ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム50~東方正教文明・シナ文明との関係

2016-05-02 08:14:12 | イスラーム
●東方正教文明との関係

 イスラーム文明と東方正教文明の関係について書くには、まずロシアの歴史を概述する必要がある。
 ロシアでは、9世紀から東スラブ人がキエフ大公国を中心に、いくつかの公国を形成した。10世紀の末にキエフ・ロシアのウラジーミル1世は、ビザンティン帝国からギリシャ正教を摂取し、これを国教とした。ギリシャ正教はやがて土着化してロシア正教となり、ロシアの文明に東方正教文明と呼ぶべき宗教的特徴を与えた。
 東方正教文明がイスラーム文明と接触し、その影響を受けたのは、モンゴル人による。1240年ごろ、チンギス・ハンの孫バトゥが来襲し、キエフ・ロシアの諸公国が滅ぼされ、キプチャク・ハン国の支配下に置かれた。1480年まで続いたこの時期を「タタールのくびき」時代という。タタールとは、モンゴル軍に従ってきたトルコ系住民の子孫のことで、モンゴル人はこのタタール人と混血し、さらにその宗教であるイスラーム教を自らの国教とした。
 その後、「タタールのくびき」を脱したロシアは、モスクワ大公国を中心にして全土を統一しつつ、専制と農奴制を確立していった。18世紀には、ロシア帝国が成立し、ピョートル1世の改革を経て絶対主義的な政治・経済体制を強化し、ナポレオン戦争に勝って軍事大国として国際政治に登場した。19世紀後半から20世紀初頭にかけて農奴解放に始まる一連の改革が行われ、またそれへの反動期が続いた。日露戦争と1905年(明治38年)の革命を経て、1917年(大正6年)の二月革命でロマノフ朝が崩壊し、さらに十月革命によって史上初の社会主義国ソビエト連邦が成立した。
 帝政ロシアには多くのイスラーム教徒が住んでいた。主な定住地は中央アジア、ボルガ川沿岸、カフカス山地、クリミア地方だった。イスラーム教徒の遊牧民の多い中央アジアでは、1924年(大正13年)から36年(昭和11年)にかけて5つの共和国がつくられ、ソ連を構成する共和国となった。
 旧ソ連は社会主義共和国連邦と称したが、各自治共和国は民族や文化が異なっており、それを共産党が支配する連邦制の国家だった。人口の5割をロシア民族が占めた。スターリンによって、ロシア民族による少数民族への支配・搾取が行われた。
 ソ連では当時、イスラーム教はロシア正教に次ぐ信徒数を有していた。ソ連は、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インドに次ぐ世界第5位のイスラーム人口を抱えていた。
 1991年(平成3年)12月、ソ連が崩壊すると、イスラーム教徒の多い地域で6つの共和国が独立した。カザフスタン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンの中央アジア諸国と、カフカスのアゼルバイジャンである。スンナ派が主流であり、シーア派はアゼルバイジャンだけである。民族的には、タジク人はイラン系で、それ以外はトルコ系である。
 旧ソ連で最も抑圧されていた少数民族は、チェチェン人である。チェチェン人にはイスラーム教徒が多く、チェチェンはイスラーム文明に属する。チェチェン人は、スターリンからナチス・ドイツに協力したと決めつけられ、民族ごと強制移住させられたという苦難の経験を持つ。
 1991年(平成3年)11月、チェチェン独立派が、崩壊寸前のソ連からの独立を宣言し、以後独立運動が続けられている。これに対し、ソ連の後継国であり、東方正教文明の中核国家であるロシアは、94年にチェチェンに武力侵攻を行い、二次にわたる紛争が起こった。チェチェンは石油、天然ガス、鉄鉱石などの地下資源が豊富であり、ロシアは独立を認めようとしない。ロシアは無差別かつ大規模な民間人への攻撃を行い、チェチェン人口の約10分の1が死亡し、5万人のチェチェン人が国外で難民となっている。チェチェン人過激派はモスクワ等で無差別テロを行い、関係は泥沼化している。ロシアにとって、チェチェン人への対処は、独立国家共同体(CIS)に加盟するイスラーム系諸国との関係に影響する。そのため、プーチン大統領は武力でチェチェン人の独立を防ぎ、他に波及しないように画策している。
 ところで、見逃してはならないのは、ロシア共和国にも約2000万人のイスラーム教徒がいることである。ロシア人口の14%を占める。その多くはスンナ派である。ロシア政権は、国内のイスラーム教徒がスンナ派過激組織に同調して、テロを起こすことを警戒している。
 山内昌之氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』で、シリアへの空爆を行って軍事介入で戦争の当事国になった「プーチンの戦略には大きなリスクも伴う」と指摘する。「ISとのポストモダン型戦争の最前面にロシアが立つと、ISの軍事指導部に多いチェチェン人に、ロシア国内へ戦域と戦線を拡大させる刺激を与えるからである。ISの外国人戦士のうち4分の1が旧ソ連の出身者であり、そのロシア帰還阻止のためにプーチンは空爆に踏み切ったはずだった。彼は、チェチェン人帰国の前に中東現地で徹底的に彼らを殲滅しようという目論見なのだろう。プーチンは、シリア戦争をそのまま北カフカース(北コーカサス)のチェチェニスタンなどのロシア国内問題の延長としてとらえている」と山内氏は述べている。
 ロシアはシリアに軍事介入したことで中東に深く足を組み入れ、ISILへの空爆とともに反アサド政権派への空爆を行う中で、トルコと対立関係を生じた。このようにしてイスラーム教諸国との関わりを深めている。イスラーム文明は、スンナ派の諸国とシーア派の諸国に宗派の違いで別れ、またロシアが支援するシリアのアサド政権を支持するか反対するか、ISIL掃討に積極的か消極的か等によって、複雑な様相を呈している。
 将来的には、中東・北アフリカで平和と安定が実現するかどうかに、イスラーム文明と東方正教文明の関係のあり方が大きく左右されるだろう。

