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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

カント16~歴史を導く自然

2013-09-06 08:55:14 | 人間観
●歴史を導く自然

 カントにおける自然を検討するには、『判断力批判』によらねばならない。本書の前に書いた『実践理性批判』で、カントは結語に有名な言葉を記している。「それを考えることしばしばであり。かつ長きに及ぶに従い、常に新たなるいやます感歎と畏敬をもって心を充たすものが二つある。我が上なる星しげき空と我が内なる道徳法則がそれである」と。
 この文言に続いてカントは、大意次のように書いている。人間は「短い期間、生命の力を与えられた後に、自分がそこから生じてきた物質をこの惑星に返さなければならない」。しかし、「叡智的存在者としての私の価値を高からしめる人格性」において、「道徳法則は動物性から、さらには全感性界からさえ独立ないのちを私に開示する」。そして道徳法則による定めは、「この世の生の制約や限界に限られることなく、それを超えて限りなく進むのである」と。
 カントは、ここで心霊論的信条に基づいて、宇宙的な大自然の中における人間について書いている。人間は宇宙の一点にすぎない地球に生を受けた死すべきものである。だが、人間は叡智界に所属する者でもあり、霊魂は不滅であり、内なる道徳法則に沿って、死後も限りなく実践すべきものとしている。『判断力批判』は、そうした人間の認識能力として、判断力を基礎づける批判書である。そこで、判断力の基礎づけを通じて考察されるものが、自然なのである。
 カントは、本書で判断力は悟性と理性を媒介する能力であるとする。判断力は、特殊が普遍に包含されていると思考する能力である。判断力には、既にある普遍的原理によって特殊なものを判定する規定的判断力と、特殊的なものだけが与えられ、そこから普遍的なものを見出す反省的判断力がある。自然は必然的な法則に支配されているが、最高善を目指す道徳は意思の自律に基づく。カントは、感性界において自由を実現するには、自然に合目的性がなければならないと考えた。そして、反省的判断力は、自然に合目的性を見出すとして、美、崇高の感情、有機体における合目的性を論じた。
 カントは、判断力は自然と自由、自然界と道徳界をつなぐものだとして、次のように書いている。「(判断力は)自然概念と自由概念の間を媒介し、純粋理論的理性から純粋実践的理性への、前者に従う合法則性から後者に従う究極目的への移行を可能ならしめる概念を、自然の合目的性という概念において暗示するものにほかならない」「判断力は、自然概念の領域から自由概念の領域への移行を可能ならしめるものなのである」と。
 こうした判断力の検討は、自由の領域である道徳から文化、歴史の考察へと広がり得るものである。その検討において、カントは自然の一切は人間の文化のために存在するとし、文化は道徳の準備であり、自然の究極目的は道徳的な人間を出現させることだとした。
 判断力の検討はまた宗教の考察へも及ぶ。人間は、自然の美しさや広大さや精妙さに感動を覚える。その自然への感動は神への崇敬につながる。カントは『判断力批判』の「付録 目的論的判断力の方法論」で、世界を目的に従って脈絡づけられた一つの全体また目的因の体系とみなす根拠または主要条件を持っているとして、一切の存在者の根源にある存在者は叡智体であり、全知にして全能、寛仁にして公正であり、また永遠性・遍在性を持つものでなければならないと説き、自然と道徳の両面から目的論によって神学を基礎づけた。
 ただし、カントは、1790年の『判断力批判』によって、全面的に目的論に基づく形而上学に転換したのではない。全面的に転換すれば、かつて自ら斥けた独断的形而上学に陥る。そのことは、当然明確に意識していたはずである。そのカントが95年の『永遠平和のために』では、自然を主語とし、自然が人類に配慮または強制して、永遠平和を保証すると説いたのである。ここには飛躍があり、またカント自身の思想と矛盾しているように見える。だが、自然が人類の歴史を導くという考えは、『永遠平和のために』の前から、カントが表明していたものである。
 カントは、1784年の『世界公民的見地における一般史の構想』で、次のように書いた。「人類の歴史を全体として考察すると、自然がその隠微な計画を遂行する過程と見なすことができる。ところでこの場合に自然の計画というのは、各国家をして国内的に完全であるばかりでなく、更にこの目的のために対外的にも完全であるような国家組織を設定するということにほかならない。このような組織こそ自然が、人類に内在する一切の自然的素質をあますところなく展開し得る唯一の状態だからである」と。ここにおける自然は、計画を遂行するために、目的に向かって人類を導く者である。続いてカントは、1786年の『人類の歴史の憶測的起源』では、旧約聖書に基づいて人類の歴史の起源を想像し、自然が人類をアダムとイブという起源から文化の完成、永遠の平和へと導いているという考えを述べた。本論文では、自然の歴史は「神の業」であると書いている。
 『判断力批判』は、1780年代中葉の『世界公民的見地における一般史の構想』『人類の歴史の憶測的起源』の後に1790年に書かれた批判書である。そこでカントは、自然の究極目的を考察し、また目的論によって神学を基礎づけた。そのうえで1795年に書かれたのが、『永遠平和のために』である。『永遠平和のために』でカントは、人間が為すべき予備事項・確定事項を述べた後に、自然が永遠平和を保証することを主張した。この主張は、上記のような1780年代~90年代における思考の展開があってのものである。
 カントは、『永遠平和のために』で、自然を神とはしておらず、また、神が自然を通じて人類を導くとも書いてはいない。だが、ここにおける自然は、ほとんど神のようであり、また神の一部のようでもある。カントの永遠平和は、そのような自然が人類に保証するものとして説かれた目標なのである。

