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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

憲法:天皇は「元首」と規定すべき~大原康男氏

2013-07-04 09:28:01 | 憲法
 現行憲法において、天皇は、日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であると規定されている。天皇を象徴とする規定は、国民の間に定着しており、今後制定すべき日本人自身の手による憲法においても、この規定は維持すべきである。
 課題は、日本国の元首をどうするかである。元首は、対外的に国家を代表する存在である。欧州の多くの君主国の憲法では、国王は単なる象徴ではなく、元首であることが明記されている。明治憲法では、第4条に「天皇ハ國ノ元首」と明記されていた。昭和憲法では、元首の地位については、はっきりしていない。新憲法では、この点を明確にする必要がある。
 天皇は日本国の象徴であり、日本国を対外的に代表して、外交上の国事行為を多く行っている。昭和憲法には天皇を元首とする規定はないが、天皇をわが国の元首とするのは政府の公式見解であり、また最も有力な学説である。政府の見解は、わが国を立憲君主国としている。天皇が諸外国をご訪問される場合、訪問国で礼砲の数等、元首としての儀礼を受けている。それゆえ、憲法に天皇を元首と明記することは、実態を表すものとなる。
 天皇を元首と規定しても、それは天皇が政治にかかわることにはならない。天皇の国事に関するすべての行為は、内閣の助言と承認を必要とし、その行為の責任は、内閣が負うからである。それゆえ、新憲法には、天皇を元首と規定すべきである。
 国学院大学教授の大原康男氏は、「これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない」と述べたうえで、氏が起草委員を務めた産経新聞社の「国民の憲法」の規定を紹介している。同憲法案では、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」とし、第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」と規定している。優れた案の一つだと思う。
 以下は、大原氏の記事。

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●産経新聞 平成25年6月7日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130607/imp13060703040001-n1.htm
【正論】
国学院大学名誉教授・大原康男 「象徴」では曖昧な天皇の地位
2013.6.7 03:03

 皇太子殿下が平成5年に雅子妃と結婚されてこの9日で20年になる。まことにおめでたいことで、心からお祝い申し上げたい。いずれの日か皇位につかれ、第126代の天皇として国民に臨まれることになるが、ますますのご健勝を改めてお祈りする次第である。

≪広範な意味持つ「シンボル」≫
 周知のように、日本国憲法は、首章に8カ条にわたって「天皇」の条項を設けていて、第1条で、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という基本的な地位が定められている。だが、その正確な法意を認識している人がどれだけいるのか、今でもしばしば論議されることがある。
 施行以来、明治憲法の58年を超えて66年にも達しているというのに、こうした言及がなされるのは、「象徴」という語が公布の当初から法の用語としてなじみにくいとされていたからであろう。
 確かに、手元の辞典をひもといてみると、「象徴」は「形を持たない事物・思想・情調などの観念内容を示す記号で、それ自身でも独立した意味と存在を持つ感性的な形象または心象」とある。
 明治の啓蒙思想家・中江兆民が『維氏(ヴェロン)美学』(明治16年)を翻訳した際、フランス語のsymbole(英語形がsymbol)に当てた語が、ルーツとされる。文学や宗教・美術などの分野ではしばしばお目にかかるものの、法学には縁が薄く、これまでも立法例がごく限られていた。それゆえ、天皇の地位を表す言葉として、すぐには一般に溶け込みにくい概念であったことは否めない。
 しかし、時間の経過とともに、「象徴」は漸次、国民の間に浸透していき、今日ではほとんど違和感なく受け止められている。各種世論調査でも、「象徴天皇制」への支持は常に90%前後ある。
 にもかかわらず、これまで私がいつも気になっていたのは、「象徴」という語を認知する圧倒的多数の国民が、その言葉によって、どのような天皇像を具体的にいだいているのかという点だ。

≪国の内と外で違う位置づけ≫
 憲法制定議会では、天皇をいわゆる“憧れの中心”とする、いささかメルヘンチックな説明がなされた。その後、「象徴」には、単に“シルシ”といった静態的概念にとどまらず、結合、合一のような動態的意味が含まれているとの理解が有力になってきた。「象徴天皇」は、国家という共同体を構成するさまざまな分子の精神を、ある一点に集中・収斂(しゅうれん)させ、歴史的連続性の共有意識や、対外的・文化的連帯感を育成・強化させるように期待されているとする、積極的・能動的な解釈である。
 そこから、施行以来、極めて制限的に解釈されてきた憲法の「国事行為」を補うものとして、象徴たる地位に基づく「公的行為」という新たな範疇(はんちゅう)が生み出された。
 例えば、「全国戦没者追悼式」や「植樹祭」など国家的行事・儀式へのご臨席や、国民との交流を深める全国ご巡幸、さらには現実政治を超えたところで行われる国際親善活動、いわゆる“皇室外交”(宮内庁は「外国交際」と称している)などがよく知られている。これらは、その必要に応じて解釈・運用上案出されたものだけに、「国事行為」との関係で整合性に欠けるところが少なくない。
 もう一つ、「象徴」は、明治憲法では明記されていた国家の「元首」としての地位を含んでいるのか、というこれまで何度も繰り返されてきた問題がある。
 これは、「元首」の定義によって分かれる議論である。これまでの政府見解は、天皇は対外的には「元首」であるとしてきたものの、国内法上の地位については明言を避けてきたため、いまだに決着がついていない。これは天皇が「君主」であるか否かという議論とも重なる。

≪元首と定めた「国民の憲法」≫
 産経新聞が発表した「国民の憲法」要綱は、前述した2点を中心に、現憲法では曖昧さが多分にある天皇の地位を明確に規定している。まず、第1条で「日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である」と宣明してわが国の「国体」を明らかにし、続いて第2条で「天皇は、日本国の元首であり、国を代表する」との基本規定を置いた。皇位の継承に関しては、「世襲」という議論を招く表現を避け「男系」である旨を明記している。
 天皇の行為については、従来、統合性を欠き気味であった「国事行為」を整理し、不足しているもの(元号の制定など)は追加するとともに、象徴としての「公的行為」(皇室祭祀(さいし)など)を明文化し、「象徴」たる天皇の国民統合の機能が過不足なく全うされるように工夫をこらしている。
 また、皇室がこれまで全く関わることができなかった、皇室典範の改正も、事前に皇室会議(皇族お二方が議員)の議を経ることとし、占領期の過渡的な施策にすぎない、皇室の財産享有権能を厳しく制約していた規定も緩和した。こうした現行の“非民主的”な条項を大幅に改めたのも、特筆すべき点であろう。(おおはら やすお)
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憲法:国民には憲法遵守義務がある~西修氏

2013-07-03 08:44:53 | 憲法
 昨年12月の衆議院選挙の結果、衆議院では憲法改正に賛成の議員が7割以上となっている。今夏7月21日の参議院選挙では、憲法改正が争点の一つとなる。こうした状況に危機感を持った憲法改正反対派は「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と喧伝している。反対派の一部は、護憲派といわれるが、その一方には改憲に反対しながら、国民には憲法を遵守する義務がないという主張も見られる。
 現行憲法は、99条に公務員の憲法尊重擁護義務を定めている一方、国民の憲法遵守義務は規定していない。しかし、これは国民には遵守義務がないというということではなく、遵守義務は明文化するまでもない前提と考えられる。戦後憲法学の主流となった宮沢俊義氏は、国民にも憲法遵守義務があるという説であるから、多数意見だろう。佐藤幸治氏は、代表的な憲法解説書の一つである「憲法」で、「憲法制定者である国民が憲法を尊重擁護すべき立場にあるのは当然のことで、99条はその当然の前提に立つと解するのが一般的であるといえよう。じっさい外国の憲法の中には、国民の憲法遵守義務を明示するものも少なくない」と書いている。
 注意したいのは、憲法を遵守する義務と憲法を改正する権利は、矛盾するものではないことである。国民主権の原理によって国民は憲法制定者とされているとともに、国民は改正の権利もまた所有する。制定権者である以上、当然である。国民の代表者である国会議員には、憲法改正の発議権が与えられている。国会議員は公務員として憲法の改正条項の規定を遵守して、改正を発議すればよいのである。
 国民の憲法順守義務については、駒澤大学名誉教授の西修氏が、詳しく書いた最近の記事を紹介する。この点に関し、西氏は基本的に私と同じ意見である。記事の中で西氏は、美濃部達吉氏の言葉を引いている。「国民の国家に対する義務としては、第一に国民は国家を構成する一員として国家に対し忠誠奉公の義務を負ふものでなければならぬ。国家は国民の団体であり、国家の運命は国民に繋って居るのであるから、国民は国家の存立とその進運に貢献することをその当然の本分と為すものである」と。そのうえで、国民の憲法遵守義務については、東京大学法学部専任教員の共同研究による『註解日本国憲法 下』(昭和29年)の一節を引いている。
 「(第99条が)国民をあげていないことは、国民のこの憲法を遵守する義務を否定したのでないことは、言を俟たない。殊更に国民をあげなかったのは、公務員が直接に憲法の運用に接触するため、それらに憲法を尊重し擁護することを求める特別の理由があるのみならず、この憲法自体が、前文で明言するごとく日本国民が確定したものである、従って、制定者であり、主権者である国民が、国家の根本法たる憲法を尊重し擁護しなければならないことは、理の当然であって、自ら最高法規として定立したものを、制定者自身が、破壊することを予想するのは、自殺的行為といわねばならないであろう」と。
 憲法を遵守する義務と憲法を改正する権利が矛盾するものではないことについては、西氏は言及していない。今後、見解が出されたら、その点も紹介したい。
 以下記事を掲載する。

