リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

時間的劣等感

2010-05-29 21:42:55 | 断片
こんばんは、涼しくてよいですねえ。こんな日だけだと学術も進む、かも。


さて、本日のためになるブログ。

1 剣道は3年で師範代になれる。
2 将棋は3年でプロ4段になれる。
  上記2例とも、あとは精神論で頂点に立てる。
  
3 職人は7~10年で1人前になる。もっとも子供が大人になる肉体増強年を含めてもいる。
4 学者は10年同じことをやっているとその道の専門家になれる。
5 直角3角形の底辺が3倍になれば、同じ面積を確保する高さ1/3の3角形の斜辺の高さは、比較して同じ比率のどこでも1/3である。


 何が読者のためになるって、剣道って3年やれば1人前って知ってました? (高校剣道は別。肉体がないから7~10年) 強くなるのに50年もかかってたら、戦いに勝つ前に老いさらばえてみんな死んじまうわあ、という話でもありますが。
 それより精神論。ドラゴンボールや霊界探偵で、1試合ごとに強くなるってあれですね。あれはほんとだそうです。
 だからなんだって、って、それだけのことで。
  
 正直、本日はただのぐちブログ。
 
 昔からそこそこ課題をクリアしてきたはずですが、何の記憶も残っていない。実は何もしてこなかったのではないか、と思うほど。それは真面目な他の方々と異なり、みーんな一夜漬け、5分ごまかしの類で突破してきたからではないか、と劣等感をもっております。
 なんといっても、平凡な都立高校を出た私としましては、就職後、Aという有名受験私立一貫校をでたやつが、「勉強1日5時間なんて当たり前でしょ」とのたまったことで。え~~、、、なんでキミはそれでW大なんだよ、と思いはすれ(失礼、読んでないよね)、ああ、やっぱわたしゃ他人と違ってぐうたらなんだなと深く思い。
 それでも、ウチの子供が小さい頃は、それを横目に夜に2時間くらいは勉強してた情景を自分で記憶してますが、それ以後なにをしてきたことやら。まったく、著作が残ってなければ誰も(自分も)信じやしません。
 
 もっとも学問は10年経つと誰でもひとかどの専門家になれるというわけで、私もこの道30年以上。
 ということは10年の人が1週間6時間自分の勉強をするところ、2時間やればいいわけで。(学者の卵は、賃金のため、訳のわからぬ教養科目講釈で、自分の専門は週6時間も勉強できればいいとこでしょう)
 
 というわけで、私の話題は、次回の拙著原稿。大して見直しもしないで原稿送付に決めました。ぜんぜんやる気でないんだもんね。
 「やる気でない」じゃ自分的に納得できないので、上記5行が言い訳です。こんなもんでも人並みさ。知らんけど。 
 世の中、大人にとっては、なんでも3年間と精神だあね。
 
コメント
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