出てきて、いずれオリンピック選手になる人が現れるかもしれないし、なによりも児童にとって世界最高水準の技を見るということはいま話題となっている教育のあり方というものをも教えてくれる。
 この試みは「キッズアスリート・プロジェクト」というものだそうで、400メートル障害の為末大、100メートル走の朝原宣治、棒高飛びの沢野大地、女子走り幅跳びの池田久美子選手ら日本の陸上競技のトップアスリート7人が、東京都杉並区の和田小学校の校庭で開かれた。全校生徒230人の前で100メートル走、棒高飛びの技をデモンソトレーションしたあと、高学年の児童に陸上教室を開いた。目の前で朝原選手が走るのを見て、「早い!」との声が起きたり、沢野選手が校舎の2階に届く5メートルの高さのバーをクリヤーするのを見て、「すごい!」との歓声が沸いた。100メートル走では選手と一緒になって競争している児童の姿が実に楽しそうだった。
 鈍想愚感子も中学生の頃に近くのプール開きの際に当時のオリンピック競泳の山中毅選手が来て、見守る観衆の前で自由形の泳ぎを披露したことがあるが、とにかく早いのにびっくりしたことがある。その後、バタ足だけで泳ぎのうまそうな子と競争したが、あっさりと抜いていったのもはっきりと覚えている。テレビや競技場で目にするのと直接目の前で見るのとではまるで違う。直接見る方がインパクトが強いし、強烈に記憶として残る。
 これも中学校時代のことであるが、当時の担任が陸上競技の部長をしていて、体育の時間に陸上競技の良さ、素晴らしさをしきりに説いていた。世界のスポーツで40億人のすべてがエントリーできるのは陸上競技だけで、オリンピックの花形で米国、ソ連がメタル獲得に最も力を入れているのが陸上競技だ、と言っていた。言われてみれば、確かにそうだが、だからといって陸上競技にそれほど魅力を感じなかった。そんな時に今回の「キッズアスリート・プロジェクト」のような企画があって、目にしていればまた違って見えたのだろう。
 いま子供の世界では野球、サッカーが全盛である。それ以外にも陸上競技はじめいろんな世界があるのだ、ということを身体で教えてくれるこんな試みがもっともっとあれば、いま話題になっているいじめの問題についても少しは解決の糸口を与えてくれるのではなかろうか。
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社長業のつらさ

2006-11-14 | Weblog
 知っているうちには入らないが、間近で見たことのあるNECの前社長、金杉明信氏が食道ガンで亡くなった。65歳といういまとしては比較的若い年で、亡くなってしまって、やはりというか、社長業が相当に負担だったのだ、と思わざるを得ない。金杉氏がNECの社長に就任したのは03年3月28日という変則な日で、前任の豪腕、西垣浩司氏が体調を崩してのリリーフ登板であった。しかし、今年の4月に任期を余しての副会長に退くことになり、社長業のハードワークが相当な負担になっていたことをうかがわせる。
 金杉氏を最初に見たのは確か8年くらい前で、当時西垣社長の下で、専務取締役を務めていた。西垣社長がなにかの用で来られなくて、代わりに金杉専務がスピーチをしていた。それを聞いていて、いかにも社長補佐的な専務取締役だな、と思った記憶がある。当時、西垣社長は退いたとはいえ、まだまだ社内で実権を握っている関本忠弘元社長と水面下で覇権をめぐってなにかと争いを起こしている最中であった。当然、金杉専務はそんな泥くさいことには一切関わりあわなかったのだろう。
 ところが、その西垣社長が体調を崩して突然の退任ということになり、あろうことか、次期社長に金杉専務を指名してしまった。金杉氏は「NECソリューションズ」カンパニーの社長を務めていたが、だれが見てもNEC全体の社長の器ではなかった。派閥抗争に飽き飽きした西垣社長としては公平な人事ができる無色透明な人ということで選任したのであろうが、本人にしてみれば真逆の人事だったことだろう。
 10万を越えるNECグループの総帥としての社長業は聞きしにまさる激務であったのは想像できる。まして補佐役に徹して技術屋人生を送ってきた金杉氏にとっては毎日が地獄の連続だったに違いない。ガンはストレスからくるもの、という説がある。金杉氏にとってはストレス、ストレスの極だった、と思われる。
 社長と言う職責はやはりそれなりの道を歩んできた人が相当な覚悟をもって取り組んでこそ、まっ任うできるものなのである。興味本位や思いつきで社長にするようなことがあると、任命されたその人が気の毒である。
 いまはもう金杉氏に黙祷を捧げるしかない。
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地方に根付く演劇文化