 次回に続く。

カント15~永遠平和への道

2013-09-05 10:04:07 | 人間観
●永遠平和への道

 カントは、個人と国家の目標を示しただけでなく、国際社会に永遠平和を実現する道をも説いた。ルソーは、国際平和論を説いたが素描にとどまった。カントはこれを継承して発展させた。カントは、18世紀にありながら、人類は永遠平和を実現するか、さもなければ戦争によって絶滅するかどちらかだと、人類の将来を予想した。戦争による自滅を避けるために、カントは国家連合を提唱した。その後、人類は二度の世界大戦を経て、人類絶滅の武器・原子爆弾を持つに至った。国際連盟・国際連合という国際機関を作りながら、大量破壊兵器を使用する戦争によって、地球の文明が崩壊する危険は減っていない。こうした人類にとって、カントの永遠平和論は、重要な古典である。
 カントは、『永遠平和のために』(1795年)で、まず永遠平和の予備事項を六つ挙げる。平和条約は偽りのものであってはならないこと、独立国は他国に領有されてはならないこと、常備軍は漸次全廃されるべきこと、対外戦争のための国債発行を行わないこと、実力を以て他国に干渉してはならないこと、戦争中であっても卑劣な手段を取らないことである。まずはヨーロッパで実行してもらいたいところである。なお、カントは絶対王政国家における常備軍の廃止を説くが、国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を訓練し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防備することは、まったく別のことだと説いている。防衛戦争及びそのための実力組織を原理的に否定するものではない。
 カントは続いて永遠平和のための確定事項を三つ挙げる。第一は、各国家の体制は「共和的」でなくてはならないこと。カントの「共和的」とは、立法権が執行権から厳しく区別せられ、それが代議士を通じてすべての公民の手にあるという意味である。言い換えれば「法の支配」である。君主制でもこの意味での共和的であり得る。第二に、国際法は、自由な諸国家の連合に基礎を置かなくてはならないこと。カントは世界共和国を究極の到達点とする。だが、現状では世界を一つの強い権力でまとめることになるとして、消極的代用物として国家連合を提案した。第三に、人間は世界のどこにおいても客人として友好的に扱われる権利を持たなくてはならないこと。訪問権ないし友好権が一般化することによって、人類は永遠平和へとたえず近づくことができるだろうと説いた。
 続いてカントは、「第一補説」で、永遠平和が単なる空想ではなく、実現可能であることを主張する。ここでカントは、自然そのもののうちに、人類を将来の永遠平和に向かわせる要因が働いており、永遠平和という目的に対して自然が合目的的であることを説く。カントの永遠平和は、単に人間が道徳的な努力によって目指す目標ではなく、意志を持ち、人類の歴史に関与する自然の導きを前提としたものなのである。
 カントは、次のように述べる。「この保証(ほそかわ註 永遠平和の保証)を与えるのは、偉大な技巧家である自然(natura daedala rerum)にほかならない。自然の機械的な過程からは、人間の不和を通じて、人間の意志に逆らってでもその融和を回復させるといった合目的性がはっきりと現れ出ているのであって、そこでこうした合目的性は、その作用法則がわれわれには知られていないある原因による強制と見れば、運命と呼ばれるし、また世界の過程におけるその合目的性を、人類の客観的な究極目的をめざし、この世界の過程をあらかじめ定めているような、いっそう高次の原因がそなえている深い知恵と考えれば、摂理と呼ばれるだろう」と。
 さらにカントは「自然の過渡的な配備は、次のいくつかの点に認められる。自然は、(1)人間のために、地球上のあらゆる地域で、人間がそこで生活できるように配備した。(2)戦争によって、人間をあらゆる場所に、きわめて住みにくい地方にまで駆り立て、そこに人間を住まわせるようにした。(3)やはり戦争によって、人間を多かれ少なかれ法的関係に立ち入らせるように強制した」とも書いている。
 ここでカントは、自然が人類に配慮したり、強制したりして、永遠平和を保証すると説いている。これは驚くべきことである。というのは、カントは『純粋理性批判』(1781年)で、科学的・理論的な認識の対象としての自然について、自然と自由を対比させ、自然は必然的な法則に支配されており、自然には自由は存在しないとした。そして、理論理性は、自然法則を認識することはできるが、感性によって与えられる現象界を超えることができず、自由の実在性を証明することはできない。自由は、道徳の領域にのみ存在するとしていたからである。だが、カントは、永遠平和論では、自然が意志を持ち、人類の歴史に関与してきていると説く。しかも、自然は戦争を通じて人類に移住や立法を強制したとして、過去の戦争には人類の発展に資する歴史的な意義があったと見る肯定的な見解を述べている。カントの永遠平和論を検討するには、カントにおける自然の検討を行わねばならない。その点を次項に書く。

 次回に続く。

カント14~人間の尊厳

2013-09-04 09:28:35 | 人間観
●人間の尊厳

 意志の自由を持つ人間は、物件ではなく人格として扱われなければならない、とカントは説く。人は自分を「自分自身の理性が自らに課する義務を身に負っている一個の人格」とみなさねばならないともいう。カントによれば、人間らしさ、すなわち人間性は、理性に従う意志の自由に基づく人格にある。人間性を「善い意志」とも言っている。
 「人格として見た人間、すなわち道徳的な実践理性の主体たる人間は、一切の価格を越えて尊いものである」とカントは述べる。価格とは、物件の商品としての値段をいうものである。「人間には尊厳が備わっている」とカントは説く。尊厳とは、絶対的内的価値をいう。マルクスであれば、資本主義社会では、人間は疎外され、労働者は労働力商品となっているというだろう。労働力商品ではあっても、人間には道徳的な主体性があり、尊厳があるというのが、カント的な考え方である。
 人権の思想を世界的なものとした世界人権宣言は、第1条に「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と記す。また「宣言」を具体化した国際人権規約は、人権を「人間の固有の尊厳」に由来するものとしている。ここに人間の尊厳は、人類共通の思想となった。だが、では、なぜ人間には尊厳、言い換えれば価値があるのか。世界人権宣言も国際人権規約も、人間の尊厳を謳いながら、その尊厳について具体的に書いていない。
 人間の尊厳という観念の背景には、キリスト教がある。ユダヤ=キリスト教の教義は、人間は神(ヤーウェ)が創造したものであると教える。神が偉大であるゆえに、神の被造物である人間は尊厳を持つ。しかも、人間は神の似姿として造られたとされる。人間は他の生物とは異なる存在であり、地上のすべてを支配すべきものとされる。ユダヤ教から生まれたキリスト教は、ローマ帝国の国教となり、近代西洋文明の一要素となった。人間の尊厳という観念は、キリスト教の神学に、受け継がれてきた。
 この観念が非キリスト教社会に受け入れられるものとなったのは、カントの哲学によるところが大きい。カントは、科学と道徳の両立を図って、宗教の独自性を認め、科学的理性的な認識の範囲と限界を定めつつ、神・霊魂・来世という形而上的なものを志向する人間の人間性を肯定し、理性に従って道徳的な実践を行う自由で自律的な人格を持つ者としての人間の尊厳を説いた。このようにカントは、人間の尊厳を伝統的なキリスト教の教義から離れて、近代的な哲学によって意味づけ直した。それによって、人間の尊厳という観念は、世俗化の進む西欧社会でも維持され、同時に非キリスト教社会にも伝播し得るものとなった。その観念は、今も世界に広まりつつある。しかし、カントにおいては、人間の尊厳の裏付けに心霊論的信条があったことが見落とされている。今日、人間の尊厳を基礎づけ直すには、カント哲学を再検討しつつ心霊論的人間観を確立することが必要である。

