鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

プロフェッショナル

2006-01-11 | Weblog
 NHKがロングセラー番組だった「プロジェクトX」のあと番組として制作した「プロフェッショナル 仕事の流儀」を昨晩放送した。第1回はリゾート施設の経営立て直しに奔走する星野リゾートの星野佳路社長を取り上げていた。星野社長が経営不振となったホテル、旅館をいかに立て直していくか、をドラマ仕立てで追っていた。いかに残った従業員のやる気を引き出すか、共感を作り出すか、を伊東の老舗旅館をケーススタディにして経営手法を浮き出させていた。
 司会に大脳生理学者、茂木健一郎をもってきて、ソフトに経営手腕を分析していたが、やはり会社の経営者としてどれだけ実績を上げたのか、という経営的な視点が弱い。北海道のトマムリゾートなど多くのリゾート施設を再生したというのなら、その数字的なデータを語らせるか、データで示して欲しかった。ケーススタディの伊東の旅館も従業員の共感を得て、前向きに改革に取り組んだ結果、どういう数字的な前進、業績が出たのか、まで言及しないと視聴者を納得させるまでには至らないだろう。音楽家や芸能人でもCDの売れ行きや、視聴率でパーフォーマンスが計られる。まして、経営者から数字でその成果が示せないわけがない。
 それと、「プロジェクトX」には中島みゆきの地上の星という音楽が全体のイメージをつくるのに大きな効果があった。この「プロフェッショナル」には後継番組との触れ込みながら、そこまでの力が入っていないようだ。まだ、1回目なので即断はできないが、残念ながら「プロジェクトX」の域には及ばないようだ。
 ただ、番組の最後に星野社長が「プロフェッショナルとは」と聞かれて、「常に完璧をめざそうとしている人なのかもしれない。常に自分の足りないところを補おうとしながら、完璧になることなんて生涯ありえない、と思っている、淡々と逃している人」と言っていたのが印象的であった。

・日本経済新聞の株式欄を見ていて、やたら高値の欄が黒墨と」なっているのが目についた。調べてみると、昨年来高値の株式で第一部で319銘柄、第二部で104銘柄あり、そんなに名の知られていない、いわゆる無名企業が多い。昨日は日経平均で303円86銭も下落したのに昨年来高値企業がこんなに多いのはいままで陽の目をみなかった企業に買いが入っているということで、これまで市場をリードしてきた外人投資家はもはや手を引き、出遅れた国内の小口の金持ちが参加してきたということではなかろうか。相場の変わり目といえよう。こちらは非プロフェッショナルか。
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番狂わせ

2006-01-10 | Weblog
 年明けのスポーツ界にちょっとした異変は生じている。恒例の箱根駅伝は本命の駒沢大学でなく亜細亜大学が優勝したし、昨日は高校サッカーの決勝で、大穴中の大穴の滋賀県の野洲高校が優勝してしまった。もちろん、大学ラグビー日本一には大方の予想通り、早稲田大学が圧勝したし、高校ラグビーでは京都の伏見工が優勝したように予想の範囲内に収まったスポーツもあるにはある。人間の行うことなので、何があっても不思議ではないし、どのチームも上をめざして練習してきているのだから、番狂わせというのはいつでも起こりうることともいえる。
 亜細亜大学は8区までトップを独走していた順天堂大学のキャプテンが突如、脱水症状を起こし、順位を下げたのが大きいが、さらに先を行っていた本命で五連覇をねらっていた駒沢大学を追い抜いての優勝だけに価値がある。岡田正裕監督はかつてニコニコドーでマラソンの松野あけみを育てた人で、選手の精神面を鍛えたのが効を奏したようだ。苦節が実った、とその指導ぶりがもてはやされ、各社の新年の年頭挨拶でも引き合いに出されていた。
 一方の野洲高校のサッカー部の山本佳司監督はレスリング出身の異色の存在で、留学先のドイツ・ケルン体育大でサッカー界の首脳と会っているうちにサッカーにのめり込んでいった経歴を持つ。サッカー界では珍しい個人技中心のスタイルを確立し、誰も予想しなかった名門鹿児島実業を破って優勝した。主催の読売新聞だけでなく、翌10日には朝日、毎日両新聞が人物コラムで取り上げたほど。朝毎読の三紙がこぞって人物コラムで同じ人を取り上げることなんてこれまであまりない。
それだけ専門家もびっくりした、ということだろう。朝刊でサッカー界のだれかが「全国優勝できるようなチームは全国に150から200ある」と語っていたが、全国で4000を超える高校が出場するなかで、全国制覇を成し遂げるのは至難の技だろう。
 そういえば、昨夏の高校野球でも駒大苫小牧高校が二連覇を成し遂げたようにかつての名門校が名門校でなくなりつつある。どの学校もスポーツに力を入れ、有名高に無理して入らなくとも全国への道を開くことができることが判ってきたからだろう。特定のスポーツがいつまでも特定の高校、大学のものではなく、どこの高校、大学も頑張れば全国制覇への道が開けるのだ、ということを亜細亜大学、野洲高校は示してくれたわけで、あまたの無名校に夢をもたらした両校の功績は大きい。
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新春歌舞伎

