鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

味のある演奏の巨漢指揮者

2006-11-20 | Weblog
 19日は雨の中、東京・渋谷のNHKホールでのN響コンサートを聴きに行った。指揮者の75歳のイタリアの巨漢、ネルロ・サンティのせいか、会場は3階席まで超ぎっしりの満員。演奏開始の午後3時過ぎに最前列におよそ音楽好みには見えないプロレスラーみたいながっしりした男性が女連れで現れ、椅子に座ったのを後ろから見たら、椅子席から両肩がはみ出していたのがおかしかった。幸い、隣は空席だったため、事なきを得た。目を上げると、巨漢の指揮者がタクトを振っているのだから妙といえば妙な取り合わせだった。
 演目の最初はモーツアルトのオペラ、「コジ・ファン・トウッテ」、「フィガロの結婚」、それに「ドン・ジョヴァンニ」で、ソプラノ歌手のアドリアーナ・マルフィージが見事に歌った。アドリアーナ・マルフィージは表情豊かな美人で、会場入口で配布されたパンフレットよりやや太めではあったが、きれいなよく通る声で、満場の拍手を受け、オペラ歌手には珍しいアンコールとして「蝶々夫人」を歌った。
 休憩時間にロビーに出ると、この種の会場にはまれな男性トイレが女性のそれよりも長い行列を作っていた。寒くてトイレに行く人が多いのか、クラシックファンには男性のが多いせいなのか、不思議な風景ではあった。
 休憩後はチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調作品64.通称「宿命」というようであるが、出だしから暗い感じの曲である。指揮者のネルロ・サンティは休憩の間にお色直しをいsたとみえ、黒からグレイのモーニング姿でタクトを振った。最初もそうだったが、楽譜をみずに指揮をする、すべて頭に入っているということだろう。パンフレットにはチャイコフスキーを最も得意とする作曲家だそうで、これまで日本で交響曲第2番、第4番、第6番を指揮しており、第5番は初めてだ、という。聞いたことがないのは当たり前だ。
 交響曲を聴くといつでもいろいろなことを瞑想する。前から2列目なので、楽団員のすべての顔が見られないのが不満である。以前は双眼鏡で団員の演奏している顔を眺めながら、何を考えているのだろうか、などと思いやったり、指揮者の仕草をじっくり観察したりしていた。交響曲の楽章の最後はいつも全員が必死になって楽器を鳴らして、最高に盛り上がったところで突如終わる。特に最後は全員全力で演奏して、大団円といった感じで終わる。この「宿命」もそうかな、と思って拍手が出たところで、まだ演奏が続くハプニングがあった。日本で演奏されることの少ない交響曲ならではのハプニングであった。
 演奏が終わって、団員の女性がさっと立って引っ込んだので、何事か、と思っていたら、2度目のカーテンコールの時に大きな赤い花の花束を持って現れ、サンティさんに贈呈していた。そして3度目のカーテンコールで引っ込む時にコンサートマスターを抱え込むかのように舞台の袖に連れていって、終幕となった。こんあことを見たのは初めてで、指揮者がコンサートマスターを拉致することなんてありなのかな、とも思った。
 芸術の秋の一コマでした。
コメント
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