昭憲皇太后は、明治天皇とともに、わが国民の道徳の向上に、大きな感化を与えました。明治天皇には、自己修養に努めていることが伺われる御製が多数あります。昭憲皇太后にもまた、高い精神性が表れた御歌が多く残されています。
ある時、昭憲皇太后は、侍講(教育係)の元田永孚(ながざね)から、ベンジャミン・フランクリンについてのご進講を受けました。フランクリンは、アメリカの立志伝中の人物です。彼は十二の徳目を壁に掲げて自分を戒め、常に自分を磨き、品性を高めるよう努力しました。そして、この道義的精神を基にして、アメリカ独立宣言の起草にかかわりました。近代のデモクラシーと資本主義の精神を象徴する人物としても知られています。
そのフランクリンの十二徳とは、「節制・清潔・勤労・沈黙・確志・誠実・温和・謙遜・順序・節約・寧静・公義」です。皇太后は、フランクリンの志に感動し、十二徳を和歌に詠みました。それは、次のような御歌です。
一、節制
花の春 もみぢの秋の さかづきも
ほどほどにこそ くままほしけれ
(大意:春の花見、秋のもみじ狩りの時などは、お酒を酌む量をほどほどにしたいものです)
二、清潔
しろたへの 衣のちりは はらへども
うきは心の くもりなりけり
(大意:白い衣についたチリは掃えば落ちますが、思うように祓えないのは、心の曇りです)
三、勤労
みがかずば 玉の光は いでざらむ
人のこころも かくこそあるらし
(大意:磨かなければ宝玉も光を発しませんが、人の心も全く同じであるようです)
四、沈黙
すぎたるは 及ばざりけり かりそめの
言葉もあだに ちらさざらなむ
(大意:過ぎたるは及ばざるが如しというように、ちょっとした言葉使いにも注意し、言い過ぎることのないようにしましょう)
五、確志
人ごころ かからましかば 白玉の
またまは火にも やかれざりけり
(大意:白い宝玉は火によっても、焼けることがありません。人も、それくらいに確固とした志を持ちたいものです)
六、誠実
とりどりに つくるかざしの 花もあれど
にほふこころの うるはしきかな
(大意:色とりどりにつくった造花も美しいですが、誠実な心を持つ人は匂い立つようにうるわしいものです)
七、温和
みだるべき をりをばおきて 花桜
まづゑむほどを ならひてしがな
(大意:散り乱れる前の桜は、微笑をたたえたように穏やかです。人もそれにならって、どのような時でも微笑をたやさない温和な心を持ちたいものです)
八、謙遜
高山の かげをうつして ゆく水の
低きにつくを 心ともがな
(大意:高い山の姿を面に映す川の水は、低い方へと流れていきます。人もまた高い目標を胸に抱きながらも、どこまでも謙虚であるとよいなあと思います)
九、順序
おくふかき 道をきはめむ ものごとの
本末をだに たがへざりせば
(大意:物事の本末を間違わなければ、奥深い道理を窮めることができるでしょう)
十、節約
呉竹の ほどよきふしを たがへずば
末葉の露も みだれざらまし
(大意:節約を心がけほどほどの生活をしていると、子孫にいたるまで堅実な生き方をするでしょう)
十一、寧静
いかさまに 身はくだくとも むらぎもの
心はゆたに あるべかりけり
(大意:どれほど懸命に力を尽くしている大変な時でも、心の中はゆったりと静かでありたいものです)
十二、公義
国民を すくはむ道も 近きより
おしおよばさむ 遠きさかひに
(大意:国民を救う公義の道も、まず自分を修め、家をととのえて、近くから始め、遠くへと及ぼして参りましょう)
以上がフランクリンの十二徳と、それを和歌で詠んだものです。
昭憲皇太后の御歌には、欧米の道徳からも広く学んで、伝統的道徳を発展させようという姿勢が表われています。その御歌は、明治の日本人が、古くてしかも新しい精神をもって近代化を進めたことを示す、一つの徴(しるし)といえましょう。
次回が最終回。
■追記
明治天皇・昭憲皇太后に関して連載した拙稿は、下記に掲載しています。
マイサイト「君と民」のページ