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●産経新聞 平成25年6月12日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130612/plc13061203100005-n1.htm
【正論】
駒沢大学名誉教授・西修 憲法への忠誠は「国民の義務」だ
2013.6.12 03:09

 憲法上、国民の義務をどう考えればよいのか。日本国憲法は国民の義務として、子女に教育を受けさせる義務(第26条2項)、勤労の義務(第27条)および納税の義務(第30条)を定めている。これら憲法に明記されているもののほかに、国民は国家に対し何らの義務も負っていないのだろうか。

≪あの美濃部達吉も要求≫
 東京帝大教授を務め日本国憲法作成の審議にも加わった憲法学の泰斗、美濃部達吉の言を引こう。
 「国民の国家に対する義務としては、第一に国民は国家を構成する一員として国家に対し忠誠奉公の義務を負ふものでなければならぬ。国家は国民の団体であり、国家の運命は国民に繋(つなが)って居るのであるから、国民は国家の存立とその進運に貢献することをその当然の本分と為(な)すものである。第二に国民は社会生活の一員として社会の安寧秩序を保持し、その秩序を紊(みだ)すべからざる義務を負ふと共に、更(さら)に進んで積極的に社会の福利に寄与すべき義務を負ふものである。第三に国民は個人として各自が自己の存立の目的の主体であり、随(したが)って他の各個人の自由及び権利を尊重しこれを侵害してはならぬ義務を負ふものである」(『日本国憲法原論』=宮沢俊義補訂、昭和27年)
 美濃部といえば、天皇機関説を唱えたリベラルな学者として知られているが、国家を「国民の運命共同体」であると措定(そてい)し、国家への忠誠奉公の義務を要求しているあたりは実に新鮮にさえ映る。
 問題は、憲法第99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との関連で、国民に憲法尊重擁護義務があるかどうかという点だ。

≪制定者は主権者たる国民≫
 この点について、東京大学法学部専任教員の共同研究によって著わされた『註解日本国憲法 下』(昭和29年)を引用しよう。
 「(第99条が)国民をあげていないことは、国民のこの憲法を遵守(じゅんしゅ)する義務を否定したのでないことは、言を俟(ま)たない。殊更に国民をあげなかったのは、公務員が直接に憲法の運用に接触するため、それらに憲法を尊重し擁護することを求める特別の理由があるのみならず、この憲法自体が、前文で明言するごとく日本国民が確定したものである、従って、制定者であり、主権者である国民が、国家の根本法たる憲法を尊重し擁護しなければならないことは、理の当然であって、自ら最高法規として定立したものを、制定者自身が、破壊することを予想するのは、自殺的行為といわねばならないであろう」
 憲法の尊重擁護義務を公務員に限定したのは、公務員が公権力の行使者だという「特別の理由」からであるとしつつ、日本国憲法を「確定」した日本国民が日本国憲法を尊重擁護する義務を負うのは「理の当然」であり、義務を負わないのは「自殺的行為」であるとさえ述べられている。
 近年、憲法は国家権力を縛るものであって、国民を縛るものではないという議論が多くみられる。そこからは、国民の憲法尊重義務は生じないとの結論が導かれ、また立憲主義を強調する立場から、憲法に義務規定を設定すること自体が疑問だという見解もある。
 私には無責任な憲法論に思われてならない。立憲主義は憲法に義務規定を設けることを決して否定していない。古来より今日に至るまで納税はむろん、国防や兵役を国民の義務規定としてきている立憲国家は、枚挙にいとまがない。これらの義務は、帰属する国家の一員として国民が当然に担うべき負担と考えられてきたのである。憲法尊重擁護義務もしかりだ。

≪権利偏重論からの脱却を≫
 第二次世界大戦の敗戦国、ドイツの憲法(1949年)は「教授の自由は、憲法への忠誠を免除しない」(第5条)などの規定を設け、国民に対し“憲法忠誠”を求めている。同じく敗戦国のイタリア憲法(47年)は「すべての市民は、共和国に対して忠誠を尽くし、その憲法および法律を遵守する義務を負う」(第54条)との明文規定を配している。それぞれ、ナチズム、ファシズムを生み出したという苦い反省を踏まえて、敗戦後、新たに民主的な憲法を制定し、国民の憲法への忠誠、憲法遵守義務をうたったのである。
 産経新聞が発表した『国民の憲法』要綱は、公務員の憲法順守義務とともに、国民に対しても憲法および法令を順守する義務、国の安全を守り、社会公共に奉仕する義務、国旗および国歌を尊重する義務、家族が互いに扶助し、健全な家庭を築くように努力する義務などを設けた。
 その根底には、国家権力を規制するという伝統的な立憲主義だけではなく、国民が「この国のかたち」としての基本法たる憲法つくりに、主体的にどうかかわっていくかという、新たな憲法理念と憲法認識がある。
 これまでの権利偏重の憲法論から脱却すべく、新しい視点から国民の義務論が展開される一つの契機になることを期待したい。(にし おさむ)
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憲法:回答した国会議員の84%が改正に賛成

2013-07-01 08:50:30 | 憲法
 産経新聞社は7月21日の参院選を前に、憲法改正について全国会議員を対象にアンケートを実施した。その結果を、6月21日号に掲載した。
 調査は衆参の717人を対象に実施し、447人が回答。回答率は62・3%。うち憲法論議の活性化を望ましいと答えた議員は9割を超し、憲法改正は「必要」と答えた議員は、84・3%に上った。民主党議員の半数も憲法改正は必要としており、参院選後をにらみ、憲法改正に向けた機運の高まりを反映した結果となっている、という。
 ただし、37・7%は回答していないから、不回答者の傾向をどう見るかで、調査結果への評価は変わるだろう。私は、保守系で憲法改正に積極的な産経新聞の調査だから、回答しないという議員が少なくないだろうと思うので、全体に数字を割り引いたほうが、実態に近づけるものと思う。
以下、記事の全文。

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●産経新聞 平成25年6月21日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130621/plc13062106580004-n1.htm

憲法改正「必要」84% 衆参とも3分の2超す 本社、国会議員アンケート
2013.6.21 06:56

 産経新聞社は7月4日公示、21日投開票予定の参院選を前に、憲法改正について全国会議員を対象にアンケートを実施した。回答率は62・3%。憲法論議の活性化を望ましいと答えた議員は9割を超し、憲法改正は「必要」と答えた議員は8割超に上った。民主党議員の半数も憲法改正は必要としており、参院選後をにらみ、憲法改正に向けた機運の高まりを反映した結果となっている。



 憲法改正を「必要」との回答は84・3%。衆院で91・6%、参院で67・6%で、両院ともに改正の発議に必要な3分の2を超える計算になる。政党別では維新と改革は全員。次いで自民党(99・2%)、みんな(92・3%)の順となった。公明党も90・0%に達した。
 改正すべき項目を複数回答でたずねたところ「軍隊や自衛隊の保持」が最多で271人。次いで「緊急事態への対応」「前文」などが上位を占めた。
 憲法改正の発議要件を定めた96条について「先行改正すべきだ」と答えたのは全回答者の31・3%で、「その他の項目とともに改正」(31・8%)と合わせて63・1%だった。
 衆参別では「先行改正」と「その他の項目とともに改正」の合計が衆院が69・5%だったのに対し、参院は48・5%。慎重派は7月28日に任期満了を迎える改選期の議員に多く、憲法改正に抵抗感を抱く野党勢力の意向が反映された結果となった。
 憲法前文に「日本の歴史や伝統、国のかたちを盛り込む必要がある」と答えたのは全回答者の59・3%を占めた。現行の憲法が規定していない緊急事態への対応を憲法に明記することには69・8%が「必要」と答え、「必要ではない」は17・0%にとどまった。巨大地震の発生が予想される中で危機管理意識の高まりがうかがえる。
 集団的自衛権の行使では政府解釈の変更で容認すべきだとする意見が32・2%、憲法改正で容認すべきだとする意見が32・0%で、「容認派」は全体で6割を超えた。
 調査は衆参の717人を対象に実施、20日までに447人が回答した。
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96条改正反対論のウソ~百地章氏