2006-01-09 | Weblog
 昨日、東京・歌舞伎座へ行き、新春歌舞伎を観賞した。昨年、久し振りに歌舞伎を見て、年に1回くらい、できれば演じる側も力が入る年明けの公演がいいだろうと思って、新春歌舞伎を毎年見るようにしての2年目である。実は昨年、中村勘三郎の襲名披露の直後とあって、中村勘三郎が集中出演し、随所にセリフや踊りに新しい趣向を入れていて、歌舞伎も時代に応じて変わってきているのだな、と実感させてくれ、そのことが年に1回くらい見ないと思わせた理由であった。
 新春歌舞伎はお正月らしい華やかさが会場全体にあって、その雰囲気が好きだ。着飾った日本髪の美女もチラホラ見えて、いかにも歌舞伎観賞、という気がする。演目のなかに正月らしい華やかな舞いのものが入っていて、これもいい。いつもなら歌舞伎を見に来て踊りなんか、という気分になるのにそうはならないところがお正月といえる。
 今年の新春歌舞伎は行って見て初めて知ったのだが、坂田藤十郎の襲名披露公演でもあった。なんと231年振りの坂田藤十郎襲名で、新春の華やかさに色を添えたのは事実。当の本人は「夕霧名残の正月」で紙の和服を着て登場、亡くなった遊女、夕霧を偲んで思い出の舞を踊るところは流石と思わせるし、累計1200回に及ぶという「曽根崎心中」のお初役も艶然とこなしてはいるが、やはり74歳の年齢で19歳のお初役を演じるのは無理がある。松竹の永山武臣会長の要請だというが、なにも74歳の中村雁治郎を坂田藤十郎にしなくとも他にふさわしい役者はいくらでもいるのではなかろうか。演じている時はそんなに感じなくても、実はかつての中村扇雀で、扇千影のご主人と思うとぞっとする。歌舞伎興隆のため、毎年誰かにいにしえの名跡を継がせて、興業の柱にしていく、のはわかるが、もっと人を選んでほしいいものだ。
 それと、もうひとつ坂田藤十郎襲名披露の口上で知ったのだが、昨年だかに日本の歌舞伎が世界文化遺産として認められたという。400年の歴史のある歌舞伎が世界公認の文化として認められたのだから、日本人として誇りに思っていいだろう。世界各地でのこうした民族の芸能でどんなものが世界文化遺産として認められているものなのか、どのくらい権威があるものなのか、よくわからないが、これまでの歌舞伎関係者の日頃の精進・努力が認められたことは確かだろう。ただ、過去の伝統を引き継いで守ってきただけではなく、様々な娯楽手段があるなかで人々の興味をつなぐためのいろいろな策も講じられてきたことだろう。だからこそ、新春歌舞伎も満席の状態をもたらしているのだろう。
 ただ、今年の新春歌舞伎の昼の公演は昨年感じたような新趣向、時代に応じたような新しい企画といったものが感じられなかった。ひょっとして、世界文化遺産になったことで安住したような気持ちがあるとしたら、人々の歌舞伎への関心は薄れていくのは間違いない。奢ることなく、日々精進して新しいことを積極的に取り入れて、面白い、楽しい歌舞伎にしていってもらいたいものだ。そうなら、来年も新春歌舞伎にぜひ足を運びたい。
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京都三態

