リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

梯明秀の功

2013-04-13 21:18:59 | 社会学の基礎概念
 こんばんは、東京地方、春爛漫です。仕事先の周りでも私の好きなツツジや藤の花がすでに咲き乱れています。例年より2週間は早そう。今年は桜には不十分でしたが、新緑には、恵まれるかも。
 
 さて本日は理論系。
 左翼論壇では、資本論について哲学者が「これは哲学の根本の書だ」とかひいきの引き倒しをすることでも有名です。って、以後この話なので、その他の方々はまた来週。
 
 で、そういう人々の9割の根拠は、なんのことはない、「資本論でプロレタリアートの役割が解明せられたのだから、われわれプロレタリアート及びインテリゲンチャはその結論通り生きなければならない」という話で。
 
 こういう単純素朴な幽霊話はいまさら語る気にもなれないところで、といって語らないと先へ進まないのでいうと、
 要するに、「人間はこれこれの規定性を負っている」という以上の話ではない。
 幽霊話というのは、自分は論理とは違う地平において安全を確保してから、なんとか偉そうに他人に命令したいという権力主義者の妄想という意味ですが。「幽霊」とは、現実に生きていない、概念で固めた或るモノということね。
 ところで人間が負っている規定性というのはいろいろあるんでありまして、そのトータルが人間です。
 たとえば、人間はどうしても他の生物を食わなければ生きていけない。
 「だから人間は、資本主義者の行いと同様に、他人と競争して劣等な他者を食いまくっていかなければいけない」
 というのも哲学者が述べたがる「真理」というものですな。
 
 そんなバカな話はねえ。人間とは生きているおいらのことだ。てめえに指図されておいらが資本主義者になる必要など金輪際ありゃあしねえ。
 という、「先ほどの左翼あて答え」と逆に同様な理屈が存在するという明快な事実が、そうした9割越えの自称「哲学者」への答えになります。
 
 さて、過去の日本に梯明秀という哲学者がいまして、懐かしいでしょう、ご同輩、その人も上記の幽霊話はしつこく語る。率直に言えば、その語り口のおかげで歴史に残った人で、これからも東大教授を押しのけて歴史に残るんじゃないかな。とにかく人間、「エッ!」と思わせたほうが勝ち、ほんとうはどう間違っていたって、なに言ってるかわかんなきゃ負けはしないんだから。

 ま、そんなことではなくて。
 ここまでは若人は知らないと思うんだよね、しかしてよく反芻はしてくんさい。このくらいのレベルは若いときに抑えとかなきゃね。

 今いいたいのはそうではない。
 梯の本当の貢献は、「本人は気づいていないけれど」、資本論は彼が思い込んだような「論理の書」では「ない」が、『探求の方策の書』ともなりえ、それを簡単に言葉に置き換えて見せたのが梯の生涯の唯一ではあるが、逆に、かつて他人ができなかった、そしてそれ以後も誰も追随していない、仕事であったということです。
 アルチュセール? ば~か。みたいなもんですな。
 こればっかりは、政治局員や東大教授のごとき、未熟な他人さえ脅しておけば自分で何をしなくても済むような人種にはわかるものではない。ましてや口先毛唐になんかわかりゃあしねえ。せめてこの隈が記録しといてあげなければね。

 ということを以前述べたかと思って検索したんだけど、引っかからないんで、おや不思議、と思いながら(改めて)記載しておきます。
コメント (3)
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