60~90年代名作漫画(昭和漫画主体・ごくタマに新しい漫画)の紹介と感想。懐古・郷愁。自史。映画・小説・ポピュラー音楽。
Kenの漫画読み日記。
●漫画&映画・・ 「黄金バット」
よく行くレンタルビデオ屋さんで、昔の「黄金バット」の実写映画のDVDを見つけて、レンタルして見ました。僕がこれを見たのは、幼少時、当時近所の映画館です。朝早くから見た覚えがあります。記憶のイメージではカラーだったのに、実際はモノクロ作品でした。記憶に残っていたシーンは一つ、最後頃のシーン、悪の怪人ナゾーの片腕の金属のハサミが飛んで来て、黄金バットの首を絞める‥、このシーンも記憶のイメージとは違っていました。だいいち本当はモノクロだったし。ヤマトネ博士役の主演、千葉真一も髭ぼうぼう顔は記憶どおりだったけど、記憶イメージではもっと貫禄あったけど、実際のこの映画ではもっとずっと若かった。小さい頃驚きの感激した映画だったものが、大人になって見ると、子供だましの映画だって、苦笑と共に思う。単純でちょっとアホらしく思うストーリー、プラモデルを吊る透明紐が見える特撮。大人が見たら馬鹿馬鹿しいと一笑にふす映画ですけどね、当時の僕には震えるくらい興奮する、感激の仮面ヒーロー映画だったんです。幼少の僕は当時はもう、等身大の仮面ヒーローに憧れまくっていました。
このモノクロ映画は1966年の作品ですねえ。子役のかわゆい高見エミリーが出演している。高見エミリーさんて、鳩山さんて国会議員と結婚されて、鳩山エミリーさんになったんじゃなかったっけ?「キャプテンウルトラ」って当時のTBS系列の実写特撮ドラマで、宇宙ヒーローに扮して主演している、中田博久さんが脇役で出ていた。まあ、調度40年前の映画だしなあ。カラーだとばかり思っていたけど、モノクロだったとは‥。当時はもう映画もカラー作品ばかりになっていただろうし。だって昭和41年、映画も全盛期はとっくに過ぎ、斜陽期を迎えている時代だよ。この映画の出演者の皆さん方も、今はけっこう高齢だろうなあ。敵役の怪人ナゾーも、もっと恰幅がよく貫禄ある覆面怪人のイメージが、耳の付いた黒い布袋被っただけみたいに、首がくびれてしょぼかった。四つ目もアップリケ付けたみたいだったし、カッコ悪かった。地球を破壊するのが目的の宇宙怪人て、何なんだよ!ってストーリー。
怪人ナゾーは、小惑星の軌道を変えて、地球に衝突させて、地球を破壊してしまおうとしている。まあ、最近でいえば、「アルマゲドン」「ディープインパクト」ですね。小惑星ったって、大きさは月くらいありそうです。地球衝突前に、月も半分ドカッて壊して半分削る。この、人間そのものみたいな姿形の子分をいっぱい連れた、宇宙怪人という覆面のオッサンが、地球壊して無くして、いったいどんな得があるのだろうか?と考える映画でした。征服支配ではないんだよねえ。無にするんだよねえ。しかもナゾーの基地も、計画の規模に対しては小さなロケットだし。ナゾータワーと呼ぶ基地は東京タワーよりも小さそうなロケット。それに格納された小型の飛行する潜水艇が一つ。あとは銃器類。兵器武器はそんだけ。ナゾータワー内部の仕掛けも、昔の時代劇の忍者屋敷ばりに、廊下を沢山の剣が飛び出たり、牢獄で鎖につながれたり‥。でも、当時の子供達にはハラハラドキドキで、カッコイイ驚きの憧れ映画、だったんだよね。
この映画公開が66年で、翌67年春から、TVアニメの「黄金バット」が放送される。で、主題歌は同じ曲です。きっと、映画製作時点で、アニメ放送も企画されていたのでしょうね。アニメ版「黄金バット」は1年間52話放送されているらしいです。この放送枠は、アニメ「巨人の星」が始まった時間帯だったらしい。「黄金バット」終了後にあの大ヒットアニメ「巨人の星」が長期放送されたんですね。アニメ「黄金バット」放送と同時に、漫画版は、少年雑誌「少年画報」「少年キング」で連載されています。この分は僕は、当時、どちらも読んでいます。完璧全編読んでいるとはいい難いけれど、少年キングの方の、一峰大二さん作画分の方が印象が強い。少年画報版の方は、井上智さんの作画で連載され、両方とも、敵役がナゾーの巻です。だから、TVアニメも両漫画も3つとも、ストーリーは同じですね。アニメも漫画も悪の怪人ナゾーの、ナゾータワーが出て来て、実写映画と違い、ナゾーの部下の大幹部マゾーというのが出て来る。漫画の方がアニメより少し、先だったのかも‥?悪の覆面怪人ナゾーが、いつも「ローンブローゾォ~」って奇怪な声を上げるんだけど、あれは何の意味があったんだろうか?未だに解りません。以前、何かのエッセイか何か、読物の中で、この「ロンブローゾ」という言葉を見つけた記憶があるが、意味までは解らなかった。
