気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

魂の諸相 (7)天上天下 唯我独存

2013-06-08 09:52:49 | 宇宙時代の考え方

「自己が自己であること」という気づき、あるいは「我あり」と感じている意識こそが、存在諸世界、あるいは見はるかす無限大の世界のなかで、自己が生きている世界の中で唯一無二のリアリティであるといえるだろう。

 

あなたの世界に、あなたは・・・・あなたしかいない・・という当たり前の、いつもあり、どこでもある真実に気づけるはずである。

 

あなたの知覚する世界には、それこそ大勢の人間、動物等がいるわけであるが、その各々がそれぞれのレベル、深みはあったとしても、それぞれが自己が自己であるという意識を有していること、その否定しようのない意識的現実があるということだ。

 

言葉を変えれば、あなたの世界を見て聴いて感じている主体はあなたであるし、世界のすべての「原点」は他でもない・・あなただという事だ。

 

うまく伝わるといいのだが、この深い現実に気づけるかもしれない。

 

あなたの世界に、自己が自己である・・・と認識してる存在は・・・「あなた」しかいない!

  

頭で考える必要も、思いめぐらす必要も、難題を解く必要もない・・・

 

誰でも、気付けばそこにある事実、真実、リアリティである。

 

あなたの世界には、あなたしかいないと言っているわけではなく、

 

あなたの世界で、あなたが・・あなたである・・と自覚している「原点意識」は

 

あなたしかいない・・といっているのである。

 

わたしの世界で、わたしわたしである・・と自覚している、

 

あるいは気づいている主体は、わたし・・しかいないということである。

 

今まで当たり前のように素通りしてきた事実。

 

それこそが、

 

考える必要もない、編み出す必要もない、想像する必要もない、証明など不要の・・・・

事実なのである。

 

意識してるからこそ全てが現れている・・・

 

あなたの世界のすべての元にある根源、あるいは因、あるいは原点は・・・・・あなたである。

 

ということだ。

 

かのニサルガダッタ・マハラジは、「I am THAT・・・」という書において、その「わたしは在る」という事実に深く気づくことを推奨している。

 

あなたの世界にはあなたという意識を有する存在は、当然あなたしかいないということは、意識的な範囲においてのマスター・主人は、あなた一人であるともいえるだろう。

 

この意味おいて、他人は全く関係がないのだ。 

 

ましてや銭金など全く関係がないし、人間関係の良し悪し、悩みや欲望など全く関係がない。

 

誰がどうしようが、何がどうあろうと関係がない。

 

好きや嫌いががどうだろうが、男や女がどうしたこうしたも関係がない。

 

誰が何を云おうが、何をしようが関係がない。

 

生きるとか死ぬとかも関係がない。

 

宇宙がどうしたこうしたも関係がない。

 

・・・

 

あらゆる次元、あらゆる物事を見て聴いて、感じている主体、本質、あるいは魂は・・・・

 

その原点は、常に「あなた」であり、根源は・・・諸世界のなかで唯ひとり、唯一無二・・・、「あなた」であるということ。

 

「えー?マジで・・」といってもしょうがない。

 

今までずっとそうであるし、今もそうであるが、今までこの自己の在り方、世界で最も重要な事実に、ことさら意識的に・・気づくことが無かったのかもしれないだけだ。

 

釈迦が言ったとされる言葉、

 

天上天下 唯我独尊」 または 「天上天下 唯我独存」 はそういう意味であることだろう。

  

今までは、それに気づかないような、

 

この世界の特徴としての荒い波動の中で、

 

何が何だか、あれが良いとか悪いとかの想念の渦のなかで、

 

あなた以外に原点があるかのような、

 

あなた以外に存在価値があるような、

 

あなた以外に支配権があるような、

 

あなた以外にパワーがあるような、

 

・・・そんな観念とその表現、その生き方に流されてきたのかも知れない。

 

気付けば、それもまた味わい深いものだろうが、何時かはその事実に気づかねばならない。 

 

あなたの・・世界での意識主体、あるいはマスター、あるいは原点は・・「あなた」しかいないのである。

 

そしてまた、全ての存在が、それぞれ・・・そう・・・なのである。

 

したがって全てが・・・・<わたし> われ・・・なのだ。

 

あなたの知覚する外の景色も、実はあなたの中にあるというのはそういうことなのだ。 

 

「なに?世界には俺しかいないのか、えーそれは寂しいじゃないか~」などと、

 

