ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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西欧発の文明と人類の歴史28

2008-07-04 10:00:43 | 歴史
●ロック思想を伝播したフリーメイソン

 近代資本主義の発達の地であり、科学革命の中心地、啓蒙思想の発祥の地でもあるイギリスは、また近代フリーメイソンの発祥地でもあった。フリーメイソンの起源には諸説あるが、学術的に有力なのは中世の石工つまり建設業者の職人組合に起源を求める説である。石工組合が近代的な結社に変わったとするものである。
 近代フリーメイソンは、1717年にイギリスに始まったとされる。この年、ロンドンにあったロッジ(支部)が集まって、グランド・ロッジ(本部)が結成された。
 メイソンの活動が広がると、カトリック教会は1738年にフリーメイソンを破門に処した。同じ反カトリックではあっても、象徴を排除してキリスト教を合理化したプロテスタンティズムとは異なり、フリーメイソンには象徴的な儀式や思想に満ちている。メイソンの象徴や知識には、古代エジプトや古代ギリシャからの継承を思わせるものがある。その一方、フリーメイソンは、当時の先端思想である自然科学や理神論的な道徳思想を取り入れていた。そこには、古代的神秘的象徴的なものと、近代的合理的科学的なものとが共存していたのである。

 「近代フリーメイソンの父」と呼ばれるジャン・デザキュリエは、自然科学者で王立協会の会員だった。デザキュリエはニュートンの友人であり、ニュートンはロックの友人だった。ロックは名誉革命の前、オランダに亡命していたが、1680年代のオランダでは既にメイソンが活動していた。ロックがメイソンだった確証はないが、周囲にはメイソンが多くいた。
 自由・平等・博愛というと、誰もがフランスの三色旗を思い浮かべるだろうが、これらはフリーメイソンの標語だった。ただし、この標語はメイソンが発案したものではない。もとはロックの「統治二論」である。ロックは、本書で、自然状態において完全に自由かつ平等である人間が、自然法と理性に基づいて行動し、正義と博愛という原理に導かれると説いている。それゆえ、フリーメイソンがロックの思想を摂取したと考えるべきだろう。

 フリーメイソンは、イギリスからフランス・アメリカ・ドイツ等に組織を広げた。それによって、イギリスの啓蒙思想を、大陸の貴族や上層市民階層に伝える役割をした。そして、啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく結びつきつつ、アメリカ独立思想やフランス革命思想の源泉となった。

●フランス啓蒙思想とメイソンの関係

 フランス啓蒙思想は、イギリス啓蒙思想を源流として発達した。その発達には、フリーメイソンの組織と活動が関係している。
 フランス啓蒙思想の成果の一つが、「百科全書」である。1751年に第1巻が刊行された「百科全書」は、イギリスの「チェインバーズ百科事典」のフランス語訳を、ディドロが行ったことを契機とする。「チェインバーズ百科事典」は、編纂者も版元もフリーメイソンだった。ディドロは不明だが、盟友のダランベールはメイソンだった。百科全書派は、総じてメイソンの影響を強く受けている。

 ディドロは、イギリス経験論、特にホッブスの影響を受けて、「隠れたる神は無用の神」という表現で、無神論を表明した。彼の「神を無用なもの」とする考え方は、キリスト教的な神の啓示や現実を超越したものを否定し、人間の理性に一切の根拠をおく思想を産み出していく。
 百科全書の執筆者の一人、モンテスキューはメイソンだった。モンテスキューはイギリスに2年間滞在して政治制度や社会制度を見学し、ロックの政治理論を継承した。イギリスの議会制度をもとにして、近代政治の原理となる三権分立や両院制による権力の抑制理論を説いた「法の精神」で知られる。
 別の執筆者であるヴォテールは、晩年メイソンに加入した。イギリス滞在期に、ホッブスやロック、ベーコン、ニュートン等の書を読破し、イギリスの啓蒙思想家たちと親しく交わった。彼が最も刺激を受けたのが、リベラル・デモクラシーの政治制度だった。ヴォルテールの思想は、アメリカの独立運動やフランス市民革命に多大な影響を与えた。

 ルソーも百科全書に執筆した。ルソーは、当時最も急進的な思想を提唱し、フランスのフリーメイソンに影響を与えた。1750年ごろから、『人間不平等起源論』『エミール』『社会契約論』等を発表したルソーは、自由と平等ができるだけ抑制されない人民主権に基づく共和制の樹立を主張した。ここに初めて共和主義が理論として登場した。
 ルソーは、国家は「一般意志」を持ち、政府が一人の市民に対して「君が死ぬことが国家のために必要だ」と判断するなら、その市民は死なねばならないとする。またルソーは立法ができるのは抜きん出た「神的人物」だけだと説いた。こうした思想は、全体主義や独裁制に転じうるものである。
 ルソーの思想に心酔する者は、ジャコバン・クラブに多かった。その一人が、ロベスピエールである。ルソーの思想は、ロベスピエールを始め、レーニン、ヒトラー等の専制政治を正当化する危険性を持っていた。
 フリーメイソンがフランス市民革命にどの程度まで関与したかは、よく解明されていない。ただ言えることは、啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく融合して、フランス市民革命の思想的推進力になったということである。この点は、先行したアメリカ独立戦争について述べた後で、具体的に触れたい。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「西欧発の文明と人類の歴史」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09e.htm