2006-01-08 | Weblog
 年末年始に京都へ旅行した際の見聞記である。
・大晦日の午後8時半ころのこと。祇園の八坂神社の参道にさしかかった折り、前方に何やら人だかりがしているのが目にとまった。フラッシュがたかれているので、その先をみると和服姿で着飾った芸者さんがおけら参りでといわれる火縄を手に持って、グルグル回している。その姿を数名のカメラマンが取り囲んで盛んに撮影していた。芸者さんをじっくり見ると、そんな有名人でもなさそうだし、飛び切りの美人でもない。そうはいっても京都の風物だな、と思って携帯電話に写真を収めてやろうとシャッターを押し、画面を確認していると、横からやり手ばばあを若くしたようなお姉さんが「これは撮影会です。肖像権がありますので、取り消して下さい」ときつく睨んで言う。こんな天下の公道で人目にさらして、肖像権云々もないものだ、と思いながら、まあそんな美人でもないからいいか、とも思ってやむなく敵の言うことを聞いて、折角撮った写真を消去して、その画面をお姉さんに見せてやった。癪だったけどこんなところでいざこざを起こしても仕様がない、と思って従った。
・大徳寺横の昆布屋さんはいつも京都に行く際には寄って買い物をするお店である。今回も立ち寄ったところ、いつもの愛想はあるがしっかりもののおばさんはいなくてご主人とおぼしき人が応対に現れた。8-9点ばかり選び、1万円札を出し、お釣りをもらうまでの間、うちのかみさんが「いつの買っているんですよ」と話しかけても知らんぷり。黙ってきっちり5千円余のお釣りを差し出した。「毎度おおきに」くらいのお愛想があってもいいのにそれもなし。昆布がうまいから贔屓にしているのだが、愛ここまで想がないと考えてしまう。京都のお店によくあるタイプtぽいえばタイプなのかもしれない。
・左京区高野から詩仙堂まで乗ったタクシーで、たまたま運ちゃんに「今年の年末の京都はいつになく暖かいですね」と話しかけたところ、運ちゃんは暖冬予想が寒波に変更されたようです、と話した後に「地球の温暖化現象で熱せられた海水が蒸発し、それが上空でシベリアからの冷気に冷やされて大雪になっている。寒波で大雪といってももとは温暖化現象の結果なんです」と気象予報士顔負けの分析を披露してくれた。なるほどと思わず、運ちゃんの横顔をみつめ直した。京都には年間4000万人の観光客が訪れる。その人たちあタクシーに乗り、いろんな話しをしていくことで、タクシーの運ちゃんも自然と耳学問をし、耳が肥えてくる。タクシー学士といったところか。

