こんばんは。
東京地方(地名、川崎市ですが。昔から何もお世話になってないし、、、まあ、ゴミと図書館は。)すごい雨で。
おかげさまで涼しくなって、ようやく頭が動きます。
ここんとこ、コーヒーブレイクが多く、私んとこのお客さんは半分以上コーヒーブレイクのお客さんとは思いますが、ホームページにありますように私はAB型なんで、そーゆー浮世離れが嫌いな志向も持ち合わせておりまして。
で、突然ですが、爛熟資本主義国家はどう変えうるか。
「どっちが浮世離れか」とゆう声も聞こえてきそうですが、そりゃ日本にいるからですよ。
第一に、もともと革命というものは、歴史的に、この人間史5千年の中で一般化できます。 それは自由を求めることが許されているという事実認知 (反抗の方法と、反抗後の消費物資の入手方法)を入手した一群の人間たちによる支配者および支配形態の変更です。
反抗というからには、その時点での支配階級との共同性のなさが必要であり、その後の消費物資の入手には、それが可能な階級、勃興する階級(階層)が必要となります。
反抗の事実認知は、その中で生ずる、ある意味、しょうがない出来ごと。
それゆえ、およそ革命というのは、そんな歴史的一時点の社会の現象形態であり、どこにでも生ずるものではありません。世界でも異常な、日本のような全体社会を通じた現在の共同性の高さは、飢えからの革命の発生機序を不足させるものです。
第二に、国家の要素は武力と生産関係です。武力は生産関係とは折り合いをつけることが必要で、それさえつけば武力発揮は必要がない。したがって対抗的な武力的革命は、生産関係上の要素が少なければ少ないほど、国家武力の反撃も受けず、新しい武力政権の確立も容易となります。武力の行使に、生産関係的要素がなければ、いくら観念的でもオッケー。単に小銃をぶっぱなせばいい。
フランス革命での国家武力は、集まった財産をどう処理するか、という問題しか抱えていなかった。従って、武力の当事者の交代以降は、シンプルに、法的規制を外すことしか要請されておらず、後は言いたい放題やりたい放題で、後代の制度修正を待てばよいものだったわけです。
一方、ロシア革命時の武力は、国家官僚機構の操作権しかもっていなかった。その結果できなければいけないと歴史に規定されている事項は、別に資本主義でも社会主義でもない。商品経済に統制されないある種の生産機構、というだけなわけです。
いったい資本主義とは、別に生産関係の歴史的必然を指すわけではありません。
さらに、社会主義とは、なんら、経済的な規定ではありません。
国家武力はそうした生産関係に対して、その時点での折り合いをつければよいのです
第三に、ただ、生産関係はどうでも、生産力というものはあります。生産力概念の本体は、その増大圧力です。増大しない生産力など生産力ではない。人は(自分の上を見た)今の消費状況を確保すべく行為します。この先はどうでもいいわけですね。せいぜいこの時代の最大消費者以上の消費を欲しがりはしません。
その中で、武力は、生産力を増大するように諸関係を組み立てる。
産業社会勃興期においては、武力は自己の武力権力を保全しつつ生産力を増大させます。
およそ資本主義者たちがソ連社会主義をけなすなど片腹痛いことで、1920年代ソ連が社会主義ではなく資本主義社会(=商品経済)であっても同様に農民・労働者は飢え、国家官僚の代わりに資本家がさらに王侯のような暮らしをしていたに過ぎません。一方では労働者は社会主義ソ連よりもっと悪い暮らしをしていたのに間違いなどない。
長くなってきました。まあ、ここんとこ内容薄かったし。
ちょっと時代は上がり、絶対王政における支配の変化とは、支配権力が商行為的な利害関係しか結んでいない経済勢力の勃興を敗北の基礎として、別の武力権力に敗れることでした。
同様に日本における江戸政権も、同様の体制を基礎に内部から敗れたという事態です。なんていうと自称マルクス主義者から文句が出るところです。しかし、ここで、破った主体が絶対主義なりの政権の内部にいたのかどうかなどということは、問題ではありません。いったい誰が武器を取って破ったからといって、歴史の意味が変わるなどというのは、史的唯物論を知らない人間の言です。