2013-06-07 08:45:36 | 憲法
 7月21日の参議院選挙で、憲法改正が重要な争点となる。憲法改正の気運が高まるに従って、改正に反対する側の改正阻止の宣伝も活発になっている。これに対し、日本大学教授・百地章氏は産経新聞平成25年5月28日号に「96条改正反対論のウソを見抜け」という記事を書いて反論している。
 百地章氏は、厳格すぎる改正条件を課したのは連合国軍総司令部(GHQ)であったことを挙げ、「発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる」と主張する。
 憲法改正及び96条改正への反対論に、百地氏は大意次のように反論する。
 一点目は、「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」という意見について。まず法律の中にも国会法などのように権力(国会)を縛るものがあり、憲法の中にも国民に対して教育や納税の義務を課し、国民を縛る規定がある。憲法順守の義務は、政府だけでなく国民にもある。憲法は国家権力の行使を制限するだけでなく、政府に課税徴収権を授けるものでもある。また、憲法は「国のかたち」を示すものでもある。
 二点目は、「憲法によって縛られている権力者が、勝手に憲法改正のルールを緩和してしまうのは、本末転倒であって許されない」という批判について。96条は「憲法改正阻止条項」と化している。参議院のわずか3分の1を超える議員が反対すれば、憲法改正の発議すらできない。国民の多数が改正を望んでも、たった81人の参議院議員が反対したら、一字一句たりとも変えられない。国民が主権を直接行使できるのは、憲法改正の国民投票だけだが、96条によって国民は主権行使の機会を奪われている。
 三点目は、「改正手続きを厳格にしておかないと政権が変わるたびに憲法が改正されかねない」という見方について。その危険は皆無と言い切れないが、「国会が両院の総数の過半数で発議し、国民投票でも過半数の賛成が必要」というのは、法律の改正より遥かに難しい。法律でさえ、国民の中で意見が対立している場合には、簡単に制定できない。改正の発議を総数の過半数にしたからといって、憲法がコロコロ変わるなどということは、まず考えられない。
 そして、百地氏は、改正要件をせめてフランス並みにするよう提案している。フランスの場合は、両院で過半数が賛成し、国民投票でも過半数の賛成が得られれば、憲法改正が実現する。96条改正案は、このフランス並みの規定への改正である。
 冒頭に引いた「発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる」という百地氏の主張は、問題の核心を突いた見解である。改正反対派は、「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と盛んに宣伝しているが、現行憲法の制定時において日本国の政治権力を縛ろうとしたのは、わが国を占領統治していたGHQである。厳格な発議要件を維持することは、日本人が自ら憲法を改正することを防ごうとしたGHQの意思を持続させることである。
 第96条の規定は、GHQが秘密裏に英文で起草した憲法案に、次のように記されていたものが、もとになっている。

 英語の原文: Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds of all its members, and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon at such election as the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately be proclaimed by the Emperor, in the name of the People, as an integral part of this Constitution.

 日本語訳: 此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テ国会之ヲ発議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ人民ノ承認ハ国会ノ指定スル選挙ニ於テ賛成投票ノ多数決ヲ以テ之ヲ為スヘシ右ノ承認ヲ経タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ

 最終的に公布された96条は、次のようになっている。
 「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
 現行96条の改正要件は、GHQの英文原稿と基本的に変らない。すなわち、GHQから押し付けられた改正要件に従ったものである。日本国民が自らの意思で主権を行使できる国民になるためには、まずこの96条を改正するということは、重要な課題なのである。
 なお、百地氏は産経新聞社による「国民の憲法」の起草委員の一人として、具体的な改正案を提示している学者・有識者の一人である。
 以下、百地氏の記事。

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●産経新聞 平成25年5月28日

【正論】
日本大学教授・百地章 96条改正反対論のウソを見抜け
2013.5.28 03:22

 憲法を主権者国民の手に取り戻そうというのが、憲法96条改正論である。ところが、護憲派の巻き返しにより、世論がやや反対の方向に傾き始めた。このまま行けば折角(せっかく)盛り上がってきた改憲論議そのものに水を差しかねない。

≪権力「縛る」だけが憲法か≫
 護憲派は「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と喧伝(けんでん)している。しかし、法律の中にも、国会法などのように権力(国会)を縛るものがあるし、憲法の中にも、国民に対して教育や納税の義務を課し、国民を縛る規定が存在する。また、憲法順守の義務は、当然国民にもある(宮沢俊義『全訂日本国憲法』)。
 確かに、「立憲主義」の立場からすれば、憲法が国家権力の行使を制限するものであることは間違いない。その意味で、憲法は「制限規範」と呼ばれる。しかし、国(権力)が国民から税金を強制的に徴収できるのは、憲法によって政府(権力)に課税徴収権が授けられたからだ。この場合、憲法は「授権規範」である。
 さらに、憲法は「国のかたち」を示すものでもある。従って「憲法は権力を縛るもの」などといった独断は誤りであり、護憲派が自分たちに都合のいいように考え出したレトリックにすぎない。

≪発議要件緩和は国民のため≫
 次に、「憲法によって縛られている権力者が、勝手に憲法改正のルールを緩和してしまうのは、本末転倒であって許されない」(小林節慶応大学教授)という批判である。一面の真実を語っていることは間違いない。しかし、現実問題として考えた場合、憲法96条が、「憲法改正阻止条項」と化しているのは事実である(拙稿「憲法を主権者の手に取り戻せ」=4月11日付産経新聞本欄)。
 各種世論調査から窺(うかが)われるように、最近では国民の6割前後が憲法改正を支持しており、衆議院でも3分の2以上の国会議員が憲法改正に賛成している。にもかかわらず、参議院のわずか3分の1を超える議員が反対すれば、憲法改正の発議すらできない。
 つまり、主権者国民の多数が憲法改正を望んでも、たった81人の参議院議員が反対したら、一字一句たりとも憲法は変えられないわけである。これはどう考えても不合理である。
 このような異常事態から一日も早く脱却しようとするのが、96条改正の眼目である。こう考えれば、発議要件の緩和は権力者のためでなく、何よりも主権者国民自身のためであることが分かる。
 選挙権と異なり、国民が主権を直接行使できるのは、憲法改正の国民投票だけだ。だから、憲法96条によって、国民は主権行使の機会を奪われ続けていることになる。護憲派は国民主権の問題などどうでもよいというか。
 それに、そもそもこのような厳格すぎる改正条件を課したのは連合国軍総司令部(GHQ)であった(西修駒沢大学名誉教授)。それゆえ、発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる。
 すなわち「憲法は権力者を縛るものであり、権力者が勝手にルールを緩和してもよいのか」などといった単純な話ではないから、現実を無視した机上の空論に惑わされてはならない。

≪せめてフランス並みにせよ≫
 もう一つの有力な批判は、改正手続きを厳格にしておかないと政権が変わるたびに憲法が改正されかねない、というものである。
 確かに、その危険は皆無と言い切れないが、「国会が両院の総数の過半数で発議し、国民投票でも過半数の賛成が必要」というのは、決して簡単ではなく法律の改正より遥(はる)かに難しい。ちなみに、法律の制定や改正は、定足数(総数の3分の1)の過半数、つまり極端な場合、総数の6分の1を超える議員の賛成で可能となる。
 それに、容易なはずの法律でさえ、国民の中で意見が対立している場合には、簡単に制定できない。例えば、外国人参政権についていえば、国民の中に強い反対意見がある。そのため、衆議院で圧倒的多数を占め、再議決さえ可能だった民主党政権下でも、結局実現できなかったではないか。
 したがって、改正の発議を総数の過半数にしたからといって、憲法がコロコロ変わるなどということは、まず考えられない。
 厳格といわれるアメリカでは、両議院の3分の2以上の賛成で発議し、全州の4分の3の議会の承認が必要だが、発議は定足数(過半数)の3分の2で足りる。だから、総数の6分の2を超える賛成があれば、発議は可能である。また、ドイツでも両院の3分の2の賛成が必要だが、国民投票は不要だ。それゆえ、日本国憲法の改正は世界一難しいといってよい。
 この点、フランスでは両院で過半数が賛成し(ただし総数の過半数といった縛りはない)、国民投票でも過半数の賛成が得られれば、それだけで憲法改正が実現する。これは96条改正案と変わらないが、それでも護憲派は緩やか過ぎるというのだろうか。(ももち あきら)
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「国民の憲法」起草委員長・田久保忠衛氏の訴え

2013-05-08 08:44:17 | 憲法
 4月30日東京・憲政記念館で行われた新憲法制定議員同盟の集会に参加した。同会は、昭和30年保守合同を控えて結成された「自主憲法期成議員同盟」を改称したもの。国会議員による超党派の団体として、憲法改正論議では常に影響力を発してきた。現在は中曽根康弘氏が会長、愛知和男氏が幹事長を務める。
 安倍政権になって憲法改正の気運が高まっており、今回の大会はそれを反映し、各党代表者、各種団体代表者から早期改正を目指す発言が述べられた。7月の参院選に向けて、憲法改正を訴える民間団体の運動も活発に行われることが報告された。
 大会に先立つ第1部では記念講演が行われた。森本敏元防衛大臣、現拓殖大学教授と、田久保忠衛杏林大学名誉教授が講演を行った。田久保氏は、産経新聞社版「国民の憲法」の起草委員長を務めたことで、発言が注目された。
 田久保氏の講演の大意は、次のようなものだった。

 ―――なぜ今まで憲法の改正ができなかったか。一つの理由は、政治家にも財界人にも緊張感が足りない。1979年ソ連のアフガニスタン侵攻、また1990年イラクのクェート侵攻の時、国際社会は大きな危機に直面した。だが、わが国では緊張感が足りず、憲法改正ができなかった。もう一つの理由は、アメリカが血と汗を流してくれるだろうという甘えがあったからだという。中国はずっと富国強兵をやってきた。米国に次ぐ経済大国、軍事大国になった。だが、わが国は経済成長のみを求め、軽武装でいいとしてきた。中国は海監8隻が領海侵犯、北朝鮮はミサイル攻撃の対象に日本の名前を挙げている。根っこになっている憲法を改正しなければどうにもならない。
 産経の「国民の憲法」要綱は、ネイション(国民共同体)を取り戻そうというのが目玉。日本が誇るべきは皇室の存在。それを憲法の中心に置こうと考えた。土足で踏み込んでくる者に対し、破邪の剣は抜きますよ、というのがこの憲法案である。―――

