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●漫画・・ 「DEATH NOTE -デスノート-」 ...⑨⑩⑪巻

408874041601  いやあー、面白い漫画です。「DEATH NOTE -デスノート-」、大場つぐみ原作・小畑健漫画、ジャンプコミックス。11巻まで読みました。少年ジャンプ連載は既に今年5月に終了しています。ここ二十年くらいは少年雑誌を読む事は先ず絶対無い、といっていいくらいの僕は、当然のように、この最高おもしろ物語の結末は知りません。12巻は今年7月の発売予定ですが、多分12巻で終了だと思うんですけど、ひょっとすると、13巻まであるのかも知れません。解りません、僕には。でも、1巻から続けて読んで来ました。久々に本当に面白い漫画に行き当たった気持ちです。漫画は面白いのが、絶対の命です。面白くない漫画なんて読まなくていいし、読まれません。面白くなくても読まなくてはいけないものは、小説、随筆、ハウツー本、専門書などの、活字の分野です。漫画は在りようの意味が違います。僕は子供時分は全く本など読まず、少年時代、活字は苦手でした。面白い小説に当たると嬉しいですが、今でも、前半は苦行です。でも、漫画はもう、初めから最後まで、ただ単に面白いです。そろそろ、「デスノート」の内容の話に行きます。もう、全て、ネタバレのバレバレで説明します。

408873887x  退屈な死神、リュークが人間界に落としたデスノート。このデスノートに名前を書き込まれた人間は必ず死ぬ。このノートを拾い、死神リュークが憑いた一人の学生が、夜神月(ライト)。超名門東応大学受験生ライトは、自分の考える理想社会実現のために、凶悪犯罪者の粛清に掛かる。つまり、重犯罪者の名を片っ端からノートに書き込んで、始末して行く。夜神ライトは、謎の殺人犯キラと呼ばれ、粛清を続け、天才的な知能犯として何度も危機を乗り越えて、自分の理想の実現を確実なものへとして行く。一方、世界中の数々の難事件を解決して来た、影の名探偵L(エル)が現れ、キラ逮捕を宣言する。二人の天才の、火花を散らす頭脳合戦が繰り広げられる。この熾烈な頭脳戦の間に、第二のキラとなる美少女ミサミサや、ライトの父で刑事局長、夜神総一郎、リューク以外の死神、レムやシドウ、そして日本警察捜査官たち、FBI捜査官、謎のL(エル)の代理人ワタリ等の人物達が複雑に絡んで行く。

Deathnote02_004_1  やがて夜神ライトは名門東応大学学生から大学院生となり、社会人としても日本警察の刑事となり、父総一郎の下で働いている。そして影の存在キラとしても、正体知れず、粛清の殺人を続けている。その悪の天才としての頭脳を駆使し、傀儡の如く、別キラたちを使って。凄絶な知能戦の後、ついにエルが敗れ、代理人ワタリともども、葬り去られてしまう。キラや第二第三のキラの殺人は、全てデスノートへの書き込み、からである。Lの死後、世界正義を守るLの意志を継ぐ者、ニアとメロが登場する。ニアを嫌うメロは独自の行動で、キラ捕獲に乗り出し、アメリカマフィアを利用する。しかし、メロは一度は手にしたデスノートを再び、ライト他日本警察に取り返される。ニアもFBI選抜のキラ捜査特別チームを組んで、事件に乗り出すが、捜査チームの大半を殺され、アメリカ政府の協力も得られぬ状態にまで追い込まれる。キラ対、Lの意志を継ぐ新たなる、影の天才探偵ニア。正義側は選手を変えて、凄絶な頭脳戦が第2ラウンドへと持ち込まれた。しかし、形勢はキラの有利性が徐々に増して行く‥。

