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シネコックヒルズの思い出

2018年06月17日 | ゴルフ

  今年の全米オープンゴルフが現在シネコックヒルズで行われています。1988年、今からちょうど30年前、NYに住んでいた私はこのコースでプレーする幸運に恵まれました。そこでの経験が多分そののちリンクスランドというゴルフの聖地へのあこがれの原点となり、スコットランドのリンクスへ4回もの聖地巡礼を行うきっかけになりました。

  シネコックヒルズがどのようなコースか、ウィキペディアをまず引用します。リンクスとは海岸に位置する砂地の平地で、昔から羊を飼う牧場くらいしかできないところだったといわれています。

引用

シネコックヒルズゴルフクラブは米国ニューヨーク州ロングアインドサウサンプトンにあるリンクススタイルのゴルフクラブ。過去に全米オープンゴルフ4度開催され、来る2018年にも開催される予定となっている。2000年に米国国家歴史登録に登録された。正式に組織されたゴルフクラブとしては全米最古(1891年創立)、そのクラブハウスも全米最古(1892年建設)であると主張している。また、女性メンバーの加入も創立当初より認められており、これは全米初であるとも主張している。

引用終わり

  全米屈指の歴史と伝統を持つ本当に素晴らしい、そしてとてつもなく難しいコースです。

  ニューヨーク市の東につながるロングアイランドのサウスハンプトンという場所は、そもそもゴルフ場以前に極めつけの大金持ちの別荘地帯として有名な場所です。ニューヨーカーは隣のイーストハンプトンと一緒にして、ハンプトンズと呼びならわします。ちょうど1988年にアメリカで「マスカレード」というサスペンス映画がヒットしましたが、その舞台がサウスハンプトンでした。同名のサウンドトラックの曲はカーペンターズなどもカバーし、今でもよく演奏される曲です。

その映画よりはるか昔から、ハンプトンズはアメリカ人あこがれの地名でした。日本でいえば、と思ったのですが、日本には同じような海岸線にマンション(大邸宅)が立ち並ぶ別荘地帯がないので、例えようがありません。街の中心街はこぎれいな高級ブティックやおしゃれなカフェが並び、フランソワーズ・サガンの小説の舞台にぴったりかもしれません。

  シネコックヒルズは私がプレーした当時、メンバー数わずか300人で、年会費はクラブ運営にかかった年間総費用を300人で割り算するのですが、一人当たり1万ドル(当時の円貨で150万円ほど)くらいとのことでした。毎年それくらい支払える人は相当なお金持ちです。アメリカの本当のメンバーコースではゲストフィーはなく、メンバーが招待するだけです。通常メンバー一人当たり年間30人から50人程度の年間招待枠を持っています。私が払ったのはキャディーフィーとチップのみ。ディナーも招待でした。しかし今回テレビ中継を見ていたら、ゲストフィーは400ドルだと言っていたので、ルールを変えたのかもしれません。5万円と高いですが、ペブルビーチはその倍くらいなので、まだましかという感じがします。

   初めて見たゴルフ場の印象は強烈でした。フェアウェーはへたなゴルフ場のグリーンよりきれいです。私は飛ぶほうではありませんが、フェアウェーのキープ率が比較的高いので、フェアウェーに落ちたティーショットがどんどんころがり、距離を稼いでくれるのはとても助かりました。しかしあの長い草、フェスキューが生い茂るラフは芝刈り機で刈り取ることはいっさいしません。見た目の景色はきれいですが、いったんボールが入ると牙を剥いて襲いかかってきます。

  スコットランドのリンクスは平坦な海岸にあるコースが多いのですが、ここは3分の1程度が緩やかな丘陵地帯で、アップダウンの難しさも加わります。グリーンはだいたいが難しい砲台グリーンで、はじのほうに乗ったと思っても、ほとんどが転がり落ち、2030ヤードも離れて行ってしまいます。

  そして閉口するのはバンカーの多さでしょう。最終18番ホールもグリーンの手前に数個のバンカーが口を開けて待っていますので、1回バンカーにつかまると脱出しても脱出しても次々にバンカーを渡り歩くことになります。それでもスコットランドのリンクスのバンカーと違い、小さなポットバンカーがないので、脱出は楽にできます。