 田久保氏は、産経新聞の紙面でも、憲法案起草について見解を語っている。後ほど転載するが、講演ではそこに書かれたことなども話にあったけれども、氏の本音は上記の大意にあると私は理解する。かつてなく厳しい国際情勢にあって緊張感を持て、アメリカに国防を依存する甘えを捨てよ、という訴えである。
 ところで、産経の憲法案について、政治家・有識者が賛否両論の見解を述べているが、私が最も気になったのは、日本維新の会共同代表・橋下徹氏の発言である。橋下氏は「自分の思いだけを出したような憲法案は国民に通らない。あんな憲法が通ったら日本を脱出する」と発言したと報じられる。「日本を脱出する」である。こういうところで、「日本を脱出する」という言葉を吐くようでは、とても国政を担い得る政治家とは言えない。
 橋下氏には、心の深いところで日本を脱出して別の国に住みたいという願望があるのだろう。平成24年3月5日、橋下氏は、次のように語った。「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないといけない。それを憲法9条はすっかり忘れさせる条文だ」「9条がなかった時代には、皆が家族のため他人のために汗をかき、場合によっては命の危険があっても負担することをやっていた」。ここまでは良い。続いて橋下氏は「憲法9条は、自分が嫌なことはしないという価値観だ。自己犠牲しないのなら、僕は別の国に住もうかと思う」と語った。この時は「別の国に住もうかと思う」だった。
 私は「他人が自己犠牲しないなら、自分が『別の国』に住もうと考えるのは、本当の愛国心ではない。他の誰も自己犠牲しなくとも、我一人でも国を守るという決意こそ、同胞の心を動かす。橋下氏は先の言葉を吐いたことを恥じ、まずそれ撤回したうえで、国防に関する考えを進めてほしい」と拙稿「橋下徹は国政を担い得る政治家か」に書いた。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13p.htm
 だが、橋下氏は、日本を脱出して別の国に住みたいという願望があるのだろう。橋下氏は、その願望を捨て、真に日本のためにすべてを捧げる覚悟ができない限り、国政に進出すべきではない。日本維新の会は、石原慎太郎氏、平沼赳夫氏らが加加わり、また民主党からも一部改憲派議員が加わり、憲法改正、伝統保守、国防強化について、もとからの維新の会のメンバーに影響を与え、党としてが方針が変わってきたように見えるが、橋下氏自身は、まだあまり変化していないようである。橋下氏は、まず日本の大地に、この父祖の国に、しっかりと背骨を立てよ。それから憲法を、国家を論じるべきである。それができないなら、今のうちに外国に移住すればよい。
 以下は、田久保氏の記事。

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●産経新聞 平成25年4月26日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130426/plc13042609090016-n1.htm
【産経新聞「国民の憲法」要綱】
東アジア情勢・緊急事態に対処 田久保忠衛・起草委員長
2013.4.26 09:07

 結局、誰かが言わなければならないことを産経新聞が思い切って言ったということだろう。所定の手続きを経たとはいえ、連合国軍総司令部(GHQ)が占領下の日本を制御するためにつくった憲法を何と66年もの長きにわたって続けてきてしまった揚げ句、領土問題をめぐって発火するかもしれない事態に適正に対処できるのか。どこの国でも憲法で規定している緊急事態条項がないから、東日本大震災とこれに伴う原発事故が発生したというのに、最高指導者が東京電力に駆けつけてあたりをどなり散らす大醜態を世界に曝(さら)け出したのではないか。今の憲法が原因といえる綻(ほころ)びは数え上げたらきりがない。
 私は肌に粟(あわ)を生じる思いでこの国が置かれた国際環境を見守っている。中国は中国公船を8隻これ見よがしに日本の領海に入れた。今回に限ったことではないが、軍事力を背景に一定の政治的目的を達成しようとする「砲艦外交」がいまの世界で、われわれの目前で展開されているのだ。北朝鮮は核とミサイル実験を繰り返し、日本の国名を挙げて攻撃目標にすると公言しているではないか。
 われわれの命綱は日米同盟だ。が、その米国も第2次オバマ政権では米中間に和解への動きが進んでいるように見受けられる。一連の動向は戦後の日本が呑気(のんき)に暮らしてきた態度に反省を迫る初めての赤信号と思う。
 現行憲法の最大の欠陥は、日本がどのような国柄なのか香りすら完全に消してしまったことだ。産経新聞「国民の憲法」要綱の前文にあるように、日本人は天皇を国民統合のよりどころとし、「異文化との協和によって固有の伝統文化を生み出してきた」のである。例外はあるが、皇室を尊び、権威と権力を分けてきた叡智(えいち)は世界に胸を張っていいのではないか。だから憲法で立憲君主国と明言し、国の目標として独立自存の道義国家を掲げた。
 これまで、何回か憲法改正の機会はあったが、手を着ける政治家はいなかった。もう国内だけに通用する「保守かリベラルか」などの次元で判断してはいけない。国家が存在せず、いつ襲ってくるか分からない大規模な自然災害に無防備で、外国からは「一国平和主義」と嗤(わら)われてきた憲法を続けるのは戦争を呼び込み、災害対策放棄を意味する。日本の平和を望めば望むほど新憲法が必要となる。新しい日本の時代だ。
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憲法第96条の改正が参院選の争点に

2013-05-01 08:52:12 | 憲法
 わが国の現行憲法は、改正の要件が極めて厳しい。第96条に、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と定めている。世界の憲法で、これほど厳しい要件を定めた憲法はない。
 第96条の規定は、GHQが秘密裏に英文で起草した憲法案に、次のように記されていたものが、ほぼそのまま制定された。

 英語の原文: Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds of all its members, and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon at such election as the Diet shall specify.
Amendments when so ratified shall immediately be proclaimed by the Emperor, in the name of the People, as an integral part of this Constitution.

 日本語訳: 此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テ国会之ヲ発議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ人民ノ承認ハ国会ノ指定スル選挙ニ於テ賛成投票ノ多数決ヲ以テ之ヲ為スヘシ右ノ承認ヲ経タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ

 憲法が施行されて66年経つが、一字一句改正できていないのは、こういう条文を押し付けられたことにも大きな原因がある。日本人自身の手で改正が容易にできないように、強い規制をかけられているわけである。
 冷戦終結後、国際環境が大きく変わり、日本の自立の必要性が強く意識されるようになった。しかし、それでも自立の足かせになっている憲法の改正が一歩も進まない。そこで、まず憲法改正の発議要件と国民投票を定めた第96条を改正しようという発想が現れた。私は、13年ほど前にこの手法を知り、全面改正に向けた一つの方法として賛同している。半世紀以上も、米国人起草の憲法を放置してきたので、日本人が自ら憲法を改正するという意欲が非常に低くなってしまっている。それゆえ、まず改正条項を改め、日本人は日本の憲法を自分で改正できるという意識を確立するという手法も、有効だと考えるためである。あくまで次善策としての賛同であるが。

 さて、この第96条の改正案が、今年7月の参院選前に国会に提出される可能性が出てきた。今国会に提出されれば衆院を通過する可能性はあるものの、参院での成立はほぼ不可能である。だが、改正案が成立しなくても、国会で審議が行われれば、国民の関心が高まり、参院選で重要な争点となるだろう。国会への改正案提出は改憲の気運を高めるのに、よいだろう。
 自民党は本来、改憲政党である。昭和30年立党の際の「党の政綱」に、「現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」と書いている。立党50年の平成17年には、「新綱領」という題目のもとに、「新しい憲法の制定を」を第一に挙げた。その自民党は本年4月26日、憲法改正を夏の参院選公約の柱として明記する方針を決めた。これは、安倍首相の指示によるもので、改憲のための国会の発議要件を衆参両院の3分の2以上から2分の1以上に緩和することを、打ち出す。
 安倍首相は4月23日の参院予算委員会で、第96条について「当然、7月の参院選でも堂々と96条改正を掲げて戦うべきだ」と述べ、自民党の政権公約に明記し、争点とする意欲を表した。「真の独立を取り戻す上では、私たち自身で基本的な枠組みを取り戻す必要がある」と憲法改正の必要性を力説する首相は、前文についても「自分たちの国民の安全、命を他国の善意に委ねてよいか。疑問に思わない方がおかしい」と述べ、当然修正すべきとの考えを明らかにした。
 安倍首相と日本維新の会の橋下徹共同代表は、4月9日の会談で、改正の発議要件を「2分の1以上」に緩和すべきだとの認識で一致している。橋下氏は参院選の目標として「改憲勢力で3分の2の議席確保」を打ち出している。維新とみんなの党は、共通公約に96条改正など43項目を検討することで合意している。それゆえ、自民・維新・みんなの三党は、改憲勢力として、参院選に臨むことになる。