あるいはそれは窮極の孤独であるなどと勘違いしないことだ。

 

欧米流の当たり前のような個人主義観念に落入らないことだ。

 

全ては「わたし」という意識でつながり、言わば統合されているのであれば、個々がバラバラ別個等という観念は事実に反するし、

また、何もかもバラバラでの寄せ集めだという観念が、いわゆる3次元的な時間空間認識を生み出している。

 

その勘違いは、この次元世界認識に特有の歪んだ枝葉的な「思考」によって生ずる幻想である。

 

孤独どころか、あなたの周りにはそれこそ嫌というほどの「あなた」がいるということだ。

 

なんということだろうか・・・・、それに気付けばきっと笑えるはずである。

 

他人とは自己の鏡であるというけれど、まったくの真実である。

 

嫌というほどのあなたが、あなたの投影として周囲や世界にいるならば、

 

外の事象、外の人びとは、あなた自身の写し鏡に映る「あなた」なのである。

 

 

しかしそれは、あなたの表面意識が手作業で創造しているということではないが、 

 

変な話だが・・、他人というのも、違う顔の、違う思いをした、違う性格の、違う年齢の、違う性別の、違う背丈の・・・あなたである。  

・・・

わたしは在る・・・という根源的なリアリティーに、・・・

 

いつも当たり前であるところの、本質の自己の在りように今まで気付いていなかったのかもしれないということだ。

 

やれ勉強だ、善だ悪だ、生活だ、ローン返済だ、昇進だ、左遷だ、経済成長だ、飯食を食うためだ、負けないためだ、人より頑張るのだ、・・・等と、

 

実際はどうでも良さそうなことばかりを目の前に繰り出すような幼子の集まりのような世間の海を泳いでいたとしても、

 

それら世間の様々な物事が生じていることを、見る聞く、感じ、そう・・意識している・・原点である「あなた」は、

 

世界、大宇宙、存在諸世界において・・・・ただひとつであるということに気付けるだろう。

  

わたしは・・・わたしである・・・と自覚している「意識」・・は、今ここの<わたし>しかいない!

 

そして、わたしが知っているように、

 

あなたが・・・あなたであると・・・自覚している「意識」・・は、今そこの<あなた>しかいないだろう?

  

あなたの世界の原点、全てが顕れている根源、不動の座標軸の起点、はあなたしかいないということだ。

 

無茶苦茶簡単で、目茶目茶シンプルな事実を言っているのだが、意味不明かもしれない。 

 

しかしこれはある考えではなく、理論でもなく、何かを得るためのノウ・ハウでもなく、

 

本質の事実に気付くことを云っているのだ。

 

当たり前の奇跡的事実に気付くために、複雑な思考や世間的な知識は邪魔になる。

 

考える必要も見回す必要も、誰かの意見を参照する必要も、過去の歴史を紐解く必要もない。

 

事実はまさに事実である。 

 

今在ることの奇跡的真実・・かなり誤解されやすい言葉であるところの

 

・・「あるがまま」・・・なのである。

 

 

・・・・

 

現れた現象ではなく、・・・本質において、

 

あなたの世界には唯一「あなた」しかいない。

 

わたしの世界には唯一「わたし」しかいない。

 

様々に顕れている、様々な人、物、出来事の・・・・すべての原点は、

 

あなたである、わたしである・・・ということを気付けるならば、

 

あらゆる全ては、唯一無二であるところの、無限の<わたし>の集合であり、また全体というひとつなのだ。 

 

常に唯一無二でありながら、様々な、それこそ無数のわたしを・・・全てわたしとして見ているものが「神」であるならば、

 

あなたも神の一部であり、窮極には全部でもあるのだ。

  

あなた、わたし、あなたたち、わたしたち・・とは、 

 

全体の意識の一部であり、窮極はまた・・・全てであるということを識(し)るために、

 

様々な神の庭で喜びつつ遊び戯れながら、

 

それぞれのわたしが・・・様々な「わたし」であることを演技しながら、

 

進化といわれる、神聖なる道を歩いている<魂>といわれる無数の子供達である。 

 

言わば、神のひとり子は、実に無数に生み出されているのだ。

 

一は即ち多なり、多は即ち・・・ひとつなり。

 

愚かしい世界の波の狭間に在ろうとなかろうと、何がどうだろうと、何が起きようと、

 

全てのそれぞれが、全てにおいて、

 

常に、天上天下唯我独尊・・・・また天上天下唯我独存なのである。

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。