北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

何かを諦めること

2018-03-01 22:22:28 | Weblog
 テレビ番組の中に、レンタルCD屋さんが出てくるシーンがあったのですが、それを見て、最近はレンタルCD屋さんに行っていないなあ、と思いました。
 そこで、もう好きな曲を集めてそれをパソコンやスマホに入れて聞き流す、というライフスタイルが自分の中にはないと気が付いたのです。
 
 その理由を考えると、自分自身のライフスタイルの中で何に時間を使うべきかを考えた時に、もうレンタルCDで得られる音楽を聴くことに魅力を感じていないという事でした。
 
 残りの人生の限られた時間の中では、過ごす趣味の時間も選ばなければいけません。
 
 それに、若い時には、いつか使うかもしれないからと、取っておいた本や書類や資料も、改めてよく見ると、もう使うことはなことに気が付きます。
 「断捨離」という、物事への執着を捨てることで身軽になろう、という生き方が提唱されていますが、「断捨離」は決して念仏ではなく、実践してナンボという、実践の徳目だということもよくわかります。
 
 具体的な行動こそが、心の平穏のために必要なのです。

    ◆

 仏教用語に「諦観」という言葉があります。これは普通に読めば、「ていかん」と読んで「あきらめる」という意味ですが、仏教用語では「たいかん」と読んで、元来は「あきらかにみる」という意味だったそうです。
 
 あきらかにみる→あきらめる→諦める、という変化なのだそう。
 
 そしてこの「あきらかにみる」べきものは、「因果の道理」であり、「因果の道理をあきらかにみよ」という事なんだそう。
 
 心に平穏が得られないとすれば、その原因をあきらかに見て、現実を受け入れ、対策を立ててそれを実行するまでが「諦観」の真の意味するところ。
 
 これはまさに「報徳思想」で言う「因果応報」であり、実は生涯を通じて学ばねばならないという、「生涯学習」に通底する考え方と言えるでしょう。
 
 自分の残りの人生とライフスタイルを生涯学習すれば、大事なものとそうでないものが次第に区別されるようになってきます。
 
 さて、なにを諦めればよいのかな。 
 
コメント
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