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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あるヨギの自叙伝より(8)無数の縁(えにし)

2020-07-05 11:38:59 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

「あるヨギの自叙伝」 パラマハンサ・ヨガナンダ著より抜粋

---p436~

地上から解放された幽界人は、折にふれて、彼がかつて地上に何回も生まれ変わっていた間に縁を結んだ父や、母や、夫や、妻がそれぞれ何人も、無数の親戚、友人などとともに、幽界のあちこちに住んで居るのに出会う。すると彼は、自分にとってだれが特に親しい相手なのか戸惑いを感ずる。だが、こうして彼は、すべての人々を、同じ神の個別的表現である神の子として平等に愛することを学ぶのだ。(注釈1)

(注釈1)袖すりあうも他生の縁。単純な計算でしかないが、仮に1つの人生で100人とのなんらかの人間関係があったとして、100回の転生で出会うとすれば、10000人の存在と袖すり合うことになる。例えば、あなたが地球人類と深く意識的に関係しているならば、80億の人と、大なり小なりのご縁があるということにもなるだろう。すべての人をどこか愛おしく感じることが出来るならば、無数の良縁が取り巻くことになるのだ。すべてはひとつの・・根源意識の多次元的個別表現なのだから。

 

過去世において愛した者の外観が、その後幾生涯も重ねている間に変化しても、幽界人は、その正確な直覚を用いて相手を見分け、自分たちの新しい幽界の家に迎えられる(注釈2)のだ。宇宙のあらゆる原子には、消すことのできない個性が与えられているので、幽界の友人がどんな衣装を着けていても、すぐにそれと見分けることができる。それはちょうど、役者がどんな扮装をしていても、近くで見ればだれであるかわかるのと同じだ。

(注釈2)地上界、現生活であっても初対面の人に「あ、この人はどこかで知っている感じ・・」という経験があるはずだ。潜在意識では他生の縁が波動(情報)で伝わっているのである。テレパシーなどが普通の、意識の拡大された生活である高次元ではそれが顕著になるのは自然なことだ。

 

幽界人の寿命は、地上の人間の寿命よりもはるかに長い。普通の進化程度の幽界人の平均寿命は、地上の時間の標準でいえば5百年ないし1千年(注釈2)くらいだろう。ーーーまたヨギの中には数百年も生きる者が居るのと同じように、幽界人の中にも、普通の標準よりもはるかに長く生きる者が居る。

(注釈3)寿命が数百歳もあるという記述は、あの旧約聖書にもあるし、宇宙人とのコンタクトをした人の証言にもある。地上界(3・4次元)と違って、幽界(アストラル・五次元)では1千歳となっても、疲れきったり、飽きたりすることが無いということを意味する。地球世界は極めて小さく閉じられた世界であることは、あの宇宙・夜空を観てもわかるはずだ。

 

地上界から幽界への訪問者は、当人の物質的カルマの限度により、あるものは長期間、あるものは短期間、おのれの定められた期間だけ滞在すると、再び地上に帰ってゆく。

幽界人は、その光の幽体を脱ぎ捨てる際に、死と苦闘する必要はない。だがそれでも、多くの場合は、より霊妙な観念界へ行くために着慣れた幽体の衣を捨てなければならないと思うと、いくらか心残りを感ずる。

幽界では自分の意志に反して死んだり、病にかかったり、老衰したりすることはない。これらは地上の人間にとっては三大恐怖(注釈4)であり、不幸の源となっているが、それは地上の人間が、自分というものがたえず空気や、食物や、睡眠を補給しなければ片時も生きてゆくことが出来ないもろい肉体であると、深く意識に刻み込んでいるためだ。

(注釈4)釈迦は、地上界において、自己を肉体そのものであると信じ込んでいることによって生じる不幸・・、生・老・病・死を、人間の4大苦とされたが、地上では生きる事そのものが「苦労」「苦悩」であるということに所以するだろうか。

 

肉体の死には、呼吸の停止と、肉体細胞の崩壊がともなうが、幽体の死とは、幽体の生命を構成しているエネルギーの顕現形態であるライフトロンが消散することだ。

地上の人間が死ぬと、彼はその肉体意識を失い、生まれ変わった幽界の精妙な幽体を自分自身として意識するようになる(注釈5)

