北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

女性社員の話題

2018-03-09 23:55:55 | Weblog

 

 知り合いの建設会社の社長さんが訪ねて来たので、最近の社内事情をいろいろと伺ってみました。

 すると、「つい最近、女性の技術社員が『辞めたい』と言ってきて困っているんですよ」とほとほと困り果てた様子。

「辞めたい原因ってあるのですか?」
「それがどうもあまりはっきりしないんです。ただ、周りも我々も、女性で一級建築士の資格も持っているものだから、彼女をキーウーマンにすれば、さらに女性が採用できるかな、という期待が強くって、そういうことが重荷だったのかなあ。なんだか疲れ果てちゃった、という印象だね」

 若い人たちを採用できたとしても、どうも彼らのモチベーションを維持することがとても難しいようです。

 先日も別な会社の方から、「若い人を採用して、土木施工管理技士の2級を取ってもらって、次は1級を取るように、と応援しているのですが、若い人たちが1級を取りたくないって言うんですよ」と言いました。

「ええ?どうしてですか?」
「それが、1級を取ると現場の責任者をやらされる、と。すると発注者からいろいろと呼び出されたり、何かあるとすぐに叱られるという場面を見過ぎているんです。だから多くの人たちが『1級を取っても楽しいことより辛いことの方が多そうだ』と思っているようなんです」

 いろいろな工事を通じて、モノができてゆく喜びもあるかと思いますが、その一方で、現場はこまごました資料を求められたり、何かあると叱られこそすれ、まず褒められることがない、という職場では、やはりモチベーションがわかないのかもしれません。

 最近は、発注者側も受注者側も、そういう喜びを共有できないところに問題がありそうです。


    ◆


 別な社長さんに、「受注した工事を施行して、高い得点で表彰を受けるために必要なことって何かありますか?」と訊いてみました。

 するとその社長さんは、「まあお金をかけるんだね」と笑います。

「お金と言いますと?」
「例えば昔は、現場のハウスに若い女性社員を雇って、整理整頓とか掃除とか、ちょっとした環境整備をしたものです。ところが最近はそういう経費もケチるから、現場事務所へ行っても男ばかりで、整理が悪かったり隅ずみが汚れていたりしますよ。現場監督でも経験を積んだ方は、そういう事務所の雰囲気をパッと見るだけで、『あ、もういいです』と、全体の品質レベルが推し量れるんです。そうして当然、高い点はもらえない、と」

「それが分かっていて対策はどうなります?」
「そこで、本社の女性社員にチームを組んでもらって、一日がかりで現場を巡回し、『なんでもいいからダメ出しをして書き出してちょうだい』と言って送り出すんです。すると事務の職員でも、女性目線で実にポイントを突いた指摘をしてくれるものですよ(笑)」

 必要な経費をかける余裕も、だんだんなくなってきている印象も受けます。

 また、皆さん疲れてきている、という印象も。

 もしかしたら人口減少のような、日本全体が上り調子から下り調子に向かっているような寂しさを感じてしまっているのでしょうか。

 せめて若者には、太陽が昇るような勢いで人生に立ち向かってほしいものですが。

 うつむいていないで、背筋を伸ばして前を向きましょう!

 

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クリーニングセミナーで、メンテナンス思想の変化を知る

2018-03-08 23:53:06 | Weblog

 

 札幌商工会議所では、会員企業が講師になる様々なセミナーを主催しています。

 そんな数あるセミナーの中から今日は、生活関連商業部会のクリーニング分科会が主催する「クリーニング出張講座」に参加しました。

 講義は四人の講師が「クリーニングの概要について」「クリーニング店の利用について」「実演:職人のアイロン掛け」「クリーニングメニューの付加価値・クレーム例について」と題して、クリーニングを各方面から分析して教えてくださいました。

 クリーニングと家庭での洗濯は何が違うのか、なんてあまり考えたことがありませんでしたが、クリーニング業の定義って、「溶剤または洗剤を利用して、衣類その他の繊維製品または皮革製品を原型のまま洗たくすることを営業とすること」というものなんだそう。