●「目的の国」

 カントは、人間は「どのような人によっても、他人によっても、自分自身によってさえも、単に手段として利用されることはできず、つねに同時に目的として用いられねばならない」「この点にこそまさに人間の尊厳がある」と説いた。(『人倫の形而上学の基礎づけ』)
 人間は、個人個人が尊厳を備えている。個人は、何かの目的を実現するために、単に手段とされてはならない。その実現すべき目的そのものでなければならない。だが、また単に目的とされるのではなく、互いがその目的を実現する手段となって、協力し合わなければならない。
 カントは、すべての人が人格的存在として尊敬され、単に手段ではなく、目的とされる社会を「目的の国」と名付けた。「目的の国」は、自由で自律的な人格の共同体であり、市民社会のあるべき姿である。カントにおいては、ホッブス、ロックと同様、市民社会は国家と同義であるので、「目的の国」は、カントの提示した国家の目標である。個々人が理性の道徳的な命令に服し、自己の格率が普遍的な道徳法則と一致するように行為する国家が、カントの理想国家である。この国家は、単に自由・平等な独立した個人の集合体ではない。人々が協同的に道徳的な実践を行う共同体である。トランスパーソナル学的には、人々が相互的・共助的に自己実現・自己超越を行うサイナジックな社会と言えるだろう。
 なお、カントは、国家の起源については、基本的には社会契約論に立っている。ただし、社会契約を歴史的事実ではなく、「理念」としている。契約をしたという事実がないのに契約論を採るとすれば、理念とするしかないだろう。
 カントは、ルソーから人間を尊敬することを学んだ。ルソーは、自由な人格をもつ自律的人間の形づくる国家を理想とした。カントはこの理想を道徳的に掘り下げた。ルソーは人民主権を説いたが、一般意志が常に正しいと言えるには「公衆の啓蒙」が不可欠であり、一人一人が自らの意思を理性に一致させるようにすることによって、はじめて一般意志を論じ得るとした。カントは、「目的の国」を地上に建設するため、人々に理性に従って普遍的な道徳法則と一致するように実践するように説いた。それは、必然的法則に支配された自然界に、自由を実現することである。カントは、自然とは感官の対象の総体とするが、後に述べるようにカントは自然に合目的性のあることも認めており、自然界において自由を実現することが可能だとした。またカントは自然の一切は人間の文化のために存在するとし、文化は道徳の準備であり、自然の究極の目的は道徳的な人間を出現させることだと考えた。この自然は単に感性的な自然ではない。その点については、永遠平和に関する項目に書く。
 カントは、上記のような道徳哲学を構築するとともに、キリスト教を啓示宗教から道徳的な宗教へと純化、改善することを試みた。ルソーは、人民主権の国家には新しい市民的宗教が必要だと説いたが、カントは「目的の国」における、あるべき理性宗教の姿を示そうとしたのだろう。私は、その理性宗教は、心霊論的信条に基づくものだったと理解する。「目的の国」は、感性界・現象界で完結するものではなく、超感性界・叡智界につながっている社会だからである。それは、カントにおける人間は、感性的であると同時に超感性的であり、市民社会の一員であると同時に、霊的共同体の構成員として考えられていたことから明らかである。
 現代日本屈指の哲学者・和辻哲郎は、主著『倫理学』で、人間は個人性と社会性を持つ間柄的存在だとし、そうした人間の共同態である「人倫的組織」を考察し、国家・人類の目標を示した。和辻は自らの倫理学を構築する過程で、『人間の学としての倫理学』において、カントの人間学を検討した。そこで「目的の国」について述べている。
 和辻によると、カントは人間を「経験的・可想的の二重性格」を持つものとし、それによって「手段的・目的的な二重性格」をとらえており、人間を個別性と全体性において把捉してはいる。だが、カントはそれを自覚し、あらわには説いていないと和辻は指摘する。和辻によると、我と汝が互いに手段となり、目的となり合う関係は、「手段となる側からは自他は差別的であり、目的となる側からは自他は不二」である。カントには18世紀西欧の個人主義の傾向があるため、「本体人としての無差別性を人間の全体性として把握する」ことが、充分遂行できていないと指摘した。ここで本体人とは叡智的存在者のことであり、無差別性とは自他不二性である。和辻は、このようにカントを批評するのだが、カントの心霊論的信条についての考察を欠いている。少なくとも明示的には考察していない。和辻の倫理学は、人間の個人的・社会的の二重性格を具体的に解明した点で優れたものだが、目標とされる「人倫的組織」は、カントの「目的の国」が有する感性的かつ超感性的な二重性格を持っていない。
 和辻は、人倫的組織を家族、親族、地縁共同体、経済的組織、文化共同体、国家の6つに分けて考察し、「確固たる人倫体」を形成した諸国民が「諸国民間の人倫的組織としての世界国家」を形成するという世界の将来像を提示した。そこにはカントの永遠平和論の影響が見られる。カントの永遠平和論は、和辻を一例として現代にまで広く影響を与えている。次項はその点について書く。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「日本的倫理は世界的人倫実現の鍵~和辻哲郎(1)」「風土と文明と民族の心~和辻哲郎(2)」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind11.htm
 目次から30~31へ

■追記

 上記の掲示文を含む拙稿の全体を次のページに掲載しています。
 「カントの哲学と心霊論的人間観」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11c.htm
 また、紙製の拙著「人類を導く日本精神」の付録CDにデータを収納しています。

カント13~自由と人格

2013-09-03 08:52:06 | 人間観
●自由と人格

 私は、心霊論の観点からだけでなく人権論の観点からもカントに関心を持っている。カントは今日の人権の思想に大きな影響を与えている。ここからは人権論の観点を加えて書く。
 近代西欧における人権の観念の核心には自由がある。その自由が、自由な状態への個人の権利として希求されたところに、近代西欧の特殊性がある。自由は17世紀イギリスのホッブス、ロック、18世紀フランスのルソー等が理論的に思考し、イギリス・アメリカ・フランスの市民革命を通じて、権利として発達した。その自由を哲学的に掘り下げたのが、カントである。今日世界に広がっている人権の思想は、世界人権宣言に表現され、自由を中心に、理性、良心、人格、自己の尊厳、同胞の精神等を説くものとなっている。そこにおける人間観を、ロック=カント的人間観と私は呼ぶ。そこにはロックとともにカントの影響があると私は見ている。ただし、この2世紀の間にカントの思想は種々の批判を受け、大半は風化し、それでもなお残って半ば常識化した概念のみが用いられ、カントの影響はほとんど忘れられているという状態である。まして、カントにおける心霊論的な信条は忘れ去られている。そのため、世界人権宣言におけるロック=カント的な人間観には、心霊論的な前提が見失われている。
 さて、自由は、カントの道徳哲学で「要石」となる概念である。他の概念や神や不死は、自由から導き出されるからである。カントによれば、人間は、本能や衝動によって行動する動物的な存在者であるとともに、道徳的な義務を実践する理性的な存在者である。ここで重要なのが、意志の自由である。
 カントは、自然と自由を対比させ、自然は必然的な法則に支配されており、自然には自由は存在しないとした。理論理性は、自然法則を認識することはできるが、感性によって与えられる現象界を超えることができず、自由の実在性を証明することはできない。自由は、道徳の領域にのみ存在する。実践理性は、本能や衝動の克服を命令し、最高善をめざすために人格の自由という理念を要請するとした。
 人間は、自分の意志で行為する。その限りでのみ人間は自由である。カントは、次のように説く。「自由の概念は意志の自律の説明のための鍵である」「意志の自由は、自律すなわち自己自身に対する法則であるという意志の特質以外の何ものでありえようか」「自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない」と。またカントは「生得的な権利はただ一つである」として、「自由こそは、それが普遍的法則に従ってあらゆる他人の自由と調和しうる限りにおいて、この唯一、根源的な、その人間性のゆえに万人誰しもに帰属するところの権利である」と書いている。(『人倫の形而上学の基礎づけ』)
 カントの自由は、拘束や束縛のない状態、外的障害の欠如という消極的な概念ではなく、自らの意志で法則を制定するという積極的な概念である。積極的概念の自由は、自律と同義である。カントは、意志の自律とは「意志が彼自身に対して法則となるという、意志のあり方のこと」であるとする。自律の反対は、他律である。他律とは「対象が意志との関係を介して意志に法則を与えること」であるとする。(『人倫の形而上学の基礎づけ』) 自律は、単に自分で自分を規制するという程度のことをいうのではない。自らの意志で自己の法則を制定できることである。道徳の領域における立法者であることである。
 カントの自由は、現代人の多くが考える自由とは、大きく異なっている。現代人の多くは、自分の感性的な欲求のままに行動できることを自由と考える。カントにおいては、この状態は、本能や衝動によって行動している動物的な状態であり、自然法則に支配されている状態である。私見を述べると、ここには、自然界・現象界に存在することは不自由であり、自然界・現象界から超え出ることが自由であるという考え方がある。自然のままに生きるのが自由なのではない。自然のままに生きるのは不自由である。本能や衝動を規制し、自己に規律を課す道徳的実践は、不自由な世界から抜け出るという目的のための行為であり、自由への道になるというわけである。
 カントの自由は、意志が感性的な欲求に束縛されずに、理性の道徳的な命令に服することである。命法には、二種類ある。「○○ならば、△△せよ」と何かの条件付きで命じる仮言命法と、単に「△△せよ」と無条件に命じる定言命法である。定言命法は、何かのための義務ではなく、義務のための義務である。カントの道徳法則は、定言命法で表現される。道徳の最高原則は、「同時に普遍的法則としても妥当しうるような格率に従って行為せよ」だと説く。そして、自分の行為の個人的・主観的な規則である格率が、普遍的な道徳法則と一致するように行為することが、真の自由であるとカントは言う。
 ここにおいて、普遍的な道徳法則とは、『視霊者の夢』においてカントが書いた心霊論的信条に基づくものである。カントは、本書で道徳的衝動は「霊的存在を互いに交流させ合う真に活動的な力の結果」と考え、「道徳的感情とは個人の意志が一般意志にまさにその通りだと感じられるように拘束されていることであり、非物質的世界に道徳的統一を獲得させる上で必要な自然にしてかつ一般的な相互作用の所産ということになるだろう」と書いた。一般意志とは万人の意志であり、普遍的道徳法則を表す。拘束されているとは、それに一致するように導かれていることだろう。また「一般的な相互作用の所産」というのは、地上に天国を建設するように霊的な働きかけがされているということだろう。理性に従って道徳的に実践することを命じる定言命法は、人間が神―霊的共同体と繋がっており、神―霊的共同体から人間に命じられるものという考えが基本にあると見ることができる。
 カントは「あの世における生命は、魂がすでにこの世に生きている時持っていた結びつきの自然な継続となるであろう。さらにこの世で行われた道徳性のすべての結果は、あの世においても、霊界全体と不可分の共存関係にある存在が、すでに以前に霊の法則に従って行ってきた作用の中に再び見出されるであろう」とも書いた。これは現世における行動が原因となって、来世において結果を受けるという因果応報の考え方だろう。そして、先に私見を書いたが、カントは自然界・現象界に存在することは不自由であり、自然界・現象界から超え出ることが自由であると考え方をしている。自然のままに生きるのが自由なのではない。自然のままに生きるのは不自由である。本能や衝動を規制し、自己に規律を課す道徳的実践は、不自由な世界から抜け出るという目的のための行為であり、自由への道になるというわけである。
 道徳の最高原則は、「同時に普遍的法則としても妥当しうるような格率に従って行為せよ」だと説き、自分の行為の個人的・主観的な規則である格率が、普遍的な道徳法則と一致するように行為することが、真の自由であるとカントが説くのは、霊的共同体の一員として現世で道徳的実践をすることによって、来世で真の自由を得るという心霊論的な信条の現れと理解できる。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「カントの哲学と心霊論的人間観」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11c.htm