   USオープンは、いくつかの歴史あるコースを繰り返し使いますが、私のもっとも印象に残っているシネコックヒルズでのUSオープンは1995年の名勝負、コーリー・ペイビンとグレッグ・ノーマンの勝負です。この二人、ツアープロの中で屈指の飛ばし屋ノーマンと一番飛ばないペイビンの戦いだったので、とても印象に残っています。最終日の後半は2人のマッチプレー状態となりました。とにかくドライバーの飛距離ではノーマンがペイビンを50ヤードも置いていきます。最終18番ホールに来た時、たしか距離の出ないペイビンが1打差でリードしていましたが、ティーショット打ち終え2打目地点ではペイビンが4番ウッド、ノーマンが7番アイアンを選択、大きなハンディでした。しかしペイビンはウッドでピンそば4メートルほどにつけてそれをねじ込み優勝。ゴルフは飛距離だけでは勝てないということを印象付けてくれた勝負でした。

 以上、私のシネコックヒルズの思い出でした。

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リオ・オリンピックのゴルフ

2016年08月23日 | ゴルフ

  リオ・オリンピックは無事終了しましたね。日本選手の連日のメダルラッシュで、とても楽しく観戦できました。これで東京がもっと楽しみになりました。

  施設の状況やセキュリティなど、事前の観測よりはるかにましな大会だったという印象を持ちました。アメリカの競泳のメダリスト、ロクテ選手のようなことが日本選手にはなくてよかった、と言いたいところですが、実はマナーとプレーぶりでは問題が一つありました。それは100年以上ぶりに採用されたゴルフでの選手のプレーです。

   女子の代表はベテランの大山志保選手と23歳の若手のホープ野村敏京選手が出場し、野村選手が1打差で銅メダルを逃しています。野村選手の名前は「はるきょう」と読み、日韓の混血です。普段はアメリカをベースにしていて、すでにLPGAで2勝を挙げている有望選手です。

   その彼女がパー4のホールでパーパットをはずしたあとに事が起こりました。私はそれを偶然ライブで見ていました。ボギーパットはわずか20㎝しか残っていなかったので、悔しさも手伝ってか彼女はパターのお尻を使って逆打ちしたのです。するとボールは10㎝くらいしかころがりませんでした。野球で言えばファールチップです。彼女のパターはピン型のため、パターのお尻は縦に平板ではなく、わずか厚み2・3mmしかない薄板です。ボールの真ん中を少しでもはずせばしっかり打つことはできません。それは百も承知だったはずです。

   最初に申し上げましたが、彼女は4位。3位とは一打差しかなかったので、20㎝を普通に打っていればメダルが取れたはずでした。彼女は自分が日本を代表しているとか、税金で参加させてもらっているとか、オリンピックを目指したのに参加できなかった多くの選手がいることを意識していません。そして彼女にあこがれてゴルファーを目指す子供たちがいることを忘れているとしか思えません。

  最近ジュニアゴルファーのマナーの悪さが事あるごとにゴルフ界で叫ばれています。プレーを途中で投げ出したり、彼女と同じようにパターのお尻で打ったり、クラブを蹴飛ばしたりするジュニアが多いのです。彼女の行為はジュニアには最悪の見本です。

   私も昨年スコットランドでカーヌスティ―をラウンドしたとき、態度の悪いアメリカのジュニアと一緒になったことを書きました。ティーショットをミスすると毎回のようにクラブを叩きつけ、ティーを足で蹴飛ばすのです。それも親が一緒にプレーしているのに。そして親は注意もしませんでした。

  言うまでもなく、ゴルフはマナーのスポーツです。世界中が注目している中で、このようなプレーは絶対に許されません。私の不満はマスコミにも向けられます。マスコミはこのことを報道していません。少なくとも私の知る限り、そしてネットで検索できる限り。

   彼女の中にこの事実が今後どう残るのか、私には知るよしもありませんが、是非猛省して二度とこのようないい加減なプレーをしないようにしてほしいと思います。

  腹立ちまぎれでした。

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マイヒーローとともに過ごした2日間

2016年03月21日 | ゴルフ

  とつぜんですが、みなさんにはあこがれのヒーローっていますか?