「黄金バット」の歴史を調べてみると、先ず一番最初は、「黄金バット」登場は何と昭和初期なんですねえ。びっくり。昭和5年頃の紙芝居だって。ものすごい古い歴史です。それから、戦後の昭和22年から、雑誌少年画報の前身、「冒険活劇文庫」に絵物語として連載、子供達に人気を得る。僕は、「黄金バット」のルーツは紙芝居だと知っていたし、何かの情報で、「少年画報」最初期の絵物語掲載というのも、知っていました。けど、まさか、昭和5年とはなあ‥。その後、昭和25年頃、紙芝居の方になりますが、加太こうじさんの制作らしいけど、「黄金バット-ナゾー編」というのが紙芝居で人気を博したらしいです。これは何でも、ナチスドイツの残党と戦うお話だったんだって。その後に、1950年、「黄金バット-摩天楼の怪人」というのが、映画制作されているらしい。この辺り、僕は全然知りません。勿論僕は生まれてないけど。で、漫画が先か、映画が先か、66年制作映画の千葉真一主演、「黄金バット」ですね。いや、「宇宙快速船」といいこの「黄金バット」といい、日本ヒーロー映画史の歴史を知って、面白い映画でしたよ。
※『宇宙快速船』
「少年画報」の方の漫画は井上智さんですが、この方は手塚治虫先生の弟子筋ですねえ。というか、虫プロでメインでアシスタントをされていた漫画家。漫画版「マグマ大使」の後期などは、この井上智さんの手による部分が大きいらしい。「冒険王」の「魔神バンダー」も確かこの人の作画だったと思う。この少年画報版は絵柄が、アトム的な手塚治虫少年漫画風な絵であったけれど、少年キング版の方は、この頃、劇画風に迫力のある画風に変わってきていた一峰大二さんの怪奇ムードあふれる絵柄で、迫力があって良かった。一峰大二さんというと、「コミカライズの帝王」と呼ばれるほどの漫画家で、もう、TV実写特撮番組の漫画化作品は、「ウルトラマン」から「宇宙猿人ゴリ」から何からきりがない程多数。古くは雑誌「ぼくら」の「ナショナルキッド」という作品もある。古くから雑誌第一線でヒーロー漫画を描き続けた、巨匠児童漫画家さんです。黄金バットというと、全身黄金色、頭部はガイコツ、黒いマントに、金色のステッキ。あ、ステッキは名前がシルバーバトンだから、銀色なのかも。あのバトンが武器で、バトンの先の球部分から光線とか出るんだよね。昔々の紙芝居とか、昭和20年代の少年画報の絵物語では、顔はドクロだけど、格好は黒い衣服マントに包まれて、悪魔の被る如きとんがり帽子、悪役そのものの姿形。昔々は見るからに不気味なヒーローでした。
「黄金バット」は貸本出身の劇画家、篠原とおるさんも描いている。多分、同時期頃だろうと思う。66年とか67年頃。貸本漫画出版の大手、大阪日の丸文庫が通常販売出版で出していた、雑誌「まんがサンキュー」に連載。ナゾーの巻ではなくて、オリジナルストーリーだったように思う。「まんがサンキュー」は、日の丸文庫が出版している貸本向けの、A5厚紙単行本タイプでなく、雑誌形式のB5タイプで、漫画雑誌そのものの月刊誌。当時、貸本専門出版社がこういう通常出版雑誌も同時に手掛けることは、先ず例が無かった。他には、それまで貸本を扱っていた青林堂が雑誌「ガロ」を出したというのはある。「まんがサンキュー」は少しして、もうちょっと豪華な、「まんがジャイアンツ」に変わったけど、長続きしなかった。「まんがサンキュー」「まんがジャイアンツ」の執筆陣は、当時の日の丸文庫他貸本劇画の作家達でした。僕は、貸本時代の篠原とおるさんのは、当時「万能屋錠シリーズ」が大好きだったですけどねえ。「オッス!」に「アイアン太郎」という短編シリーズを描いていたという記憶があるけど‥。
篠原とおる版「黄金バット」は、昔の絵物語時代の不気味な格好をしていたと思う。第一話のラストで、巨大ロボットと戦っている時か(?)、ドクロの仮面が割られてしまい、第二話からは、その下の忍者覆面みたいな顔になる。黒い幅広帽子に黒い忍者覆面。第二話、面白そうだったけど、最後まで読めなかったもんなあ。何だか、超高速で走るハリケーンロボットが敵のお話。もう一度、全編、読んでみたいなあ、超レアもの、篠原とおるの黄金バット。
(劇画家、篠原とおる先生というと、有名な作品は、『ズベ公探偵ラン』『さそり』『0課の女』『ワニ分署』がありますね。)
僕は、もうホントに、幼少の、というか、ものごころついた時から、いわゆる等身大ヒーローに憧れ続けていましたから、「黄金バット」みたいのは、少年時代は大好きの3乗くらいの憧れで居て、郷愁は何よりも深いです。僕は5歳くらいから鉛筆かきなぐりで、落書き漫画をかきはじめ、6、7歳にはB4西洋紙という紙を二つ折りにしてホチキスで綴じ、雑誌漫画を真似て、鉛筆で、ちゃんとワクとコマで、漫画を描いていましたが、当然最初はかきなぐりのヘタクソでしたが、年齢を重ねる毎にそれなりにうまくなって行きました。そりゃ、少しはうまくもなりますよ、だって、毎日描いてるんだから。鉛筆描き漫画は12歳くらいまで描いてましたが、そのほとんどが、SFヒーロー漫画でした。13歳くらいからは、インクつけペンに挑戦したり、ボールペンとサインペン描きに変わって行くんですけどね。本当に、小学生時代ってのは、SFスーパーヒーローに憧れて、子供だから雑誌人気漫画のモノマネのヒーロー漫画ばかし、毎日描いていました。勉強なんて全くしないで。今思い起こしても、最高に楽しい日々でしたねえ、正義の超人に憧れ続けた、馬鹿ガキの日々。僕がこの人生で一番幸福だったのは、正義の超人ヒーロー漫画を描き続けて憧れ続けていた、5歳から12歳頃までだという気がします。何か変な話で締め括りになっちゃったけど、これで、黄金バットの巻を終わります。はい。