Dn_3  やがてキラの支持者、キラの信奉者が増大して行き、世の中はキラ社会なるものになりつつある。そんな中、TVのキラ世界推進番組に集うキラ信者の群れから、ライトはTVモニター越しに、ミサの交替要員の、一人の傀儡キラを選び出す。名門京土大学卒の秀才の検事、魅上照の元へデスノートが届き、魅上は影のキラとなり、ライトに代わり、世の犯罪者の粛清を続ける。ニアの推理は、夜神月(ライト)がキラであるとの確信まで辿り着き、魅上照までも見つけ出したニアは、尾行を着けて、デスノートの存在を確認する。キラは、ライトの東応大学当時の同級生で、国営放送局アナウンサーの高田清美を味方につけ、魅上を使い、キラ社会を不動の確立された世界とするよう、影の存在として、操作する。キラ社会の盟主、キラ教の教祖、一つの神となったキラに、ニアは最終決戦を挑んで行く…。といったお話の流れですね。ジャンプコミックス11巻までは。

Note_promo01_2  この長編漫画の物語のテーマは、キラの考え方ですよね。世の中に害をなす犯罪者は、裁判も何も無く始末して行く。主に凶悪犯や、社会的地位を持ちながら闇に紛れて私利私欲のため、私腹を肥やす悪人達を、ターゲットに粛清という大量殺人を重ねて行き、悪い心を持つ人間を全て削除し、キラが神となり、キラを頂点とする理想社会を作ろうとする。悪い心を持つ人間は一人も居なく、従って犯罪も無い理想社会。悪いことを行えば、キラに粛清されると知る全人間は、もう悪事悪行は絶対働かなくなる。心優しき善人だけが生きる理想社会。勿論、これが現実なら、そんな単純なものではないでしょうが。物語中では、正義感の強い者達はキラに共鳴する。自分の意志、自分の思想からのキラ信者。付和雷同者たち。粛清されるのが恐ろしい信者。キラ世界は増大し、確立されて行く。この粛清審判はキラが単独に決めて来た訳ですが、これはメディアの報道や、ネットのハッキングでの警察等公的機関の資料等からの、キラの独断選別からの粛清執行です。キラの存在について探る者、キラの行動の邪魔をする者も全て始末されて行く。

 こうやって考えると、キラの行為とは、独裁者や独裁体制のやる事と同じと思えますね。一国の独裁者、独裁体制が、自分が正義だと確信したら、自分(ら)に反発するもの、自分(ら)のやる事を邪魔する者を、粛清して行くでしょう。独裁国家で、独裁者のやり方に反論する者や、反体制運動をする者は、皆、重ければ死刑、死を免れても収容所送りを受ける。これはもう人類の歴史に数限りなく、いくらでも例のある、歴然とした事実です。スターリン、毛択東、ヒトラー、フセイン、織田信長…。十万百万単位で、殺戮を行った独裁者は、歴史にはいっぱい居るでしょう。あまたの独裁者達は、自分の体制を守るため、発展拡大するため、異宗教、異宗派、異民族、反体制者たちを排斥して、殺戮を繰り返して来ました。「デスノート」の中の、キラのやっている事も全く同じです。体制側であった筈の、キラを追う警察は、キラ体制が出来て行く中で、キラ体制が確実なものとなると、いつの間にか、レジスタンスとなってしまった。アメリカ大統領までも手中に収められ丸め込まれてしまったアメリカで、そのアメリカを本拠とする、孤高のニアは反体制レジスタンスの最重要人物な訳です。

 僕が、確か中学二年生の時の夏休みの課題で、夏休み中の日記を書いて提出しろ、というものがあったのですが、その中で、僕はこの「デスノート」の中のキラみたいな考えを書き込んだのを、今でも憶えています。幼い時からTVドラマや漫画誌の中の正義の超人たちに憧れて育った、馬鹿丸出しの僕は、その日記の文中で、もしも僕に超能力があったなら、僕はその超能力を使って、世界中の悪人達を倒して行き、排除して、僕は優しくて良い人ばかりの世界(国)を作り、そこに君臨すると。おお、キラ世界そのものではないですか。この僕が実は未来に於いて犯罪者の方になるかも知れないのに。幸い、未だ僕は過去現在、犯罪者ではありませんけど。でも、こんな13歳か14歳になろうかという、新聞も読まない、世の中の事なぞほとんど解っていない頭の悪いガキが、考えつくような理想なんですね。まあ、幼稚な夢想でしょう。正義感を持った考え方をしたことのある少年少女たちは、誰も一度はこういう幼稚な理想的な考えをめぐらせたことはあるものだと思います。メチャクチャ面白い漫画、「デスノート」ですが、そのお話のテーマの命題は、実は幼いものだった。だからこそ、少年ジャンプという、少年雑誌に掲載されたのかも。

