気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

相対主義と絶対主義(投稿)

2007-12-18 20:35:24 | 投稿記事

<コメントをして頂いている方の了承を得て、たまに記事にさせて頂いています。今という時間を分かち合っているみんなの、ちょっとしたパフォーマンスの空間です。(^^)>

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投稿者:P

 スケートの世界大会を見ていました。浅田真生という天才選手がいますが、最近調子が思わしくないようです。この様子を良く見ていると、努力した結果をどのようにすれば「競技」の「本番」に出せるのかについて一つの「気づき」があるように思えました。そもそも個性も能力もばらばらの者が一同に会してコンペティッションを行うこと、これが、競技であり競争であり、自己を相対化にさらし、一部の者が競争に勝って高い順位を勝ち取ることにより、自己実現を肯定化する「現実」的な「場」であります。しかるに人間の成長の場として捉えるなら、競技の結果は目的ではなくまた一つのプロセスであると言えます。さらに、この競技の場を持って意識レベルの成長の場としたいところです。かつて天真爛漫だった15歳の頃の浅田は、自分の演技にのみ集中していたようです。インタビューでも「自分の演技」が「ミスなく終わりたい」と発言していました。しかるに最近の浅田は、ショートプログラムという前半の競技結果の点数の他者との差から、フリープログラムにて挽回可能かどうかばかりを気にし始めています。彼女の不振の原因はここにあるように思います。前半の点数がこうで、他者との点数差がどうで、よって挽回可能か否か?彼女の意識は相対主義(他者との比較)の中にあって、絶対的自分の中には、なかったようです。つまり意識の焦点が、自己の中になく外部化し、結果として本来の肉体的潜在力を心(意識)が妨げ、現状の潜在力すら出せていない結末に陥っているように思えました。転じて、1位となった韓国のキム・ヨナですが、彼女の意識は「自分」がどこまでできるか?により集中できていたようです。また自分らしくない「大人の女性」をきどったりもしません。他の選手が演技中もその結果を一顧だにしないように見えました。彼女は、他でもない「今の自己」の中に「安立」していたのです。スケートを滑る能力において甲乙つけがたい二人ですが、両者の違いは、これだけであり、そしてその差が全てであったように思われます。
上記を教訓に、個々人が、このかけがえのない今の3次元において、内在神たる意識の発露を見出すにはどうすれば良いでしょうか。他者からの相対的情報それも特に個々の能力を階層化し否定するような情報に圧倒されるのではなく、絶対的な自己の位相を「今」に見極め、その少し先の意識進化した自分をイメージし、誘導することにより、意識次元をより速やかに高める結果が得られるのではないでしょうか。我々は、魂の「経験」から来る「力の発露の有限性」ではなく、「智慧」から来る「力の発露の無限性」に「今」の「自己」の存在軸をシフトしたいものです。