リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

暮れの風景

2023-12-30 16:41:27 | 断片
 こんにちは。暮れも押し迫りまして、正月休みは取れましたか? 
 わたしは不規則勤務はしましたが、幸い元旦出勤はなくて。2000年のコンピューター誤作動問題で自宅待機、元旦朝の5時までに呼び出されなきゃ休みでいい、というのがありましたが。おちおち寝られず冗談じゃない。
 年金生活者は本日は大掃除。東京地方、今日は暖かい晴天、お掃除日和なもので。
 子供の頃は親が金融機関勤めで、31日午後から大掃除でしたが、母親はそのあとにお節料理作りでなかなか大変。冷蔵庫もなく寒い所におくだけだからあまり早くも作れない。寒いといっても東京ですが。ともかく掃除は30日までがよいようです。
 でも、大掃除も去年のことを昨日の出来事のように覚えていて、いやだね、なにもなかった年は。認知症ではないことは安心ですが、こんなすぐ来るなら掃除は2年に1回でいいのではないか、と思われます。
 
 というわけで、何もない今年のニュースはイスラエルのガザ侵攻だけ。ほんと、暮れの町で子供が親と手をつないで跳ねてはしゃいでいるのをみると、複雑な心境になります。
 
 で、今日はネタなし。ただの悪口書いてもねえ。
 ほんと、1年、いらない年でした。悪いことしか起きてやしない。
 なんていうと、ごはん美味しく食べて生きてられたのに文句言うな、というところでしょうか。それもなんか違うと思うのですが。まあ不幸な人を見ると、文句をいうのもはばかられるから。
 ところで、「総括」は「ぐち」とどう違うと思います?
 「総括」は将来のためにやるんじゃ。そんなことも知らんか、といわれる?
 お説ごもっとも、のようで、そりゃ、偉すぎる神の視点です。
 人間自身にとっては、ぐちは独り言で済むが、総括には相手が必要、というところが違う。
 だからなんだって? 聞き手のいない総括はやる気がしない、というわけで。そんな人間自身にも明日には未来が来る。よき明日のために総括はあらもほしきかな。
 
 昨日、正月元旦、お客様に寿司をとろうかと思いまして宅配寿司に電話しましたら、着くの午後2時だって。そりゃだめだ、と昔のとってあった宅配チラシ店いくつかを検索、しかしどれもネットで確認できない。あらあら、つぶれちまったってことか。コロナというよりは出前アプリのせいだね。そんなの使い方知らないよ。(近くの最後のリアル店舗もつぶれてしまっている)
 は、どうでもよくて、しげしげと各店の広告写真を見比べましたが、結局子供の頃お客に取った地元の寿司桶(の中身)が一番好きだ、と気づきました。その頃の客は出された寿司を食べないで子供用に残すのが礼儀だったんだよ、って知らないよね。いずれにしても、浸みこんだ憧れ、というものでしょうか。
 
 おっと、忘れそう。今年も1年、お世話になりました。良いお年をお迎えください。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 一目でわかるための癖 | トップ | オカルト(番外;UFOと、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

断片」カテゴリの最新記事