ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

明治天皇8~昭憲皇太后の御歌

2012-08-07 09:30:26 | 皇室
 昭憲皇太后は、明治天皇とともに、わが国民の道徳の向上に、大きな感化を与えました。明治天皇には、自己修養に努めていることが伺われる御製が多数あります。昭憲皇太后にもまた、高い精神性が表れた御歌が多く残されています。

 ある時、昭憲皇太后は、侍講(教育係)の元田永孚(ながざね)から、ベンジャミン・フランクリンについてのご進講を受けました。フランクリンは、アメリカの立志伝中の人物です。彼は十二の徳目を壁に掲げて自分を戒め、常に自分を磨き、品性を高めるよう努力しました。そして、この道義的精神を基にして、アメリカ独立宣言の起草にかかわりました。近代のデモクラシーと資本主義の精神を象徴する人物としても知られています。

 そのフランクリンの十二徳とは、「節制・清潔・勤労・沈黙・確志・誠実・温和・謙遜・順序・節約・寧静・公義」です。皇太后は、フランクリンの志に感動し、十二徳を和歌に詠みました。それは、次のような御歌です。

一、節制
 花の春 もみぢの秋の さかづきも
  ほどほどにこそ くままほしけれ
(大意:春の花見、秋のもみじ狩りの時などは、お酒を酌む量をほどほどにしたいものです)

二、清潔
 しろたへの 衣のちりは はらへども
   うきは心の くもりなりけり
(大意:白い衣についたチリは掃えば落ちますが、思うように祓えないのは、心の曇りです)

三、勤労
 みがかずば 玉の光は いでざらむ
   人のこころも かくこそあるらし
(大意:磨かなければ宝玉も光を発しませんが、人の心も全く同じであるようです)

四、沈黙
 すぎたるは 及ばざりけり かりそめの
   言葉もあだに ちらさざらなむ
(大意:過ぎたるは及ばざるが如しというように、ちょっとした言葉使いにも注意し、言い過ぎることのないようにしましょう)

五、確志
 人ごころ かからましかば 白玉の
   またまは火にも やかれざりけり
(大意:白い宝玉は火によっても、焼けることがありません。人も、それくらいに確固とした志を持ちたいものです)

六、誠実
 とりどりに つくるかざしの 花もあれど
   にほふこころの うるはしきかな
(大意:色とりどりにつくった造花も美しいですが、誠実な心を持つ人は匂い立つようにうるわしいものです)

七、温和
 みだるべき をりをばおきて 花桜
   まづゑむほどを ならひてしがな
(大意:散り乱れる前の桜は、微笑をたたえたように穏やかです。人もそれにならって、どのような時でも微笑をたやさない温和な心を持ちたいものです)

八、謙遜
 高山の かげをうつして ゆく水の
   低きにつくを 心ともがな
(大意:高い山の姿を面に映す川の水は、低い方へと流れていきます。人もまた高い目標を胸に抱きながらも、どこまでも謙虚であるとよいなあと思います)

九、順序
 おくふかき 道をきはめむ ものごとの
   本末をだに たがへざりせば
(大意:物事の本末を間違わなければ、奥深い道理を窮めることができるでしょう)

十、節約
 呉竹の ほどよきふしを たがへずば
   末葉の露も みだれざらまし
(大意:節約を心がけほどほどの生活をしていると、子孫にいたるまで堅実な生き方をするでしょう)

十一、寧静
 いかさまに 身はくだくとも むらぎもの
   心はゆたに あるべかりけり
(大意:どれほど懸命に力を尽くしている大変な時でも、心の中はゆったりと静かでありたいものです)

十二、公義
 国民を すくはむ道も 近きより
   おしおよばさむ 遠きさかひに
(大意:国民を救う公義の道も、まず自分を修め、家をととのえて、近くから始め、遠くへと及ぼして参りましょう)

 以上がフランクリンの十二徳と、それを和歌で詠んだものです。

 昭憲皇太后の御歌には、欧米の道徳からも広く学んで、伝統的道徳を発展させようという姿勢が表われています。その御歌は、明治の日本人が、古くてしかも新しい精神をもって近代化を進めたことを示す、一つの徴(しるし)といえましょう。

 次回が最終回。

■追記

 明治天皇・昭憲皇太后に関して連載した拙稿は、下記に掲載しています。
 マイサイト「君と民」のページ
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind10.htm