そしてやがて幽界の滞在期間が終わって、幽体の死を迎えると、彼は、幽体の生死を自分の生死と思う意識から、再び肉体の生死を自分の生死と思う意識に変わる。こうして肉体と幽体との間に生まれ変わりをくり返すいわゆる輪廻は、迷妄の中に生きるすべての人間にとって、避けることのできない運命なのだ。

人は、聖典の中の天国や地獄に関する説明を読むと、自分の潜在意識よりもなお深いところに眠っている、過去世経験した美しい幽界の思い出や、いとわしい地上界での記憶を呼び起こされることがある。

(注釈5)もともと多次元ボディであるため、死ぬこと、すなわち最も外側の肉体ボディが外れれば、当然ながら内在のボディに気付くことになる。
古来から肉体・エーテル体・アストラル体・コーザル体などの多次元層の概念が伝えられているが、「あるヨギの自叙伝」では、分かりやすく肉体・幽体・観念体という3つを示していると考えられる。物質体・想念体・根源意識体と言ってもいいだろうし、根源意識(宇宙意識)が個別化した折にその周囲に出現する多次元層の表現体と言ってもいいだろう。

 


あるヨギの自叙伝より(7)高次元の生き方

2020-07-04 08:01:54 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

幽界、幽体、アストラルという言葉、概念は、我々が物理的・物質的と言っている制約された物量感覚が、より「希薄」になった精緻・精妙な世界や身体という事が出来る。

今まで、幽・アストラル・希薄・・という概念への大きな誤解があるだろうか。

幽界、アストラルを例えるならば、古く画像の粗い白黒テレビに比べれば、高解像度で超薄型の液晶テレビなどは、まったく存在感が希薄でありながら、更に精緻で細かく、シッカリとした機能を持っているのと同じことだ。

物質偏重3次元レベルの生活では、重い環境で、生き延びることが最重要なテ-マであり、その為身体の五感感覚に「意識」が集中し続けることで、長く肉体自我に呪縛されてきたのである。

しかしながら、あなたはもう、重く大きなパソコンなど持っていないだろうし、ポケットに入る小さく・軽く、薄型で機能の高いスマホなどに進化していないだろうか?

あるいは、気付けば、

誰でも、石切り場で重い石を運ぶようなそんな奴隷のような生活はまっぴらだと思うだろう。それがゆえにこそ、今までの人類は、物質的なレベルでの自由さ、便利さを追求してきたのではなかったか。

このように見てくると、地上界、物質界、幽界・アストラル界などが、魂存在にとっての、進化すべき一連の体験世界であることが理解できるはずである。

世界は、順次そのレベルへと必然的に移行していることを意味しており、何も科学技術的な便利さだけが進化しているのではない。

また地球のアセンション・・等と呼ばれるものは、その必然たる意識・生命進化の延長にある出来事であると言えるだろう。

 

「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)p434

幽界人どうしの意志の伝達は、すべて幽界のテレパシー(精神感応)とテレビジョン(視覚的精神感応)(注釈1)によって行われる。地上の人々の間に起こりがちな、言葉や文字による誤解や混乱は、ここにはない。

また幽界人は呼吸を必要としない(注釈2)。ちょうど、映画の中の人物が一連の光の絵によってあたかも生き物として活動しているように見えるが、実は呼吸していないのと同じように、幽界の人々もまた、英知によって統一され導かれた光の像として歩いたり働いたりしているが、彼らは酸素を吸う必要はない。地上の人間は、生存を維持するために個体や、液体や、気体や、そのほかのエネルギーを必要とするが、幽界の人間は主として、宇宙光で生命を保っている(注釈3)のだ。

 

(注釈1)
精神感応(テレパシー)は、既に人の機能として存在するが、それを認めて使っていないのが現状である。そんなの無い・・というプロパガンダもあるわけだが、代わりに現代では様々な通信機器やTVなどを使っている。

これらは、実のところは人に備わる機能を直感的に察知した科学・技術者たちがが創り上げて来た代替え機能である。人の機能として直接使うためには、瞑想や内観を含め、内面意識の開発・進化が必要なのだ。

