ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教108~イギリスで現れたプロテスタント諸派

2018-10-20 12:56:48 | 心と宗教
●イギリスで現れたプロテスタント諸派

 次に、イギリスにおけるキリスト教の独自の動きについて述べる。
 イギリスでは、16世紀前半から17世紀にかけて、新しい教派が多く現れ、今日も活発に活動している。概要の教派の項目に書いたことと一部重複するが、イギリスにおけるプロテスタント諸派の出現と各教派の特徴を書く。
 まず英国国教会(聖公会)は、1534年、イングランド国王ヘンリー8世が離婚を認めないローマ・カトリック教会から離脱し、自らを首長とする国教会を創ったもの。ローマ教皇のような単一の支配者を認めない。現在も国王(女王)を首長とする。聖母マリアや聖人を崇敬しない。聖書のほかに伝統と理性を重んじる。そのため特定の教義を定めず、教派的な信仰告白を掲げていない。プロテスタント諸派の中で、最もローマ・カトリック教会に近い。二派を橋渡しするブリッジ・チャーチとも呼ばれる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 英国国教会には、3つの教派がある。高教会(ハイ・チャーチ)、低教会(ロー・チャーチ)、広教会(ブロード・チャーチ)である。高教会派は、教会の権威、歴史的主教制、サクラメントを重視し、それらに高い位置を与える立場である。低教会派は、逆にそれらに低い位置しか認めず、「聖書のみ」「恩寵のみ」「信仰のみ」の立場に立ち、典礼よりも個人の改心と聖化を強調する福音主義の立場である。広教会派は、高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し、双方の立場を退ける国教会の中の自由主義の立場である。
 19世紀半ばに、広教会派から、F・D・モーリス、C・キングスレー、J・M・ラドローらのキリスト教社会主義運動が現れた。彼らは、産業革命以後の工場労働者の悲惨な状況を見て、キリスト者の社会的責任を強調し、愛と奉仕の精神による協同を目指し、労働組合を結成したり、労働者学校を開いたりして、社会改良に努めた。彼らの社会主義は宗教的社会主義であり、マルクスらによる唯物論的な思想・運動とは全く異なる。
 この国教会広教会派のキリスト教社会主義が、ドイツ、アメリカ等に輸出され、それらの国々でも発展した。19世紀末には、小崎弘道、安倍磯雄、片山潜らによって日本にも移入された。彼らキリスト教徒によって、日本の労働運動、社会主義運動が始まった。
 英国国教会(聖公会)より、プロテスタントとしての性格が明瞭な教派の一つが、改革派・長老派(プレスビテリアン)である。改革派の名称は、16世紀半ばにカルヴァンがルターの改革は不十分だったとして、改革を徹底しようとしたことに由来する。この系統に立つ長老派は、スコットランドでジョン・ノックスが創始した。ノックスはカトリック教会の聖職だったが、教会に批判的となり、亡命先のジュネーブでカルヴァンの親交を得て、帰国後、長老派教会を樹立した。その名は長老を代表とする教会政治に基づく。長老派は、1567年にスコットランドの国教となり、その後に自由教会(フリー・チャーチ)が分離した。聖書のみを人間の思想と行動の唯一絶対の指針とし、呪術的要素を徹底的に排除した。神はアダム・エバの堕罪以前に、予めすべての人間を、ある者は救いに、ある者は滅びに予定したという二重予定説(堕罪前予定説)を説く。天国に行くか地獄に行くかは、人間の意思や行動には無関係で、すべて神が決定するとする。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみ。ルター派等と異なり、幼児洗礼を認めない。