 でもまあ、キラ対L(エル)、キラ対ニアという凄絶な頭脳戦は、ドラマとしてとても面白く、楽しめるものです。少年少女たちがこの作品を読んで、悪とは、正義とはいったい何か?どういうことか?というのを考えさせられるということは良い事だと思います。また、軽くノートに、名前書いただけで、ポンポン死んで行く命、というものを考えさせられるのも良いのかも知れない。不完全な人間というものがいつも起こしている過ちの、その過ちの種類によっては殺され、世の中から削除されてしまうとは、どういうことなのか?と考えるのも良いでしょう。天才の如き頭脳を持って生まれたエリートだからといって、簡単に他の人間を削除して行くことは、許されていいことなのか?とかね。殺戮して行く命には、一人一人の個々の人生がある、という事まで考えると良いと思います。正義と命について、深く考えてみるということは良い事だという気がする。これ(デスノート)のゲーム化の話があると、いうことですけど、これのゲーム化は、どうしても危険なような気がするなあ。ゲームに於いて、人の命を扱うんだからなあ。僕はゲームソフト化は反対しますねえ。無論、ゲームしたからビデオ見たからで実際に殺人はしない、論はもう十年以上前からありますし、何度も論議されている話ですけど。

File0884  原作の大場つぐみさんが謎の作家であるという話は前回書きましたけど、漫画の作画の方の、小畑健さんですが、この方は、あの「ヒカルの碁」の作画をされた漫画家さんなんですね。僕は全くといってもいいくらいに少年漫画誌は読まないので、「ヒカルの碁」については全然知りませんでした。コミックスでも、少年誌連載ものは格闘技ものくらいしか読みません。それも青年誌連載ものに比べて圧倒的小数です。「ヒカルの碁」は、確かシンガー宇多田ヒカルさんのライブの第5回公演のタイトルに、「ヒカルの5」と名づけていたので、そこから、そういうタイトルの漫画があり、少年ジャンプに連載されたものだと知りました。漫画「ヒカルの碁」は作画は小畑健さんですが、原作者がいるのでしょうが、それにしても少年漫画の題材に囲碁を持ち込んで、その物語漫画をヒットさせたというのはすごいですね。主役が少年達で、舞台は囲碁の世界だもんなあ。オドロキ。TVアニメ化もされてヒットしましたよね。後は、僕は少年漫画を読まないので、小畑健さんについてはよく知りません。

 小畑健さんの絵は洗練されていて、細かく描き込んだリアルな絵柄で、大変うまい絵の漫画だと思います。この絵柄は、昔なら、「キャッツアイ」「シティーハンター」の北城司さんなんかをルーツとする絵でしょうか。このリアルな絵柄は、もう劇画と呼んでいいんだと思いますが、さいとうたかをを主流とする劇画とはまた異なる絵ですよね。こういう小畑健さんのような絵を描く漫画家さんは今はけっこう多いように思う。今の時代の、ていねいできれいでリアルに描き込んだ、うまい絵柄の主流のような気がする。劇画といっても勿論、昔の荒々しい線で描かれた劇画絵ではなく、リアルという意味での劇画的絵ですね。僕はもう漫画絵なんて随分長い間描いてないし、考えたこともないけど、今の漫画作家さんて、Gペンカブラペンスクールペン丸ペン等といったペン軸ペン先ではなく、ロットリングのような製図用ペンを使用して描いているのだろうか。僕もここ十五年はこういったものに触れる機会が無かったから、今の漫画作画の現状は全然知りませんけど。でも、小畑健さん、ていねいできれいな絵ですよねえ。ミサミサも南空直美もハル・リドナーも高田清美も、きれいでセクシーですね。

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