(注釈2)
地上で生きることは、呼吸することと一体不可分なため、
呼吸が不要など、普通の人にはとんでもなく衝撃的な内容になっている。酸素呼吸は肉体維持に欠かせぬものであって、呼吸をしない事は死を意味するために、そんな事あり得ない・・と感じるのだが、幽界人は魂の表現体としての身体が粗大なレベルの肉体ではなく高次のアストラルボディのため、ちゃんとその他のエネルギーを使っているとすれば、当たり前と言っては当たり前である。

(注釈3)
宇宙光という表現は、身近な言葉で言えばプラーナ・生命エネルギーとも言えるだろう。実際に食物をほとんど口にせず、太陽の光・大気中のエネルギー、あるいは水と少量の野菜などで生きている人たちが少なからず存在しているのだ。日本人のある弁護士は、殆ど水と少量の食物だけで生きつつ、弁護士というまともな職業をこなしている。
これは噂のフリーエネルギーと同じ類の、仕組みによるものだと考えられる。

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「先生、幽(アストラル)界の人も何かを食べているのですか?」

「幽界の畑には、発光体のような光の野菜が豊富にある」先生は答えられた。「幽界の住人は、野菜を食べ、輝かしい光の泉や幽質の川から甘露を組み上げて飲んでいる。(注釈4)

ちょうど地上の人々が、テレビ装置を用いてエーテル(注釈5)中の電波から目に見えない映像を掘り起こして目に見える形にし、再びそれを空間に解消しているのと同じように、幽界の住人は、エーテル中に浮遊している目に見えない、神のつくられた野菜その他の植物の青写真を、自らの意志によって幽体化する(注釈6)。---だが、ヒラニャローカのような高い天国の部類に属する星の住人は、ほとんど食べる必要から解放されている。そして、さらに高い観念界に住むほぼ完全に近い解脱に達した魂たちは、至福のマナ以外には何も食べない。

(注釈4)地球の自然界となにもかわらないが、滋味豊かで人為的な汚染が無いありさまということだ。

(注釈5)エーテルは元は物理学用語で、空間を満たす微細なエネルギー素粒子のようなものという意味がある。

(注釈6)地(球)上でも、芸術家が様々な物質素材を使って色々な芸術品を造りあげるが、幽界では、そのプロセス上で想念・アイデア・思考が主体的・直接的に作用するということ。
やっていることは同じだが、想念の自由度が格段に異なる世界と言える。ある人にとって、昨今は、何かの想いがすぐに実現するという体験をもしているのではなかろうか。

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品種改良の父 ルーサー・バーバンク

ルーサー・バーバンク(1849~1926)は、アメリカの植物学者・園芸家・育種家。多くの植物の品種改良を行った。特にジャガイモとサボテンの品種改良の成功で有名。(Wikipediaより)

植物に語りかけ、植物との精神感応、インスピレーションを受けて環境を好適に維持したり、変化させたり、愛深いこころでお願い・・したりして、俗にいう突然変異が起きることで、多くの品種を改良した言われている。
新しい突然な事象の原因がわからない場合に、都合よく突然変異という表現が用いられるが、往々にしてその背後には物質的には検知できない原因、想念・精神があるということだ。


あるヨギの自叙伝より(6)幽界・アストラル界

2020-07-03 06:04:00 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

あるヨギの自叙伝の内容を借りて、ここ、気付きの科学なりの解釈を記事にしているが、この著では、地球以外の星の世界の様相が語られており、より高次の世界の事を「幽界」とされているのだが、この幽は・・よく見えないかすみのようなイメージや、幽霊などというおぼろでよくわからない怖い存在のイメージがあるため、どこか忌避したい、取っつきにくい概念かもしれない。

もちろん近場から見てあちら・遠くは、何でも良くわからないし、調査して情報を集めなければその実体は怖いままで終始するが、人類の進歩は知るという事で開かれてきたことを忘れてはならない。