   私は中学生のころ、自分がまだゴルフもしないのにテレビのゴルフ番組が好きで、ゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウスという世界のビッグスリーが争う、「ビッグスリー・ゴルフ」をよく見ていました。その中で、南アフリカのゴルファー、ゲーリー・プレーヤーが好きでした。他の二人に比べて体の小さい彼が大柄のアメリカ人に対等に渡り合う姿を見て、日本人として親近感を抱き、あこがれを抱きました。社会人になってゴルフ好きとなったきっかけだったのかもしれません。

  ゲーリー・プレーヤーはゴルフの4つのメジャー大会にいずれも優勝し、グランドスラマーと呼ばれる最高の栄誉に輝いています。歴史上いまだにニクラウス、タイガーなど5人しか達成していません。

  そのあこがれのヒーローに直接会うことができて、しかも通訳を務めるという役割が降って沸いたらどうしますか。2週間ほど前にその依頼が突然訪れ、私は自分の英語力も顧みず、「もちろん、やります」と言ってしまいました。

   仕事の一日目はサントリーホールのセンターステージで彼のスピーチの通訳。二日目は歌手のエンヤさんと一緒の記者会見での通訳です。2つとも台本などなにもないため、ぶっつけ本番です。

  何でそんなことになったのか。舞台は「Support Our Kids」というタイトルの付いた4日間のチャリティー・イベントで、東日本大震災で被災した子供たちを支援するチャリティー・プログラムです。日本が大好きなゲーリー・プレーヤーはそうしたチャリティー活動を世界で行っていて、今回は震災後5年の節目でチャリティー・ゴルフをするために来日していたのです。

   私が通訳を依頼されたのは、知り合いで日本有数の通訳会社の代表の方からです。何故私に白羽の矢がたったのか、詳しくはわかりませんが、きっと私なら食いつくと思ったのかも知れません(笑)。

   一昨日、サントリーホールではチャリティ・コンサートが開かれました。被災地の中学生のコーラス、注目の若手バイオリニスト服部真音、チェリスト水野優也、そしてMCは木佐彩子アナウンサー。

ゲーリーは主催者の一人として、冒頭に挨拶する役割でした。もう一人は衆議院議員の竹下亘氏です。ゲーリーと私は舞台の袖で待機して、木佐MCに呼ばれドアが開き舞台に登場する。ふだんよくコンサートで訪れるホールなので、大勢の聴衆がいるあの舞台に、ゲーリーと一緒に自分が出ていくことなど想像もできませんでした。

   私の得意技は、物おじしないこと。おかげでドキドキすることもなく彼と一緒に舞台の真ん中に立つことができ、彼のスピーチが始まりました。彼はまずチャリティーに集まっていただいたみなさんに感謝の言葉を述べると、すぐ5年前に見た津波の映像の話に移りました。

   津波に流される家の屋根の上で犬を抱いたおじいさんが助けを求めていた、あの誰もが見覚えのある映像の話です。おじいさんと犬は救われ、安全な場所でインタビューに答え、震えながらこう言ったというのです。「大丈夫、犬も私も。大変な目にあったけど、こんなことには絶対に負けない。必ず復興してみせる」。

  日本好きなゲーリーはそのおじいさんの言った言葉が忘れられず、すぐに被災者に支援をしようと決心したそうです。その後も感動的な話が続きました。

   会場はスピーチの最中もそして終わったときも、感動の嵐でした。後で観客の方から主催者が聞いた言葉は、「通り一遍の挨拶ではなく、とても感動的な話だった。ゲーリーの感情こもった話を通訳がそのまま伝えてくれたのがよかった」、とのこと。それを聞いて私も嬉しかったし、役目を果たせほっとしました。

   ゲーリーはコンサートプログラムの一部で歌った、南相馬市の中学生のコーラス・グループの控室を訪れみんなと話し、一緒に記念撮影をしました。彼は被災にも負けない彼女らの美しい歌声、あまりにも元気な姿に、あとで涙しながら、「こんな感動的なコーラスは、初めてだよ」と言っていました。

   二日目は記者会見とTVインタビューです。私は記者会見での通訳が役割と聞いていたのですが、突然通訳の配役が変更になり、TV収録の通訳もやってくれとのこと。プロでもない私がと思いながらも、お願いしますと言われ、15分ほど日本語のインタビュアーとゲーリーの話の通訳をしました。込み入った質問が多いため、サントリーホールのステージよりも緊張して通訳をしました。

