中学校時代の同級生と川越散策としゃれこんだ。10時に西武新宿線の本川越駅前集合で、朝8時半の溝ノ口駅の急行に乗り、渋谷から埼京線の急行で向かったが、やはり川越は遠い。川越駅に着いたのは10時3分くらい前。駅前のアトレビルの横を抜けて、本川越駅まで歩いたが、結局5分過ぎに着いた。途中で携帯電話にその旨を連絡したが、千葉から来ている人は7時半に家を出ているというので、なにやら申し訳ない気持ち。
まず平安時代の創建という喜多院へ行く。どろぼうが逃げ込んだとかいうどろぼう橋を渡り、境内へ。折りよく菊花展をしていて、華麗な菊花を堪能してから、本道にお参りし、徳川家光誕生の間、春日局の間を見、538の羅漢がある5百羅漢を見た。なぜか緑色の羅漢像がズラリと並ぶのは妙な迫力がある。顔を眺めていくと、日本人らしいのにまじっていかにもインドの僧や、なかには欧米人らしい顔もある。悟りを開いた割りには苦しげな顔もあり、見ていてあきない。京都の三十三間堂とはまた違った趣きがあって、面白い。
その足で川越城本丸御殿へ行く。城というのに平地に建っているのは天領だったせいか、隣接する博物館で、5代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保が藩主であったことからもわかる。
幹事役の女性が予約していた割烹、初音屋でせいろ蒸しセットのランチをとり、時の鐘を見た後、蔵造りのの家並みが続く「蔵の町並み」通りを重要文化財の大沢家住宅へ行く。明治26年の川越大火からの消失を免れたことから、川越に同じような蔵造りが一挙に普及した、という。格子の窓も漆喰で出来ており、家を支える2本の大黒柱は一見の価値がある。居並ぶ郵便局のポストまでもが黒くしてあるのがユニークだった。
菓子屋横丁をのぞいて、金200円也で「ふくれせん」を買い、帰りがけにたまたま見つけた喫茶店「はるり銀花」でそれを4人そろってパリパリ音を立てて、食べ出したら、ウエイトレスがやってきて、「済みませんが、ここを出てからにして下さい」とたしなめられたのはご愛敬だった。
川越駅までの帰路、途中にあった丸広百貨店に入って、少し店内を探訪した。往時は地方百貨店の雄といsて名を売った丸広百貨店もバブル景気崩壊後は大人しくなったので、どうしてかな、と思っていたが、店内をぶらついて了解した。都心の百貨店が大型化して品揃えを充実したのに追随できなかったのだろう。規模的に中型百貨店で、やはり限界がある。COACHなどブランドショップはあるが、高級化・ブランド化にも乗り遅れざるを得なかったのだろう。いずれ、大手百貨店の軍門に下るしか、策はなさそうだ。
生まれて初めて足を踏み入れた川越は意外と見どころも多くて、観光客もそれなりに多くて、受け入れ体制も整っているいい町であった。機会があればまた、いつか行ってみたいところである。
まず平安時代の創建という喜多院へ行く。どろぼうが逃げ込んだとかいうどろぼう橋を渡り、境内へ。折りよく菊花展をしていて、華麗な菊花を堪能してから、本道にお参りし、徳川家光誕生の間、春日局の間を見、538の羅漢がある5百羅漢を見た。なぜか緑色の羅漢像がズラリと並ぶのは妙な迫力がある。顔を眺めていくと、日本人らしいのにまじっていかにもインドの僧や、なかには欧米人らしい顔もある。悟りを開いた割りには苦しげな顔もあり、見ていてあきない。京都の三十三間堂とはまた違った趣きがあって、面白い。
その足で川越城本丸御殿へ行く。城というのに平地に建っているのは天領だったせいか、隣接する博物館で、5代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保が藩主であったことからもわかる。
幹事役の女性が予約していた割烹、初音屋でせいろ蒸しセットのランチをとり、時の鐘を見た後、蔵造りのの家並みが続く「蔵の町並み」通りを重要文化財の大沢家住宅へ行く。明治26年の川越大火からの消失を免れたことから、川越に同じような蔵造りが一挙に普及した、という。格子の窓も漆喰で出来ており、家を支える2本の大黒柱は一見の価値がある。居並ぶ郵便局のポストまでもが黒くしてあるのがユニークだった。
菓子屋横丁をのぞいて、金200円也で「ふくれせん」を買い、帰りがけにたまたま見つけた喫茶店「はるり銀花」でそれを4人そろってパリパリ音を立てて、食べ出したら、ウエイトレスがやってきて、「済みませんが、ここを出てからにして下さい」とたしなめられたのはご愛敬だった。
川越駅までの帰路、途中にあった丸広百貨店に入って、少し店内を探訪した。往時は地方百貨店の雄といsて名を売った丸広百貨店もバブル景気崩壊後は大人しくなったので、どうしてかな、と思っていたが、店内をぶらついて了解した。都心の百貨店が大型化して品揃えを充実したのに追随できなかったのだろう。規模的に中型百貨店で、やはり限界がある。COACHなどブランドショップはあるが、高級化・ブランド化にも乗り遅れざるを得なかったのだろう。いずれ、大手百貨店の軍門に下るしか、策はなさそうだ。
生まれて初めて足を踏み入れた川越は意外と見どころも多くて、観光客もそれなりに多くて、受け入れ体制も整っているいい町であった。機会があればまた、いつか行ってみたいところである。