 クリーニング業でも水を使うことがありますが、両者の大きな違いはまず「水温」です。家庭ではせいぜい夏場でも30℃くらいですが、プロの業者さんでは40~70℃の温湯が使われます。
 
 そして二つ目の違いは、洗浄方法の違いです。家庭では一般に渦巻式なのに対してプロはドラム式でかつ容量もずっと大きいので洗浄力が勝ります。

 そしてドライクリーニングという、溶剤を使って汚れを衣類の繊維から引き剥がす洗濯方法では、水を使わないので繊維を傷めないのが特徴。

 特にウールなどの繊維は、水につけると繊維の表面がけば立ってしまい、繊維同士が絡んでしまうので、水洗いだと縮んでしまいます。

 それが溶剤だと、けば立つことがなく洗っても繊維に傷みが出にくいのが特徴。

 会場で、溶剤のサンプルを見せてもらいましたが、溶剤の中にトイレットペーパーを入れてあったのに、水じゃないのでトイレットペーパーが溶けないというのは印象的でした。


    ◆


 私も単身赴任時代は、家で洗濯とアイロンまでかけて過ごしましたが、プロに言わせると、「家庭の洗濯では皮脂汚れが取り切れないので、二回か三回に一度はクリーニングに出すと良いのですが」とのこと。

 スーツなど、季節が変わって衣替えでタンスの奥にしまうときには、通常のドライクリーニングだけではなく、お値段は高くなりますが、ドライと水洗いの両方を行う、ダブルクリーニングで依頼すると溶剤では取れない水溶性の汚れも取れてよりきれいになるそうですよ。

 三番目の講師は、全国ワイシャツ仕上げ競技大会で大会会長賞を受賞した本間利吉さんで、プロのアイロン掛けの技をじっくりと見せていただきました。

 

 今はお店のアイロンも機械プレスが多くなり、6kgもあるような電気アイロンを使ってワイシャツにアイロンをかける職人は極めて少なくなっているそうですが、その代表的な存在が本間さん。

 一枚のアイロンを5分ほどでピシッとかけますが、コツは「常にアイロンを掛ける方向に生地を引っ張りながら作業すると皺が伸びますよ」とのこと。

 かけ方は、袖口→袖→襟→背中→前身頃という順番ですが、畳むところまでが滑らかな手つきで見惚れました。

 
 講師の話の中で、「最近は、皆さんの可処分所得の中でクリーニングに使われる費用の割合が減少傾向にあります」という発言がありました。

 季節代わりの時でも、クリーニングをして仕舞うのではなく、季節が終わったらそのままで次のシーズンに切る直前にクリーニングをするという人も増えたとか。

 理解しにくいところもありますが、それだけお金のかかる時期を後ろ回しにしたがったり、そもそもクリーニングをあまり利用しない人が増えています。

 その背景には、高価なブランド服を着て、それをクリーニングして大事に着続けるというライフスタイルが消えかけていることが感じられるのだと。

 服やシャツが安くなり、お金と手間をかけて大事に着続けるよりも、不衛生ではない程度に着まわして、汚れたら買い換えるという事が多くなっていると感じます。

 モノを大切にしない文化がまん延し、トータルコスパがかからないような暮らし方が支持を得ているようで、そういう考え方は、高いお金をかけた施設をメンテナンスして長く使うというインフラの管理の在り方にも影を差しているように思えました。

 日本人のメンテナンスに対する思想や信仰にも変化が表れているようで、これも時代の流れと言えるのでしょうか。

 クリーニングを通じてメンテナンスに思いの及んだ示唆に富むセミナーで、非常に面白い時間でした。
 

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榛村元市長さんの急逝

2018-03-07 21:47:56 | Weblog

 