 会衆派・組合派は、16世紀後半にイングランド国教会からの分離を主張した司祭ロバート・ブラウンに始まり、ピューリタン革命時に長老派から分離・独立した。会衆派の名称は、会衆全体の合意に基づく教会政治に由来する。日本では、組合派ともいう。1620年にメイフラワー号に乗って北米のプリマスに入植したのは、この派の信徒である。ピューリタン革命の推進力となり、クロムウェルのもとで共和制を樹立した。カルヴァン主義を基本とするが、特定の信仰箇条を持たず、自由・寛容の傾向を示す。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 バプテストは、1609年にイングランド国教会から離脱したジョン・スマイスに始まる。洗礼(バプテスマ)は、全身を水で浸す浸礼が聖書にある方式であると主張する。自覚的な信仰告白に基づく者のみを信者とし、幼児洗礼を認めない。国家と教会の公的な結びつきに否定的で、信教と良心の自由を重んじる。一部の信徒は、天地創造、ノアの方舟、イエスの処女降誕と復活を文字通り信じる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 メソディストは、18世紀半ば、イギリス国教会司祭ジョン・ウェスリーに始まる。「聖書に言われている方法(メソッド)に従って生きる人」を意味する。1795年に正式に国教会から分離して一個の教派となった。カルヴァンの予定説とは対照的に、すべての人間の自由意志による救済を説く。16世紀後半のオランダの改革派神学者アルミニウスが、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いたのに基づく。人間の主体的な決断や回心体験、聖霊の働きを重んじ、信仰義認の後の聖化を強調する。道徳的で清廉な生活を心がける。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。イギリス産業革命で生じた社会的弱者の救済に尽力した。メソディストから1865年に救世軍が分れた。
 クェーカーは、キリスト友会(Religious Society of Friends)の一般的な呼称である。1650年にイングランドでジョージ・フォックスが創設した。名称は「神を畏れ震える者」に由来する。真理は、各自の魂に呼びかける神の声の中に見出されるとする。その神の声を「内なる光」と呼び、すべての人に内在すると考える。またその考えによって性別・人種などの差別を否定する。カルヴァンの予定説とは対照的に、万人が救済され得ると説く。形式・象徴・権威を否定する。すべての人は霊的に平等だとし、教職制度がない。霊性と感性を重んじ、虚栄を嫌う。宣誓や兵役を拒否する。非戦主義・非暴力主義で知られる。他の教派と違い、洗礼や聖餐はない。
 ユニテリアンは、17世紀イギリスに始まる。三位一体を認めない。イエスの神性を否定し神の単一性(Unity)を唱えた初期教会時代のアリウスの説を継承する。同じころ、アルミニウス主義に立って予定説に反対し、すべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストも現れた。これら二派は北米で1961年に合同することになった。自由と理性と寛容を重んじ、原罪やイエスの贖罪、処女降誕、復活等の奇跡を認めず、科学上の諸発見を尊重する。人間はみな神の子であり、イエスは神ではなく最も神に近い存在であるとし、究極の師と仰ぐ。他宗教にも救いはあると認め、他宗教との交流にも積極的である。サクラメントはない。
 このようにイギリスでは、プロテスタンティズムの多様な教派が現れた。それらが国王(女王)を首長とする国教会と併存しているところに、激しい教派対立を経て、リベラル・デモクラシーと宗教的寛容による国民国家を建設したイギリスの特徴がある。
 イギリスは、近代主権国家、資本主義、自由主義、デモクラシー等の発祥の地だが、ナショナリズムもまたイギリスに発する。イギリスは、イングランド国教会を創ってカトリック教会から離脱し、ナショナルな宗教を創った。このことがイギリスのナショナリズムの形成において重要な働きをした。ところが、国教会に反発するプロテスタント諸派が現れて、ピューリタン革命が起こるほどになった、しかし、イギリスの政府・支配集団は、そうした教派をナショナリズムで統合した。その中心には、国家元首であるとともに国教会の首長でもある国王(女王)がおり、国王を中心とするイギリスは、先進資本主義国として発展し、近代世界システムの覇権国家として繁栄を極めた。ここには宗教的ナショナリズムを超えた政治的ナショナリズムの強力な働きがある。

 次回に続く。