地球の現状を演劇の催しで例えれば、最後の感動的なフィナーレのステージに近づいているような感じがします。科学や技術の進展、インターネットなどのコミュニケーション網の普及により、イメージの伝達や相互作用が迅速に行われるようになり、人間の表面意識の中では、地球が小さな丸い演劇舞台のように感じることが出来ます。いにしえの時代から今まで、何度もロングランを記録した、宇宙に浮かぶ小さくて丸い、古い経歴を持った演劇場のようです。
通常の演劇では、1幕2幕という舞台転回が行われ、お話しに合わせた象徴的な背景が用意されます。地球という舞台背景も次第に変わっていくでしょうか。ストーリー展開も次第次第に緊張をはらみ、見方によっては感動をも予感する圧縮された、息詰まる雰囲気を感じられる事態になってきたようです。今までわからなかった色々な仕掛けの謎解きや悪役の登場、主人公達の苦悩と解決への模索、それらを取り巻く群衆のささやきが聞こえます。舞台の照明演出は穏やかな青と白から、風雲急を告げるかのような夕焼けの色になってゆくかも知れません。
ここの舞台に踊る何十億という登場人物たちの中には、練習したシナリオをどこかで憶えている者や、参加だけのエキストラ、憧れの舞台俳優への夢を持ったやって来た若い俳優のたまご達が大勢います。皆それぞれ真剣に各自の演技をしているようです。それぞれの衣装をまとい、それを引きずるように汗をかきながら動きまわっています。全員真面目な出演者であり、各自のシナリオを思い出そうと努めながら、それなりの役目を毎日という時間枠の中で演じています。あなたや私もその中の1人でしょう。
この地球劇場で催される出し物のシナリオは観客にも全く公開されていないため、憶測が憶測を呼び人気を博しているようです。照明が暗くされた観客席は、舞台から見えないようになっている為、あたかも暗い漆黒の空間に浮き出た地球のように見えるでしょう。演者たちから見れば、地球劇場は漆黒の宇宙空間に孤独に浮かんでいるように感じています。
さてこれから、この地球劇場でのお話しはどのように展開してゆくのでしょうか。以前のアトランティスとムーの時代のストーリーと何処が違うのでしょうか。それらの歴史の余韻かもしれないタッシリ・ナジェールに残された緑溢れる沃野の記録、カッパドキアの洞窟、マハーバーラタ・ラーマーヤナの峻烈な愛と戦いの物語等とどう違うのでしょうか。アルプスで氷ったまま発見された古代人はなにを言いたいのでしょう。竹内文書はこの劇場の歴史を案内した古くからのパンフレットなのでしょうか。
竹取物語のオキナとオウナはかぐや姫を連れて月に還って行きました。古くからの神話や伝説が、新しい神話や伝説に生まれ変わって、次の地球舞台のストーリーとして現れてくるかもしれません。悲しみをも含んだ古き過ぎ去った物語から夢をもらって、新しい物語として生まれ変わってゆくということが1つのヒントになるかも知れません。
今後の地球劇場のストーリーは、登場人物たる我々自身が、自身のシナリオを創っていることに気付く時に、少しづつ解って来るような気がしてなりません。