幽界とはスピリチュアルで言われる「アストラル世界」と考えていいだろう。アストラルは、星の、星のような、星の世界の・・という意味の英語だ。

また物理的とアストラル的の違い、地球と他の世界の違いという意味もある。その世界の違いを簡単に言えば、存在の周波数帯域が違う・・・という言い方が分かりやすいかもしれない。例えばTVの3chと5chは何が違うかと言えば、電磁波の周波数帯域だけである。

また、3chから5chは見ることが出来ないが、3chを見ている者が5chの周波数に合わせることが出来れば、5chの映像を見ることが出来るわけだ。いわゆる霊能者や霊界通信、あるいは宇宙人とのコンタクティーなる者たちは、この”周波数同調”を行ったがゆえであると考えるのが自然である。尚周波数同調は・・機械的ではなく意識によって行うものである。

この他チャンネル(他世界)への同調が、ほんの少し垣間見える程度であれば、その見える世界はおぼろで、かすみのように不確かにしか感じないのである。

また、物質界とアストラル界を1本線で区分けすることは出来ないため、その周波数帯域は、光のスペクトルのような変化と考えられる。例えば虹の七色はどこか1本で境界分け出来ないが、各々の色の中心はあきらかに異なるようなものだ。

 

最も重要な事柄は・・・、

「意識」・・が世界を知覚する・・ことを理解すれば、「意識」の拡大・進化によってその知覚世界も拡大・進化するということだ。

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「あるヨギの自叙伝」 パラマハンサ・ヨガナンダ著 p432

肉体は、普段無数の危険にさらされていて、よく傷ついたり不具になったりすることがあるが、希薄な幽体もまた、ときには切り傷や打ち傷を受けることがある。しかしそれらは、治そうという意志を働かせることによって直ちに治ってしまう(注釈1)

「先生、幽界の人たちはみな美しい人ばかりですか?」
「幽界における人の美しさとは、外見的な容貌のことではなく、霊的な性質を言うのだ」 先生は答えられた。

「だから幽界人は、顔かたちにはほとんど重きを置かない。しかし彼らには、新しい多彩な幽体に自由に衣替えをする特権が与えられている。地上の人たちが祭りの日などに晴れ着を着るように、幽界人も、ときには特別な衣装を凝らした姿で身を飾ることがある。

「過去生において友達だった者は、幽界ですぐにお互いをそれと見分けることが出来る(注釈2)」スリ・ユクテスワはフルートのような美しい声で(注釈3)話を続けられた。「彼らは友情の不滅を喜び合い、地上で死別したときに悲しみとともに疑った愛の不滅性をあらためて悟るのだ。

幽界人の直覚は、地(球)上の人間の活動を、次元のベールを貫いて見透すことが出来る(注釈4)が、地上の人間は、ある程度第六感を発達させなければ幽界(アストラル世界)を見ることが出来ない。だが地上の人間でも。幽界の一部やその住人を瞬間的に垣間見た者は何千人もいる。

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(注釈1)幽体(アストラル体)はボンヤリしたかすみ状などではなく、傷つくようなしっかりした緻密な身体であるが、その構造が想念・意志に直結したものであることがわかる。

(注釈2)世界とは、類は友を呼ぶという諺通りの集合世界であり、また個々と見える魂・意識にも幾重もの体験記憶があるために、その膨大な記憶を参照すれば、多くの他の魂存在たちが”知己である”ことがわかる。日本でも昔から「袖すり合うも他生の縁」という諺(ことわざ)があるが実に秀逸な表現である。

(注釈3)フルートのような美しい声・・
軽やかで、なめらかなで快活な声音という意味と思えるが、このような表現は宇宙人と接触した人(金星人と会見したジョージ・アダムスキ)が語る内容と同じものがある。嘘・いつわりの念がこもらないため、直覚で感じる場合はまるで春風のような声だろうか。

(注釈4)波動の原理で言えば、周波数が高いものはそれを落とすことが出来るが、低い周波数はそのままでは高い周波数に変化は出来ない。高い山から下界の様相は観察しやすいが、下界から高い山の様相は見えずらいのと同じである。

 

 

