リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

破産の歴史過程

2010-05-15 22:55:07 | 賃金・価値・権力
 こんにちは、ようやく良いお日和で。部屋の中だとちょっと寒いくらい、あと1ヶ月は私は幸せです。衣食住、他には屋根もあるし、ディスカウントショップ食品でも何の不満もないので。
 
 ここんとこ、カテゴリー「その他」が多かったので、今日はちょっと硬く。農民層分解について。いえ、今日の朝日新聞夕刊に「昭和時代、出稼ぎ農家が大変だった」、って特集をやってて。
 「出稼ぎ」って農閑期にお金を稼ぎに都会へいき、工場や工事で働いて家族に仕送りすることです。って説明なんかしてしまう。なんでそんな大変な、って。
 まあ私のようなサラリーマンの子が口を出すとなんなんで。一般論。
 
 農民層分解っていうのは、yahoo百科事典によると、
「こうした商品経済のなかに農民層が巻き込まれると、それぞれの農民の生産する商品の個別的価値と市場価値との間の格差(農民各自の条件の差)に基づいて、富裕化する農民と貧困化する農民とへの分解が生じる。」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%BE%B2%E6%B0%91%E5%B1%A4%E5%88%86%E8%A7%A3/

 農村の生活に商品経済が加わると、農民層が上下に分解する。その下となった部分が工場労働者となっていく、という過程です。
 現実がそうなんだから何も問題ではないのですが、じゃあ、どうしてそうなるんだ、ってことになると、金持が横暴を働いて弱いものをいじめ尽くす、という評論になってしまう。そうじゃないんですな。
 
 以前、このブログで、「金持だの貧乏だのというのは本当は存在せず、生理的最低限を満足したら、それ以上の事態はすべて社会的な規定なのだ」、といいました。
 商品経済社会の場合、この規定性は
 1 カネによって、他人が持っている明るい将来が、カネを手に入れることによって自分のものとなる認識が生まれる。
 2 カネは貸してくれる者がいる。
 3 第一次産業者にとって「借りる」とは消費物資を借りることであり、彼はそのようにカネを借りる。
 4 自然的(=飢饉)人為的(=経済政策)によって、カネが返せない状況が生まれる。消費物資であったなら、返すも返せないもない、ないんだからおしまい、だが、カネというものは、彼の占有物権すべてを巻き上げる。
 という過程を生じさせ、農民が破滅していきます。
 
 ここで2の過程が
 2ダッシュ、 国家が重税を納めさせるときに、これを貸したカネで払わせる。
 というものに換わることもあります。その他は一緒ですけどね。
   もっとも「ほかで使っちゃって税金を払うカネなんて残ってない」というのはありますが。
   
 これが農民層分解の歴史過程です。
 
 それは直接に権力者のいじめによるものではない。
 社会の常識的生活をしようと心がければ借金地獄に落ちていく、そういう過程です。
 権力者がいじめていないなんていってはいませんよ。いじめない権力者なんてありはしない。しかし、商品経済以前なら、ないものはない、だから払えないだけ。という社会事象だったのです。人間には飢え死にしないだけの消費物資があればそれですんだことだ。しかし、商品経済は「貧乏」を発生させる。カネがなければ将来がない、かのごとき幻影が生まれる。こうして農業生産力が増加したはずの人間は、子を売り、借金をし、破産する。
 ほんとに飢え死にする人もそりゃ多少はいるから話がごっちゃにはなりますけどね。
 しかも、私はサラリーマンの子だし(=あまり端的に分かりやすく言うのは失礼)。
 
 しかし、資本主義の初期から中期に引き続く農民層の分解では、「借金」が基本動力なのです。
 (あるいは重税で言えば、払う前にカネを使ってしまう事態。これを「使わざるをえない事態」と表現するのは当事者には「本当」ではある一方、文学的表現でもあるのです)
 すなわち、抽象的には、資本主義社会とは「労働(力)の前売り(=借金)が可能となる時代」に展開していくものなのです。
 売れるはずの将来の労働が実は売れないとなれば、そりゃ身を売って奴隷になるしかありませんね。
   みなさん、借金はやめましょうや。
コメント
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