絶対王政が敗れた先は、資本主義しか残っていない、というこれが生産力の問題です。
生産力とは、何も弁証法的な神学世界の問題ではなく、それまで生きてきた人間の多くが同じように、あるいはそれ以上に生きていける、あるいは残った少数の人間が死なずに生きていける、という問題なのです。
資本家や商工業者は、王権の実入りがなくなった瞬間に別の実入りを開拓しなければなりません。そしてブルジョワ革命の一瞬とはそれが可能な歴史的時代なのです。
さて一方、帝政ロシアにおいては、奪取した支配権力は、使いうる少数の企業、少量の流通機構のみを操作する官僚機構を働かせればよかった。
もちろん、よいのは支配権力にとってのみです。
圧倒的人民は、労働力の集中化による支配意思の貫徹のため、少量の収奪の変化のみを糧として権力に使い回される。そしてその歴史における人民の量に対する少量の生産力とは、それ以外の現実の変化を意味しないのです。
野にある革命政権の支持者は、貧乏な人民について、政治局員の2割の厚みでもいい、風の通らないオーバーを娘に着せてやりたい。あるいは、息子をせめて中学校に通わせてやりたい。
しかし、生産力の収奪とは、そうした願いを打ち砕くものでしかありません。
それでも人間は、飢饉がこない限り生きていけるものです。そして飢饉が来て死ぬのは帝政時代でも変わりはしない。という以上の状況ではない。
うそだと思ったらアフリカでも散歩をしてみるとよろしい、私はしてませんが。生産の共同性のない自称国家とはそういうものだ、と川崎市図書館の所蔵図書には、みな書いてあります。
食べるものと家がある世界、それが不満のない最低限であり、ここから家がなくなった段階で、日本でもアフリカでも、救済対象が、やっと、眼前化するのです。
いかにも長いですね。ちょっと切ります。
東京地方(地名、川崎市ですが。昔から何もお世話になってないし、、、まあ、ゴミと図書館は。)すごい雨で。
おかげさまで涼しくなって、ようやく頭が動きます。
ここんとこ、コーヒーブレイクが多く、私んとこのお客さんは半分以上コーヒーブレイクのお客さんとは思いますが、ホームページにありますように私はAB型なんで、そーゆー浮世離れが嫌いな志向も持ち合わせておりまして。
で、突然ですが、爛熟資本主義国家はどう変えうるか。
「どっちが浮世離れか」とゆう声も聞こえてきそうですが、そりゃ日本にいるからですよ。
第一に、もともと革命というものは、歴史的に、この人間史5千年の中で一般化できます。 それは自由を求めることが許されているという事実認知 (反抗の方法と、反抗後の消費物資の入手方法)を入手した一群の人間たちによる支配者および支配形態の変更です。
反抗というからには、その時点での支配階級との共同性のなさが必要であり、その後の消費物資の入手には、それが可能な階級、勃興する階級(階層)が必要となります。
反抗の事実認知は、その中で生ずる、ある意味、しょうがない出来ごと。
それゆえ、およそ革命というのは、そんな歴史的一時点の社会の現象形態であり、どこにでも生ずるものではありません。世界でも異常な、日本のような全体社会を通じた現在の共同性の高さは、飢えからの革命の発生機序を不足させるものです。
第二に、国家の要素は武力と生産関係です。武力は生産関係とは折り合いをつけることが必要で、それさえつけば武力発揮は必要がない。したがって対抗的な武力的革命は、生産関係上の要素が少なければ少ないほど、国家武力の反撃も受けず、新しい武力政権の確立も容易となります。武力の行使に、生産関係的要素がなければ、いくら観念的でもオッケー。単に小銃をぶっぱなせばいい。
フランス革命での国家武力は、集まった財産をどう処理するか、という問題しか抱えていなかった。従って、武力の当事者の交代以降は、シンプルに、法的規制を外すことしか要請されておらず、後は言いたい放題やりたい放題で、後代の制度修正を待てばよいものだったわけです。
