昨20日の朝から、昭和天皇のご発言のメモとされるものが報道されている。元は日経の記事だ。
――――――――――――――――――――――――――――――
●日本経済新聞(平成18年7月20日号朝刊)
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての価値も高い。
靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が裏付けられた。
富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。日記は同庁次長時代も含む75-86年まで各一冊、手帳は86-97年の二十数冊が残されていた。靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇はまず、「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文まま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。「松岡」、「白取」はA級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使。「筑波」は66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。
さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と述べている。「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳・靖国神社宮司(同)を指すとみられる。
天皇が参拝しなくなった理由についてはこれまで、「A級戦犯合祀が原因」「三木首相の参拝が『公人か私人か』を巡り政治問題化したため自粛した」との二つの見方があった。現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝していない。(略)
――――――――――――――――――――――――――――――
日経が靖国神社がらみでスクープとは、いわくがありそうである。
この記事は、富田氏のメモは昭和天皇のご発言を伝えるものという前提で書いている。また、メモの内容は、昭和天皇がいわゆるA級戦犯を靖国神社に合祀したことに「強い不快感」を示したものとし、昭和天皇が靖国神社にご親拝されなくなったことにつき、「A級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が「裏付けられた」と決め付けている。
他のメディアの多くは、日経の論調を受けた報じ方をしている。既にそれに疑義を唱える有識者やネット利用者がいろいろな意見を書いているが、このメモをどう扱い、どう理解するかは、慎重に検討すべき事柄である。
メディアは、事実を報道するだけでなく、事実を構成し、一定の解釈を流す能力を持っている。それによって世論を操作し、政界を動かし、政治を方向付けることが可能であるのが、新聞でありテレビである。
今回のメモの公表は、いかにもこの時期にというタイミングである。任期終了間近の小泉首相が最後に8月15日に靖国神社に参拝するかどうかが関心を高めている。また、次の自民党総裁は靖国参拝をする人物となるかどうかが注目を集めている。こういう時期に、わが国はある。
国内では、自民党の内部には、いわゆるA級戦犯分祀論、国立追悼施設の建設論、千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論などの意見がある。宗教界では、東郷神社宮司の分祀受け入れ発言が論議を呼んでいる。財界では、首相の靖国参拝に反対する意見と、賛成する意見とが分かれている。
国外では、中国が首相の靖国参拝を強く批判し、8・15参拝や次期首相の選出をけん制している。中国共産党政権に従順な政治家や財界人が優勢になれば、中国は外交上、多くの利益を得る。それは、今後起こりうる台湾侵攻、尖閣諸島占領に有利な情勢を作り出す。
こうした状況において、首相の靖国参拝に反対する勢力は、今回のメモを利用して主導権を握ろうとするだろう。まずメモをよく検証し、天皇のご発言として政治利用されることを許さないことが必要だと思う。
私見は次回書きたい。
――――――――――――――――――――――――――――――
●日本経済新聞(平成18年7月20日号朝刊)
昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日経新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての価値も高い。
靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が裏付けられた。
富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。日記は同庁次長時代も含む75-86年まで各一冊、手帳は86-97年の二十数冊が残されていた。靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇はまず、「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文まま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。「松岡」、「白取」はA級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使。「筑波」は66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。
さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と述べている。「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳・靖国神社宮司(同)を指すとみられる。
天皇が参拝しなくなった理由についてはこれまで、「A級戦犯合祀が原因」「三木首相の参拝が『公人か私人か』を巡り政治問題化したため自粛した」との二つの見方があった。現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝していない。(略)
――――――――――――――――――――――――――――――
日経が靖国神社がらみでスクープとは、いわくがありそうである。
この記事は、富田氏のメモは昭和天皇のご発言を伝えるものという前提で書いている。また、メモの内容は、昭和天皇がいわゆるA級戦犯を靖国神社に合祀したことに「強い不快感」を示したものとし、昭和天皇が靖国神社にご親拝されなくなったことにつき、「A級戦犯合祀が原因ではないか」との見方が「裏付けられた」と決め付けている。
他のメディアの多くは、日経の論調を受けた報じ方をしている。既にそれに疑義を唱える有識者やネット利用者がいろいろな意見を書いているが、このメモをどう扱い、どう理解するかは、慎重に検討すべき事柄である。
メディアは、事実を報道するだけでなく、事実を構成し、一定の解釈を流す能力を持っている。それによって世論を操作し、政界を動かし、政治を方向付けることが可能であるのが、新聞でありテレビである。
今回のメモの公表は、いかにもこの時期にというタイミングである。任期終了間近の小泉首相が最後に8月15日に靖国神社に参拝するかどうかが関心を高めている。また、次の自民党総裁は靖国参拝をする人物となるかどうかが注目を集めている。こういう時期に、わが国はある。
国内では、自民党の内部には、いわゆるA級戦犯分祀論、国立追悼施設の建設論、千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論などの意見がある。宗教界では、東郷神社宮司の分祀受け入れ発言が論議を呼んでいる。財界では、首相の靖国参拝に反対する意見と、賛成する意見とが分かれている。
国外では、中国が首相の靖国参拝を強く批判し、8・15参拝や次期首相の選出をけん制している。中国共産党政権に従順な政治家や財界人が優勢になれば、中国は外交上、多くの利益を得る。それは、今後起こりうる台湾侵攻、尖閣諸島占領に有利な情勢を作り出す。
こうした状況において、首相の靖国参拝に反対する勢力は、今回のメモを利用して主導権を握ろうとするだろう。まずメモをよく検証し、天皇のご発言として政治利用されることを許さないことが必要だと思う。
私見は次回書きたい。