カント12~認識能力の検討(続き)

2013-09-02 08:45:59 | 人間観
●カントによる認識能力の検討(続き)

 カントが認識能力の検討を行う際、デカルトのコギトを前提している。デカルトは、方法的な懐疑を通じて、「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を哲学の第一原理とした。近代西洋哲学は、ここに始まる。カントのコペルニクス的転回は、自我を中心として哲学の諸問題を解明しようとするデカルトの立場を徹底したものだった。カントは、超越論的観念論の立場で、デカルトのコギトを再解釈した。カントは、悟性の最も重要な機能は、自我が感覚的多様性を自己の内で結合させて統一することであるとし、この機能を統覚 Apperzeption と呼ぶ。統覚は、「我思う」という形式で現れる自我の同一性である。コギトをカントの立場で解釈した根源的な自己意識である。カントは経験的統覚と超越論的統覚を区別し、超越論的統覚を、経験以前に経験による認識を可能にするものとして強調した。カントは感性・悟性・理性の他に構想力・判断力・共通感覚を挙げて認識能力の一致を追求したが、それらの諸能力を最も下で支えているとされるのが、超越論的統覚だということになる。
 自我の同一性は、「私は私である」という自己の同定によって保持される。反復的な自己同定によって、人格の統合がなされる。統合がうまくいかないと、人格の発達遅滞を生じたり、人格の分裂や崩壊を招いたりしかねない。自我の同一性は、身体的生命的自己に関してのみでなく、死後の人格的存在者または不滅が要請される霊魂に関しても想定される。それゆえ、超越論的統覚は重要な機能なのだが、カントはこれを悟性の機能とするのみで、それ以上、掘り下げていない。そのため、超時空的・超個人的な自我の同一性という課題は、浮かび上がってこない。
 さて、カントは、統覚を最重要機能とする悟性を、広義の悟性としている。そして、広義の悟性をさらに概念・規則の能力である狭義の悟性、判断の能力である判断力、推理の能力である理性に分ける。この分類では、理性は、根幹ではなく枝葉に置かれる。だが、カントは、理性は悟性に対しては、悟性を統御し、体系的統一的な認識を行う能力だとしている。また、理性には理論的な機能だけでなく実践的な機能があるとし、認識に関するものを理論理性、行為の原理となるものを実践理性とした。そして、実践理性の優位を説いた。この全体を樹状図で表すのは、困難である。カント自身が整理しきれていないからだろう。
 先に書いたように理性は、そもそも中世の西欧では知性より下級の能力だった。だが、カントは科学的認識から道徳的実践にまで関わる上級の能力に格上げした。これは、近代西欧の理性中心の考え方を押し進めたものである。それと同時に、カントは知性に含まれていたより高次の能力を検討の対象から除いた。中世的な知性は直観的な能力だったが、カントは、人間の悟性・理性には直観を認めず、知的直観は神の知性に特有のものとした。悟性は本来能動的であり、実在に関与する感性と一つになれば、主観が実在を創造するのと同じことになると考え、知的直観の有無に、神と人間、絶対者と有限者の区別を置いた。理性中心的だが、この点では人間理性が独断に陥ることを戒めている。
 カントは、世界を Sinnenwelt と Verstandeswelt とに分けた。前者は感性界と訳し、後者は悟性界ではなく叡智界または知性界と訳す。実はこの場合の Verstand は、中性的な知性の意味を保持しているからである。カントは、人間を単に感官的存在者ではなく、叡智的存在者であるとしており、知的直観は持たないが、最高の叡智的存在者である神と理性によってつながっているとした。この点は、カントが宗教否定・霊魂否定の合理主義者とは、異なる点である。カントは『視霊者の夢』において、霊魂との意思交通や共同体的なつながり、来世の存在を信じる考えを記した。私は、この心霊論的な信条がカントの道徳哲学の根底にあるものだと考えるのだが、カントが人間が単に感官的存在者ではなく叡智的存在者でもあり、神と理性によってつながっていると説いたのは、この信条をもとにした主張である。
 ここで複雑さを加えているのは、カントが人間は知的直観を持たないとする一方で、判断力という悟性・理性とは別の能力に注目したことである。カントの哲学は、感性界と叡智界、現象界と物自体、自然界と道徳界、自然と自由、実在と観念等を峻別し、一見二元論の構成を示す。しかし、カントは、その断絶をつなぐもの、二元性の根源にあるものを探求した。認識能力においては、それが判断力(Urteilskraft)とされる。判断力は、感性に対する広義の悟性が、狭義の悟性、判断力、理性に分けられるうちの一つである。判断力については、後に自然に関する項目に詳しく書くが、人間の根源的な認識能力ではなく、悟性と理性を媒介する能力である。カントが認識能力で最上位に置いているのは、理性であり、それに変わりはない。人間は理性的存在者と呼ばれる。叡智界における叡智的存在者も、理性的存在者と呼ばれる。判断力的存在者とは言わない。人間は理性的存在者であるから、道徳的実践を行う人格的存在者とされるのである。
 深層心理学の観点からは、こうしたカントの哲学は、理性を中心として、心をほぼ意識に限定し、無意識の領域を論議の対象から除外したものと見られることになる。これは別稿に書いた心の近代化に関わることだが、プロテスタンティズムによる宗教の合理化は、「世界の呪術からの解放」を進めた。「呪術の追放」は、カントによって、哲学の分野でも推進された。カントの理性に基づく道徳的な宗教は、キリスト教の合理化を進めたものである。ただし、カント自身は霊魂との交流や来世の存在を独断的に否定しておらず、誰もが経験することのできない事柄については、語るのを控えるという姿勢だった。
 大塚寛一先生は「結論の出ている哲学はひとつもない」と説かれている。真理に到達し得ていないということである。カントにしてまた同様である。ヤスパースは、著書『カント』にて、哲学者の立場から、カント哲学には矛盾があり、その根本思想には同義語反復、循環があると指摘し、カント自身がそれを認めていると書いている。だが、それでもなおカントの哲学は、彼以後の人類の思想に多大な影響を与えてきている。矛盾や限界も含めて、カントは彼以後の哲学がそこから流れ出る大きな水源となっている。
 カントの死後、間もなく中世的な知性の復権を目指す動きや、反対に宗教的・心霊的な要素を排除しようとする動きが現れた。前者は観念論や唯心論の系統であり、後者は唯物論の系統である。前者はフィヒテ、シェリング、ヘーゲルが、後者はフォイエルバッハ、マルクス、エンゲルスが展開した。その後、19世紀末葉に、「カントに帰れ」と唱える新カント派が登場し、カントの思想を改めて継承・発展させようとした。その際、カントにおける心霊論的な信条は捨象され、カントの哲学は、近代的自我による理性中心の思想へと単純化された。そのため、カントの認識能力検討における心霊論的な観点から見た時の問題点は、あまり注目されずに来た。超時空的・超個人的な認識能力が検討課題に挙がっていないことである。それは、『視霊者の夢』以降のカントの基本姿勢による。カント以後、この課題にいち早く取り組んだのは、ショーペンハウアーである。ショーペンハウアーについては、彼の影響を受けたユングについてとともに、次章に書く。