一方、ロシア革命時の武力は、国家官僚機構の操作権しかもっていなかった。その結果できなければいけないと歴史に規定されている事項は、別に資本主義でも社会主義でもない。商品経済に統制されないある種の生産機構、というだけなわけです。
いったい資本主義とは、別に生産関係の歴史的必然を指すわけではありません。
さらに、社会主義とは、なんら、経済的な規定ではありません。
国家武力はそうした生産関係に対して、その時点での折り合いをつければよいのです
第三に、ただ、生産関係はどうでも、生産力というものはあります。生産力概念の本体は、その増大圧力です。増大しない生産力など生産力ではない。人は(自分の上を見た)今の消費状況を確保すべく行為します。この先はどうでもいいわけですね。せいぜいこの時代の最大消費者以上の消費を欲しがりはしません。
その中で、武力は、生産力を増大するように諸関係を組み立てる。
産業社会勃興期においては、武力は自己の武力権力を保全しつつ生産力を増大させます。
およそ資本主義者たちがソ連社会主義をけなすなど片腹痛いことで、1920年代ソ連が社会主義ではなく資本主義社会(=商品経済)であっても同様に農民・労働者は飢え、国家官僚の代わりに資本家がさらに王侯のような暮らしをしていたに過ぎません。一方では労働者は社会主義ソ連よりもっと悪い暮らしをしていたのに間違いなどない。
長くなってきました。まあ、ここんとこ内容薄かったし。
ちょっと時代は上がり、絶対王政における支配の変化とは、支配権力が商行為的な利害関係しか結んでいない経済勢力の勃興を敗北の基礎として、別の武力権力に敗れることでした。
同様に日本における江戸政権も、同様の体制を基礎に内部から敗れたという事態です。なんていうと自称マルクス主義者から文句が出るところです。しかし、ここで、破った主体が絶対主義なりの政権の内部にいたのかどうかなどということは、問題ではありません。いったい誰が武器を取って破ったからといって、歴史の意味が変わるなどというのは、史的唯物論を知らない人間の言です。
絶対王政が敗れた先は、資本主義しか残っていない、というこれが生産力の問題です。
生産力とは、何も弁証法的な神学世界の問題ではなく、それまで生きてきた人間の多くが同じように、あるいはそれ以上に生きていける、あるいは残った少数の人間が死なずに生きていける、という問題なのです。
資本家や商工業者は、王権の実入りがなくなった瞬間に別の実入りを開拓しなければなりません。そしてブルジョワ革命の一瞬とはそれが可能な歴史的時代なのです。
さて一方、帝政ロシアにおいては、奪取した支配権力は、使いうる少数の企業、少量の流通機構のみを操作する官僚機構を働かせればよかった。
もちろん、よいのは支配権力にとってのみです。
圧倒的人民は、労働力の集中化による支配意思の貫徹のため、少量の収奪の変化のみを糧として権力に使い回される。そしてその歴史における人民の量に対する少量の生産力とは、それ以外の現実の変化を意味しないのです。
野にある革命政権の支持者は、貧乏な人民について、政治局員の2割の厚みでもいい、風の通らないオーバーを娘に着せてやりたい。あるいは、息子をせめて中学校に通わせてやりたい。
しかし、生産力の収奪とは、そうした願いを打ち砕くものでしかありません。
それでも人間は、飢饉がこない限り生きていけるものです。そして飢饉が来て死ぬのは帝政時代でも変わりはしない。という以上の状況ではない。
うそだと思ったらアフリカでも散歩をしてみるとよろしい、私はしてませんが。生産の共同性のない自称国家とはそういうものだ、と川崎市図書館の所蔵図書には、みな書いてあります。
食べるものと家がある世界、それが不満のない最低限であり、ここから家がなくなった段階で、日本でもアフリカでも、救済対象が、やっと、眼前化するのです。
いかにも長いですね。ちょっと切ります。