 問題は、自民党と連立を組んでいる公明党である。昨年暮れの自公両党の連立合意文書は、「憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」としている。だが、公明党の山口那津男代表は、「憲法改正は連立政権合意の枠外だ」と憲法改正で自民党と距離を置く考えを重ねて示している。4月23日の記者会見では、安倍首相が夏の参院選で96条を争点として掲げる方針を出したことについて、山口氏は「争点になるという認識を、私は持ちようがない」と述べ、衆参の憲法審査会に言及し、「議論が96条まで届いていない。そういう中で国民に一体、何を判断しろと国会はいえるのか」と首相を批判した。
 公明党は参院選公約の「当面する重要政治課題」に、憲法改正に対する党の見解を盛り込むことにしている。5月9日に党見解を作成し、公約に明記する内容を固める予定だが、96条の先行改正には反対姿勢を明示する方向で調整中という。公明党が、これまでの姿勢を変えずに、憲法改正に関して自民党と相反する公約を掲げれば、自民党は有権者に姿勢を問われることになる。今のままでは、公明党は憲法改正という課題、また国防強化という課題において、自民党の足を引っ張ることになる。それでも公明党との連立を続けるのか、という問いが有権者から突き付けられるだろう。一方、公明党について言えば、公明党は「加憲」という立場を取っている。現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義を3原則とし、その上に環境権等の新しい権利を加えるという考え方である。しかし、そうした新たな権利を新憲法に盛り込むためにも、96条改正は新権利の追加を加速する動きとなるものである。その点をよく理解すべきだろう。
 ところで、民主党は、相変わらず方針らしい方針が出ていない。細野豪志幹事長は「96条も含めて憲法についての考え方をまとめ参院選で提示する必要がある」と述べてはいるが、党内には旧社会党系や社民的なリベラル等の護憲派が多い。有力な支持母体には、日教組や解放同盟がある。その一方、元自民党系の改憲派もいる。反自民の選挙互助会のような組織ゆえ、一本化した方針は出せないだろう。
 だが、今夏の参院選で96条改正を現実のものとできるかどうかについては、民主党の改憲派議員の動きが流れを左右する可能性がある。「民主党改憲派」を自認する議員には、私利私欲や党利党略ではなく、天下国家の観点に立って、自らの信じるところを行動に移してもらいたいものである。

主権の全面回復には憲法改正が必須

2013-04-30 09:52:28 | 憲法
 4月28日、東京・憲政記念館で、政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が、天皇、皇后両陛下ご臨席のもとで開催された。
 安倍晋三首相は「きょうを一つの大切な節目とし、これまでたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と述べた。沖縄の本土復帰が遅れたことにも言及し、「沖縄が経てきた辛苦に、深く思いを寄せる努力をすべきだ」と呼びかけた。
 多くのマスメディアは、日本国の国家主権の回復を記念する日の重要性を伝えるよりも、沖縄で反対運動があることを強調して報じた。確かに、沖縄県の仲井真弘多知事は式典に欠席し、高良倉吉副知事が代理出席した。沖縄では、野党系県議らがこの日を「屈辱の日」とし、式典に抗議する集会を開いた。だが、沖縄には「4月28日は沖縄にとっても大切な日。この日があるから昭和47年に祖国復帰できた」「屈辱の日ではない」という声もある。
 そもそも昭和27年4月28日に、サンフランシスコ講和条約の発効をもって、わが国が国家主権を回復した時、沖縄、奄美大島、小笠原諸島が米国の施政権下に置かれ、返還されなかったのは、米国の政策による。また、この時、旧ソ連に軍事占領されていた北方領土は、不況占拠されたままになっていた。そういう国際関係の中で考えずに、本土と沖縄の対立という国内的な視点で見るのは、視野が狭隘である。重要なことは、
 昭和27年4月28日に回復したのは、主権の全部ではなく、一部であり、わが国は引き続き主権の全面的回復に努めなければならない課題を持って、国際社会に復帰したことをしっかり認識することである。
 沖縄、奄美、小笠原は、日本国政府の粘り強い交渉にもって、米国から返還された。だが、北方領土については、現ロシアの間でも未解決である。安倍首相はこの度、ロシアを訪問し、プーチン大統領と首脳外交を行い、領土問題解決に強い意欲を見せている。沖縄県民が主権回復の日について政府に意見・要望を出すのであれば、北方領土についても言及すべきである。
 主権と領土の問題は、憲法の問題に帰結する。わが国は、占領下にGHQ製が英文で起草した憲法案を押し付けられ、それをもとに制定した憲法をいまも押し頂いている。
 現行憲法は、主権を構成する重要要素である国防に規制をかけており、主権を制限した憲法である。この憲法の改正無くして、わが国の真の主権回復はない。安倍首相は、憲法改正を今夏の参院選の争点に掲げる。選挙の結果、改憲派が3分の2以上になれば、まずは96条の改正要件の緩和の是非を国民投票で国民が決することになるだろう。
 自民党は、昨年4月、主権回復60年の年に、衆院選政権公約原案で「日本の再起のための7つの柱」を打ち立て、その第一に憲法改正を掲げた。自民党による憲法改正案の主な特徴は、次の通り。

①前文にわが国の歴史・文化・国柄を記載する。
②天皇を「元首」と位置付ける。
③国旗国歌は「表象」と明記し、尊重規定を盛り込む。
④元号に関する規定を盛り込み、皇位継承の時と明記する。
⑤戦争放棄については維持するが、自衛隊を「自衛軍」と位置づける。
⑥「自衛軍」の役割に領土領海領空の保全を加える。
⑦自然権としての自衛権を明文化する。
⑧家族の尊重規定を盛り込む。
⑨武力攻撃や大規模自然災害に対処する緊急事態条項を設ける。
⑩外国人参政権を容認せず、選挙権については日本国籍を有する成人として「国籍条項」を設ける。
⑪憲法改正の発議要件は、衆参各議院の3分の2以上から「2分の1以上」に緩和し。改正は国民投票により、有効投票の過半数をもって行うとする。
⑫国民の憲法尊重を規定する。

 私は、平成18年に「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」を公表し、マイサイトに掲載している。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08h.htm
 18年当時の自民党の憲法案は非常に内容が弱かった。24年版の改正原案の上記12点のうち、入っていたのは、①前文、⑤自衛軍、⑪改正要件の緩和の3項目のみだった。私は、あまりのお粗末さに落胆したものである。それで、もっとしっかりした憲法を作るべきだと考えて、ほそかわ私案を作った。さきほどの12点はみなこの私案に入っていたから、24年版の自民党案は、ほそかわ私案に大きく近づいたわけで、自民党がだいぶまともになってきていることの証だろう。だが、まだ足りない。
 自民党が憲法改正案を発表した後、他の政党も憲法改正に意欲を見せているが、しっかりした条文案を提示できているものはない。そうしたなか、産経新聞社は、本年4月26日「国民の憲法」要綱を発表した。要綱という名称ではあるが、12章に章立てされた117条の条文案が提示されている。自民党案以来の本格的な憲法改正案といえる。新聞社によるものとしては、読売新聞社の新憲法案に続くものである。
 産経版「国民の憲法」要綱は、有識者5名を起草委員会のメンバーとする田久保忠衛杏林大学名誉教授(委員長)、佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授、西修駒沢大学名誉教授、大原康男国学院大学大学院客員教授、百地章日本大学教授の各氏である起草委員会によ立案の過程は、随時紙面に掲載されてきた。
「国民の憲法」要綱は、12の特徴を掲げている。ほそかわ私案と基本的な考え方に共通する点が多い。

①日本は立憲君主国と国柄を明記
②前文では独立自存の道義国家を謳う
③天皇は元首で国の永続性の象徴
④皇位継承は男系子孫に限る
⑤領土、主権、国旗・国歌を規定
⑥国の安全、独立を守る軍を保持
⑦国家の緊急事態条項を新設
⑧家族の尊重規定を新設
⑨国民は国を守る義務を負う
⑩参議院を特色ある良識の府に
⑪地方自治体に国との協力を明記
⑫憲法裁判を迅速化させる

 条文の検討は、これから行うこととして、まずは、新憲法案の提示に歓迎の意を表したい。日本国民は、各種憲法改正案を自ら読み、各所で議論を起こし、日本人の手による憲法を作り上げるための運動を盛り上げていこう。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成25年4月26日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130426/plc13042605010009-n1.htm
本紙「国民の憲法」要綱を発表 「独立自存の道義国家」
2013.4.26 05:00

 産経新聞は創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として進めてきた「国民の憲法」要綱をまとめ26日、発表した。わが国にふさわしい「新憲法」として国柄を明記、前文で国づくりの目標を「独立自存の道義国家」と掲げた。平和を維持する国防の軍保持や「国を守る義務」、緊急事態条項を新たに設けた。「国難」に対応できない現行憲法の致命的欠陥を踏まえ「国民の憲法」要綱は危機に対処でき「国家の羅針盤」となるよう目指した。