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind10.htm
ある時、昭憲皇太后は、侍講(教育係)の元田永孚(ながざね)から、ベンジャミン・フランクリンについてのご進講を受けました。フランクリンは、アメリカの立志伝中の人物です。彼は十二の徳目を壁に掲げて自分を戒め、常に自分を磨き、品性を高めるよう努力しました。そして、この道義的精神を基にして、アメリカ独立宣言の起草にかかわりました。近代のデモクラシーと資本主義の精神を象徴する人物としても知られています。
そのフランクリンの十二徳とは、「節制・清潔・勤労・沈黙・確志・誠実・温和・謙遜・順序・節約・寧静・公義」です。皇太后は、フランクリンの志に感動し、十二徳を和歌に詠みました。それは、次のような御歌です。
一、節制
花の春 もみぢの秋の さかづきも
ほどほどにこそ くままほしけれ
(大意:春の花見、秋のもみじ狩りの時などは、お酒を酌む量をほどほどにしたいものです)
二、清潔
しろたへの 衣のちりは はらへども
うきは心の くもりなりけり
(大意:白い衣についたチリは掃えば落ちますが、思うように祓えないのは、心の曇りです)
三、勤労
みがかずば 玉の光は いでざらむ
人のこころも かくこそあるらし
(大意:磨かなければ宝玉も光を発しませんが、人の心も全く同じであるようです)
四、沈黙
すぎたるは 及ばざりけり かりそめの
言葉もあだに ちらさざらなむ
(大意:過ぎたるは及ばざるが如しというように、ちょっとした言葉使いにも注意し、言い過ぎることのないようにしましょう)
五、確志
人ごころ かからましかば 白玉の
またまは火にも やかれざりけり
(大意:白い宝玉は火によっても、焼けることがありません。人も、それくらいに確固とした志を持ちたいものです)
六、誠実
とりどりに つくるかざしの 花もあれど
にほふこころの うるはしきかな
(大意:色とりどりにつくった造花も美しいですが、誠実な心を持つ人は匂い立つようにうるわしいものです)
七、温和
みだるべき をりをばおきて 花桜
まづゑむほどを ならひてしがな
(大意:散り乱れる前の桜は、微笑をたたえたように穏やかです。人もそれにならって、どのような時でも微笑をたやさない温和な心を持ちたいものです)
八、謙遜
高山の かげをうつして ゆく水の
低きにつくを 心ともがな
(大意:高い山の姿を面に映す川の水は、低い方へと流れていきます。人もまた高い目標を胸に抱きながらも、どこまでも謙虚であるとよいなあと思います)
九、順序
おくふかき 道をきはめむ ものごとの
本末をだに たがへざりせば
(大意:物事の本末を間違わなければ、奥深い道理を窮めることができるでしょう)
十、節約
呉竹の ほどよきふしを たがへずば
末葉の露も みだれざらまし
(大意:節約を心がけほどほどの生活をしていると、子孫にいたるまで堅実な生き方をするでしょう)
十一、寧静
いかさまに 身はくだくとも むらぎもの
心はゆたに あるべかりけり
(大意:どれほど懸命に力を尽くしている大変な時でも、心の中はゆったりと静かでありたいものです)
十二、公義
国民を すくはむ道も 近きより
おしおよばさむ 遠きさかひに
(大意:国民を救う公義の道も、まず自分を修め、家をととのえて、近くから始め、遠くへと及ぼして参りましょう)
以上がフランクリンの十二徳と、それを和歌で詠んだものです。
昭憲皇太后の御歌には、欧米の道徳からも広く学んで、伝統的道徳を発展させようという姿勢が表われています。その御歌は、明治の日本人が、古くてしかも新しい精神をもって近代化を進めたことを示す、一つの徴(しるし)といえましょう。
次回が最終回。
■追記
明治天皇・昭憲皇太后に関して連載した拙稿は、下記に掲載しています。
マイサイト「君と民」のページ
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind10.htm