魂は不滅だと言われるが、それは時間と空間を超えた存在として当然のことであるとも言えようか。
いわば宇宙意識、あるいは神意識、または多次元宇宙の根源である普遍意識とでもいうべき「それ」、
あるいは時空の生ずる前、・・・・原初の光または根源波動といわれるものが、
それこそ無数、多条に発せられたとき、魂が生まれたということが出来る。
魂は「時間」と「空間」をはるかに超えた次元体であるとも言われる所以である。
我々の見知っているところの、地球・3次元的時間と空間は、様々な時空存在形態の単なる1つであるわけで、
魂は時間・空間を超えて体験をする存在主体というべきものであり、
それ、魂にとっては、我々の認識している地球3次元的空間とその経過、歴史であるところの時間は有って無きが如くであるし、
だから魂が何時(いつ)生まれた・・・という論議は全く妥当でないことが理解できるだろう。
ただし、自己が自己であるという<魂としての気づき>を、いつかどこかで得たということは出来るかもしれない。
魂は永遠であるが、その旅路にはいろいろな道標があるというわけだ。
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しかしながら、魂としての自己、その実在証明としては、常に・・・今・・この瞬間のあなたの「意識」にある。
自己が自己である・・我在り・・という自己認識、自意識を有する存在としての人間は、
不滅の魂であるところの「自己に目覚めた」段階に在ると言えるだろう。
かつての デカルトの言葉・・「われ思う故に我在り」 は、
単に自由に思考ができる、自立した自己存在に・・気付いただけの意味ではなく、さらにより深くて大きい自己への気付きを示しているのである。
不滅の魂であるところの・・・自己自身に気付いた・・そのステージを意味しているとも言えようか。
魂は神から放たれた光というべきものであり、それはまた八紘一宇、それぞれの魂が、その光の届く先先を明るく照らしつつ、未知なるものを既知にしてゆくということだ。
従って、魂とは時間や空間を超えた成長途上の神意識ともいえるし、
鉱物、植物、動物、人間などのあらゆる自己発現形式、生命存在形式を体験通過しつつ、
神の子たちが、宇宙にある様々な事象を新たに知覚しながら、未知を既知に変換しつつ、本来の「根源」に帰還する旅をしているという表現も妥当なのである。
つまり無意識から意識へ、子供から大人へ、部分から全体へ、個別からあらゆる全てを含むところの「意識」の成長・拡大、
それを意識進化、魂の進化と呼んでいるわけである。
従って、あらゆる存在、事物、生命体は大いなる根源意識の一部であるわけで、
まさしく、
山川草木、国土悉皆 成仏・・・なのである。
釈迦やキリスト、その他の天から降りてきた、転生してきた魂の教師達は、そういう事実、真実を知っていたのである。
また教師たちはこの地球という学び舎でそれを教えるために時折下生するのだ。
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我々が自己を単なる肉体であるとする狭い自己認識からその意識の拡大を促し、不滅の魂であるという自己認識に至ることが「悟り」であり、
また、そういう拡大された自己たちの住まう世界が、いわゆる次元上昇、アセンションした世界であると言えようか。
そして、今この地球という惑星生命圏の今までの低い自己認識レベルの表現次元、この3次元的世界が、次元上昇するステージにあるということである。
かつて地球上も、まるで波動の上下やうねりのように、次元上昇や次元降下があったと言われているが、その次元上昇や降下の中心になっているのは、その時空ステージに在る・・・意識的存在・・人間達・・である。
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地球という実は巨大な意識体、ガイアなどとも呼ばれる巨大な生命体も、人と同じく多次元的意識体であり、またその次元表現あるいは文明は、
複雑な想念を有する、人間という多次元ステージの中に住するところの、そこでの最高レベルの生命の発する意識の内容、想念の如何によって決まってくる。
それは建築デザイナーによって家が設計・構築されるようなものであるし、庭師によってガーデンの様相が決まってくるようなものである。
その家(地球)に住むデザイナー(人間)が、その家の外装、内装を設計・施工しているのと同じである。
人類とは惑星上においてそういう役目を負っているとも言えようか。
また人類の意識レベルによって、その惑星なら惑星の時空形態も意味づけられるのだ。
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また気付いていようとそうでなかろうと、人類は全て単なる肉体存在ではなく、時空を超えたところの魂存在であるわけで、その魂の転生は地球の場所、時代だけにとどまらず、気づける範囲の宇宙大まで広がっていることは理解が可能だろう。
多分、あなたも気づける範囲が拡大すれば、例えば地球生命圏以外の世界での転生記憶があるはずである。
例えば、魂の故郷といわれることがあるわけだが、それは端的に言えばどこかの星、星系であったりしてもおかしくはない。
魂の故郷といえば、魂が生まれたところと解されるかもしれないが、それ、魂は不滅であればこそ、それが何時生まれたとはいうことがなかなか出来ないわけであり、魂の故郷とは地球という舞台に転生する前の舞台のことであると言って良いかもしれない。
この世界でのあなたの故郷は、あなたがオギャーと生まれて育ったところであり、例えばその後大きくなって生活のために都会に出れば、それは故郷を離れたということになるだろう。
生まれ育った地に死ぬまでいる人もいるのであるが、多くの人が生活とか何かの目的をもって、かつての生まれ故郷を離れて遠くへ行く場合もあるように、元々時間・空間を超えた存在である「魂」は、ここにある時空以外のエリアから転生してきたという事も理解できるだろう。
そう・・・、宇宙における地球以外の生命圏、時系列的に言って「ここ」に来ること、転生先を決める前の星・生命圏のことを「魂の故郷(ふるさと)」と言って良いだろう。
肉体自己を含む「魂である自己」への拡大した自己認識を有する存在にとっては、宇宙における転生もまた当たり前なことだと思うはずである。
わたしは何か?という自己への問いかけの先にあるところの、自己認識の拡大によって、その拡大された<わたし>の生き様、あるいは転生の変遷もまたその視野に浮かんでくるのである。
例えば、その土地に生まれ生涯その土地を離れない者もいるように、この地球で自己に目覚めた魂もいることだろうが、逆にかつての故郷を離れて別の土地で生活する者のように、この地球に存在する多くの者たちには、さらに様々な星での転生の記憶があるのである。
それらのどれもこれもが実際には魂の故郷であるとも言えるだろうが、ある意味において、この地球に転生する意識と意図を持ったところの、かつての生命圏、あるいは星、あるいは星系があるということだ。
天空に目視できる星の世界は、実はそういうものを象徴しているということに、あなたも今はもうきっと気付けることだろう。
魂意識であるところのあなたやわたし達は、実に広い、実に広大な領域をその内に含んでいるわけである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。