■12章117条、「天皇は元首」「軍を保持」明記
 「国民の憲法」要綱は昨年3月からの起草委員会の27回に及ぶ議論を経てまとめた。国家や憲法とは何かなどから議論は始まり、現行憲法の不備を正しつつ堅持すべき事柄も精査した。
 「国民の憲法」要綱は、前文のあと、「天皇」「国の構成」「国防」と続き、12章117条で構成する。
 まず、わが国が天皇を戴(いただ)く立憲君主国という国柄を第1条で定めた。現在の「国民統合の象徴」に加えて天皇は「国の永続性の象徴」でもあるとした。たびたび議論があった天皇の法的地位も国の代表者である「元首」と明記。皇位も「皇統に属する男系の子孫」が継承するとした。
 前文ではわが国の文化、文明の独自性や国際協調を通じて重要な役割を果たす覚悟などを盛り込んだ。連合国軍総司令部(GHQ)の「押しつけ」とされる現行憲法で、特に前文は「翻訳調の悪文」「非現実的な内容」「日本の国柄を反映していない」といった批判があった。憲法は国民に大局的指針を示す格調ある法典でもあるべきだとして、全面的に見直した。
 「国民」「領土」「主権」や国旗・国歌について第二章「国の構成」で新たに規定した。国民主権を堅持し、国家に主権があることも明確にした。主権や独立などが脅かされた場合の国の責務も明らかにした。
 現行憲法で「戦争の放棄」だった章は第三章「国防」と改めた。国際平和を希求し、紛争の平和的解決に努めつつも、独立や安全確保、国民の保護と国際平和に積極貢献できるよう軍保持を明記。国家の緊急事態条項では、不測の事態下での私権制限が可能とした。
 国民の権利、義務の章では、家族の尊重規定や国を守る義務を新設。権利と義務の均衡を図りつつ環境権や人格権など新しい権利を積極的に取り入れた。
 国会では参議院を「特色ある良識の府」にすべく諸改革を提言。内閣では首相の指導力を強化するよう条文を見直した。憲法判断が迅速化するよう最高裁判所への専門部署の設置を提言したほか、地方自治の章では、地域に主権があるかのような主張を否定した。
 要綱の提言を通じ本紙は国民の憲法改正への論議が豊かで実りあるものとなるよう期待している。

■独立自存 他の力に頼ることなく、自らの力で生存を確保することをいう。哲学者、西田幾多郎も著書「善の研究」で独立自存の重要性を説いている。

●要綱全文と解説
http://sankei.jp.msn.com/pdf/2013/04/kenpou0426.pdf


【産経新聞「国民の憲法」要綱】
Q&A 日本の国柄とは? 国民と国家、憲法との関係は?
2013.4.26 09:39

 国家再生に向けて産経新聞社が提起した「国民の憲法」要綱の特色は何か。主な特色や論点をQ&A形式でまとめた。

◆国家・国民は運命共同体

Q 国民と国家、憲法との関係をどう考えたのか
A 憲法学界だけでなく、メディアの多くが「国家権力を規制するのが憲法」と強調する。国家と国民とを対峙(たいじ)する関係でみれば、誤りではないが一面的な見方と考えた。国家と国民は、よりよき国づくりを目標に、ともに力を合わせる、一体の関係でもあるからだ。
 憲法を考える際、もうひとつ念頭に置いたイメージがあった。それは、過去から受け継いだ独自の文化や伝統といった歴史のうえに今を生きる国民が立ち、支え合いながら家族や地域社会を築き、それが地方自治体、国家へと広がっていく家のようなイメージだ。憲法とは、国家・国民が独立を守り、未来へと進んでいく時間的な縦軸と、国際社会との協調や自然環境との共生を目指す空間的な横軸を持つ「運命共同体」のような家である。

◆わが国の特徴を骨格に規定

Q なぜ憲法に国柄を書くのか
A 人に人柄があるように国にも国柄がある。国柄とはその国を特徴付ける成り立ちや不易な価値や伝統を指す。憲法に国柄を盛り込むことは、国の骨格を規定する意味を持つ。
 ところが現行憲法にはどこにもそうした国柄の記述がない。重大な欠陥だ。現行憲法はさまざまな価値観をもたらしたが、今日、問題となっている国家観の喪失は現行憲法と無縁ではない。私たちは、ここを正すには国柄を明記することが不可欠だと考えた。

Q 日本の国柄とはどういうものか
A わが国は歴史的に、天皇を戴(いただ)く国家だった。貴族や武士による統治など政治形態はさまざまに変わったが、天皇が権威として君臨することだけは変わらなかった。
 欧州の王室や中国の皇帝と天皇とは決定的に異なる点がある。それは天皇は有史以来、民とともにあって、わが国と民の安寧や繁栄を脈々と祈り続ける、世界に類のない「ご存在」で敬慕の対象でもあったことだ。
 時が流れ、人は変わり、政治形態が変わっても、日本が日本である限り、こうした国柄はいつまでも変わってはならないと信じる。私たちの責任は、先人から受け継いだ歴史ある国柄を未来に引き継いでいくことである。私たちは、前文や第1条に、こうした思いを込めた。

◆天皇の地位明示し混乱解消

Q 天皇の地位を象徴かつ元首としたのはなぜか
A 天皇を「象徴にすぎない」という意味で象徴という言葉を使う場面がある。私たちは、これは問題だと考えた。
 だが、象徴とはそもそも、英国の思想家、ウォルター・バジョットの「英国憲法論」に語源がある言葉だ。バジョットは権力者としてではなく、権威的な存在として象徴という言葉を使っている。
 「象徴」という言葉自体を権威や国民精神のよりどころという意味合いで用いれば、むしろ天皇の本質にも合致し、歴史的な国柄に適(かな)った表現だと考えた。
 「象徴」という言葉が国民に受け入れられていることも重視した。憲法で「象徴」という言葉を採用する国も出てきており、象徴という規定は維持した。
 また、どんな組織、団体にも代表者が必要だ。そうでないと自らが困るだけでなく、相手にも迷惑がかかる。国も同様で、君主国なら君主が、共和国なら大統領などが元首にあたる。元首とは「the head of state」の訳語で、その国を代表する人を指す言葉だ。
 現行憲法下でも政府見解では日本は立憲君主国で天皇は元首だ。しかし、憲法条文にそういう規定がなく、そのため憲法学者の中には日本は共和制だとする主張まであった。
 こうした混乱を避けるために「国民の憲法」要綱では天皇の法的地位を元首と明記することにした。

Q 領土や国旗・国歌をなぜ盛り込んだのか
A 現行憲法に「国民」の規定はあるが、領土や国旗・国歌、国家の主権について規定がない。国家を構成する要素を何も説明していないのだ。
 例えば、現在のフランス憲法には「共和国の紋章は、青、白、赤の三色旗とする」「国歌はラ・マルセイエーズとする」とある。中国やポーランドなど、国旗や国歌を憲法で明記する国は多い。領土も「大韓民国の領土は、韓半島およびその付属島嶼(とうしょ)とする」と規定した韓国の例がある。
 憲法とは対外的にその国の形を示すもので、領土や国旗・国歌を定めた条項があるのはある意味、当然だとして新たに設けた。

◆国際標準に則り足かせ断つ

Q なぜ「軍」が必要なのか
A 現行憲法の最大の欠陥は、国を守る実力組織について言及がないことだ。
 自衛隊は法律で設置されているが、現行憲法第9条で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とした欠陥が、さまざまな問題をもたらしている。
 例えば、政府は自衛隊を国内的には軍隊ではないとしているが、国際的には軍隊に当たると言っている。
 捕虜の扱いなどを定めたジュネーブ条約が自衛隊に適用されなくなってしまうためだが、“二枚舌”にほかならない。
 自衛隊の組織で歩兵を普通科、砲兵を特科、工兵を施設科などと、国民に分かりにくい表現に言い換えているのも、自衛隊が軍隊でないとしているからだ。
 イラクやインド洋への派遣の際、そのつど特別措置法を制定したうえで派遣しているのは、日本くらいだ。法案審議で時間がかかるなど弊害が多く、自衛隊が軍隊でないことを象徴する出来事だろう。
 軍になれば、国連平和維持活動(PKO)などでの海外活動の際に他国の軍隊に守ってもらうことも不要となり、自分たちの部隊は自身で守れるようになる。より積極的な国際貢献も可能で、邦人保護や救出、集団的自衛権や武器使用をめぐり、幾重にもあった足かせは解消されるだろう。
 諸外国の憲法をみても、軍隊の保持は当然のように規定されている。軍を保持することは国際的な標準なのであって、何ら特別なことではない。

Q 「国を守り、社会公共に奉仕する義務」とはどういうことか
A 国を守る、といっても、まず健全な国防意識を持つことが大事で、例えば外国人によるスパイ活動を許さない、敵対する国家を利する物品を輸出しない、といった心構えから始まる。東日本大震災のような国難の際、救助・支援活動をしたり、さらには国境離島に人が住み生活し続けることも、国を守ることにつながっているといえる。
 「国民の憲法」要綱では徴兵の義務は課していない。これは特に先進国で軍隊の高度技術集団化が進んでおり、国民皆兵制度が時代遅れとなりつつあるからだ。ただ徴兵をまったく否定しているわけでもない。憲法は将来、国際情勢の変化に柔軟に対応できるものでなければならない。

Q 地方分権に関する考えは
A 国の権限を地方へ移す地方分権を推進することは必要だ。
 ただ「主権」とは性質上、国民全体ないし国家が持っているもので(第10条、第13条)、地方が持ちうるものではない。それゆえ地域(地方)主権といった考え方は採用していない。
 地方自治の重要性を認めた上で、第107条で地方自治体に国との協力を求めたのは、地方分権に乗じて国を否定する誤った考え方が広まらないようにするためだ。

Q なぜ緊急事態の際に権利が制限されるのか
A 緊急事態とは第114条に例示されているように、まさに国家存亡の危機といった事態を指す。それゆえ平時と同様に憲法を順守していては、かえって国民の生命を危険にさらすことにもなりかねない。
 そのため一時的に内閣が法律に代わる政令を定めたり緊急財政処分をすることができる権限を持たせ、臨機応変に対応できるように規定している。
 こうした絶大な権限を内閣に持たせるにあたっては事前に国会の承認を得て緊急事態を宣言することが望ましいが、当の国会が損害を受けて機能しない事態も十分に考えられるため、事後の承認も可としている。
 もっとも内閣が何でもできるわけでもなく、制限できる国民の権利は第115条2項で列挙されているものだけだ。
 権利の制限も必要最小限であり、国民一丸となって国難に対処しうることが望まれている。
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関連掲示
・「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08h.htm

