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イスラエルという国のかたち

2023年11月02日 | 旅行

 

 パレスチナでは毎日のように子供たちが爆撃を受け、灰だらけになり血まみれになっている様子は見るに堪えません。前にも述べたように、ハマスの第一撃はテロ行為以外のなにものでもない。しかしそれに対するイスラエル正規軍の百倍返しもテロ同然あるいはそれ以上だと私は思っています。

 共同通信によれば、「パレスチナ自治区ガザではイスラエル軍の攻撃による死者が8,800人ほどになったと発表された。イスラエル側の1,400人と合わせ死者は1万人以上。そのうちパレスチナの子供が3,000人以上いる」とのこと。あまりにもひどい数字です。イスラエルを表立って支持してきたアメリカ国内でも、さすがにここに至って世論に変化が出てきています。

 もともとアメリカ人に占めるユダヤ人はわずか2.4%で、バイデン大統領はその支持を得ようとしているのではなく、人口の3割を占めると言われるキリスト教原理主義とも言える福音派の票の多さを気にしてイスラエルを支持しているのです。しかしそれではトランプも同じ。というよりトランプは福音派の支持によって当選したのです。だったらバイデンはその票を捨て、今アメリカで大きなうねりとなりつつある人道的配慮をすべきだという多くの人たちの票の獲得を優先すべきだと私は思っています。でないとトランプを支持する愚かな熱狂的支持者はくつがえるはずもなく、支持など絶対に得られない。そして国際社会も圧倒的にイスラエルを批判しはじめ、パレスチナ救済へ大きく傾いています。

 それに加え最近発表されたイスラエル国内の世論調査でも、5割程度の人がパレスチナへの非人道的攻撃は停止すべきだとなっていて、ハマスの最初の攻撃直後の反撃賛成が7割だった時から大幅に後退しています。非人道的であろうがなかろうが、それを一顧だにせず皆殺しにすればハマスは退治できると考えるのがイスラエルという国のかたちなのだと思います。それについて私のイスラエル旅行での経験談をお話します。

 

 私は2010年の年末にイスラエルとヨルダンを訪れました。きっかけは同じマンションにお住いの友人がイスラエル大使館に赴任され、奥様から在任中に是非遊びにいらしてくださいと言われたことでした。なかなか訪れる機会はなさそうな国のため、この機会に夫婦で旅行をしようとなったのです。時期は年末のクリスマスにかけてでした。せっかくなのでイスラエルの歴史やユダヤ人の歴史もある程度勉強し、ついでに隣のヨルダンも訪れることにしました。と言ってもヨルダンは映画インディージョーンズで有名になった世界遺産、ペトラ遺跡に行ってみたかったのです。

 

 イスラエルでは大使館のあるテルアビブの他、もちろん聖地エルサレムを訪問しました。ご存知のようにエルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3大宗教の聖地がすぐ隣り合わせになっていてそれだけでも驚きなのですが、どの宗教の信者も実に平穏に巡礼していたのが印象に残っています。もちろんキリスト終焉の地「ゴルゴタの丘」やキリストの墓のある「聖墳墓教会」、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪れましたが、イスラムの聖地「岩のドーム」だけはテロの危険があるとして立ち入りが禁止されていました。

 訪れたのがクリスマス時期だったため、世界中から巡礼者のグループが来ていて、ホテルでの朝食にも分厚いマニュアルのような書類を持ったグループが来ていました。その人たちとはゴルゴタの丘に登るための坂道、ヴィア・ドロローサでも出会ったのですが、一部の人たちはキリストのように十字架を背負って歩いていました。道端をよく見ると、軽い板でできた十字架がたくさん置いてあり、どうぞご自由にとなっていたのには驚きました。もちろんキリスト教徒ではない我々は担がずにただ歩いただけです。

 エルサレムではもう一つ必ず行くべき場所があります。それはユダヤ教・キリスト教のもっとも古い経典である「死海文書」を見ることのできるイスラエル博物館です。死海文書は、旧約聖書の原典とも言われ、1947年になって洞窟から発見された膨大な文書で、紀元前250年から70年に書かれたものと推定されています。現在その多くはエルサレムにあるイスラエル博物館の聖書館に置かれ、一般公開されています。実際には温度・湿度と明るさが厳密にコントロールされているため、肉眼で見るだけでも苦労するほどの古い文書です。