  
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時計も生き物である

2006-01-07 | Weblog
 数年前から高級時計に関心を持つようになり、6年前に文藝春秋誌に広告が出ていたジャガーリクルトのマスター・ジオグラフィークという世界主要都市の時刻が常にわかるようになっている時計が気に入り、たまたま伊勢丹でワールドウオッチフェアばつものが開催され、ひょいと足を運んで魅入られたように購入してしまった。その時に8年間務めてきた職を解かれ、子会社の役員になれとの辞令をもらい、自らにお祝いをしようとの気持ちもあった。世界時計は絶えずニューヨークに設定し、2年後にはその時計をしてニューヨークに旅行した。格好いい革のバンドは夏に汗で汚れるので、金属のバンドに替え、なんとこれが10万円もした。もちろん、いまも愛用している。
 そして、昨年、再び人事異動で閑職になったため、自らのお祝いでもうひとつ高級時計を買おう、いうことにした。で、その半年前にセイコーウオッチの社長に会った際に「伊勢丹の時計売り場にセイコーの時計が置いてない」と言ったことを思い出し、その一言が効いているのか、伊勢丹の時計売り場を覗いたら、なんとセイコーの時計が置いてあるではないか。目当ての商品がなかったため、取り寄せてもらうことにして、再度訪れ、その商品を手にして、結局購入してしまった。18金張りのセイコークレドール ノード4S76で、曜日と24時間表示計がついている。別に言ったことに責任をとらなくてもいいのだろうが、ちょっとは気がとがめる。人間、不用意な発言はしない方がいい、ということだ。
 で、セイコークレドールを買って、しばらく愛用していたら、不思議なことにそれまで遅れたことのないジャガーリクルトが、まるでセイコーケレドールに嫉妬でもするように遅れるようになってしまった。時計にも感情があるのだろうか、と思えるほどにである。で、それからは一日交代で二つの時計うを使うようにしたら、ジャガーリクルトもきちんと時刻を刻むようになった。ただ、2つの時計とも自動巻きなので、会社あ休みの時には2つとも腕にはめずにもう少しカジュアルな時計をするので、夜には2つの時計を手に持って振ってネジを巻くようにしているのがやや難儀だ。ジャガーリクルトは40時間、セイコークレドールは50時間巻きであるが、それより短い時間でパワーセーブとなるので、旅行などすると、止まってしまっていることがある。早速、ネジを巻くのと時刻合わせをするのだが、高級時計を複数持つとそれなりの手間がかかる、というおことだ。もちろん、3年ごとに分解掃除を依頼しなければならないので、出費もかかる。
 この年末年始に京都へ行ったが、ジャガーリクルトを身につけて行って、帰ってきたら、案の定、セイコークレドールは止まっていいた。で、時刻合わせをして、動かしたが、どうも遅れるようになった。今度はセイコークレドールがジャガーリクルトに嫉妬をしたみたいで、ストライキを起こしたようでもある。それまで進んでいたのでいつも遅らせて時刻を合わせていたくらいなので、一人ぼっちで放っておかれたのをうらんでいるみたいだ。時計は生き物で、魂があるという所以である。
 科学的に言えば、今年の寒さは異常なので、高級時計にも影響を及ぼしている、ということなのかもしれない。jyガーリクルトはそんなことはなさそうなので、数百年の歴史を持ち、極寒の地。スイスと日本の時計製造技術の差なのか、よくわからない。それと、セイコークレドール ノード4S76は18金張りなので、熱伝導率が高く、寒さに敏感なのかもしれない。
 高級時計を持つといろいろ面倒なことが起きる。もうひとつ買おうと思っているが、もう止めた方がいいのかな。
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とんだ小泉の中東訪問