 掛川市の国土交通省からの八代目の助役として私を呼び寄せてくださった、榛村純一元市長さんの訃報に接しました。

 掛川からは、何人もの知人からメールやら電話でこの悲しい出来事を知らせてくれました。

 榛村さんには平成14年から16年の三年間を、市長と助役という関係で過ごさせてもらい、ずいぶんたくさんのことを教えられました。

 スローライフ運動や市町村合併などのお手伝いをさせてもらったことが、印象深く思い出されます。

 それになんといっても、掛川の生涯学習の真髄に触れることができて、自分自身の考え方や思想はそれに大きく影響され、口幅ったく言えば、人生が変わりました。

 掛川で始めたブログは今に繋がっていて、三年目の最後にそれをまとめて『掛川奮闘記』という本にしたときは、巻末に一文を添えてくださいました。

 自分のために榛村さんが寄せてくださった文章は宝物です。


 最後にお会いしたのは、昨年の11月8日のこと。

 現代アートとは何か、という話題になった時に、「現代アートを軽んじたり馬鹿にしない方がいいと思うよ」とおっしゃいました。

「それはどういうことでしょう?」と尋ねると、「歴史上の現代アートで言うと、織田信長が作った安土城は当時の現代アートだよ。それまであんなデザインの城はなかったのだから。そこから始まった日本の城郭建築は今になってみると日本の代表的な歴史遺産になっているでしょう。今日の現代アートからも何かが生まれる可能性は十分にあるんだよ」とおっしゃいました。

 何にも深い興味と関心を持たれて、新しい物事の吸収に貪欲だった榛村さん。

 独特の解釈と切り口はいつも新鮮でした。

 なんだか頭が整理されません。

 心からご冥福をお祈りします。お世話になりました。

 

 

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予算のスタートは最低ライン

2018-03-06 22:30:05 | Weblog

 

 昨日の私のブログ「道路が傷んでいることに気が付く人が増えてきた」を読んだ、ある事情通の友人が連絡をくれました。

「ブログを見たけど、本当に僕も最近の道路が悪いと思っていましたよ」
「でしょう?どうしたら良いと思いますか?」

「やっぱり予算を投入して修繕しないといけないとは思いますよね。半年くらい前に本州の東北、北陸地域をドライブしたけれど、北海道よりもずっと舗装の状態が良いと思いました。つまりはそれだけ傷んだと思ったらすぐに修繕していると感じたもの」
「僕も、必要な予算をちゃんと投入しないと、今大丈夫でもどんどん傷んでいくところが増えるだけだと思いますよ」

「ただ多分道路管理者の側にお金がないんだと思いますよ」
「昔はあったのに、減らされたのが戻っていませんから」

 そういうと、友人は「大きく減らされる方向に舵を切られたときがあったからね」と言います。

「それってどういうことですか?」
「ある年に、財務省から『予算って余ったら返しますか?』と訊かれたことがありました。ふつうはもっとやりたいことがあるので、他に回してしまって、予算は返しませんよね。そうしたら財務側が、『それならば、一番予算がかからなかった時を基準にしよう』と言い出して、予算が大きく削られたんです」

「へえ」
「そして、道路の維持予算や除雪もそうなんだけど、当初予算で足りなければ、補正や災害復旧費で必要な額は出す、という形になったんです。だからどこも、余裕をもって早めに対応するという事がしにくくなりました」


 一見必要な額があれば、用は足りると思われがちですが、そもそも今の最低ラインでは不足しているというのが実情。

 本来必要な額を投入しないから、物理的にどんどん道路は傷んでゆきます。

 しかも地方部の業者さんでは、アスファルトプラントなども赤字基調なので、今の現状を維持することも難しくなってゆく。つまり、サステイナブル(=持続可能)な状態ではないという事です。

 例えると、こういうこと。

 お腹が空いたら、我慢できるくらいの食べ物をあげる。ただしその食べ物の量は体を維持するためには少なすぎるので、だんだん痩せてくる。

 さて、飢えて死なないためにはどうするか。やっぱり必要なものは必要だ、と声を上げるしかないのでしょうね。

 上げた声はどこかに届くのかな。
 
 

 

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道路が傷んでいることに気が付く人が増えてきた

2018-03-05 23:22:50 | Weblog
 
 知人からメッセンジャーで、道路の傷みを嘆く連絡がありました。
 
 曰く、「由仁町のユンニの湯という温泉まで行ったのですが、国道337号線の舗装が、走行に耐えないと思いました」とのこと。
 
「そうですか、一体どんな感じでしたか?」
「路肩近くが穴ぼこだらけで、事故が心配ですし、事故にならないとしても『パンクしてください』と言わんばかりのひどさでしたよ」
 