衆院は憲法9条改正に賛成の議員が70%超に

2012-12-19 09:08:23 | 憲法
 自民党の安倍晋三総裁は12月17日、党本部で記者会見し、憲法改正の要件を定めた憲法第96条の改正について、「日本維新の会とみんなの党も基本的に一致できるのではないか」と述べ、連携を模索する考えを示した。憲法改正について安倍氏は、「発議のために必要な3分の2の議席は(公明党と合わせ)衆院では確保したが、参院ではほど遠い」と述べ、96条改正に賛成の立場を示している維新、みんなの協力を得たいとの考えを示した。これに対し、維新幹事長の松井一郎大阪府知事は記者団に、96条改正を自民党が提案した場合は「賛成する」と明言したと伝えられる。
 今回の衆院選では、当選者の多くが憲法改正に賛成し、また集団的自衛権行使に賛成している。わが国は憲法改正、国防強化の好機を迎えつつある。
 毎日新聞社は12月17日、衆院選の全候補者アンケートを基に、当選した新議員の回答を再集計した。定数480人のうち473人が回答し、回答率は98.5%だった。憲法第9条改正は、72%の342人が賛成。改憲の発議に必要な「衆参両院の3分の2」のうち、衆院側の条件を満たすことになる。また、集団的自衛権の行使を認めていない政府の憲法解釈について「見直すべきだ」と答えたのは370人で78%を占め、「見直す必要はない」(82人)の17%を大きく上回った。
 毎日の記事によると、平成21年(2009)衆院選の当選者の回答では、9条改正は反対が51%と過半数で、賛成は34%。集団的自衛権の憲法解釈を「見直す必要はない」が50%で、「見直すべきだ」の37%を上回っていた。しかし、自民党が大勝した今回、衆院の新議員の志向は前回選挙と大きく変わっていると指摘している。
 共同通信社も、12月17日、衆院選当選者のうち立候補者アンケートで回答を寄せていた議員について分析した。定数480人のうち94.6%に当たる454人が回答していた。分析によると、憲法第9条改正派は75.6%に当たる343人で、改正発議に必要な480議員の3分の2以上だった。9条改正派の内訳は、憲法の「全面的改正」が45・6%、「9条を含め部分改正」が30・0%だった。また、自民党圧勝や日本維新の会の議席増を受け、集団的自衛権行使については、容認派が81.1%を占めたという。
 これら2社のアンケート結果をまとめると、憲法第9条の改正に賛成が、毎日では72%、共同では75.6%、集団的自衛権の行使については、毎日で「見直すべき」が78%、共同で「容認」が81.1%となる。
 2つのアンケートの欠陥は、96条の憲法改正規定の改正について、調査していないことである。だが、既に衆議院だけであれば、憲法改正、集団的自衛権行使が可能な状況となったことは分かる。憲法改正の発議には、参院でも3分の2以上の賛成が必要である。参院は定数242ゆえ、162以上がラインとなる。現状は、自民・維新・みんなを中心に憲法第9条改正に賛成の議員を推計すると、最大で95人程度と思われる。来年夏参議院議員の半分が改選されるが、仮に改選後121人のうち衆院選同様75%を改正賛成派が占めたとしても、90人。これも仮に非改選の議員の47人が賛成として、合計137人。まだ25人足りない。それゆえ、来夏の参院選挙だけでは、憲法第9条改正の実現はかなり難しい。その3年後の選挙で現状の傾向が継続していれば、その時初めて実現が可能になると思われる。
 集団的自衛権の行使については、憲法改正は必須の条件ではない。権利を保有するが、行使はできないという内閣法制局の解釈を改めれば、行使は可能となる。現在の状況及びこの先3年半ほどの見通しを踏まえると、憲法改正の前に、まず集団的自衛権の行使を実現することが必要である。中国の侵攻から尖閣諸島を守り、沖縄を守るには、集団的自衛権が行使できるようにしなければならない。行使は政府が解釈を変えれば、それで実現できる。安倍首相は、断固解釈変更を決断すべきである。

関連掲示
・拙稿「憲法第9条は改正すべし」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08m.htm
・拙稿「集団的自衛権は行使すべし」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08n.htm

防災・防衛の脅威と憲法改正

2012-04-29 06:43:31 | 憲法
 本日は「昭和の日」である。この日は本来、昭和天皇の天皇誕生日だった。現在は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」と祝日法に定められている。昭和は恐慌、戦争、敗戦、占領、復興、繁栄という日本史上、他に類例のない激動の時代だった。その時代を顧み、国の将来に思いをいたすとき、昭和の日本の残課題が大きく浮かび上がってくる。それは、独立回復後、いまなお主権の全面的回復がなされておらず、わが国は占領期に押し付けられた憲法を放置し、また東京裁判で偽造された歴史観を脱却できていないことである。
 わが国は、敗戦後、独立を回復してから、去る4月28日で60年を迎えた。そのことの意義を踏まえた有識者の発言が、マスメディアに散見された。うち稲田朋美衆議院議員の発言を、下記の日記で紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/f277787e8c58a68ddcd0ffb3fa374fb1
 もう一人私の目を引いたのは、大阪大学教授で国際政治学者の坂元一哉氏の文章である。坂元氏は、「『戦後』が還暦を迎えようとするいま、日本の眼前には、その繁栄の基盤である安全を根底から脅かす2つの脅威が存在する」として、防災上の脅威と防衛上の脅威を挙げている。
 防災上の脅威とは、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災以後、わが国が地震活動期に入ったことによる脅威を指す。防衛上の脅威とは、中国の軍拡と高圧的態度、北朝鮮の核とミサイルを指す。日本の現状認識として、端的に防災上の脅威と防衛上の脅威の二つに整理して挙げている点は分かりやすい。明確に認識していなかった人には、一読をお勧めする。
 坂元氏は、これら2つの脅威は「どちらも重大で、対応には相当の覚悟、努力、コスト負担が求められる。『戦後』日本の生ぬるい安全保障感覚ではとても対応できない脅威だと思う。その意味で、少なくとも安全に関することでは、すでに『戦後』が終わり、ポスト『戦後』時代が始まっていると考えた方がよいかもしれない」と書いている。
 最後の「少なくとも~した方がよいかもしれない」という表現は、慎重な言い方といえるかもしれないが、いかにも確信を欠いた言い方である。2つの脅威への対応には「相当の覚悟、努力、コスト負担が求められる」と述べながら、では自分はどうすべきと考え、国民に何を呼びかけたいのか、具体的な主張がない。防災にも防衛にも責任を持たない学者の物言いという感じがする。
 坂元氏は、防衛だけでなく防災を含めて安全保障の問題ととらえている。安全保障は、伝統的には他国の侵攻を主とした対外的安全を確保することをいう。軍事的な安全保障である。これに加えて、非軍事的な側面についても、経済、資源、環境、思想・文化の安全保障が議論されてきた。特に1990年代から環境の安全保障が活発に議論されている。環境安全保障は、人類の経済活動や人口増加等が自然環境に影響を及ぼし、その結果、人類の生存や発展が阻害されることへの対応だけでなく、自然災害、気候変動、環境変化の影響等を含む。
 坂元氏の意見は、地震活動に関するものゆえ、自然災害への安全保障を言っている。巨大地震発生時には、政府が食料や避難所、清潔な水、衛生設備、衣料品や道具などを最も必要とする人々に迅速に提供しなければならない。また、防災の強化や被災後の地域再生等を含む計画を打ち立てなければならない。こうした課題につながっていく。
 私は、阪神淡路大震災以後、国防と防災を一体のものとして強く感じるようになり、その対応には現行憲法の改正が不可欠であると訴えてきた。国防・防災一体の安全保障のためには、憲法を改正し、自主防衛を整備すること、国民の権利と義務のバランスを是正すること、非常事態条項を設けることが必要である。
 坂元氏は、防災上の脅威と防衛上の脅威に直面する今、「『戦後』日本の生ぬるい安全保障感覚ではとても対応できない」と述べながら、「『戦後』が終わり、ポスト『戦後』時代が始まっている」といった時代状況的な表現に止まっている。だが、「戦後」とは大東亜戦争の敗戦後、占領期間中に作られた国家体制のことであって、単なる時代区分のことではない。そして、その国家体制を法制度的に規定しているのが、現行憲法なのである。坂元氏のいう「ポスト『戦後』時代」は、日本人が自らの手で憲法を改正し、国防と防災を一体のものとして対応できる国家体制を創造しなければ、決して始まらない。自然環境や国際環境の変化によって、戦後が終わるのではない。戦後は季節や状況ではない。国家体制としての戦後を終えるのは、日本人の意思による以外ない。日本人の決意と実行によってのみ、戦後体制から脱却でき、防災と防衛を整備できるのである。安全と平和は、自らの努力で確保しなければならない。
 以下は、坂元氏の寄稿記事。

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●産経新聞 平成24年4月21日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120421/plc12042103090004-n1.htm
【世界のかたち、日本のかたち】
大阪大教授・坂元一哉
2012.4.21 03:09