2006-01-06 | Weblog
 イスラエルのシャロン首相が脳卒中で緊急入院し、7日から13日にイスラエルとパレスチナ訪問を予定していた小泉首相は急遽、トルコだけを訪問することになった。もともといまなぜ小泉首相が中東訪問?と疑問を感じていただけにまるで神様が「単なるパフォーマンスのためだけなら来なくていい」とでも言っているような絶妙なタイミングのシャロン首相の入院劇でもある。
 小泉首相が年明けに中東諸国を訪問する計画がある、と報道されたのは昨年もかなり押し詰まってからだった。靖国問題でアジアで孤立しているので、目先をかえようということで、お得意の単に首脳同士が握手しているだけの写真でも新聞、テレビで報道されれば外交に弱い小泉首相のイメージが少しでも払拭されるだろう、と側近の飯島勲秘書官あたりが考えそうなことだ。中近東諸国といっても対米追随ベッタリでイラクに自衛隊を派遣している手前、アラブ諸国にはおいそれと行くわけにはいかない。そこで、親米のイスラエルとかねて日本がなにかと支援してきて要人がしばしば訪れているパレスチナなら丁度いい、とでも踏んだのだろう。それでも一体、この二カ国へ行って、何を話し合うのだろう。純然たる部外者の日本が複雑に絡み合った民族の綾糸をほぐすのは至難の技だ。まして役者は大根中の大根の小泉首相で、何もできることはない、と断言してもいい。閣内問題でもしょっちゅう丸投げしているのに海外ならなおさらで、外務省関係者はさぞかかし困っていたことだろう。
 そうした窮状を見かねたのか、突如、シャロン首相が入院した。外務省関係者にとっては神の助けとでも言うべきものかもしれない。何の意味もない訪問などしなくていいよ、とでも宣うたのだろう、時に神様も粋なことをするものだ。逆に考えれば、小泉首相はあらぬ恥をかかなくて済んで、一番いい思いをしたのかもしれない。小泉首相は悪運強いのかもしれない。それでもトルコへいって何を言うのだろうか。まあ、単なるパフォーマンスなんでしょう。賢い日本国民はいい加減に小泉首相の底の浅い言動に気がついてほしいものだ。
 昨日、石油連盟の20006年の賀詞交換会があり、片山さつき、甘利明、小池百合子衆院議員が挨拶していたが、いずれも石油に多少は関係あるから壇上に立って喋ったわけで、いずれも結構内容のある挨拶をしていた。特に小池環境大臣はカイロ大学に留学していた中東通だけに味のある内容だった。石油枯渇に向かういま、無資源国の日本が中近東諸国とどう付き合っていったらいいのか、真剣に考えなければならない時なのだろう。ポスト小泉のxさんに期待するしかないのだろう。
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寝た子を起こす小泉首相

2006-01-05 | Weblog
 小泉首相が4日の年頭記者会見で、またぞろ靖国参拝問題について発言し、中国韓国から反発を買った。全く反省の色がなく、何度でも同じ発言を繰り返し、小泉首相の頭の中はどうなっているのか、ぶち割って中を覗いてみたいくらいだ。
 年頭の記者会見が元旦、もしくは2日でなく4日になったのも変だが、案の定、靖国参拝について質問が出た。ここへきて米ブッシュ大統領も日中間が冷え切っているのを懸念している、と伝えられているからだろう。小泉首相は周囲が気にしていることなどいささかも顧慮していない、との風で「外交問題にならない」と正当性を強調、「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢は理解できない」と従来からの主張を繰り返した。外交問題にしない、というのなら、こうした発言は少なくとも公式の場ではするべきではないだろう。
 いまは何事も瞬時に世界に伝わるし、国内のマスコミを相手にした記者会見でも通信社を通じて海外も即座に反応する、こんな基本的なことを小泉首相が知らないわけがない。早速、韓国の藩基文外相が「日本政府の指導者が周辺国の考えに真摯に耳を傾けて正確な歴史認識を持つように願う」と反発した。新華社電によると、中国も改めて首相の靖国参拝は「中国やアジアなど多くの国の人々の感情を傷つけ、何年にもわたる中日の首脳相互訪問の中断を招いた」と批判した。
 こうなることがわかっていて、相手国の感情を逆なでするような発言を繰り返すのは一体どこにねらいがあるのだろうか。いや、実はねらいなどないのだろう。これまでと同じ何も考えず、単に頭の中に思い浮かんだことを口から声に出しただけのことなのだろう。
自らの言動がどれだけ重みをもって国内外に影響をもたらすのか、全く考えもしないのだろう。これまでと同様に単に流れに任せて、面倒なことは誰かがやってくれる、と信じきって、やってきただけのことなのだろう。こんな輩に一国の舵取りを任せてきた一国民として本当に情けない。もう9月の任期切れを待たずに一刻も早く退陣してもらいたいものだ。レイムダック、小泉よ去れ!
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2006年景気点描