 次回に続く。

カント11~認識能力の検討

2013-09-01 09:32:35 | 人間観
●カントによる認識能力の検討

 カントは、『視霊者の夢』での独断的形而上学と夢想的視霊者の考察と、それによる両方の否定によって、批判主義的な形而上学へと進んだ。新カント派西南カント学派の創始者ヴィンデルバントは、形而上学が人間理性の限界についての学問である点にカントの批判主義の重点を見ようとするなら、批判主義の起源は1766年まで遡らなければならないと言っている。この見方は、心霊論的な観点からカント哲学の展開を見てこそ、真に妥当なものとなる。
 カントの批判哲学は、『視霊者の夢』における霊魂・霊界の考察を経て、人間の認識能力を根本的に検討することによって形成された。カントは、『純粋理性批判』で、認識は主観の側の形式によるとした。これは、西洋哲学史におけるコペルニクス的転回となった。認識内容は、主観が客観を模写したものではなく、主観が客観を構成する。認識できるのは、現象だけであって、現象の背後の物自体は認識できないとした。
 カントの哲学は、超越論的観念論と呼ばれる。超越論的 transzendental は、先験的とも訳すが、認識について、対象に関わるのではなく、対象の認識の可能性の条件に関わる性格である。「経験が必然的にわれわれのア・プリオリな表象に従う際の原理」(ジル・ドゥルーズ)を指す。超越論的観念論は、認識は経験とともに始まるが、それが可能になるのは、主観のア・プリオリな直観及び思考形式によって、客観的な対象が構成されるからだとする認識論上の立場をいう。
 カントは、三大批判書で、人間の精神的な能力を、認識能力・欲求能力・快不快の感情に分ける。カントは、認識能力を大きく受容的な感性と能動的な悟性・理性に分ける。さらに感性と悟性を媒介するものに構想力、悟性と理性の中間項に判断力がある。また諸能力の一致は、共通感覚を定めるとする。このようにカントの認識能力の分析は複雑だが、カントの前提する心霊論的信条を踏まえると、認識能力のうち、最も重要なのは理性である。理性には、理論的側面と実践的側面があり、認識能力だけではなく、欲求能力・快不快の感情を含む精神的な諸能力に通底する。また感性界だけでなく超感性界にも一貫し、人間だけでなく、叡智的存在者にも共通する。カントの心霊論的信条は超感性的な存在者に係るものだから、最も重要な能力は理性であると理解される。実際カントは、感性・悟性・理性のうち、理性を最上位に置く。
 感性は、独語Sinnlichkeit、英語 sensibility、仏語 Sensibilite 等の訳語であり、身体に基づく感覚的な能力である。理性は、独語 Vernunft、英語 reason、仏語 raison の訳語である。ギリシャ語の logos、nous、ラテン語の ratio も理性と訳す。理性は、古来西洋で、人間と動物を区別する能力とされた。今日一般には、概念的思考の能力をいい、感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力をも意味する。これに対し、カントの悟性は、カント及びドイツ哲学に特有の用語である。独語 Verstand の訳語であり、英語では understanding である。
 西洋中世では、人間の認識能力は、神に関わる知性 intellectus、被造物である自然に関わる理性 ratio、身体的感覚による感性 stomachus に分けられていた。知性は、キリスト教の信仰をもとに、人間の魂の最高段階にあって、実在を直接把握できる能力を意味した。またそれ自身が現象界を超えた形而上学的実在、不死の精神とされた。現代の言葉で言えば、霊性に近い。これに対し、理性は、ratio が比・比率を意味するように、比較・推量や論証の能力を意味した。現代で言う知性に近い。
 ドイツでは、ルターが聖書の独語訳を行って、独語による思考が普及すると、中世的な知性に Verstand、理性に Vernunft の語を充て、Verstand(知性)は心の最高で内的な働きとして、Vernunft(理性)より上位に置いていた。ところが、カントは、Verstand の能力は直接実在を把握することではなく、感性が受容した素材に概念を適用することにあるとして、その能力を限定した。そこでカントの Verstand は、中世的な知性と区別するため、「悟性」と訳される。カントにおいては、理性が上位で悟性が下位に逆転した。
 カントの悟性は、感性と協同で認識を行う。感性は、対象を直観する受容的な能力であり、悟性は対象を概念で思考する能力である。カントによると、感性には空間・時間というア・プリオリ(先験的)な直観形式、悟性にはカテゴリーと呼ばれるア・プリオリな思考形式がある。感性に基づく素材は、悟性の思考形式が適用されることで表象が可能になるとした。カテゴリーは純粋悟性概念とも呼ばれ、量、質、関係、様態のもとに、それぞれ単一性・数多性・全体性、実在性・否定性・制限性、実体性・因果性・交互性、可能性・現実性・必然性の12を挙げている。
 なお、これらが、文化や時代を超えて普遍的な形式であるとは、カント以後、証明されていない。カントの考えた感性の直観形式も悟性のカテゴリーも、過去の諸世代の経験が継承・蓄積され、歴史的・文化的・社会的に形成されたものであり、種としての本能的なもの、また固定的なものではない。
 カントは、感性のア・プリオリな直観形式としての空間・時間と、悟性のア・プリオリな思考形式としてのカテゴリーの協同によって確実な学的認識たり得ているとして、数学・自然科学の基礎づけを試みた。感覚は、構想力によって図式を介してカテゴリーにまとめられるとし、図式として時間の流れ・内容・順序・総括を挙げた。これらをカテゴリーの量、質、関係、様態に対応させて、時間をもとに、数学・自然科学の基礎づけを行っている。ここでの時間は、空間化された時間だろう。
 この基礎づけの際に、カントが、スヴェーデンボリのような人間には視霊、霊との交流、遠隔視等の認識が可能となることを想定に入れたかどうかは、分からない。しかし、カントが考えたように時間と空間が客観的な実在ではなく、主観的な直観形式であれば、特殊な能力を持った人間は、時間や空間を超えてものを認識したり、霊と交流したりし得る可能性が考えられる。その場合は、時間と空間は別々の次元ではなく、連続的なものと仮定する必要がある。この点は、後にショーペンハウアーやユングが取り組んだ課題である。カント自身は、超時空的・超個人的な認識を含む認識能力の基礎づけに、成功していない。時間と空間の相関性、直観形式としての時間と生きられる時間の関係について考察が不十分であり、積極的に基礎づけに取り組んだ形跡はない。
 感官を通じて経験する現象界は、主観の認識能力が異なると、違う様相を表す可能性がある。現実に存在するが通常の意識では見えないものを透視したり、遠隔視したりすることが起こり得る。また普通の能力の人間には見えない霊的存在者や霊的世界を見たりすることも起こり得る。だが、近代西洋では、誰でも経験できることに、科学の研究対象と哲学の思考対象を限定した。近代西欧科学は、客観性・再現性・法則性のある現象に、実験と観察の対象を限定した。カントは、人間理性の理論的な認識の対象を、こうした現象に限定した。ただし、道徳的な実践のために、神の存在、霊魂の不滅、人格の自由を要請するという仕方で、科学と道徳・宗教の両立を図る道を進んだ。