  パラマハンサ・ヨガナンダ(パラマハンサ・ヨーガーナンダ(1893~1952) Paramahansa Yogananda,ベンガル語:পরমহংস যোগানন্দ) 本名ムクンダ・ラル・ゴーシュは、インド生まれのヨーガ指導者、グル。クリヤー・ヨーガは「神の理解と内なる平安の達成のための科学的技法」であると説き、これを西洋に広めることが使命であると信じて活動し、ヨーゴーダ・サットサンガ(Yogoda Satsanga Society of India)、自己実現同志会(Self-Realization Fellowship)、全宗教自己実現教会を設立、西洋で成功を収めた。(ウイキペディアより)


あるヨギの自叙伝より(5)半霊・半物質

2020-07-01 09:56:11 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

いつの時代であっても、聖者・覚者たちの言葉を真剣に吟味することは、千金の価値があると考えられるため、このような紹介と抜粋、勝手ながらの注釈を行っている。

昨今、世界に氾濫する欲望やフェイク・嘘のニュースや宣伝などを真剣に追いかけている場合ではないこともその理由ではある。

さらに言えば・・実のところ、地球がこれからどのように変わるのかという宇宙的な法則や具体的方向性の話でもある。

日月神事示では、「半霊半物質」の世界になると予言されているが、そのより具体的な説明と考えてよいだろう。

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「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 p432

地上界は戦争と殺戮で、海も陸も空も暗黒に閉ざされているが、幽界は、調和と平等の幸福を楽しんでいる。幽界の生き物は、自分の姿を意のままに解体したり、つくり替えたりすることができる(注釈1)

幽界の生き物はすべて、いかなる形態をも自由にとることができ、また容易に語り合うことができる。彼らを拘束する比重な自然法則というものはない。つまり、どんな木にも、思いどおりの果実や花をつけさせることができ(注釈2)、また実際、花や果実に限らず何でも生(な)らせることができる。カルマによる一定の制約はあるが、どんな生き物にも自分の姿形を自由に選ぶ権利がある。誘拐の万物は、活力にあふれる神の創造の光で出来ているのだ。

(注釈1)姿かたちの作り替え

この世界でも、衣装や化粧そのた装身具などによって、見た目の姿形を変えることができるがそれには限度があり、さらにまた肉体そのものを変化させることは極めて限られている。しかしながら、物質主体ではなく、高次の想いや想念が主体の世界であれば、かなり容易に姿かたちも作り替えられるはずである。自己自身が設計者・創造者である世界ならば、逆に当たり前といえよう。既に、わたし達は偶然生まれて死んだら終わりの肉体人間ではなく、創造者であることを知っているはずである。

(注釈2)植物の数々の品種改良をしたルーサー・バーバンク(1849〜1926 アメリカ)は、遺伝子組換えがない時代に、様々な交配をしながら、愛の思念や語りかけによって、一般に突然変異とされる新しい品種を創り出したと言われている。

ここには、女から生まれる者は居ない。 幽界に生まれる者は、宇宙意思の力を借りて、精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性質に応じた幽体をつくる(注釈3)  地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれる(注釈4)のだ。

(注釈3)身体創造
3次元的世界(地球レベル)では男女の肉体交合(性行為)によって母親の胎内で赤子の肉体が発生・生育するわけだが、幽界(高次世界)では、宇宙意思(意識)による波動凝縮・形成によって自らのその世界での身体(幽体)をつくる。いづれにしても肉体も宇宙の微細素子・素粒子レベルで造られているわけだが、幽界(高次世界)では自由度が高く、魂の意思・意図が直接身体形成に関与すると理解できる。

(注釈4)生まれる先
魂は、どっかに偶然飛ばされて生まれる・・わけではなく、同じような精神的・霊的傾向をもつ”家族のもとに”引き寄せられて生まれる。波動共鳴・類は友を呼ぶという親和の法則。そして幽界で生まれるとは、無意識の赤ん坊から時間かけて意識が目覚めるのではなく、注釈3)のように直接、その精神的・霊的ファミリーの元へ出現するということになる。

繰り返しになるが、わたしたちの本質・主体は・・肉体でなく魂・意識であるからだ。

 

