ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権301~第2次大戦後の世界と現代の正義論

2016-05-01 08:43:18 | 人権
●第2次大戦後の世界と現代の正義論

 第2次世界大戦後の世界は、「連合国=国際連合」の文書及び国際軍事裁判の判決を、国際的な正義とする世界である。戦後間もなく、大戦中は連合国として共に戦った米ソが二大超大国として対峙する構図が生まれた。ソ連によって東欧諸国の共産化がされ、また中国・北朝鮮・キューバ等で社会主義政権が成立したことにより、自由主義圏と共産主義圏の間の緊張が強まった。核兵器の出現と主要国への拡散によって、人類は存亡の危機に直面した。
 大戦後発せられた世界人権宣言では、危機の時代において人権が宣揚され、自由と平等の調和ある実現が目指された。自由・平等な個人の人格的な発展、人間の尊厳が主張され、人格・人間性が価値とされる。宣言は人類の道徳的な向上を目指しており、そのもとには、ロック=カント的人間観がある。また、世界人権宣言は、前文で「平等で奪い得ない権利を認めることが、世界における自由、正義及び平和の基礎をなす」と謳っており、人権と正義との不可分の関係を宣言している。
 一方、現実の社会では、経済的な利益を追及する活動が活発に行われている。資本主義的な市場経済を背景に、自由な生産と交換が主張され、効用・利益の増大が目的とされる。功利主義と経済合理主義が結合したベンサム=新古典派経済学的な人間観がまかり通っている。
 ロック=カント的な人間観は人権の論理、ベンサム=新古典派経済学的な人間観は市場の論理に基づく。ともに自由を中心的な価値とするが、前者は道徳的自由、後者は経済的自由を志向する。また前者は、個人の尊厳を認めることによって、人格的発展のための機会の平等を求め、また生活状態の格差を是正することを目指す。後者は、最大多数の最大幸福の実現を目指す功利主義の特徴として、個人を重視せず、少数者に配慮しない。また善を量的かつ一元的にとらえ、質的な違いを捨象する。さらに、人間を利己的で合理的に行動するものとする新古典派経済学の特徴として、人々の道徳的欲求を認めない。
 自由主義圏の諸国は、こうした価値観の違いを抱えてはいたが、共産主義に対して自由を守るために結束した。なかでも「自由の国」を自認する米国は、自由主義圏の盟主として、ソ連に対抗した。だが、大戦後の欧米では価値相対主義の風潮が強くなり、正義を主要な価値として論じることが憚られる傾向があった。また、自由主義対共産主義というイデオロギー対立の中で、自由と平等の関係に係る正義を正面から論じることは敬遠された。
 1960年代に入ってベトナム戦争が拡大するにつれ、米国ではこの戦争に反対する国民が増えていった。ベトナム戦争は自由主義と共産主義が激突した戦争だったが、複雑な利害が絡み合っていた。米国民の間で、単純に自由を理念として泥沼の戦争を続けることに疑問が強まった。同じころ、黒人を中心に公民権運動が高揚し、人種差別に対する反対運動が広がった。また性別や文化的な違いによる差別に反対する運動も広がった。これらベトナム反戦運動、人種差別反対運動、性的・文化的差別反対運動等によって、米国の自由や正義という建国の理念が根本的に問われるようになった。自由を中心価値とする旧来の自由主義への信頼が揺らぎ出した。
 そうした危機的な状況にあった1970年代の米国で、自由の理念を再度確立するとともに、自由と平等の均衡を図ろうとする試みが現れた。その先鞭をつけたのが、政治哲学者ジョン・ロールズである。ロールズは、17世紀以来の社会契約説を再構成して、自由で平等な道徳的人格が自分たちの社会の基本構造を定める根本的な決まりごとを合意の上で選択するという仮説を打ち出した。そして、「公正としての正義」としての正義論を提唱した。これは、宗教・哲学による思想の違いに関わらず、政治的な合意を形成しようとするものであり、ロールズは、自由と平等に関し、“平等な自由原理>公正な機会均等原理>格差是正原理”という優先順位をつけた。