 

 エルサレムからはレンタカーを借りて旅をつづけました。まずは死海へ。エルサレムが高度800mで、そこから一直線の道をひたすら海抜マイナス400mの死海へ1200mも下ります。死海に出てからは沿岸をひたすら南へドライブし、アカバ湾に面するエラートの街を目指しました。イスラエルの最南端、そこがヨルダンへの入口です。ドライブ中はほとんど砂漠の荒涼とした景色が続きますが、何か所かでいわゆるキブツと呼ばれる入植地がありました。

 途中死海のほとりのリゾートの街で一泊し、砂漠とはいえ寒い季節なのにホテル前の死海の海岸で水浴。どうしても死海で浮いてみたかったのです(笑)。海水の10倍の塩分で本当に浮遊する感じを楽しむことができました。ホテル内はまるでロシア人植民地のようで、ロシア語しか聞こえてきませんでした。ホテル内に温水プールがあり、そこも死海同様浮いたままで本を読んでいる人がたくさんいました。私も冷えた体をプールで温めながら、浮いたままうたた寝をしました。

 

 その次に訪れたのが今回のメインの話の場所です。死海を望む丘の上にある世界遺産、「マサダの遺跡」です。そこはイスラエル人の誰もが子供の時に小学校の遠足で訪れ、誓いを立てる場所として有名なところです。なんの誓いかともうしますと、「つぎに侵略を受けても、二度と負けないぞ」という誓いです。紀元66年にローマの迫害を受けたユダヤ人1,000人が400mの岩山のてっぺんの城塞に立てこもったのですが、2年の攻防を経てローマの軍団に負け、ほぼ全員が自決するという悲惨な出来事があった場所です。

 遺跡にはロープウェイで行けるのですが、子供たちは絶壁の道を徒歩で登ってきていました。頂上には博物館を兼ねた施設があり、スクリーンに映し出された動画で歴史を勉強できるようになっています。ローマとの戦いの様子や、自決の場面、そして最後には先ほど書いた言葉が映し出され「つぎに侵略を受けても、二度と負けないぞ」とみんなで誓い、説明が終わるのです。

 彼らは高校卒業とともに徴兵制度で兵役に就きます。男3年、女2年で厳しい訓練を受け、いつでも戦場に立てるようにします。私たちはテルアビブからエルサレムまで1時間半ほどを乗り合いバスで行ったのですが、クリスマス休暇を前に帰省客で非常に混みあっていて、我々の座席のそばには男女の新兵たちが大勢機関銃を持って立ったまま乗り込んできました。彼らにどこに行くのと聞くと、休暇で家に帰るとのこと。機関銃を持ったまま帰るのかと思うと、彼らの置かれている厳しい状況がよくわかりました。でも時々銃口が私の肩に当たるため、それを手で払いのける必要があり、恐ろしさも感じました。

 その上エルサレムに着くとバスターミナル前でバスは停止したままで降りられず。何かなと思っていると、「ターミナル内の怪しい荷物を処理するため、しばらく降車できない」とアナウンスされました。そうか、ここはいつ爆弾テロに遭うかわからない場所なのだとあらためて思い知らされました。

 「二度と負けないぞ」という子供のころからの教育が、イスラエル人の中には染みついているのでしょう。みんな黙って待っていました。

 しかし再度言います。

「パレスチナはその名のとおり、パレスチナ人の地だ!」

  我々はそのままアカバ湾に向かってドライブを続け、イスラエル最南端の港町エイラートへ到着。そこもロシア人だらけのリゾート地でした。そして翌朝早朝にバスのワンデー・ツアーでペトラ遺跡に向かいました。

 ペトラではインディージョーンズが馬車で逃げた狭い峡谷を歩いて抜け、想像以上のすごい自然の造形に驚き、その後突然広い場所に出ると岩山に掘られた神殿が現れます。その劇的な出現はまるで映画の場面のようでした。1812年にスイス人の探検家が発見した時の驚きを、我々も同じように感じることができました。神殿や墓地を見た後はラクダに乗りながらのんびりと見物しました。

 イスラエルで感じた緊張のすべてはほぐれ、最後はのんびりとした旅行を楽しむことができました。

 

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