鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

地方に根付く演劇文化

2006-11-13 | Weblog
 11、12日の両日、東京・初台の新国立劇場で、演劇界の重鎮、鈴木忠志氏演出の演劇三部作を立て続けに観賞した。「イワーノフ」、「オイデップス王」、それに「シラノ・ド・ベルジュラック」の3つで、知らなかったのだが、鈴木忠志氏は現在の日本で3本の指に入る演劇家で、普段は静岡で演劇活動をしており、東京で公演するのは16年ぶりのことだ、という。事前に何の予備知識もなく、11日に小劇場に行ったら、10人以上の人がキャンセル待ちの列を作っていて、今日の演劇は面白そうだ、と思った。3本とも演劇とはこうあるべきだ、という見本のような演劇で、面白いうえ、出演者が一生懸命演じていて、その熱気が伝わってきた。しかも「イワーノフ」と「オイデップス王」の幕間に鈴木忠志氏自らが出てきて、なぜこの3本を選んだか、そしていまの演劇界が置かれている危機的な状況を語ってくれたのがとてもよかった。
 「イワーノフ」はチェ-ホフ原作のもので、ロシアの農夫がユダヤ人の妻を娶り、病気で死なせてしまうところの苦悩ぶりを浮気の相手や医者をカゴの中から現れさせて主人公とやりとりさせるユニークな手法をとっているのが面白い。群集役で出てくる俳優が一斉にダンスを踊るようなアクションをするのと、クライマックスで演歌が流れるのも観客をあきさせない。
 「オイディプス王」はお馴染みのギリシャ悲劇で、主役にドイツ人をもってきて、セリフをすべてドイツ語で語らせているのがユニークで、翻訳の字幕も気にならないで、テンポよく進む。ここでも舞台回しの女性陣6人による群舞が現れ、効果を盛り上げてくれる。
 「シラノ・ド・ベルジュラック」は日本の武士に扮したシラノが従妹ロクサーノの愛するクリスチャンのために恋を取り持ち、せっせと恋文を書くが、クリスチャンはロクサーノが愛するのは恋文であると知って、戦争に赴き、死んでしまう。尼寺に入ったロクサーノは15年経って訪ねてきたシラノが恋文をそらんじているのを聞き、事実を知るが、最後までとぼけるシラノは死霊が来た、と言って、雪の中に消えていく。ここでも女性5人の切れ味のいい群舞が色を添える。また、劇中、オペラ椿姫の名曲が奏でられ、場を盛り上げていた。
 「シラノ・ド・ベルジュラック」では最前列であったため、出演者のセリフの度につばきが飛ぶのがよく見えた。出演者は演劇の基本とも言うべき発声をお腹のなかからしっかりとしていることがよくわかった。しかもよく通る声で劇場いっぱいに響きわたる。鈴木忠志氏の演劇手法、スズキ・メソッドというのが徹底している。「シラノ・ド・ベルジュラック」では主役のロクサーノ役は公募して400人のなかから選ばれた、というが、鶴水ルイという女優は大きく伸びそうだ。クリスチャン役の男性も若い頃の仲代達也を思わせる名演ぶりであった。
 鈴木忠志氏は1966年に早稲田小劇場を立ち上げた人で、その後富山県利賀村で82年より世界演劇祭「利賀フェスティバル」を毎年開催し、世界的に著名な演劇家である。95年からは出身地である静岡県舞台芸術センター芸術総監督に就任し、拠点を静岡に移している。それで東京での演劇公演からはずっと遠ざかっていた。新国立劇場はまだできて9年なので、もちろん新国立劇場での公演も初めてのことだ、という。
 新国立劇場が毎月刊行している情報誌「ジ・アトレ」に俳優を選ぶうえでの基本を聞かれ、「精神的には自己コントロールがきちんとできるか。身体的には日常生活のなかでは満たされないエネルギーを持っているかどうか、そしてそのことを信じているかどうかだ。自分のなかにマグマのように欲望とかエネルギーがあって、そのことを真面目に考えている人じゃなきゃ俳優にならない」と言っているのに感動して、劇場で売っていた鈴木忠志氏の著作を3冊も買ってしまった。
 幕間の説明では「いまはデジタル化の時代だから演劇の良さが段々理解されなくなっていて、演劇はいまや消滅の危機に瀕している」と嘆いていたのが印象に残った。
 それにしても静岡でこんないい演劇の活動が続けられているなんていままで知らなかった。鈴木氏によると、演劇が根付くには劇団専属の劇場と宿舎、それに俳優の養成所の3つがない、といい演劇は育たない、という。だから、東京にはいい演劇が育つ土壌がない、とも言い切る。静岡に拠点を移したのはそれがあったからだ、ともいう。当時の静岡県知事か誰かが偉かったのだろう。
 似たようなことが音楽の世界でもあった。確か阪神淡路大震災の後に兵庫県が兵庫芸術文化センターをつくり、そこに専属の兵庫芸術管弦楽団を発足させ、指揮者に佐渡裕を迎えた。楽団の団員はすべてオーディションで採用し、3年間の約束で専属契約を結び、団員の3分の1は外人で占められた。
 この2つのケースは心ある人のいる地域には志さえあれば立派に芸術が根付き、花開くことを教えてくれる。なにも東京にだけ文化があるわけではないのだ。
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