ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

麻生太郎氏の講演寸感1

2008-05-20 10:25:43 | 時事
 麻生太郎氏の講演の大要を記したが、次に氏の講演を聴いて連想・想起したことを書きたい。

 講演で麻生太朗氏は、確固とした国家観、歴史観を語った。氏の国体4回変化説は、多くの人に受け入れられるものだろう。私は麻生氏の主張は、渡部昇一氏の国体5回変化説をアレンジしたものではないかと感じながら聴いた。渡部氏の国体5回変化説は有名なものだが、20~30歳代の人は知らない人が多いようである。この機会に概要を記して参考に供したい。

 まず麻生氏もいうところの国体についてだが、渡部氏は「歴史の読み方」(祥伝社)で次のように定義している。
 「個人に体質があるように、国にも体質がある。英語ではコンスティチューションと言う。国の場合は、体質は国柄と言う意味であり、憲法と訳されることが多い。しかし、イギリスは、明文化した憲法を持たす、国の体質そのものが成文化されざる憲法である。コンスティチューション=国の体質=国体といってもよい。」
 日本の体質、国柄、成文化されざる憲法が、国体だというのが、渡部氏の定義である。
では、日本の国体の特徴は何か。渡部氏は、次の3つを挙げる。

1 王朝が一つであること(万世一系の皇室の存在)
2 随神の道(神道)
3 血族意識(先祖意識)

 さて、渡部氏の国体5変化説は、渡部昇一著「人生観・歴史観を高める事典」(PHP)に載っているものがよくまとまっている。それをもとに紹介する。

 第1回目の変化は、用明天皇の時に起こった。この変化は、祭りごとの変化であり、神を祀る代表者としての変化ということもできる。それまで天皇は日本の神を祀る代表者だったが、天皇が仏教という新しい宗教を受け入れ、仏教に改宗したことは、国家の建前に重大な変化を生じさせたことだった。
 ただし、日本書紀に「(用明)天皇は仏法を信じ神道を尊ぶ」と記されているように、神道と仏教が共存した。これを渡部氏は「妙なる共存」と呼んでいる。これにより、わが国では、外国に見られるような凄惨な宗教戦争が起こらなかったことを、渡部氏は強調している。

 第2回目の変化は、後鳥羽天皇の時に起こった。この変化は、政りの主体の変化であり、頼朝の鎌倉幕府の樹立による。
 幕府を開いたことは、「政治原理の根本的な変化」だったと渡部氏は指摘する。しかし、頼朝は、律令制度は変えずそのままおいておき、天皇にとって代わろうともしなかった。天皇は、「武力はないが、律令制度によって官位を出すという不思議な状態」となり、「日本の天皇はローマ法王とよく似た性質を持つ存在となった」と渡部氏は主張する。

 第3回目の変化は、仲恭天皇の時に起こった。天皇の廃立が民の意思で行なわれた。執権・北条義時の承久の変による。イザヤ・ベンダサン(山本七平が編著者)は、この時を境に、「前期天皇制」と「後期天皇制」に分ける。
 承久の変の際、義時は、天皇の廃位、即位を勝手に決めている。権力の出所が下、それも地方の武家の総代としての意思によって天皇の廃立が決定された。このことを渡部氏は「主権在民」となったのであり、「天皇は天皇としたままでの主権在民である」としている。
 義時の時には、最初の武家法である御成敗式目(貞永式目)が制定された。その後、明治維新まで、武家法と律令が並立した。

 第4回目の変化は、明治天皇の時に起こった。この変化は、明治維新と明治憲法による。
 明治維新は、単に武家社会が始まる前の政体に戻すというのではなく、用明天皇以前の「神の時代」に戻すという、とてつもなく古い時代への復古運動だった。また律令も廃止された。明治憲法により、わが国は、立憲君主制の国となった。
 明治憲法を諸悪の根源のように考え、明治時代を半封建社会と否定的に考えるのは、誤解だと渡部氏は主張する。渡部氏の見方では、明治天皇は日本の近代化のために尽力された、日本を悲惨な戦争に駆り立てていったのは、明治憲法の欠陥を悪用した一部の軍人将校や右翼社会主義者だったとする。

 第5回目の変化は、昭和天皇の時に起こった。大東亜戦争に敗れたことにより、天皇が人間宣言をされ、憲法によって日本国の象徴となった。
 渡部氏は「日本の天皇が有史以来、ゴッドであったことは一度もありません。天皇は常に国民の代表として、日本人の先祖の霊をまつる方だったのです」と言う。
 また、天皇は昔から「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としての存在であり、「そういう変わらない永続的な存在として意味があったのです。そこに日本のアイデンティティがあり、シナや西欧からどんな才を採り入れても、変わらない日本、つまり国体という和魂があると固く信じてきたわけです。それが見方を変えれば、正統を抱く国の強みなのです。正統と言いものが国家の中心にどんとすわっているから、どんな新しいことも採り入れられ、また時に正統を振り返って道を確かめることができたのです」と渡部氏は、わが国の国体=体質=憲法を論じている。

 渡部氏の国体5回変化説は、大略以上のようなものである。比較すると麻生氏は、渡部氏の5回のうち第3回目を変化と認めていないことがわかる。承久の変における天皇の廃立を国体の変化ととらえるかどうかは議論のあるところで、私は麻生氏の考えの方が常識的な見方だと思う。

 次回に続く。