2006-11-13 | Weblog
 11、12日の両日、東京・初台の新国立劇場で、演劇界の重鎮、鈴木忠志氏演出の演劇三部作を立て続けに観賞した。「イワーノフ」、「オイデップス王」、それに「シラノ・ド・ベルジュラック」の3つで、知らなかったのだが、鈴木忠志氏は現在の日本で3本の指に入る演劇家で、普段は静岡で演劇活動をしており、東京で公演するのは16年ぶりのことだ、という。事前に何の予備知識もなく、11日に小劇場に行ったら、10人以上の人がキャンセル待ちの列を作っていて、今日の演劇は面白そうだ、と思った。3本とも演劇とはこうあるべきだ、という見本のような演劇で、面白いうえ、出演者が一生懸命演じていて、その熱気が伝わってきた。しかも「イワーノフ」と「オイデップス王」の幕間に鈴木忠志氏自らが出てきて、なぜこの3本を選んだか、そしていまの演劇界が置かれている危機的な状況を語ってくれたのがとてもよかった。
 「イワーノフ」はチェ-ホフ原作のもので、ロシアの農夫がユダヤ人の妻を娶り、病気で死なせてしまうところの苦悩ぶりを浮気の相手や医者をカゴの中から現れさせて主人公とやりとりさせるユニークな手法をとっているのが面白い。群集役で出てくる俳優が一斉にダンスを踊るようなアクションをするのと、クライマックスで演歌が流れるのも観客をあきさせない。
 「オイディプス王」はお馴染みのギリシャ悲劇で、主役にドイツ人をもってきて、セリフをすべてドイツ語で語らせているのがユニークで、翻訳の字幕も気にならないで、テンポよく進む。ここでも舞台回しの女性陣6人による群舞が現れ、効果を盛り上げてくれる。
 「シラノ・ド・ベルジュラック」は日本の武士に扮したシラノが従妹ロクサーノの愛するクリスチャンのために恋を取り持ち、せっせと恋文を書くが、クリスチャンはロクサーノが愛するのは恋文であると知って、戦争に赴き、死んでしまう。尼寺に入ったロクサーノは15年経って訪ねてきたシラノが恋文をそらんじているのを聞き、事実を知るが、最後までとぼけるシラノは死霊が来た、と言って、雪の中に消えていく。ここでも女性5人の切れ味のいい群舞が色を添える。また、劇中、オペラ椿姫の名曲が奏でられ、場を盛り上げていた。
 「シラノ・ド・ベルジュラック」では最前列であったため、出演者のセリフの度につばきが飛ぶのがよく見えた。出演者は演劇の基本とも言うべき発声をお腹のなかからしっかりとしていることがよくわかった。しかもよく通る声で劇場いっぱいに響きわたる。鈴木忠志氏の演劇手法、スズキ・メソッドというのが徹底している。「シラノ・ド・ベルジュラック」では主役のロクサーノ役は公募して400人のなかから選ばれた、というが、鶴水ルイという女優は大きく伸びそうだ。クリスチャン役の男性も若い頃の仲代達也を思わせる名演ぶりであった。
 鈴木忠志氏は1966年に早稲田小劇場を立ち上げた人で、その後富山県利賀村で82年より世界演劇祭「利賀フェスティバル」を毎年開催し、世界的に著名な演劇家である。95年からは出身地である静岡県舞台芸術センター芸術総監督に就任し、拠点を静岡に移している。それで東京での演劇公演からはずっと遠ざかっていた。新国立劇場はまだできて9年なので、もちろん新国立劇場での公演も初めてのことだ、という。
 新国立劇場が毎月刊行している情報誌「ジ・アトレ」に俳優を選ぶうえでの基本を聞かれ、「精神的には自己コントロールがきちんとできるか。身体的には日常生活のなかでは満たされないエネルギーを持っているかどうか、そしてそのことを信じているかどうかだ。自分のなかにマグマのように欲望とかエネルギーがあって、そのことを真面目に考えている人じゃなきゃ俳優にならない」と言っているのに感動して、劇場で売っていた鈴木忠志氏の著作を3冊も買ってしまった。
 幕間の説明では「いまはデジタル化の時代だから演劇の良さが段々理解されなくなっていて、演劇はいまや消滅の危機に瀕している」と嘆いていたのが印象に残った。
 それにしても静岡でこんないい演劇の活動が続けられているなんていままで知らなかった。鈴木氏によると、演劇が根付くには劇団専属の劇場と宿舎、それに俳優の養成所の3つがない、といい演劇は育たない、という。だから、東京にはいい演劇が育つ土壌がない、とも言い切る。静岡に拠点を移したのはそれがあったからだ、ともいう。当時の静岡県知事か誰かが偉かったのだろう。
 似たようなことが音楽の世界でもあった。確か阪神淡路大震災の後に兵庫県が兵庫芸術文化センターをつくり、そこに専属の兵庫芸術管弦楽団を発足させ、指揮者に佐渡裕を迎えた。楽団の団員はすべてオーディションで採用し、3年間の約束で専属契約を結び、団員の3分の1は外人で占められた。
 この2つのケースは心ある人のいる地域には志さえあれば立派に芸術が根付き、花開くことを教えてくれる。なにも東京にだけ文化があるわけではないのだ。
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思わぬところから火の手が