●シナ文明との関係

 シナでは、イスラーム教を回教という。回紇(かいこつ)ことウイグル族を通じてシナに伝播したので、回回教と称したのに基づく。
 シナ文明の中核国家は、中華人民共和国(以下、中国)である。中国には、ウイグル族、回族、カザフ族、トンシャン族など、イスラーム教を信仰する民族が10ほどあり、その大部分が中国西北部に集中している。中国国内のイスラーム人口は2000万人以上とされる。その中心は、新疆ウイグルに居住するウイグル族である。ウイグル族は、トルコ系のイスラーム教徒でアラビア文字を使う。
 中央アジアには、トルキスタンという地域があり、シナでは西域と呼ばれてきた。トルキスタンは、西トルキスタンと東トルキスタンに分かれる。西トルキスタンは、旧ソ連領だった。ソ連解体後は先に書いた中央アジアの5つの共和国になっている。東トルキスタンは、清朝の時代から新疆と呼ばれる。中華民国では新疆省に組み入れられたが、1933年(昭和8年)に第1次東トルキスタン共和国が樹立され、翌年まで続いた。再び中華民国に併合された後、1944年(昭和19年)から46年(昭和21年)にかけて、第2次東トルキスタン共和国が第1次とは別の地域に存在した。だが、1949年に中華人民共和国に併合され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。自治区とは名ばかりで、実態は北京の支配下にある。
 中国共産党は、1950年(昭和25年)にチベットへの侵攻を開始し、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺以後最大のジェノサイド(民族大虐殺)を行ってきている。その異民族への弾圧・虐殺は、チベット自治区だけでなく、新疆ウイグル自治区でも行われている。
 唯物論的共産主義を信奉する北京政府は、イスラーム教徒であるウイグル人に対して、仏教徒であるチベット人に行っているのと同様の宗教弾圧を行っている。これまでに約50万人のウイグル人を「政治犯」として処刑したといわれる。また、妊婦に対して「計画生育」という名目で胎児の中絶を強制し、犠牲になった胎児は850万に上ると推計されている。これは、宗教弾圧であるとともに、漢民族によるウイグル族への民族支配でもある。
 ウイグル人は中国共産党による迫害・殺戮に抵抗運動を行っている。同じイスラーム教勢力であるISILは、中国共産党によるイスラーム教徒への弾圧に対し、2015年(平成27年)12月、中国語でジハード(聖戦)を呼び掛ける音声の声明をインターネット上で発表した。ISILが習近平国家主席率いる共産党政権に宣戦布告したと考えられる。ISILには、ウイグル族を中心に数百人の中国人が参加し、戦闘訓練を受けて中国に帰国した若者が多数いるとされる。今後、中国ではこうした帰国者やホームグロウン(自国育ち)の過激派によるテロが増えるだろう。
 ハンチントンは、西洋文明の存続・繁栄を願う立場から、イスラーム=シナ文明連合、「儒教―イスラーム・コネクション」の形成を警戒した。
 中国は、2001年(平成13年)に上海協力機構を設立し、中国の他、ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタンの6か国による多国間協力組織を構成している。その多くがイスラーム教国であることが注目される。イラン・インド・パキスタンはオブザーバーの地位にあったが、うちインド・パキスタンは2015年(平成27年)に正規加盟が決まった。またトルコやシリア・エジプト等のアラブ諸国も加盟を申請している。
 また、中国は、現在アジア・インフラ銀行(AIIB)とともに、これと一体のものとして「一帯一路」構想を進めている。この構想は、中国とユーラシア大陸および東南アジア、インド、中東・アフリカを海と陸の両方で結ぼうとするものである。「一帯」は「シルクロード経済ベルト(陸上)」、「一路」は「21世紀海上シルクロード」を意味する。中国を起点に内陸と海の2つのルートで欧州まで経済圏を構築する構想である。このAIIB及び「一帯一路」構想においても、イスラーム教諸国を多く傘下に取り込んでいる。
 このような動きを通じて、イスラーム文明とシナ文明との関係は広がり、また深まりつつある。
 中国のAIIB及び「一帯一路」構想は、米国の世界的な覇権への挑戦である。中国は、貪欲に資源と市場を求めて、東南アジア、南アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等へも経済進出を拡大している。これを文明のレベルで見れば、シナ文明が西洋文明に拮抗し、これを凌駕しようとする動きである。この西洋文明とシナ文明の対立・抗争は、多くの文明を巻き込んでおり、イスラーム文明もまたこれに巻き込まれつつある。
 米中の覇権争いが高じて、米中激突という事態になれば、人類の存亡に係る核兵器使用による世界大戦に発展する可能性がある。また、中東における紛争が米中激突の世界核戦争のきっかけになるおそれもある。

 次回に続く。