「それはひどいですね」
「北海道の場合、春先はどうしても道路に穴が開くことが多いのかもしれませんが、それにしても今まで見たことのないような酷さでした。小松さん、なんとかしてくださいよ」
 
「いやあ、私の力では微力なので、そういう問題意識は、ぜひ道路管理者に直接伝えてあげてください」
「えー、いいんでしょうか」
 
「それが一番です。ただ周りにぶつぶつ不平を言うよりも、道路利用者の困りごとを直接伝えてくれる方がありがたいと思います。役人の皆さんがよく言うセリフは、『そういう声を聴いたことがないんですよね』というものです。こちらが以心伝心を信じて、何も言わずにいるという事は、『不満はないモノ』と扱われるという事ですからね」
「なるほど、じゃあちょっとメールをしてみます」

 さて、知人は実際にメールをしてくれたでしょうか。聞こえない声は、発せられないのと同じです。
 
 先日私も、国道230号線の石山通りを走っていて、穴ぼこが多く、かつ深いことに驚いて思わず写真を撮りました。
    【これはひどい!】
 
  【穴ぼこだらけじゃないですか】
 
 これも黙っていてはいけないのでしょうけれど、さすがに気が引けていました。
 
 多くの方が、道路の傷みに関心を持ってくださって、『これは直してくれないと困るね』という声が澎湃(ほうはい)として湧き上がることが大事です。
 
 どうぞ今走っている道路の状態に関心を持って、管理者に『直してほしい』という地道な要望を上げてください。
 
 それが力になるのです。
 
 
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雪国の楽しみ

2018-03-04 23:39:01 | Weblog

 

 札幌の今日の最高気温はプラスの8℃。

 南からの暖かい空気が入って、この時期としては異常な暖かさです。

 この時期に気温が高くなると、凍って固まっている道路上の雪が緩んで、車のタイヤがぬかるんでしまいます。

 氷が融けて緩んだところを削っておけば良いのですが、広範囲で雪も重くなるのでなかなかきつい作業。

 同時に雪融け水が道路に溜まるので、道路の排水溝を探り当てて水を排水するようにします。これが雪割とか氷割と言われる作業。

 今の一時的な高温でも雪は融けますが、どうせすぐに気温が下がり、雪が降って道路は再び凍ります。

 それが分かっていながら、この時期に融雪水が増えると氷を割りたくなるのは、春が待ち遠しいからにほかなりません。

 融けた水が流れる様子を、ただぼんやりと眺めているだけですが、これが結構幸せな時間なのです。

 少しでも早く春が来るようにと待ち焦がれる、雪国の住人のちょっとワクワクするひとときです。

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雛人形に見守られて

2018-03-03 22:07:17 | Weblog

 

 今日3月3日は桃の節句。

 我が家は娘二人ですが、一人は結婚し、もう一人は東京で一人暮らし中。

 家にはもう女の子はいないのですが、親が孫のためにと買ってくれた雛人形があるので、妻は「飾っておかなくちゃ」と、鬼行さんを出してきました。

 昨年までは今から離れた和室に飾っていたのですが、「普段人のいないところに飾るのもかわいそう」と今年はリビングの一角に飾りました。

 今日は近くに住む長女が男の子の孫二人を連れて我が家を訪ねてきました。

 寄るとさわると兄弟げんかをしている孫二人ですが、まあ仲のよい証拠。

 今は母になった長女を見守ってくれています。
 

 

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ネットは敵にも味方にもなれる

2018-03-02 21:28:56 | Weblog

 

 先日、道路管理の担当者と話をする機会があったのですが、「最近は、道路管理も大変なんです」と言っていました。
 
「まあとにかく大変なんでしょうが、特に最近の大変な話題は何ですか?」と訊くと、「先日福井県の国道8号線が大雪のために大渋滞が発生しました。
 
また時期を同じくして、首都高でも長時間の通行止めが発生しました。どちらも何台もの車が"立ち往生"をして、その解消に時間がかかりました。そのため、国土交通本省がこの"立ち往生"という単語にとても過敏になっているんです」と言います。
 