   その後の記者会見はアイルランド人の歌手で、80年代終わりから90年代に一世風靡したエンヤさんとニュージーランド大使の3名が壇上に並び、それぞれ5分ほどのスピーチと質疑応答が行われました。

   質疑応答が終わり写真撮影タイムになったとき、80歳のゲーリーが突然エンヤさんをお姫様ダッコして、みんなを驚かせました。彼はダッコしながら、「私は今でも毎日ジムに通っています。まだまだこの会場の誰にも負けないと思うよ」と冗談を言って、数十人の記者とカメラマンを笑わせていました。エンヤさんは最終日のディナーショーで歌うことになっています。

   そして「マスターズでの名誉スターターは何歳までされるのですか」という記者の質問に、「100歳になってもだよ!」と答えていました。

   ということで、通訳仕事はなんとか無事終了しました。

   しかし実はさらに面白かったのはゲーリーの控室での彼との会話です。ステージに上がるまでにかなり時間的余裕があり、彼の息子さんでマネージャーをしているマークも一緒に雑談をしていたときです。彼から私に仕事の質問があり、「以前は投資銀行にいたけど、今は個人で資産運用のアドバイザーをしている」と答えると、いきなり彼が、

「今は何を買ったらいいんだ」と質問してきました。

   私が、「こんなに世界が混乱しているときは、何も投資しない方がいいですよ。したとしても超安全な資産だけですね」と答えると、

 「じゃ、金か?それともダイヤモンドか?」

私「いや、金もダイヤもプライスの変動を読むのは難しいです。あなたの国で取れるダイヤも、最近デビアスでさえ苦しくなっていますからね」。

(注;デビアス社は世界最大のダイヤモンド取り扱い会社で、世界の価格を支配していると言われる)

 「じゃ、どうしたらいいんだ」

私「どうしてもと言うなら、世界で一番安全なアメリカ国債です」

 「えっ、アメリカは借金漬けだろう」

私「いいえ、日本に比べれば全く問題ありません」

 「日本はそんなにひどいのか?」

私「はい、かなり。国の借金とGDPを比べると、日本の借金はGDPの2.3倍。アメリカはわずか1.3倍です」

 「でもアメリカは大丈夫か?リーマンショックみたいなのがあったし、テロや大統領選挙も」

私「それでも世界で最も強い軍隊を持ち、テクノロジーでは世界をだんぜんリードしていますよ」

 「うーん、そうか」

  ここで意外にも私に助け船を出してくれたのが、ゲーリーの息子さん、マークでした。

  マーク「うん、なるほど。小金を賭けるなら別だけど、1ビリオンどうするかって言われたら、たしかに今の世界じゃ安全な米国債以外は買えないな」

「お前もそう思うのか。なるほど」

   その後ゲーリーは、「日本は安全だし、きれいだし、いいもの作っているし、どうかな」というので私は、「それとこれとは違います。GDPは伸びないし人口は減り、国の借金は増える一方です」と数字を並べながら説明しました。すると彼も最後は納得したようでした。

   いやー、まさかゲーリーと資産運用の話になるとは夢にも思いませんでした。でも私にとってこの二日間はヒーローに出会え、何時間も楽しく会話を交わすことができた、夢のような2日間でした。

   改めて、私に声をかけていただいた方には感謝いたします。それとともに、通訳の評判を落としてしまったとしたら、申し訳ありません。この場をお借りして・・・、いや、私のブログでした(笑)。

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リンクスランドへ その4 トランプさん、ありがとう

2015年08月15日 | ゴルフ

  何かとお騒がせな大統領候補トランプ氏ですが、この場を借りて一言御礼申し上げます。

  景観のすばらしさをあらわすのに英語には「スペキュタキュラー」という言葉があります。今回のツアーで5ラウンド目に回ったアバディーン郊外の海岸沿いにあるリンクスコース、トランプ・インターナショナル・ゴルフ・リンクスはその言葉にぴったりのゴルフ場です。でも1番ホールのティーグラウンドに立った時に出た言葉はたった一言、「WOW」だけでした。

