幽界、幽体、アストラルという言葉、概念は、我々が物理的・物質的と言っている制約された物量感覚が、より「希薄」になった精緻・精妙な世界や身体という事が出来る。
今まで、幽・アストラル・希薄・・という概念への大きな誤解があるだろうか。
幽界、アストラルを例えるならば、古く画像の粗い白黒テレビに比べれば、高解像度で超薄型の液晶テレビなどは、まったく存在感が希薄でありながら、更に精緻で細かく、シッカリとした機能を持っているのと同じことだ。
物質偏重3次元レベルの生活では、重い環境で、生き延びることが最重要なテ-マであり、その為身体の五感感覚に「意識」が集中し続けることで、長く肉体自我に呪縛されてきたのである。
しかしながら、あなたはもう、重く大きなパソコンなど持っていないだろうし、ポケットに入る小さく・軽く、薄型で機能の高いスマホなどに進化していないだろうか?
あるいは、気付けば、
誰でも、石切り場で重い石を運ぶようなそんな奴隷のような生活はまっぴらだと思うだろう。それがゆえにこそ、今までの人類は、物質的なレベルでの自由さ、便利さを追求してきたのではなかったか。
このように見てくると、地上界、物質界、幽界・アストラル界などが、魂存在にとっての、進化すべき一連の体験世界であることが理解できるはずである。
世界は、順次そのレベルへと必然的に移行していることを意味しており、何も科学技術的な便利さだけが進化しているのではない。
また地球のアセンション・・等と呼ばれるものは、その必然たる意識・生命進化の延長にある出来事であると言えるだろう。
「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著)p434
幽界人どうしの意志の伝達は、すべて幽界のテレパシー(精神感応)とテレビジョン(視覚的精神感応)(注釈1)によって行われる。地上の人々の間に起こりがちな、言葉や文字による誤解や混乱は、ここにはない。
また幽界人は呼吸を必要としない(注釈2)。ちょうど、映画の中の人物が一連の光の絵によってあたかも生き物として活動しているように見えるが、実は呼吸していないのと同じように、幽界の人々もまた、英知によって統一され導かれた光の像として歩いたり働いたりしているが、彼らは酸素を吸う必要はない。地上の人間は、生存を維持するために個体や、液体や、気体や、そのほかのエネルギーを必要とするが、幽界の人間は主として、宇宙光で生命を保っている(注釈3)のだ。
(注釈1)
精神感応(テレパシー)は、既に人の機能として存在するが、それを認めて使っていないのが現状である。そんなの無い・・というプロパガンダもあるわけだが、代わりに現代では様々な通信機器やTVなどを使っている。
これらは、実のところは人に備わる機能を直感的に察知した科学・技術者たちがが創り上げて来た代替え機能である。人の機能として直接使うためには、瞑想や内観を含め、内面意識の開発・進化が必要なのだ。
(注釈2)
地上で生きることは、呼吸することと一体不可分なため、
呼吸が不要など、普通の人にはとんでもなく衝撃的な内容になっている。酸素呼吸は肉体維持に欠かせぬものであって、呼吸をしない事は死を意味するために、そんな事あり得ない・・と感じるのだが、幽界人は魂の表現体としての身体が粗大なレベルの肉体ではなく高次のアストラルボディのため、ちゃんとその他のエネルギーを使っているとすれば、当たり前と言っては当たり前である。
(注釈3)
宇宙光という表現は、身近な言葉で言えばプラーナ・生命エネルギーとも言えるだろう。実際に食物をほとんど口にせず、太陽の光・大気中のエネルギー、あるいは水と少量の野菜などで生きている人たちが少なからず存在しているのだ。日本人のある弁護士は、殆ど水と少量の食物だけで生きつつ、弁護士というまともな職業をこなしている。
これは噂のフリーエネルギーと同じ類の、仕組みによるものだと考えられる。
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「先生、幽(アストラル)界の人も何かを食べているのですか?」
「幽界の畑には、発光体のような光の野菜が豊富にある」先生は答えられた。「幽界の住人は、野菜を食べ、輝かしい光の泉や幽質の川から甘露を組み上げて飲んでいる。(注釈4)
ちょうど地上の人々が、テレビ装置を用いてエーテル(注釈5)中の電波から目に見えない映像を掘り起こして目に見える形にし、再びそれを空間に解消しているのと同じように、幽界の住人は、エーテル中に浮遊している目に見えない、神のつくられた野菜その他の植物の青写真を、自らの意志によって幽体化する(注釈6)。---だが、ヒラニャローカのような高い天国の部類に属する星の住人は、ほとんど食べる必要から解放されている。そして、さらに高い観念界に住むほぼ完全に近い解脱に達した魂たちは、至福のマナ以外には何も食べない。
(注釈4)地球の自然界となにもかわらないが、滋味豊かで人為的な汚染が無いありさまということだ。
(注釈5)エーテルは元は物理学用語で、空間を満たす微細なエネルギー素粒子のようなものという意味がある。
(注釈6)地(球)上でも、芸術家が様々な物質素材を使って色々な芸術品を造りあげるが、幽界では、そのプロセス上で想念・アイデア・思考が主体的・直接的に作用するということ。
やっていることは同じだが、想念の自由度が格段に異なる世界と言える。ある人にとって、昨今は、何かの想いがすぐに実現するという体験をもしているのではなかろうか。
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品種改良の父 ルーサー・バーバンク
ルーサー・バーバンク(1849~1926)は、アメリカの植物学者・園芸家・育種家。多くの植物の品種改良を行った。特にジャガイモとサボテンの品種改良の成功で有名。(Wikipediaより)
植物に語りかけ、植物との精神感応、インスピレーションを受けて環境を好適に維持したり、変化させたり、愛深いこころでお願い・・したりして、俗にいう突然変異が起きることで、多くの品種を改良した言われている。
新しい突然な事象の原因がわからない場合に、都合よく突然変異という表現が用いられるが、往々にしてその背後には物質的には検知できない原因、想念・精神があるということだ。
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