 次回に続く。

カント10~心霊論的信条を保持

2013-08-30 08:43:58 | 人間観
●独断篇に書いた心霊論的信条を保持

 カントは、『視霊者の夢』第1部第2章に、次のように書いた。
 「この世にもあの世にもメンバーとして属しているのは常に同一の実体であり、二つの種類の表象は、実は同一主体に属し、互いに結び合わさっている」と書いている。これは、同一の主体が、物質的な身体と非物質的な霊魂を持ち、身体と霊魂が結合していることをいうものだろう。
 またカントは「われわれが、明瞭さを獲得するために、霊の概念にかなり近いわれわれの高度の理性概念に普通いわば物質的な衣装を着せる有様をじっくり観察するならば、これについての可能性がわかりやすくなるであろう」と書いた。カントの考える人間理性は階層的であり、高い階層は霊の概念に近いことを示唆している。
 理性に従って道徳的に実践することを命じる定言命法は、人間が神―霊的共同体と繋がっており、神―霊的共同体から人間に命じられるものという考えが基本にあるのだろう。カントは、道徳的衝動は「霊的存在を互いに交流させ合う真に活動的な力の結果」と考え、「道徳的感情とは個人の意志が一般意志にまさにその通りだと感じられるように拘束されていることであり、非物質的世界に道徳的統一を獲得させる上で必要な自然にしてかつ一般的な相互作用の所産ということになるだろう」と書いた。一般意志とは万人の意志であり、普遍的道徳法則を表す。拘束されているとは、それに一致するように導かれていることだろう。また「一般的な相互作用の所産」というのは、地上に天国を建設するように霊的な働きかけがされているということだろう。
 またカントは「人間の魂は、この世に生きている時でも、霊界のすべての非物質的存在と解きがたく結ばれた共同体の中にあること、さらに、人間の魂は、交互に霊界内に作用し、霊界からも印象を受けているのだが、すべてが調子よくいっている時は、魂は人間としては意識されていないということは、大学の講義流に言えば、すでに証明されたも同然か、あるいは、もっとつまびらかに研究すれば容易に証明されることとされるだろう。いっそう巧みに表現すれば、どこで、いつということは、私にも分からないけれども、きっと将来、証明されることになるであろう」と書いた。この信条は、後のベルグソンやユング、トランスパーソナロジストに通じる。18世紀において、将来証明されることを期待して、自分は自分の時代でできることをするというカントの選択は、賢明なものだったと私は評価する。
 またカントは「人間の魂はすでにこの世に生きている間にも、道徳的状態に従い、おのれの場所を宇宙の霊的なもろもろの実体の中に占めねばならないということが起こってくる。それはちょうど、運動の法則に従い、宇宙空間の物質が、それぞれの物質的な力に即した秩序の中に互いに位置を占めるようになるのと同じようなことである」と書いた。カントは、現象界・自然界を貫くニュートンの物理学的法則と同じような法則が、道徳の領域、叡智界を貫いているのだろうと考えていた。
 またカントは「あの世における生命は、魂がすでにこの世に生きている時持っていた結びつきの自然な継続となるであろう。さらにこの世で行われた道徳性のすべての結果は、あの世においても、霊界全体と不可分の共存関係にある存在が、すでに以前に霊の法則に従って行ってきた作用の中に再び見出されるであろう」と書いた。これは現世における行動が原因となって、来世において結果を受けるという因果応報の考え方だろう。
 上記にカントが心中持ち続けた人間観、道徳観が書かれていると私は考える。カントは、ここで、人間は現世にあっても、常に霊的共同体の一員として存在しており、霊的存在と相互作用している。人間は感性界・現象界に身体的生命を受けて生活しているが、同時に魂は叡智界につながっている、といった心霊論的な信条を書いている。
 カントは、『視霊者の夢』の第2部第3章で、独断的形而上学者の説くことも夢想的視霊者の描くこともともに斥けて、人間理性の限界を定める学へ向かう意思を述べた。この時、カントは、霊魂や霊界の存在を否定してはいない。第1部第2章に書いた心霊論的信条を否定していない。斥けるのは、経験することのできないことを思弁する態度や、霊魂や霊界に過度の関心を持ち、現実の世界における務めを疎かにする態度である。スヴェーデンボリのような視霊者は、例外的な存在である。視霊者の為すことや語ることは、一部は事実のようでもあり、また多くは幻想のようでもある。霊魂や霊界に係ることは、誰もが経験できることではない。客観的に検討し、真偽を判断することは困難である。霊魂や霊界に関することは、誰もが経験できることではないので、立ち入らず、あえて語らないという態度を取ることにしたのだろう。
 『視霊者の夢』刊行後、カントはスヴェーデンボリをどう評価していたか。『視霊者の夢』出版の4年後、カントはケーニヒスベルク大学の教授になった。その後、10年以上の長い沈黙期間を経て、『純粋理性批判』を出版し、不動の名声を確立した。この沈黙の期間の講義で彼が再びスヴェーデンボリに言及し、次のように評していた。
 「スヴェーデンボリの思想は崇高である。霊界は特別な実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない叡智界である、と彼は述べている」(K・ベーリッツ編『カントの形而上学講義』)。
 ここには、『視霊者の夢』第2部で、スヴェーデンボリに対し、「一滴の理性も見当たらない」「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と、強く否定的に書き、揶揄したカントは、影を潜めている。「霊界は特別な実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない叡智界である」というスヴェーデンボリの思想と、カントの思想は基本的な考え方において一致している。霊界の構造やそこにおる歴史的な人物の霊がどういう状態になっているかというような具体的な話を別とすれば、感性界と区別されるものとして叡智界の存在を述べる点では、カントとスヴェーデンボリは、共通している。だが、スヴェーデンボリは、優れた数学者、自然科学者でもあったが、晩年ますます霊界の研究に没頭したため、カントのように、科学と道徳・宗教を両立させ、現実社会における道徳的実践を来世の幸福にも意義あるものとする哲学を構築することはできなかった。カントは、心霊論的信条を保持しつつ、批判哲学を樹立したことにより、その思想は今日にまで広く影響を及ぼしている。