2006-01-04 | Weblog
・元旦昼過ぎのの京都・平安神宮のお賽銭はほとんどが硬貨ばかりで1000円札をチラホラ見かけた程度で、5000円札や1万円札はみなかった。例年より人出は多い、と感じたのにお賽銭はやや渋り気味。参道を進み、一番前に出ての観察である。
・元旦付けの新聞朝刊のページ建てあ日本経済新聞が116ページで前年と同じ、朝日新聞が100ページで同プラス4ページ、読売新聞が108ページで同プラス4ページ、毎日新聞が86ページで前年より2ページ減と全体としてはやや上向き。企業の広告そのものが全体にテレビに移る傾向があるなかでは健闘したといえよう。肝心の記事にはこれはという刮目すべき報道はなかったような感じ。ネット時代に新聞の重要性をアピールするにはやはり天下を驚かすような特ダネがない、とどうしても活気が伝わってこない。いつみても同じような紙面では読者の新聞離れは加速されるだろう。
・対するテレビの番組は全体にどうしても見ておかないとという番組がなかったせいか、提供スポンサーも例年通りの印象を受けた。テレビ東京が2日に放送していた特別番組「天下騒乱ーー徳川三代の陰謀」のスポンサーに日頃見かけない通信販売の企業と親会社の日本経済新聞社の名前があったのを見て、売り物の番組なのに苦戦している様子がうかがえた。
・2日の百貨店の初売りは東京・新宿の伊勢丹本店が前年比10%増の26億円で過去最高、大阪・梅田の大丸梅田店も同7%増で過去最高となるなど総じて好調。特に伊勢丹では開店前から1万6千人が並び、開店時間を20分早めたほど。鈍想愚感子も近隣の百貨店に赴いたが、いずれも人出は例年より多く、福袋の売れ行きも良さそうに感じた。
・毎日新聞が企業116社を対象に昨年12月中旬に実施したアンケート調査によると、77%が「06年の景気は良くなる」と回答しているし、デフレ脱却の時期を55%が「06年上半期」と答えている。
 そういえば、昨年末に、お歳暮を配達に来た宅急便のおじさんに聞いたところ、「この冬のお歳暮の数はやたら多い」と強調していた。景気は一歩一歩よくなってきてはいるのだろう。ただ、消費者の財布のヒモは長かった景気低迷期の思い出がしっかり頭に残っていて、バブル期のように野放図には緩まないようだ。本物やいい物にはつい費やされるが、ムダや必要のないものには向かわないということなのだろう。そこのところをよくわきまえないと、ヒューザーのような心卑しい企業は消費者から見向きもされず、手痛いしっぺ返しをくらうこととなろう。
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紅白歌合戦の改革

2006-01-03 | Weblog
 NHKの看板番組、第56回紅白歌合戦の視聴率が7年ぶりに上向いた。前半部分が35.4%(前年は30.8%)、後半部分が42.9%(同39.3%)と98年以来7年ぶりに上昇した。総合司会にみのもんたをもってくるなどなりふり構わず再生に取り組んだためとも見られるが、戻ったといっても2,3年前の水準になただけで、長期的には衰退の方向にあるのは間違いない。
 ただ、今回ちょっぴりでも視聴率が上向いたことで、恐らく今年も引き続きやることになるだろう。こんかい、視聴率が下がってでもいれば廃止されたのが、かろうじてとりあえず継続ということになる。衰えたり、とはいってもまだ民放の裏番組には2倍以上の差をつけているのだし、やめても紅白歌合戦をしのぐ番組はすぐには生み出せないだろう。
昨晩、紅白歌合戦の舞台裏と称する番組を流していたのを煮ると、確かに紅白歌合戦はお化け番組だけあって、かかる準備、労力も並み大抵のものではない。あれだけ一生懸命やって視聴率がとれないのでは関係者として泣くに泣けないことだろう。
 冷静に考えて、戦後まもなく碌な楽しみもなかった時に第一線の歌手が総揃いして、過去一年間に流行した歌を熱唱するのは公共放送としてそれなりの意義はあった、と思う。しかし、戦後60年も経って、音楽のジャンルも格段に広がっているうえ、人々の娯楽も多様になったいま、旧態依然たる方式で同じ番組を続ける、というのはいかにも策がない。
 司会のみのもんたは目標の視聴率50%に達しなかったことで、「力及ばず申し訳ない」と詫びた、というが、ギネスブックに世界一忙しい司会者ということで掲載が決まっているみのもんたの責任ではないだろう。過去の蓄積以外のなにものでもない。最高峰のみのもんたをもってきても”流れ”を変えるわけにはいかない、ということだ。
 NHKさん、ここはもう潮時と見て、改革を図る時ではありませんか。大晦日に一年を振り返って、話題の音楽にスポットをあてる、という番組はあっていいことだと思う。早速、お得意の会長への諮問委員会(といっても実際は事務局で案を練るのだが)でも作って、紅白歌合戦の改革に乗り出したら、いかがでしょうか。少なくとも老若男女が楽しめる番組にして下さい。
 
