ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権57~組合・団体・社団の社会的権力

2013-08-18 08:34:01 | 人権
●社会的権力~組合・団体・社団的な権力

 社会的な権力には、氏族・部族における権力以外に、組合・団体・社団等の集団における権力がある。家族・氏族・部族は、生命を共有する集団である。集団の維持・存続・繁栄のために、ならわしや掟、法があり、成員はそれに従って生活する。そこでは通常、権利は協同的に行使される。これに比し、組合・団体・社団は、一定の目的のもとに人々が結成した契約集団である。
 組合は、主に商工業者の相互扶助の職業的な結合による集団である。団体は、共同の目的を達成するために結合した集団である。社団は団体のうち構成員を超越した独立の存在を有するものである。組合では構成員個人の色彩が強く現れるのに対し、社団では団体が単一体として現れ、構成員個人は重要性を持たない。組合・団体・社団は法人格を得て、集団としての法的な権利を所有・行使することができる。
 これらの集団では、結成の目的のもとに、規約・規則が作られ、成員にはこれを順守する義務がある。その義務を果たす限りで成員には、成員としての権利が与えられる。成員は、集団の目的のために行動するから、通常、その権利は協同的に行使される。成員の意思の合成によって生み出される権力もまた基本的に共同性を持つ。集団の合力だからである。
 組合・団体・社団における代表を、ここでは首長と呼ぶ。集団の権利は主に首長に集中し、首長はその権利を実現するための権威を伴う強制力を持つ。それが、首長の権力として表象される。その権力の実態は、集団の合力であり、首長はこれを象徴的に体現し、代表的に行使する。
 権力が協同的に行使されている場合、組合・団体・社団は共同性を強め、家族的な集団と成員に感じられる。逆に権力が闘争的に行使される集団では、組合・団体・社団は闘争性を強め、支配―被支配的な集団と感じられる。
 社会的権力は家族的権力を基盤とする。家族的権力は主に家長に集中する。氏族的・部族的権力は主に族長に集中する。族長は氏族・部族において、家族における家長に比すべき存在である。組合・団体・社団においても、首長は家族における家長に比すべきものとして、「親方」と呼ばれることがある。親方的な指導者は、集団において、親の保護・支援・指導・教育に似た能力を期待される。
 組合・団体・社団の首長は、組織の秩序を守り、組織を維持・発展させるために、権力を行使しなければならない。首長が権力を公的目的のために使用するか、私的目的のために使用するか。公的利益のためか私的利益のためか。その行使の仕方が重要である。私的に偏した場合、成員の反発を生み、権力をめぐる闘争が起こる。それによって首長の交代や有力な家族集団の交代に至ることがある。
 首長が成員の信頼と支持を保てなくなった場合だけでなく、首長が年を取り能力が衰えた場合、死亡した場合、集団で決めた交代の時期が来た場合等において、首長は交代する。これは権力の移動と継承である。首長が後任者を指名する場合、集団の規約・規則に基づいて選挙が行われる場合、首長の座をめぐる争いが起こり勝者がその座に就く場合等がある。首長の座をめぐる意思のぶつかり合いが、実力行使の闘争に発展し、首長の交代という事態を超えて、集団の分裂や再編成に至ることがある。
 組合・団体・社団は、対外的に集団としての権利を確保・獲得・行使するために、実力を組織し、一定の領域を統治するようになることがある。この時、組合・団体・社団は、一個の政治団体と化し、政治的権力を持つようになる。社会的権力が同時に政治的権力となる。政治的権力については、別の項目に書く。
 さて、組合・団体・社団との関係で触れなければならないものに、資本がある。近代西欧では資本主義が発達した。それによって、社会関係が血縁的・生命的な共同性を失い、経済的利益の追求を主とする社会関係に変わった。経済的な権利を拡大する活動が、社会生活の日常となった。生産力が発達し、生活が豊かになるにつれて、人々の権利意識が発達し、個人及び集団の権利の拡大が追求されてきた。
 ここに新たな社会的権力として、資本が登場した。資本は、家族と国家の間に形成された社会経済的な組織である。そして、一個の集団としての権力を持つ。資本は近代社会における特殊な社会的権力である。資本は、資本家と労働者の契約によって形成された組織であり、商品を生産・交換して利潤を生むことを目的とする。「資本の論理」は利潤追求の論理であり、経済的合理主義に貫かれている。これに対し、国家は歴史的・文化的な共同体をもとに形成された組織であり、領域と人民を統治し、国民共同体を維持・発展させることを目的とする。「資本の論理」と「国家の論理」は異なっており、それぞれの目的に向かって活動する。資本の社会的権力と政府の国家的権力は、共通の利益を追求する協同的な関係になることも、利害の対立する闘争的な関係になることもあり得る。
 富を集めるため、政府は実力の裏付けのもとに国民に対して徴税と使役を行い、資本は資本家と労働者の権力関係を基盤として合理的に利潤を追求する。資本の社会的権力を最終的に保障するものは政府だが、政府の国家的権力を経済的に支えるものが資本であるという関係にある。資本については、後の章で国家、国民、市民革命、国民国家等に関して書いたのちに改めて書く。

 次回に続く。