2006-11-12 | Weblog
 教育をめぐる問題が思わぬ方向へ火の手があがろう、としている。17日かrのAPEC首脳会議へ行く安倍首相はそれまでに教育基本法の成立を図ろう、と目論んでいるが、高校の未履修問題をきっかけに古くて新しいいじめ問題、それにタウンミーティングでの教育基本法についてのやらせの質問の露呈など教育をめぐる難問が続出し、とてもすんなり通すどころでなくなってきた。12日の毎日新聞社説では「一から議論をやり直す時だ」と主張しているし、サンデーモーニングではパネリストの寺島実郎日本総研理事長が「昨年の総選挙は郵政民営化一本で議席を争い、教育基本法は少しも議論されなかったのだから、教育基本法を改正したいのなら、改めて民意を問う総選挙をすべきだ」と言い、岸井成格毎日新聞特別編集委員ら他のパネリストも賛成していた。
 いま総選挙したら、懸案の郵政民営化反対の造反議員の復党問題が火を噴くため、やりたくないのが安倍政権の本音だろう。就任以来順調に来たのに、核保有論議などで党首としての姿勢を問われるなど、風向きがかわりつつある。まだ、苦手の経済では金利引き上げをしようとする福井日銀総裁の首をすげ替える挙には出ていないが、得意のはずの北朝鮮制裁では日本の頭ごなしに6カ国協議が始まろう、としている。
 さらには盟友と頼みにしていた米国のブッシュ大統領が中間選挙で上下院とも民主党に敗北し、対イラク戦略を転換せざるを得なくなった。すでにラムズフェルド国防長官の更迭を決めたし、いずれイラクからの米軍撤退もしなければならない。このことはブッシュ政策に盲随してきた小泉前首相の行った日本外交の転換をも意味する。
 小泉路線を踏襲し、就任1、2カ月は遺産というか、ご祝儀というか、ほんわかムードで滑り出しをしてきた安倍政権もここへきて、自らのきちんとした政策をう打ち出さないといけなくなってきた。今後、タウンミーティングにしろ、郵政改革にしろ単なるお祭りでしかなかった小泉路線の化けの皮が剥がれて、そのツケというか、しわ寄せが一挙に押し寄せてくることだろう。安倍政権の真価が問われる時がやってきた、というべきかもしれない。
 男たるもの。周りの人がすべて敵に見えるような気になる時が一度ならずあるものである。安倍首相はいま就任時の順風が逆風となって、そう感じていることだろう。借り物ではない自らの考えで難局を切り開いてもらいたいものだ。一部の週刊誌が書いているような易占いに頼るようなことだけはやめてもらいたい。
 
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NHK放送命令の怪

2006-11-11 | Weblog
 菅義偉総務相がNHKの橋本元一会長を総務相に呼び、短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に放送するよう命令した。放送法で定められている命令規定によるものではあるが、国が具体的なテーマを指定して放送を命じるのは始めてのことで、マスコミはもちろん当の自民党内からも反対の声が一斉に起きている。もちろん、拉致問題について国際的に解決を訴えることについては異論があるはずはないものの、自由であるはずの言論に国が介入した、という事実を重視してのことである。安倍内閣となって、憲法改正への動きが強まるなど右傾化していることへの警戒感もあって、この問題は尾を引きそうだ。
 ここへきて77年に失踪した鳥取県米子市の松本京子さんについて北朝鮮による拉致被害者として認定され、17人目の拉致被害者となることが確実となって、改めて北朝鮮に対する怒りの声が高まっており、あらゆる機会をとらえて、拉致問題の解決を訴える動きが出ている。政府からの命令を待つまでもなく、NHKに限らずマスコミは拉致問題を取り上げ、被害者の救済になるような方向で世論を形成しつつある。
 なのに、あえて拉致問題を重点的に放送するように命令する意図がよくわからない。民主党の鳩山由紀夫幹事長が「拉致問題以外のことに関しても、政府が放送内容に細かく介入してくる端緒になる」と警戒を強めている。日本新聞協会も「報道・放送の自由を侵す恐れがある」と厳しく糾弾している。
 拉致問題という大方の賛意を得られるテーマで実績を作っておいて、次にはもう少し微妙なテーマについて命令を出していこう、との腹だ、と勘ぐられても仕方がないだろう。
 安倍内閣の滑り出しは順調にきているから、そろそろ究極のねらいである憲法改正へ向けて地ならしをしておこう、とでも考えたのだろう。で、その役割を担ったのが安倍首相誕生のお先棒を真っ先に担いだ菅総務相だ。役割はともかく、軽い菅大臣が先走ってやったことにしておけば、火傷も少ない、とも読んだのだろう。
 その一方で、片山虎之助自民党参院幹事長に「命令という名前がよくない。他の表現にするか、仕組みを直さないといけない」と言わしておいて、自民党すべての総意でもない、とのポーズもとっている。自民党筋のだれかが巧妙に仕組んだ命令劇だとしたら、相当にしたたかな御仁である。
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