リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

小休止

2012-10-14 20:40:21 | 初めの言葉
 こんばんは。いよいよ秋ですね。夏にも冬にも弱い私には、書き入れ時となりました。

 私は社会学専攻ですが、大学1年のときに新入生用に予備ゼミというのがあって、そのときに間宏という先生がおっしゃるには「(君たちのような) 学生がどうして勉強をしないんでしょうか。労働者は、もっともっと勉強してますよ。条件のいい学生が勉強しないというのは私にはわかりません」 なんてお小言を。
 私は既に小さいながらアナーキストの過去の自負がありましたので、心の中で、そりゃ違うでしょ、あなたは全共闘の大学教授への糾弾を知らないんですが、といいたかったですが、突然のお小言で、時間が通り過ぎてしまいました。
 間先生という人は、夜間高校や労働者学校で教えていたので、それは実感だったんでしょう。
 
 で、(既報のように、私の)友人が死んでしまうと、やはり、私は生きてるうちに勉強しとかないと、とも思うんです。
 それは間先生が正しかったわけではなくて、「私はもう労働者だから勉強しなければならない」と収約する、ということですが。
 微妙にわかりませんかね。まあ、日本ではそういう時代の変遷があったということです。

 というわけで、先日グチりましたように、寒くなって手がかじかむ(と勉強したくなくなる) 12月末までこのブログは不定期にしようかと思います。なんか、google検索システムの変更か、この2,3日、突然アクセス数も減って、おまえなんかどうせぐうたらで、あれもこれもはできないんだから早くやめろよ、という神様の思し召しかとも思いますし。

 そもそもこれを始めたのは、5年前、一冊前の創造的書籍が終わったときで。
 このブログと平行して書いたはずの「行為の集成」は、厚いだけで集大成なので、頭はあんまり使ってないのです。
 若い人は、試験勉強や、本を読んで書いた人にケチを付けるのが勉強と思ってらっしゃるかも知れませんが、そんなものはマラソンと同じで、体操競技です(=他人の情報に反応しているだけの作業)。勉強というのは自分の頭だけで考えることです(=自分の頭で土台情報を掲出提示し自答していく過程)。どう違うかこれはしてみないとわかりません。

 というわけで私は2時間ぐらいボーッとし続ける頭脳競技にはいりますので、ずいぶん駆け足ですがしばらくあとまで、それではまた。 



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