幽体は、温度その他の自然条件の影響を受けることはない。人体の幽体構造の根幹は、千枚の花びらをもつ光の蓮の花にたとえられる幽体の脳と、スシュムナと呼ばれる幽体脊髄に並ぶ六つの目覚めた中枢(注釈5)。幽体の心臓は、幽体の脳から光と宇宙エネルギーを導入し、それを幽体の神経や細胞(ライフトロン)の力や聖なるマントラの振動(注釈6によって自分の姿形に変化を加えることができる。

 

(注釈5)1つの脳と6つの中枢
3次元レベル認識では、十分に認識されていないエネルギーセンター(チャクラ)が中心となっている身体構造。スピリチュアルでいう光のボディー・ライトボディなどの具体的構造のことであると考えられる。

(注釈6)神経や細胞(ライフトロン)の力や聖なるマントラ
その世界の物理的(エネルギー)力と、マントラ(思念波動の集中行為)によって、自分の姿形を直接変化させるということだ。実は地球3次元レベルでも同様であり、例えば成型手術や身体鍛錬、こころの訓練や維持によって身体を多少とも作り替えているのである。

 

幽界人がまとっている幽体は、ほとんどの場合、前世において肉体の内側にまとっていた原型と同じ姿をしている。幽界人の顔つきやからだつきは。前世の地上における青年時代のそれとよく似ている。もっとも、ときにはわたしのように、年をとってからの姿を好んでとる者もいるがね」先生は若さそのもののように、愉快そうに笑われた。

 

「五つの限られた感覚のみで認識される三次元空間の物質界と違って、幽界は、総合的な第六感すなわち直覚によって認識される(注釈7)世界だ」先生はつづけられた。「幽界人はみな、直覚だけで見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわったりしている。彼らは三つの目を持っており、そのうち二つは半ば閉じている。第三の目は、ひたいの中央に垂直方向についていて、開いており、これが最も主要な目だ。幽界人は、目、耳、鼻、舌、皮膚の外面的な感覚器官をみなもっているが、からだのいかなる部分から入ってくる感覚情報も、すべて直覚によって経験している。彼らは、耳や鼻や皮膚で見ることができるし、また、目や舌で聞いたり、耳や皮膚で味わったりすることもできる(注釈8)

(注釈7)直覚認識 

五感がバラバラに機能しているわけではなく統合されているということ。言葉や行為の外側表現によらず、想いや真相を直接内面で知ることであって、直感認識・テレパシー等が主流となる認識形態。そうした場合、見た目の良さや、心地よい言葉に騙されることはないため、詐欺や搾取や争い事などが、逆に難しい世界である。

(注釈8)五感が統合・調和されている
例えば手の指先(皮膚)で、本の文字を視覚的に読んだりする人の実例が
存在する。これは指先の細胞が、受けた信号を、なんらかの形で脳の視覚中枢に伝達するものと考えられる。もちろんこういう超能力的現象の話は一般には都市伝説とされている。

 

 


あるヨギの自叙伝より(4)幽界の話

2020-06-30 06:06:05 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

幽界宇宙という言葉には、天国・地獄などのような古いイメージがあると感じられようが、今のスピリチュアル系の言い方だと、多次元、高次元世界、あるいは平行宇宙というような意味合いで良いだろう。

ただ幽界(宇宙)は地上(地球)界より幸福度・自由度が格段と拡大していると位置づけられている。簡単に言えば、幼稚園と小学校の違いのようなものだ。幼稚園も無数にあり、小学校、中学校も無数にあり、学ぶ内容からしてその上下間の生徒の行き来はなかなか難しいのと同じようなものだ。

 

(あるヨギの自叙伝 本文・p430)

幽界の宇宙は、色々な色彩に輝く精妙な光の波動から出来て(注釈1)いて、その大きさは、物質界の宇宙の何百倍もある。物質界全体は、幽界という大きな光輝く気球の下にぶら下がっている小さな固形のバスケットのような(注釈2)ものだ。

物質界で多くの太陽や星が宇宙空間を動き回っているのと同じように、幽界の宇宙にも無数の幽質の太陽系や星座がある。幽界の宇宙にも太陽や月(補注:恒星や衛星)があり、それらは物質界の太陽や月(補注:恒星や衛星)よりもはるかに美しい。

