ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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キリスト教208~ロシア及びCISにおける宗教

2019-06-06 12:18:11 | 心と宗教
●ロシア及びCISにおける宗教問題

 アメリカとソ連の対立は、ハンチントンの文明学的な分類によれば、西洋文明と東方正教文明の中核国家の対立だった。これらの文明はキリスト教の諸文明の中で、それぞれ西方キリスト教のカトリック・プロテスタントと東方キリスト教のロシア正教を中核とする点が異なる。又、より厳密に言えば、ソ連は西洋文明の生み出した共産主義によって、東方正教文明とイスラーム文明を包括・支配する国家だった。ソ連解体後は、ロシアが東方正教文明の中核国家となっている。
ロシア正教会は、ロシアにおいて、国教とは位置づけられていないが、政府から宗教団体としては別格の扱いを受けている。ただし、ロシア連邦は多民族国家であり、政府は正教会以の宗教宗派にも一定の配慮も示している。
 ロシアの宗教人口は、2014年のロシア国家統計局の報告によると、ロシア正教75~80%、プロテスタント 7~10%、カトリック1.3%とされ、他にイスラーム教10~14%、仏教 1%等である。キリスト教徒との関係で重要なのは、2000万人規模のイスラーム教徒の存在である。
 帝政ロシアには多くのイスラーム教徒が住んでいた。主な定住地は中央アジア、ボルガ川沿岸、カフカス山地、クリミア地方だった。旧ソ連は、帝政ロシアの領土と人民を引き継いだ。ソ連は人口の5割をロシア民族が占めた。スターリンによって、ロシア民族による少数民族への支配・搾取が行われた。その主たる対象は、イスラーム教を信奉する諸民族だった。ソ連では、イスラーム教はロシア正教に次ぐ信徒数を有していた。ソ連は、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インドに次ぐ世界第5位のイスラーム人口を抱えていた。
 スターリンはイスラーム教徒を分断する政策を行った。イスラーム教を信奉する民族が団結して反攻するのを防ぐためである。1924年(大正13年)から36年(昭和11年)にかけて、イスラーム教徒の遊牧民の多い中央アジアに、強引に5つの共和国をつくってムスリムを分割した。それらの共和国はソ連を構成する共和国となった。現在のカザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンである。このスターリンの政策が、今日のロシアとイスラーム教諸国との摩擦のもとになっている。今日、旧ソ連諸国では、各地で民族紛争が起こっているが、その多くは、スターリンによる民族の集団移住や分割政策に原因がある。
 また、ロシアは、チェチェン問題を抱えている。ロシアは、地域または民族によって区分された連邦構成主体からなる連邦制を採っている。その構成主体の一つが、チェチェン共和国である。チェチェン人のほとんどはイスラーム教スンナ派であり、チェチェンはイスラーム文明に属する。チェチェン人は、スターリンからナチス・ドイツに協力したと決めつけられ、民族ごと強制移住させられたという苦難の経験を持つ。
 1991年(平成3年)11月、チェチェン独立派が、崩壊寸前のソ連からの独立を宣言し、以後独立運動が続けられている。ロシアは94年にチェチェンに武力侵攻を行い、二次にわたる紛争が起こった。チェチェンは石油、天然ガス、鉄鉱石などの地下資源が豊富であり、ロシアは独立を認めようとしない。ロシアは無差別かつ大規模な民間人への攻撃を行い、チェチェン人口の約10分の1が死亡し、5万人のチェチェン人が国外で難民となっている。チェチェン人であるムスリム過激派はモスクワ等で無差別テロを行い、関係は泥沼化している。ロシアにとって、チェチェン人への対処は、独立国家共同体(CIS)に加盟するイスラーム系諸国との関係に影響する。そのため、プーチン大統領は武力でチェチェン人の独立を防ぎ、他に波及しないように画策している。
 CISの現在の加盟国11のうち、イスラーム教徒が人口比率で最も多い国が、6カ国ある。カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンである。一方、キリスト教徒が多い国は、ロシア、ベラルーシ、アルメニア、モルドヴァ、ウクライナの5か国である。今後、ウクライナが脱退すると、6カ国対4カ国になる。
