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「田中氏道中記」を読む 1


庭のネジバナ

今日から読む古文書は、題名は「田中卿道中記」としたが、まだ中を読んでいないので、「田中郷道中記」かもしれないし、今の所、よく分からないというのが実際である。読み進むうちに題名を改めなければならなくなるかもしれない。

どうやら北海道の松前からの道中記のようだ。田中卿といえば、明治の初めに活躍した政治家で、文部行政家の田中不二麿が思い出されるが、田中不二麿が北海道に行くいわれは今の所、見つからない。読み進める内に何か判って来るだろう。

(最後まで読んでみて、「田中卿」でも「田中郷」でもなく、「田中氏」だと判断した。以下出来るだけ「田中氏」に修正する。7月25日記。)

「田中氏道中記」を読み始めよう。

       田中氏道中記
           松前出立道中記、左の通り

  五月二日、泊宿、多分の雨後に晴れ
      福島
松前より吉岡村まで三里。この間、峠有り。

上り下り一里、峠下(した)に小村あり。この処より海
岸通りにて道よし。同村、家数八拾軒
の由、当分の村居にてこれ有り候。福島
※ 当分(とうぶん)➜ さしあたりのところ。

家数百五拾軒。この日、松前宿を
致す。昨夜まで雨降り候えども晴れる。松前町

※ 出足(しゅっそく)➜ 出発。
外れまで、北条はじめ御用達(ごようたし)のものども
見立(みた)
※ 見立(みたつ)➜ 見送る。

  三日昼食、晴
      一
福島より一の渡まで四里十八丁。一っ家にて

当分なり。昼食賄(まかな)い出る。この間、小川数多(あまた)にて
※ 当分(とうぶん)➜ 時分。昼食の頃合い。
歩行(かち)渡り故、馬なしのものは難義いた
し候。山道高低にて、雨天なれば余程の
難処(なんしょ)なり。この日、天気にて宜(よろ)しく、左右
立原(こだちはら)にて、熊多く居るよし。
一の渡より四里余り、この間、川あり。馬上にて越す。
知内(しりうち)峠まで一里余、左は木道、右は
山道なり。道はよし。ホウナウトは沢山。知内
村、家数五拾軒位在る躰(てい)なり。
※ ホウナウト ➜ とは何か、不明。

(つづく)

読書:「一周忌 新・知らぬが半兵衛手控帖 12」 藤井邦夫 著

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