 次回に続く。

カント9~「形而上学の夢」への断罪

2013-08-29 08:43:22 | 人間観
●「形而上学の夢」への断罪

 歴史篇の第2章の途中で、カントは、「私は、実際には、はじめに打ち出した目的よりも、ずっと重要に思われる目的を念頭に置いており、そのことはうまく達成できたと思っている」と書いている。読者はここで初めてカントの秘められた意図を知らされることになる。
 カントは「形而上学が二つの利点を示してくれた」とし、一つの利点は、独断的形而上学では、「解答は出ないままであった」とする。そして、もう一つの利点は、形而上学は、「人間理性の限界についての学問」であるとし、この部分も主旨が明瞭でないが、私は、この「目的」とは、独断的形而上学によっては、霊魂や霊界について「解答」は出ないことを示すこと。その一方、「人間理性の限界についての学問」である新しい形而上学が必要であることを示すことと理解される。
 カントは、独断的形而上学は、理性による夢想をしており、視霊者スヴェーデンボリは、感覚による夢想をしているとして、これら双方を斥けて、新しい形而上学の構築へ向かう。カントによれば、独断的形而上学(数学、自然科学を含む)の認識も、視霊者の認識も、ともに主観的な構成物であり、現実的な経験に基づく思考ではなく、経験を超えた夢想という点では同じである。そのうち、独断的形而上学の理性の編み出した幻想は、あまりにも現実から遊離していている。空想をほしいままにする理性は、まともに現実の世界に取り組んでいる悟性の力を消滅させるという。そして、カントは、次に言う。「偽りの物語への軽率な信仰によってだまされるよりも、理性の似非根拠への盲目的な信頼によってだまされる方が、なぜまさにいっそう称揚すべきでもあると言うのであろうか」と。これは、ライプニッツ、ヴォルフを批判するために投げかけた疑問だろう。スヴェーデンボリの霊界訪問記の方が、独断的形而上学の夢想よりましということになる。それほどまでにカントは、独断的形而上学に対して、厳しく批判的な態度を示している。そして、『視霊者の夢』は、視霊者の夢想を検討することを通じて、実は独断的形而上学の夢想を批判することに、真の目的があったのだというのである。
 そしてカントは、現世にあって現実の世界で為すべきことを為すことが大切だという道徳論的信条を次のように述べる。
 「目的地に達する以前にわれわれは、ちょうどデモクリトスのように形而上学のチョウの羽に運ばれて虚空をさまよい、そこで、霊の姿をした者たちと語り合った。だが今や自己意識の凝縮力が、絹のような羽を閉じたので、われわれは再び経験と通常の悟性という低地の上で、われとわが身を見ることになった。もしわれわれがこの低地をわれわれが罰せられずにはけっして脱出することができない土地であることを悟り、さらにこの土地こそわれわれが有効な事柄のみに取り組む限りわれわれを満足させてくれるすべてを含んでいると悟るようになれば、何と幸福なことであろう!」と。
 カントは、霊界または夢想の世界から戻って「経験と通常の悟性という低地」に立ち、現実の世界で有効な事柄に取り組むべきこと、また現実の世界はわれわれを満足させてくれるものをすべて含んでいることを悟るべきだと説いている。
 そして、第三章「本論文全体の実践的結末」で、カントは『視霊者の夢』全体の結論として、次のように書いている。
 「そうはいうものの死んでしまえばすべてが終わりだとの考えに耐えられず、持ち前の気高い人情に基づいて未来に希望をつないでいないような優れた魂の持ち主は決していなかった。したがってあの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものだとする方が、逆に良い行為は、実はあの世への期待があるからだとするよりも、人間の性質と、道徳の純粋さにずっと適しているように思われる」
 「人間の理性もわれわれにあの世の秘密を隠しているあの高い夢を、眼前から取り払うことができるほど高揚することはない。さらに熱烈にその世を渇望する好奇心旺盛な人々に対しては彼らがあの世に行くまで、じっくり待つことに甘んじるならば、それがいちばん得策だという、単純だけれども、極めて自然な回答を与えることができよう。そうはいうもののあの世におけるわれわれの運命は、おそらくわれわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっているらしく思われることからしても、私は本論文をかのヴォルテールがあの誠実なカンディードに、多くの無駄な学問論争のあと最後に言わせた『われわれはおのれの幸福の心配をしよう。庭に行って働こうではないか』という言葉を以て閉じることにする」と。
 上記の結論を要約すれば、あの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものである。あの世に行くまで、じっくり待つのが、いちばん得策だ。あの世におけるわれわれの運命は、われわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっている、ということになるだろう。
 カントは、『視霊者の夢』の第1部第4章で、霊魂・霊界については、いろいろ考えても分からない。経験に基づかないことだから、霊魂や霊界については、これ以上語らないことにしよう。今後、再び霊に関する材料を取り上げて、検討することはしないという主旨を書いていた。そして、第2部第3章本書全体の結論部では、あの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものである。あの世に行くまで、じっくり待つのが、いちばん得策だ。あの世におけるわれわれの運命は、われわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっている、という主旨の結論で締めくくったわけである。
 こうした結論を読むと、一見カントは、本書第1部第2章に書いた心霊論的信条を否定したかのように見えるが、それは今後、霊魂や霊界については語らない、現実の社会で為すべきことを為すという態度を決めただけであって、実際は、カントは第2章に書いたことを信条として持ち続けた。その信条は、カントの人間観、道徳観の根底にあるものであり、『視霊者の夢』以後に展開する批判哲学、またそれによって構築された道徳哲学の前提となっていると私は考える。そこで、次に再度、カントが『視霊者の夢』第1部第2章に書いたことを振り返っておこう。

 次回に続く。

カント8~『視霊者の夢』第2部のスヴェーデンボリ論(続き)

2013-08-28 10:01:56 | 人間観
●第2部歴史篇におけるスヴェーデンボリの考察(続き)

 続いて第2章「夢想家の有頂天になった霊界旅行」で、カントは、スヴェーデンボリの著書『神秘な天体』について書いている。その内容について、金森氏は次のように述べている。カントは「『神秘な天体』は、ナンセンスでいっぱいであり、また著者の文体は平板であるとしている」「カントはさらに彼の物語やまとめ方は狂信的直観から発しており、物事を逆へ逆へと考えていく理論的迷妄によって動かされているとし、『彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない』と断言している」と。金森氏は、カントの否認的な姿勢を強調する。
 カントは、第2章に、実際どのように書いているか。
「彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない。それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」
 「この著述家の大労作は、ナンセンスでいっぱいの四つ折り判8巻からなっており『神秘な天体』と題し、世界に対する新しい啓示として刊行された」
 「著者の文体は平板である。彼のもろもろの物語や、まとめ方は、実際に狂信的な直観から発したように思われる。さらに、こうしたことを創作し、嘘偽りを仕掛ける目的に従って物事を逆に逆にと考えていく理性の所産である理論的迷妄がもしかして彼を動かしたのではないかという疑いも多少でてくる」と。
 確かにカントは「一滴の理性も見当たらない」「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と、強く否定的な言葉を書き連ねている。ただし、そのうち、金森氏が「『彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない』」と断言している」と書いていることについては、その部分にすぐ続けて、カントは「それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」と述べている点に注意したい。「一滴の理性も見当たらない」と断言しながら、「理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」と書くのは、先の断定が間違っているか、後の一致が誤った思い込みか、のどちらかだろう。
 いずれにしてもカントは、スヴェーデンボリの描く霊界訪問記を「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と見るのだが、それはカントが霊魂や霊界の存在を否定しているからではない。実は欧米のキリスト教徒には、神や天使や霊魂の存在は信じるが、スヴェーデンボリの霊界訪問記に対しては、これを受け入れないという人が少なくない。スヴェーデンボリは、自分の視霊体験によって、聖書の創世記・黙示録等を独自に解釈しているが、その解釈にはキリスト教諸派の教えと相容れないところがある。特にキリスト教学の基礎を作ったパウロが地獄に堕ちていると書いていることは、キリスト教徒の多くが拒否するところだろう。スヴェーデンボリは、イエズス会を非難し、これも地獄に堕ちているという。同時代のスェーデン王カール2世については、悪霊中の悪霊というような、激しく感情的な評価をしている。このような具合だから、丸ごと無批判に信じる人は、少ないのである。
 ここで独断篇におけるカントの心霊論的信条を思い起こす必要がある。カントは霊魂や霊界の存在を否定していない。霊魂や霊界の存在は信じるが、スヴェーデンボリの霊界訪問記については幻想という見方をしているのである。
 私見を述べると、私は、自らの体験をもとに心霊論的人間観を持つ者だが、スヴェーデンボリの霊界訪問記については、ほとんど受け入れられない。スヴェーデンボリの霊界訪問記が何らかの霊的体験に基づいているとしても、霊界の一部を見たことを想像力で膨張させ、または幻想が多く加わり、一種の体験的幻想文学とでもいえるような類のものになっていると思う。
 ちなみにキリスト教と仏教では、天国と地獄、極楽と地獄の構造や様相が異なる。スヴェーデンボリの描く天国や地獄は、キリスト教文化圏のイメージであり、文化や宗教を超えた普遍性がない。霊魂について、キリスト教の最後の審判説と、ヒンズー教の輪廻転生説では、体験する内容が異なる。霊界を語る霊能者は、スヴェーデンボリ以後の欧米にも今日の日本にもいるが、みな話が違っている。その違いを表現することが、主張や著書の市場価値を高めることにもなっている。いくばくかの霊的体験をもとに、あたかも霊界を知り尽くしているかのごとく、霊界の構造や過去の人物の境涯等を書いている者がいるが、だれも客観的に確認できないことをいいことに、霊的経験のない大衆を驚かせ、惑わし、生活の糧にしていると思われるものが目立つ。
 それゆえ、カントがスヴェーデンボリの霊界訪問記を慎重に検討したのは賢明だったと私は考える。またスヴェーデンボリの霊界訪問記を概ね幻想と判断する一方、霊魂や霊界の存在は否定せず、その存在を信じる態度を維持したのも賢明である。物質科学の成果を認めることと、科学ではまだ解明できていない霊魂や霊界を信じることは矛盾しない。また、顕著な遠隔視やテレパシー、透視は認めるが、霊的交通は認めないとか、事実の裏付けの取れる霊的交通は認めるが、霊界訪問記は認めないといった態度も取り得る。