 ロシア以外でキリスト教徒が多い国の宗教事情を見ると、ベラルーシは、日本外務省の資料によると、ロシア正教84%、カトリック7%、無宗教6%等である。アルメニアは、人口の大部分を非カルケドン派のひとつであるアルメニア教会の信者が占める。モルドヴァモルドヴァは、ルーマニア正教会と、ロシア正教会系のモルドヴァ正教会が並存している。ウクライナは、ザ・ワールド・ファクトブックの2006年度のデータによると、ウクライナ正教会・キエフ総主教庁系50.4%、ウクライナ正教会・モスクワ総主教庁系26.1%、ウクライナ東方カトリック教会8%、ウクライナ独立正教会7.2%、東方典礼カトリック教会2.2%、プロテスタント2.2%等である。なお、CISを脱退したジョージアは、ジョージア正教会が75%、イスラーム教徒が11%である。ムスリムはほとんどがスンナ派である。
 また、イスラーム教徒が多い国のうち、比較的キリスト教徒が多いのは、次の国である。カザフスタンは、2009年の国勢調査によるとロシア正教が26.3%、ウズベキスタンは、2009年のアメリカ国務省の調査によるとロシア正教が5%、キルギスは、詳細不明だが正教会が20%である。
 CISの中心的存在であるロシアにとっては、国内にイスラーム教徒を10~14%存在するほか、CISの連合体内に、イスラーム教徒が多い国が半数以上あるため、イスラムーム教徒への対応は、内政・外交ともに重要な課題である。この課題は、中東や西アジアへの対応にも関係している。
 ロシアは、2011年に始まったシリアの内戦に介入した。シリアの内戦には、イスラーム教のスンナ派、シーア派、スンナ派過激組織のいわゆる「イスラーム国」(ISIL)等の対立関係が複雑に絡んでいる。特にスンナ派に武力で攻撃を加えることは、ロシア政府にとっては、ロシア国内及びCIS内のスンナ派ムスリムの反発を買うおそれがある。
 ロシアは、旧ソ連圏第二の大国であるウクライナとの関係も深刻さを増している。冷戦終焉後、ウクライナの東部はロシアとの関係を深め、西部はヨーロッパとの関係を発展させている。同国が親露路線を取るか、それとも親欧米路線を取るかという問題は、軍事的にはロシアと連携するか、それともNATOに加盟するかという安全保障上の問題にも関係している。またウクライナは、南部にあるクリミア半島を中心に、西方・東方のユダヤ=キリスト教文明とイスラーム文明が接触し、重なり合う地域でもある。
 そうしたウクライナで2004年に民主化を求めるオレンジ革命が起った。親欧米派のユシシェンコ大統領が誕生した。欧米寄りの政策を進めたが、失政が続き、民衆の支持は低下した。すると、2010年の大統領選挙で親露派のヤヌコビッチが大統領になった。その政権に対し、2014年(平成26年)年2月、大規模なデモが湧き上り、政変が起こった。親欧米的な暫定政権が誕生すると、プーチン政権のロシアは、翌3月ウクライナのクリミア半島南部を実効支配した。クリミア自治共和国の議会はロシアへの編入を決議し、ロシアはこれを受けてクリミア半島南部を併合した。クリミアの併合は、冷戦終結後、世界的に初めての本格的な武力による現状変更の動きとなった。 ウクライナはもちろんのこと国際社会の大多数は、この編入を認めていない。そのため、欧米とロシアの対立が続いている。このクリミアをめぐる対立は、宗教的理由ではないが、文明学的には西方キリスト教的な西洋文明と東方キリスト教的な東方正教文明の対立という構図の上に起こっている事態である。先に2016年2月に、ローマ教皇フランシスコとロシア正教会総主教キリルが会談し、共同声明を出したことを書いたが、キリスト教は今日、上記のような国際的諸問題や異教関係の諸問題への対応を迫られている。
 東方正教会内でも、ロシアとウクライナを巡る対立が強まっている。ウクライナの東方正教会はソ連崩壊前から分裂状態にあり、キエフ総主教庁系、モスクワ総主教庁系が二大勢力となっている。モスクワ系がロシア正教会の影響下にあるのに対し、最大勢力のキエフ系はロシア正教会の管轄権を否定してきた。キエフ系は他の東方正教会から独立正教会の地位を認められていなかったが、クリミア併合後、ロシアとウクライナの対立が激化するなかで、2018年10月、コンスタンティノポリス総主教庁の総主教バルトロメオ1世がキエフ系を正統性を認めことを決定した。これを受けて、キエフ系は新たな正教会組織を創設した。2019年1月、バルトロメオ1世はウクライナ正教会のロシア正教会からの独立を認める文書をウクライナ正教会に授与した。ロシア正教会側はこの文書の無効を主張し、教会間の対立が強まっている。

 次回に続く。

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