---中略

ヒラニャローカのような高い幽界ではない普通の幽界には、地上から来たばかりの何百万という人間と、無数の妖精、人魚、動物、妖鬼、小人、魔人、精霊など(注釈3)が、それぞれのカルマによる資格(注釈4)に応じて、異なった遊星に住んでいる。

そして善霊と悪霊は、その程度によって、いろいろな波動の領域をそれぞれのすみかとして与えられている。地球では、人間は地表に、虫は地中に、魚は水中に、鳥は空中に住んでいるが、それと同じように、幽界の生き物もそれぞれの階級に応じて適当な波動領域を割り当てられている(注釈5)のだ。

他の世界から追放された悪魔(地獄に落ちた天使)たちの間では、ライフトロンによる爆弾や呪文という精神光線による戦い(注釈6)が繰り広げられている。これらの人々は陰惨な下層幽界に住んでいて、邪悪なカルマを遂行している。

こうした一部の暗い牢獄のような区域を除いては、全てが広大な光の領域で、そこではあらゆるものが美しく輝いている。

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言葉が多少宗教がかっているため、おどろおどろしく聞こえるかもしれないが、こういう時代や地域、宗教的な色合い・塗装をちょっと落としてみればよく理解できるかもしれない。

注釈(1)幽界宇宙は精妙な光の波動でできている・・
 物質宇宙つまり、現状の地球の科学的認識でも、原子はクオーク・電子などの素粒子で出来ているとされ、素粒子は電磁波エネルギーに変換されることを知っている。光は・・電磁波の一種であり、波動である。つまりこの世界宇宙の物質はやはり光で出来ているといってもおかしくないのだ。光といってもより精妙(幽質)か粗雑(物質)か・・の違いのようだ。

注釈(2)気球(幽界)の下にぶら下がっているバスケット(地上界)
 大きく軽く、浮力があって自在に動き回れる・・気球に対して、 地上界(物質界)はそれに依存し、重く、自在性のない・・小さなバスケットの例示と考えられる。

注釈(3)地上から来たばかりの人々と妖精・人魚・動物・・、
人間や動物の肉体死のあとに、幽界に行くという意味と思われるが、妖精・人魚・妖鬼、小人・魔人・精霊などは現代人にはピンとこない。古来からの伝承や噂、みえる人には見える類の、何らかの地上に住まう生命体かと思われる。

注釈(4)カルマによる資格

カルマとは良い悪いという判定材料には関係がなく、その意識生命体の「学びのテーマ」を意味する。人間は思い・想念・行為によって自己を創造するがゆえに、その創造者としてのマインド・想念の進化・昇華が求められる。 自己創造は、自業自得・因果応報などに直結していることは明白である。学校でいえば、学びの段階・宿題・カリキュラムに応じた体験世界が存在するということであり、体験学習者(魂)はそれにふさわしい遊星に住まうという意味であろう。遊星とは、恒星や惑星、衛星、小惑星などの天体。

注釈(5)階級に応じた適当な波動域の割り当て
階級とは、本来は進級の違い、ステップUPの道程違い、赤・黄・青などの波動域の違いのことであり、様々な存在様式の調和した階層のことである。支配階級やら、労働者階級の
イメージやらは、まったく似て非なるものだ。

例えばTVなどでいえば、3チャンネルと5チャンネルは、周波数帯域の割り当てが違うだけだが、まったく異なった番組・物語を作って放映しているし、そのままでは混信・混在できない仕組みである。

注釈(6)ライフトロンによる爆弾や呪文による精神光線による戦い

現代よりも進んだ科学技術と、思考のテクノロジーを戦いに使っている者たちもいる。幽界という高次のカテゴリー世界の下層には、そういうタイプの世界も許されているということだろう。これはまるで同時に存在する、別次元のスターウオーズのようなものである。
どのように高度で便利な物質文明であっても、戦いや壊し合いはあきらかに
陰惨であり、後悔や怒りなどのカルマを生み出すことになり、幽界とはいえ、地上界の文明の紙一重上の下層世界に位置づけられるものだろう。

 

スターウオーズや風の谷のナウシカなどは、作者たちのそのような、いわば地上より高次ではあるが激しい世界の記憶が物語になっているのではなかろうか。