 次回に続く。

カント7~『視霊者の夢』第2部のスヴェーデンボリ論

2013-08-27 08:45:48 | 人間観
●第2部歴史篇におけるスヴェーデンボリの考察

 次に第2部歴史篇に移る。この部分こそ、カントが視霊者スヴェーデンボリを直接対象とした部分である。第1部独断篇では結論部で不可知論的な立場を表明したものの、霊魂の考察の過程では心霊論的信条を書いていたカントが、歴史篇では、スヴェーデンボリに対して、懐疑的で揶揄的な態度を示す。
 歴史篇でカントが取り組んだのは、同時代のスヴェーデンボリ一人である。歴史篇と題しながら、過去に事例を探ることなく、また同時代に他の視霊者の事例を集めることもない。キリスト教文化圏には、聖書があり、そこには神や天使や霊魂や霊界に関することが随所に書かれている。だが、それらについては、検討しない。ただ一人、スヴェーデンボリだけを対象とする。また著書と伝聞だけで判断する。スヴェーデンボリに直接会っていない。カントは、自分の目で、耳で検証しようとしていない。
 第2部第1章「それが本当かどうかは読者の皆さんの随意の探究にお委せする一つの物語」で、カントは、まずスヴェーデンボリの視霊能力または超能力に関する三つの逸話を紹介する。そのうちの二つは、8年ほど前にクノープロッホ嬢宛の手紙に書いたものだった。その逸話こそ、カントがスヴェーデンボリに強い関心を持つきっかけとなったものである。カントは、『視霊者の夢』で三つの逸話を紹介するにあたり、まず「ほら話」と前置きする。「それが本当かどうかは読者の皆さんの随意の探究にお委せする」とも書いてはいるが、「ほら話」と前もって書くことによって、読者を否定的な見方へと誘導している。
 その三つの逸話を転載しよう。
 「1761年のおわり頃、スヴェーデンボリ氏は、たいへん頭がよく、洞察力も深いことからよもやこの種の事柄に関与することはありえないと思われたある大公婦人に招かれた。どうしてそのようになったかというと彼が見たという幻視がたいへん評判になっていたからである。実際にあの世からの情報を聞くというよりむしろ、彼がくりひろげる空想の数々をたのしむことを狙ったいくつかの質問をしたあと、大公夫人は、霊の共同体にかかわる秘密の使命を彼に前もって与えたあと、別れを告げた。数日後スヴェーデンボリ氏は、大公夫人自身の告白に従えば彼女の度肝をぬくほど驚かせたような返答をもって現れた。この返答がまさに適中しており、しかも現存生存中の人ならとうていスヴェーデンボリ氏に与えられないような返答であることを彼女が発見したのだ。この実話は、そのころストックホルムにおり、同地の宮廷に駐在した使節が、コペンハーゲンにいた他の外国使節に与えた報告にもとづいており、特別の問い合わせに応じてなされた調査結果ともぴたりとあっていた。
 次にかかげるもろもろの実話も正鵠を得た証明になるかどうかはなはだあやしい大衆の風説以外の何らの保証もえられていない。スウェーデン駐在のオランダ公使の未亡人、マルトヴィーユ夫人は、ある金属細工師の家族から製作済みの銀製食器の未払分の支払いを求められた。亡夫が几帳面に家計のやりくりをしていたことを知っていた彼女は、債務は夫の生存中すでに支払済みであったと確信していた。そうはいっても彼女は彼からのこされた書類の中から証拠になるものを見出せなかった。この婦人は占い、夢判断、その他ありとあらゆるオカルト的な事柄にまつわる実話をとりわけ信用する傾きがあった。そこで彼女はスヴェーデンボリ氏に、彼と死人の魂と交渉があるとの噂がもしほんとうならば、あの世にいる亡くなった主人から、例の支払い要求の一件はいったいどんな事情になっていたのかという情報を聞き彼女にしらせて欲しいと依頼した。スヴェーデンボリ氏はその実行を約束し、数日後夫人の家に赴き彼が求められた情報を集めたと述べ、さらに夫人の考えではすっかりからっぽになっているはずの戸棚を示し、そのなかに、必要な領収書の入っているかくれた引き出しがあることを報告した。そこでただちにこの報告に基づいて調査が行われたところ、オランダ国政府の機密文書の他にすべての債務が完済されていることを示す証拠書類が見つかった。
 第三の実話は、正しいか、それとも正しくないかの完全な証明がきわめて容易に与えられるような種類のものである。わたしが正しく伝えているとすれば、1759年(ほそかわ註 正しくは1756年)の終りの頃、イギリスから帰国したスヴェーデンボリ氏は、ある午後イエーテボリに上陸した。彼はその晩、同地の商人の会合に招かれたが、しばらく同席しているうちに、驚愕の表情をあらわにしながら、いまストックホルムのゼーデルマルム地区でおそろしい火災が発生したとの情報を伝えた。途中で何度も座をはずしたが、数時間後、彼は参集者一同にたしかに火災は一面にひろがったもののついにおさまったと報告した。その夜のうちにたちまちこの不思議な情報が広がり翌朝には全市に伝えられた。しかし2日たってはじめて、スヴェーデンボリ氏の幻視と完全に一致したといわれる報告がストックホルムからイエーテボリに入ってきた」
 以上である。カントは「ほら話」と前置きした割に、第一の例については、「そのころストックホルムにおり、同地の宮廷に駐在した使節が、コペンハーゲンにいた他の外国使節に与えた報告に基づいており、特別の問い合わせに応じてなされた調査結果ともぴたりと合っていた」と書いている。肯定的な書き方である。第二の例については、前置きに「次に掲げるもろもろの実話も正鵠を射た証明になるかどうかははなはだあやしい大衆の風説以外の何らの保証も得られていない」と書いた。これは否定的または判断を保留した書き方である。第三の例は、「正しいか、それとも正しくないかの完全な証明が極めて容易に与えられるような種類のものである」とし、友人が現地調査をし、多数の証言者の話を聞いてきた話だと書いた。これは肯定的な書き方である。
 第一の例は、霊的交通またはテレパシー、第二の例は霊的交通または透視、第三の例は遠隔視の例である可能性がある。これら三例に対するカントの態度に共通しているのは、自分自身が調査して真偽を確認していないことである。特に第三の例は、「正しいか、それとも正しくないかの完全な証明が極めて容易に与えられるような種類のものである」と書き、友人が現地調査をし、多数の証言を聞いてきたと書いているのに、カントは正しいか正しくないかの「完全な証明」が得られたとも、そうでないとも自分の判断を示していない。強い関心を示し、事実である可能性を示唆しながら、一方では否認したいという心理が働いているものだろう。だが、肯定するなら肯定の根拠を、否定するなら否定の根拠を示さなければ、単なる伝聞の紹介に過ぎない。常識では考えられないから、信じられない、だから「ほら話」だろう、と言っているのと同じである。自然科学の研究をしてきたカントであれば、これらの逸話について、自ら立ち入って検討すべきだったと私は思う。

 次回に続く。