 ロールズの正義論は、欧米を中心に活発な議論を巻き起こした。ロールズの理論に対し、彼よりも自由を重視する自由至上主義的な立場や、彼よりも平等を重視する平等主義的な立場からの批判が出された。自由主義には、個人主義的な形態と集団主義的な形態がある。個人主義的形態とは、個人を単位とし、個人の自由と権利の確保・実現を目的とするものである。集団主義的形態とは個人の自由を尊重しつつ家族・地域・民族・国民等の共同性を重視し、集団の発展を目的とするものである。ロールズは個人主義的な自由主義に基づいているが、これに対し、集団主義的自由主義の立場から共同体を重視するコミュニタリアンによる批判が出された。ロールズが国内社会における正義と国際社会における正義を区別したのに対し、世界市民的な思想を持つコスモポリタンからの批判が出された。ロールズの権利を中心とした正義論に対し、目的論的な立場からの批判が出された。ロールズが自由について形式的な自由を説いたのに対し、ケイパビリティ(潜在能力)という概念を以て実質的な自由を説く論者からの批判が出された。また、自由主義とナショナリズムの融合を行う論者からの批判も出された。こうした議論は、今日も活発に行われている。その議論は、今日の世界における諸問題を、正義と人権という観点から論じるものとなっている。
 今日の世界では、自由の尊重とともに平等への配慮を求める傾向が、国際的に強まっている。この傾向は20世紀初頭からの社会権の実現に始まり、国際人権規約のA規約の締結に至って、地球規模の趨勢となった。これは、各国において社会的な正義の実現をめざすものである。さらに1960年代より、発展途上国の側から「発展の権利」が唱えられ、先進国と途上国の間での国際的な正義の実現が要求されてきた。
 冷戦下ではこれが米ソの勢力争いに組み込まれていた。発展途上国は、米国につくかソ連につくかによって、自由主義型の発展か、共産主義型の発展かで分かれた。冷戦下に発展途上国の側から国際的正義への要求が強まったが、米ソ超大国の国益の枠内に抑え込まれた。
 冷戦の終焉により、共産主義が大きく後退し、自由主義の優位が歴史的に確立した。それとともに、市場原理主義的な新自由主義が世界を席巻した。米国では、1929年の世界恐慌後、恐慌を招いた反省から、金融機関に規制をかけた。だが、1980年代から規制が廃止され、投機的な活動が盛んになり、国内的・国際的に貧富の格差が拡大した。
 21世紀を前にした2000年に、国連ミレニアム・サミットが行われ、ミレニアム宣言が出された。ミレニアム宣言は、世界の貧困を半減する等の目標を掲げた。ところが、その翌年に9・11の米国同時多発テロ事件が起こり、アフガニスタン戦争、2003年にはイラク戦争が勃発した。これと並行して、デリバティブ(金融派生商品)の開発による強欲資本主義の活動が猛烈化した。
 強欲資本主義は、2008年のリーマン・ショックで、破綻した。新自由主義への批判が高まり、再び規制を求める方向へ向かった。だが、数年後から強欲資本主義は再び勢いを取り戻しつつある。米国政府は、支配者集団の利益の拡大のために、TPP等を推進している。また人口の爆発的な増加の中で、世界的に富はますます偏在の度合いを強め、貧困層は食糧・水・住居・衣服等の不足により、生命・不衛生等の危険にさらされている。そこで国際的な正義が一層強く求められている。
 21世紀の地球では、国境を越えた交通、貿易、通信が発達し、人・もの・カネ・情報の移動・流通が地球規模で進むグローバリゼイションが、進行している。グローバリゼイションによって、諸文明の間の交流が多くなり、異なった文化的背景を持つ人々が接触する機会が増大している。この傾向は、今後一層活発になっていくだろう。それゆえ、文明や文化を横断し、諸国家・諸民族を貫く思想や地球人類として共存する倫理を形成することなくして、どの文明もどの国家もどの集団も生存と繁栄を単独で維持することは、不可能になってきている。そして、人権と正義に関する考え方をある程度共有せずに、環境・エネルギー・食糧・人口・核戦争等の地球規模の諸問題による危機を乗り越えることはできない状況となっている。
 以上、正義の概念とその歴史を振り返ったところで、次に第2次大戦後の人権と正義の関係について詳しく述べたい。現代の世界では、人権の思想は正義の概念を欠いては、深く検討することはできない。そうした思想状況を生み出したのが、先に触れたロールズである。そこでロールズの理論を考察し、併せてロールズ批判者の主張を検討することを通じて、今日の世界における人権と正義の関係について書きたいと思う。

 次回に続く。