 2、3日前のことなので「もうすぐまた低気圧が来て北海道の天気があれそうですね」と言うと、「そうなんです。だからとても心配しています」とのこと。
 
「しかもですよ」
「しかも?なんですか?」
 
「最近は、ツイッター動画などのSNSで、現場にいる人が様々な事故やトラブルの状況をリアルタイムでネットにアップできるようになりました。そのため、道路管理者がまだ状況を把握する前に、リアルな状況を多く人たちがネットで知るという事になります」
「なるほど」
 
「なので、『事故があった』と通報をされて、道路管理者が現地について状況を把握する前に、『どうなっているんだ?』と問い合わせが来るようなこともあって、みんなピリピリしているんです」
 
 ネットで事象だけが飛び交うというのは、良いこともありますが、ネガティブな側面のあるのです。
 
「それは大変ですね。なにか対応策はあるんですか?」
「ええ、こうなると情報戦のような感じで、こちらもそれに負けないように、"今何が分かっていて、どう対応しようとしているか"という情報を流すことが求められます」
 
「なるほど、情報には情報で、というわけですか」
「はい、現状のうち分かったことも、それへの対応策を流すことで、我々の限界や苦労を知ってもらう事で、ピンチをチャンスに変えられると良いのですが」

 世の中は情報戦です。自分たちにネガティブな情報を浴びせられて、受け身に回るようであれば、こちらからの情報をどんどん提供して、こちら側への共感と信頼を得るしかありません。
 
 現代社会は、やるべき仕事を地道に静かに淡々とこなしているだけではダメで、より多くの第三者の共感と理解を得ることも大事な要素のようです。
 
 こちら側もネットを味方につけましょう。
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何かを諦めること

2018-03-01 22:22:28 | Weblog
 テレビ番組の中に、レンタルCD屋さんが出てくるシーンがあったのですが、それを見て、最近はレンタルCD屋さんに行っていないなあ、と思いました。
 そこで、もう好きな曲を集めてそれをパソコンやスマホに入れて聞き流す、というライフスタイルが自分の中にはないと気が付いたのです。
 
 その理由を考えると、自分自身のライフスタイルの中で何に時間を使うべきかを考えた時に、もうレンタルCDで得られる音楽を聴くことに魅力を感じていないという事でした。
 
 残りの人生の限られた時間の中では、過ごす趣味の時間も選ばなければいけません。
 
 それに、若い時には、いつか使うかもしれないからと、取っておいた本や書類や資料も、改めてよく見ると、もう使うことはなことに気が付きます。
 「断捨離」という、物事への執着を捨てることで身軽になろう、という生き方が提唱されていますが、「断捨離」は決して念仏ではなく、実践してナンボという、実践の徳目だということもよくわかります。
 
 具体的な行動こそが、心の平穏のために必要なのです。

    ◆

 仏教用語に「諦観」という言葉があります。これは普通に読めば、「ていかん」と読んで「あきらめる」という意味ですが、仏教用語では「たいかん」と読んで、元来は「あきらかにみる」という意味だったそうです。
 
 あきらかにみる→あきらめる→諦める、という変化なのだそう。
 
 そしてこの「あきらかにみる」べきものは、「因果の道理」であり、「因果の道理をあきらかにみよ」という事なんだそう。
 
 心に平穏が得られないとすれば、その原因をあきらかに見て、現実を受け入れ、対策を立ててそれを実行するまでが「諦観」の真の意味するところ。
 
 これはまさに「報徳思想」で言う「因果応報」であり、実は生涯を通じて学ばねばならないという、「生涯学習」に通底する考え方と言えるでしょう。
 
 自分の残りの人生とライフスタイルを生涯学習すれば、大事なものとそうでないものが次第に区別されるようになってきます。
 
 さて、なにを諦めればよいのかな。 
 
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