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世界の中心で愛をさけぶ

2006-01-02 | Weblog
大晦日に京都の街を歩き疲れてホテルに帰り、たまたまつけたWOWOWで「世界に中心で愛をさけぶ」の放送が始まり、そのまま見入ってしまった。「世界の中心で愛をさけぶ」は片山恭一著のベストセラー小説を、「北の零年」の監督、行定勲が制作した映画である。大型の台風29号が四国に上陸するシーンから画面が始まる。そこからヒロイン、長澤まさみ演じる亜紀の「私、もうすぐ死ぬ」とのテープに吹き込まれた独白まで一気にストーリーを展開し、ぐっと画面にひきつけられる。
 この純愛映画はヒロインが死ぬことで、ヤマ場を迎えるのだろう、と思いながら山崎努演じる写真館の親父や、柴咲コウ演じる伝言役の元少女等がワキを固める。純愛の二人が瀬戸内海の小島にキャンプに行き、豪州のなんとかという世界の中心の草原の写っているフィルムを発見し、二人でいつかそこへ行って愛を語ることを誓う。が、幸せの絶頂で、亜紀は突然倒れ、白血病であることが判明する。白血病のヒロインが純愛のまま死に至るのは「愛と死をみつめて」のマコとミコのお決まりのストーリーである。純愛ではないが、夏目雅子も若くして、白血病で病に倒れ、映画史上に残る女優となった。
 あとはどういう形で死を迎えるのか、と興味をもって画面を見ていると、なんと長澤まさみはつるつる坊主の姿になって画面に登場した。白血病治療のため丸坊主になるのはよくあることだが、おそらく本当に坊主になったような感じで、そうだとしたら立派な役者根性だ。
 純愛の二人は世界の中心、豪州へ行こう、と病院を抜け出して、空港へ行くが台風29号のため便は欠航となり、思いは適わず、冒頭のシーンにやっとたどりつく。病院に戻った亜紀は最後のメッセージをテープに吹き込み、息絶える。その10数年後、元少女と結婚した主人公の青年は亜紀の骨紛をもって、妻と豪州の世界の中心へ行き、亜紀の遺言通り、骨をそこで巻き、物語は終わる。
 韓国の純愛テレビドラマ「冬のソナタ」が大ヒットして、日本のテレビ、映画が色あせて見えていたが、韓流ドラマが日本が忘れ去っていたものを見直させてくれた、といっていいだろう。ドラマの本質は愛であり、人の心を感動させてくれる物語である。この「世界の中心で愛をさけぶ」はそれを改めて思い出させてくれたからこそ大ヒットしたのだろう。それと、映画についてはヒロインの長澤まさみの可憐さもヒットの理由といえる。ただ、途中で長沢まさみが丸坊主になった場面で、意外と美人らしさ、可愛い感じが薄れてしまい、今後の彼女の女優といsてはそんなには大成しないな、と思わせた。
 小説が売れている時はなんと大げさなタイトルだろう、多分甘ったるい恋愛小説なんだろうと踏んで、読む気になれなかった。しかし、これだれ世の中が殺伐としてくると、逆にこうした本質的なものが好まれるのだろう。
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