■ポスト「戦後」の防災と防衛
 米国をはじめ連合国48カ国との戦争を終わらせたサンフランシスコ平和条約が発効してから、この28日で60年になる。平和条約で国際社会に復帰した「戦後」日本が、戦前に勝る繁栄を享受したことはあらためて言うまでもない。
 だが「戦後」が還暦を迎えようとするいま、日本の眼前には、その繁栄の基盤である安全を根底から脅かす2つの脅威が存在する。
 1つは防災上の脅威。われわれは東日本大震災によって、日本が巨大地震を含む地震多発の国であることを再確認した。
 科学者によれば、「戦後」日本が復興と高度成長を果たした約半世紀は、巨大地震がほとんど起こらない「地震静穏期」だった。それが平成7年の阪神・淡路大震災以後、「地震活動期」に入ったという。
 しかし「活動期」に入った後も多くの国民は、「静穏期」の感覚を持ち続けたようだ。藤井聡・京大教授は、国民が「戦後」の「静穏期」に慣れてしまい、「天変地異という有事」に対しても「平和ぼけ」になったという趣旨の指摘をする(『列島強靱(きょうじん)化論』文春新書)。
 むろんこれからは、そうであってはならない。日本列島が「地震活動期」にあることを自覚し、数十年以内に再来すると予想される巨大地震への備えを固める必要がある。
 ただそれは容易なことではない。先日、政府の検討会が公表した南海トラフ地震の想定は、震度7(震度階級の中で最大)の揺れ、20メートル(場所によっては30メートル強)以上の津波が多くの市町村を襲う、という衝撃的なものだった。
 もう1つ、日本は防衛上の脅威にも直面している。防衛に関する「戦後」日本の安全は、潜在敵に対する日米同盟の戦略優位、とくに海空軍力の優位によって守られてきた。
 しかしいま隣国中国は、過去20年間で19倍に膨れあがった軍事費を背景に、海空軍力の急速な拡大をはかり、日米同盟の優位を脅かしつつある。すぐに逆転するというわけではないが、中国の軍拡が続き、日米同盟側が対応を怠ればそうなってしまうかもしれない。
 また、たとえ逆転せずとも、一昨年の尖閣沖漁船衝突事件に見られるように、海空軍力を強化した中国の態度は高圧的(防衛白書)になりつつある。日米同盟の優位が揺らげば、その高圧的態度が増し、尖閣諸島付近などで偶発的な軍事衝突が発生することも懸念される。
 中国の軍拡に加えて、北朝鮮の核とミサイルも日米同盟を脅かす。合理的な相手なら、この核とミサイルは同盟の抑止力で十分対応できる。しかし、北朝鮮のような合理性に不安のある独裁国家が相手の場合、万一に備えての防衛手段が欠かせない。だが、今回の北朝鮮のミサイル発射実験への備えを見てもわかるように、ミサイル防衛の完備にはまだかなりの時間と努力がいる。
 ここにあげた防災と防衛、2つの脅威はどちらも重大で、対応には相当の覚悟、努力、コスト負担が求められる。「戦後」日本の生ぬるい安全保障感覚ではとても対応できない脅威だと思う。その意味で、少なくとも安全に関することでは、すでに「戦後」が終わり、ポスト「戦後」時代が始まっていると考えた方がよいかもしれない。(さかもと かずや)
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産経新聞社が新憲法起草へ

2012-03-30 08:47:39 | 憲法
 3月27日の産経新聞朝刊によると、産経新聞社は「国の根本的な立て直しには、新たな憲法が不可欠との認識にたち」、「国民の憲法」起草委員会(田久保忠衛委員長)を発足させ、初会合を開いたという。委員会は「新憲法」の礎(いしずえ)となる要綱を来年5月までに策定する方針である。憲法改正に向けた民間での取り組みとして歓迎する。
 新聞社による憲法改正案としては、読売新聞社のものがある。平成6年(1994)に最初の案を発表し、第3次案まで発表している。最初の案は、“This is 読売”増刊『日本国憲法のすべて』平成9年5月号(読売新聞社)に掲載されている。産経新聞社によるものは、読売より伝統尊重的保守の色彩を明瞭に表すものとなるだろう。
 産経の「国民の憲法」起草委員会のメンバーは、次の通り。

 委員長 田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)
 委 員 佐瀬昌盛氏(防衛大学校名誉教授)、西修氏(駒沢大学名誉教授)、大原康男氏(国学院大学教授)、百地章氏(日本大学教授)

 委員のうち、西修氏は、駒澤大学の教授時代にゼミで作成した新憲法案を発表したことがある。大原氏と百地氏は、日本会議による「新憲法の大綱」(平成13年版)の作成に参加した。その大綱の内容は、両氏らの共著『新憲法のすすめ』(明成社)に掲載されている。私が不満なのは、そのグループは10年以上前に「新憲法の大綱」を発表していながら、今なお具体的な条文案を示すことができていないことである。
 産経の「国民の憲法」起草委員会は、まず「新憲法」の要綱を来年5月までに策定する方針だというが、要綱を作るだけで1年以上かかるのでは、条文案ができるまで、何年かかるかわからない。本気で新憲法案を作るつもりなら、4倍速くらいの速さでの取り組みを見せてほしい。
 以下は、関連する報道記事。

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●産経新聞 平成24年3月27日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120327/plc12032706590007-n1.htm
本紙が新憲法起草へ 安保環境激変に対応 委員会初会合「国新たにする覚悟で」
2012.3.27 06:59

 わが国を取り巻く安全保障環境が激変、国内でも政治や教育の劣化が顕著となり、国家としての対応が問われている。産経新聞社は国の根本的な立て直しには、新たな憲法が不可欠との認識にたち「国民の憲法」起草委員会(田久保忠衛委員長)を発足させ、26日初会合を開いた。委員会は「新憲法」の礎(いしずえ)となる要綱を来年5月までに策定する方針だ。今後、わが国のあるべき姿などを「新憲法」に盛り込むための議論を重ねていく。
 初会合では冒頭、田久保委員長が「中国の膨張は現憲法制定時に想定されていなかった。今の憲法では対処できない」と限界を指摘。「国を新しくする意気込みで取り組みたい」と抱負を述べた。出席した委員からは「日本国民は自分の手で憲法を作っておらず、現憲法の異様さを示す」「戦後的価値観を生んだ現憲法は個人を絶対視し、家族や国家を軽視する風潮を生んでいる」などと問題点が次々と指摘された。
 産経新聞社は昭和56年元日の主張で現行憲法の欺瞞(ぎまん)性をメディアではいち早く指摘した。以来、一貫して憲法改正の必要性を紙面で訴えてきた。わが国の将来を案じるときに、羅針盤となるべき憲法がこのままでは国家も国民も立ち行かなくなる恐れがあるという危機感からだった。
中国が尖閣諸島に触手を伸ばし、北朝鮮の核開発や拉致事件など、わが国の安全や主権が脅かされる事態にも国家として十分に対応ができず、東日本大震災でも非常事態に対処する規定が不備であるという憲法の欠陥が浮き彫りとなった。
 本紙が創刊80周年を迎える来年6月に向けたプロジェクトとして「新憲法」作りを目指すことになった。紙面でも積極的に憲法を取り上げていく。(略)

●産経新聞 平成24年3月27日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120327/plc12032710500016-n1.htm
【新憲法起草】
熱帯びる地方 石原、橋下氏が牽引
2012.3.27 10:49

 「憲法はアンタッチャブルだった。神棚に上げておく風土が戦後日本に蔓延(まんえん)していた」。26日の「国民の憲法」起草委員会で大原康男委員(国学院大教授)が問題提起したように、改正の舞台の永田町では一部政党を除き、憲法論議は盛り上がりを欠いたままだ。
 自民党の憲法改正推進本部は3月上旬、天皇を「元首」と明記した憲法改正原案をまとめた。所属議員の意見を聴取した上で、サンフランシスコ講和条約発効60周年の4月28日までに「憲法改正案」として公表する。たちあがれ日本も同日までに自主憲法の大綱を取りまとめる方針だ。
 一方、民主党は政権交代以降、憲法論議を遠ざけてきた。前原誠司政調会長は昨年5月に党憲法調査会長に就任した際、今年3月をめどに党の指針を取りまとめる意向を示したが、一度も総会を開かず離任。
 現会長の中野寛成氏は2月末の総会で「憲法論議そのものがけしからんという議論は卒業していただかなければ」と訴えたが、党内は消費税増税論議に手いっぱいの上、議員間の憲法観も大きく異なるだけに盛り上がりは今ひとつだ。
 国会では衆参両院で昨年11月、憲法改正を審議する憲法審査会がスタートした。しかし、審査会の議論は憲法改正ルールを定めた国民投票法が機能するための“環境整備”に時間が割かれ、改正案の審議にはいたっていない。
逆に現行憲法への批判は永田町の“場外”で熱を帯びてきた。
 東京都の石原慎太郎知事は今年2月下旬、「占領軍が一方的に作った憲法を独立後もずっと守っている。こんなばかなことをしている国は日本しかない」と強調、憲法破棄と自主憲法制定を呼びかけた。
 大阪市の橋下徹市長率いる「大阪維新の会」も3月上旬に公表した公約集「維新八策」の原案で憲法改正を明記。橋下氏は「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が汗をかかないといけない。それをすっかり忘れさせる条文だ」と憲法9条批判も展開している。
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