ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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宗教消滅7~世界的な宗教の現状と将来の予測

2018-10-03 09:41:30 | 心と宗教
●第3 イスラム教の拡大と資本主義への適応(続き)

 イスラム教の「世俗化」の可能性は、イスラム教の教えの中にあることを島田氏は指摘する。
島田氏によると、イスラム教は「商人の宗教」として出発した。それゆえ、禁欲とは無縁である。人々が豊かさを求めることが肯定される。「利益の追求を禁止しない点で資本主義と親和的である」と島田氏は言う。ただし、イスラム教では利子が禁じられていることを島田氏は強調する。金を貸すことによって利益を得るというやり方は、イスラム教の教えに反している。そのことで「イスラム教を金融資本主義の方向へ向かうことを妨げる力が働いている」と島田氏は述べる。ただし、近年イスラーム金融が生まれ、独自の金融システムが築き上げられつつある。島田氏は、この点に関して、次のように書いている。「もともとイスラム教の世界では、何らかの事業を展開する時、事業の主体を担う側と、それに投資する側が共同で出資し、利益が出ればそれを折半し、損失が出た場合にも、同じように両者が損を被るというやり方がとられてきた。イスラム金融は、その仕組みを現代化したものであり、今日ではさまざま金融機関がイスラム世界に登場している」と。こうしたイスラーム金融の発達は、イスラム教が今日の資本主義経済に適応し得ることを示すものである。島田氏は、イスラム教はこうした適応を通じて、「その姿を変えていくことになるだろう」「その内部において現代化が進んでいくはずで、それは、イスラム教のあり方を変容させていくに違いない」と予想している。それがどういう姿、あり方になるかについて、島田氏は具体的に述べていない。ただ、キリスト教において世俗化と呼ぶ現象と似たような現象が起るだろうと示唆しているに過ぎない。
 ところで、イスラム教について世俗化という概念を使うことが適当かという問題がある。イスラム教では、キリスト教におけるように聖と俗が分離していないからである。それゆえ、島田氏がイスラム教の将来について予想する変化を世俗化と呼ぶことが適当かどうかについて、島田氏自身が自問自答している。
 「イスラム教の場合、宗教の世界と世俗の世界は一体であり、両者は分かち難く結びついている。現実の世界と神聖な信仰の世界は区別されていない」「イスラム教には出家した人間はいない」。仏教の僧伽、キリスト教の修道院のような「出家した人間だけで構成された集団」がまったくない。「イスラム教徒はすべて俗人であり、厳密な意味では聖職者そのものがいない。イスラム教聖職者というときには、主に礼拝を指導し、説教などを行うイマームのことをさすが、イマームも俗人であり、家庭生活を送っている」
 このようにイスラム教では、聖と俗が一体化している。それゆえ、「キリスト教の世界における形では世俗化は進行しない」と島田氏は言う。そして「イスラム教の世界で今起こっていることは、世俗化ということではなく、イスラム法の現代化、あるいは資本主義化としてとらえた方がいいのかもしれない」と島田氏は言っている。

●世界的な宗教の現状と将来の予測

 ここまで、島田氏が現在の世界における宗教の状況について挙げる三つの動向を概説した。私の表現でまとめると、

(1)先進国における宗教の急速な衰退
(2)発展途上国でのプロテスタント福音派の拡大とその後の衰退
(3)イスラム教の拡大と資本主義への適応による変容

である。
 これらの動向を総合して、島田氏は次のように書いている。
 「日本の戦後社会で起こったのと同じことが他の国々でも繰り返される可能性がある。つまり、福音派の台頭にしても、イスラム教の勢力拡大にしても、どこかでその伸びや原点回帰の方向性が変わり、運動として退潮するとともに、世俗化の様相を呈していくのではないかと考えられるのである」「世界全体において、宗教はその力を失い、無宗教化していく傾向が著しくなっている」と。
 そして、今後人類社会において、宗教は消滅すると島田氏は予想している。
 「人類は、今や宗教なき世界へ向かっている。その動きは、近代に入ってから生まれたものだが、それが近年になって勢いを増している。人類は、宗教をすでに必要としなくなっているのかもしれないのだ」
 「それが果たしていつのことになるかは定かではないが、人類社会から宗教は消え去ろうとしている。近代化に伴う世俗化という現象は、どうやら後戻りしそうにはない気配を見せているのである。福音派など、流行している宗教であっても、今が頂点であり、やがては他の宗教と同様に衰退していく可能性が高い。人類は、誕生以来、その生存に不可欠のものとしてきた宗教から根本的に離脱しようとしている」と。
 果たして、島田氏のこうした分析と予想は妥当なものだろうか。次に、島田氏の宗教消滅論に対する批判を行いたい。

 次回に続く。