肉体は休止していても、「意識」は働いているのであるが、それに気づいている時に見るのが「夢」といういうわけだが、それは単純に言えば、自己の膨大な潜在意識へのアクセスによって取得するところの情報とも言えるのである。
その潜在意識にある記憶なのだが、単に自分が生まれてからの様々な思考や感情、経験の経験の集合ということに終わらず、言わばそういう今生の記憶をその一部に含む、さらに膨大な他生に渡る記憶をも含んだものであるということが分るのだ。
今生の私を含む、さらに幾多の転生をも含んだ、より大きな<わたし>へのアクセス・・といっても良いかもしれない。
したがって夢の中には、いわゆる過去生の記憶へのアクセスも含まれているし、ちょっと飛んだ話になるが、その過去生もこの地球惑星生命圏での「人生」以外のものも含まれることになるのである。
魂の履歴を読み取るようなリーディングや、過去生を思い出すようなセラピー等は、他者誘導または自己誘導の違いにかかわらず、このような今生以外の他生の記憶やビジョン、つまり情報を顕在意識に上げる方法と言って良いだろう。
ただしこれらの意識下部の情報を、表層・顕在意識に汲み上げるような作業は、意識の働きに基づくものであるために、常にその当事者たちの「想念」が介在することにもなるため、その想念のフィルター、あるいは固定観念による歪曲をいかに少なくするかが重要な要素となるのである。
アクセス⇒同調⇒フィルタリング⇒情報の検出・・・は情報通信の基本だが、意識的な情報授受も似たようなプロセスを経るわけである。
多くの場合はこの夢による情報取得も、「無意識的」に行われる場合が多いため、最終的な情報検出データには色々な変調がかかっていることになり、どこか意味不明でとりとめもない、あるいは誤解しやすいようなビジョンとして見られることもあるわけなのだ。
こういう分野でもどこか意識工学的な技術があるわけで、それなりの鍛錬というか馴れというか、修練のようなものが必要とも言えるだろう。
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ここでは夢という表現をしているが、それは一般に解りやすくするためであり、実のところはある種の変性意識状態での情報アクセスとも言えるのだ。
それは左右の耳への少し異なった周波数の音によって、左右脳の同調を促すヘミシンクなどで生じる変性意識状態とも同様であり、要は表層意識から潜在意識への移行に伴う意識経験とその知覚情報とも言えるものである。
あなたやわたしの潜在意識とはそういう宇宙に遍満する普遍的意識につながっているということだ。
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あなたの今の表層意識は、膨大な普遍意識に含まれているところの、1つの自発的意識であるとも言えるだろう。
その膨大な普遍意識とは、ただ単に膨大で広大無辺な、だだーん・・としたものでなく、様々な階層というか周波数帯というか、そういう秩序によって構成されている。
それはまた存在諸世界を構成するいわゆる次元階層ともオーバーラップしており、自発意識の拡大に伴ってその主体である魂意識もそういう次元階層に同調するようになるということだ。
人の個別意識がそのすそ野を広げ、狭い固定観念から、それ自らを拡大してゆくことは、すなわち意識の進化とも言えるだろうし、その拡大自体・・・が進化・進展・成長の「道」と言って良いだろう。
これを簡単に言うならば、
狭い自己観念を脱し、より広い見識を持ち、さらに心の許容度を増加させ、様々な物事に理解の視線を注げるようになるということだ。
もちろんそれは魂レベル、精神レベル、そして身体表現レベルでの自由度を増すということでもある。
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これからしばらくの間、恥ずかしながら自分の例を挙げてみよう。
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数年前から夢を憶えておこうとした時から、その夢の内容を断片的に拾い集めることになり、それらを記録、記憶してゆく過程でわかったことがある。
その1つには、夢を通じて何か自分以外のわたし・・というのか、親密で謙虚な指導を受けるというか、よく言う霊的サポートというのか、魂レベルからの進化への促しというか、そういうものがあることに明確に気付いたことである。
そういうものは、よくスピ系で指導霊、守護霊、あるいはスピリチュアルガイド等と云われるものだろうが、
それは単なるスピ系の主張、あるかもしれない可能性ではなく・・実際にあるのがわかるのである。
別に期待して自分で創り上げた自己都合なビジョンではないことだけは明白であった。
なぜなら、自分の場合、実は夢を記憶しそれを利用しようとしたのは、ある意味で不純な動機から?であり(笑)、エンジニアという仕事柄、夢から何か技術的なアイデア、インスピレーションを得ようとしていたのだった。
昔から科学者や技術者、芸術家などの画期的な発見や、偉大な創作のその原動力が、実は夢の中のビジョンやインスピレーションであったという事を以前から知っていたのだった。
十数年前の当時、バブルの破裂の後遺症によって、それまで慣れ親しんだ会社の倒産に遭遇し、その前後の大きな精神的ストレスを受けつつ、どうにか転職を果たした経過を通じた危機感から、なんとか家族の生活を維持すべく必死になっていた背景があった。
自分にとって、それまで慣れ親しんだ仕事や生活環境が驚天動地の一大転換に遭遇したおかげで、わらをもすがる思いであったのも事実である。
タイタニック号の遭難の映画があるが、まるでそのようなものであり、このままでは破裂して終わることがわかりつつ、その窮地からいかに脱すべきかに悩みに悩んだような2年であった。
世間常識ではお金の最もかかる年代である中高年等は、おいそれと同じ条件での転職もままならないという、世間的な常識観念によって、自然に焦りと危機感が生じるのも無理はないことだったと思う。
それでも何とか当初は苦しいながらも不思議にもすぐに転職の機会が訪れ、生活は確保が出来たわけなのだが、新た職場と住居環境になることで、それまでの慣れ切ったこころの状態が終焉し、持続する緊張感というのか気が引き締まったというのか、何とかしなければという精神状態の中で、そういう夢によるインスピレーションを求めたというわけである。
あわよくば、画期的な技術的アイデアが特許にでもなれば、何か安泰ではなかろうかという・・・そういう不純な動機が元であったのだ。(笑)
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そういう功利的な目的、生存のための手段を得ることが動機であったのだが、真面目にそのような夢の記憶や記録をするようになったおかげで、実に不思議なビジョンを観るようになったのだ。
(つづく)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。