   これまで海外も含めずいぶんいろいろなコースを見てきたつもりですが、このコースの景観の素晴らしさは私が最も好きなコースの一つであるペブルビーチに負けず劣らずです。2012年にできたばかりのため、まだあまり知られていない新設のゴルフ場ですが、みなさんに紹介させていただきます。

  スコットランドもかなり北の端に近い、北海に面したアバディーンという街の郊外にあります。トランプ氏のリゾート会社はこの10年ほどで世界の名だたるリゾートゴルフ場を買いまくっています。先々週全英女子オープンの行われたターンベリー・ゴルフ・アンド・スパも長いオープン開催の歴史を持つゴルフ場ですが、最近トランプに買収されました。その彼が夢のゴルフコースを作るためにスコットランド中を探し歩いて見つけた理想のリンクスランドに、スクラッチからゴルフ場とリゾートホテルを作りました。世界のゴルフ場業界を席巻しつつあるトランプ・リゾートですが、ここは新設コースにも関わらず、開設の翌年に世界のベスト100位ランキングに入った恐るべきコースです。写真だけでもこの世のものとは思えないほどの素晴らしい景観をみせてくれますので、是非HPのフォトギャラリーでご覧ください。

 http://www.trumpgolfscotland.com/photogallery.html

   ミュアフィールド付近でのプレー以降、グループは2手に分かれ、我々は二人でこのコースに挑みました。どこで写真を撮っても絵になるコースなのですが、いきなり北海に面した14番ホールに進み、景観の案内をします。基本的にコースは海外沿いに南北に拡がっています。北に延びる14番ホールのティーグラウンドは南に延びる18番ホールのティーグラウンドと背中合わせになっていて、そこはティーグラウンドというより、高台にあるパノラマ展望台と言ったほうがふさわしい場所でした。

   この日も最高の天気には恵まれ、HPの写真と同じ景色を堪能することができました。あまりのすごさに、はっきり言ってゴルフをしにきたのか、写真を撮りに来たのかわからないほどでした(笑)。

   このコースのすごさは景観だけではありません。グリーンやフェアウェイの芝の完璧さもさることながら、ホールとホールを結ぶ歩経路の芝生も、完璧に生えそろっているので、パターの練習をしながら歩きたくなるほどなのです。その手入れされた緑と自然そのままのラフのちょっと茶色がかった色彩のコントラストが、まさにリンクスの景観を織りなしています。

  ティーグラウンドから見るラフの恐さは、どのホールでも思わず逃げ出したくなるほどで、ショットが左右にブレるとキャディーからすぐSAYONARAと言われてしまいます。もう探すことはできないよ、という意味です。

  特に最終18番ホールはフィナーレを飾るにふさわしい劇的なホールで、グリーンまでになんと18個ものポット・バンカーが爆撃の跡のように口を開けて待っています。一ホールで18個とはなんともひどすぎるハザードなのですが、その間を縫うように打って行くのは、他のコースでは絶対に味わえない、ここだけのプレーの醍醐味です。

   我々は最後まで晴れた天気の中でゴルフができましたが、最終ホールで東側にある北海の上は雨が降っているようで、海上に見事な虹が出ていました。  

   プレーを終えて最後までなくならずに18ホールをラウンドしてくれたボールに感謝の意を込め、パターと一緒にグリーン上で記念撮影をしました。長年ゴルフを続けてきて本当に良かったと思える一日でした。先ほどのパノラマ展望台から私の撮った写真や、この最後の写真をご覧になりたい方は、フェイスブックの林敬一をごらんください。

   近年いくつかの新しいリンクスコースがこのゴルフ発祥の地スコットランドにも作られています。専門的には「モダン・リンクス」という分類に入るのだそうです。ゴルフコースの素晴らしさを評価するには、ある程度確立された基準が設けられています。どんな基準か、いくつかを羅列します。

 ・ホールの戦略性;攻略するためにはしっかりとプランを立てる必要性がある

メモラビリティ;一度プレーしたら、忘れ得ぬほどのホールである

コースメンテナンス;グリーン、フェアウェイ、バンカーなどのきれいさ

景観;コースと周辺の自然がマッチし、独自の景観を作り出している

全体の起承転結;穏やかにスタートし、途中にヤマ場があり、最後は劇的フィナーレを迎えるような構成

   というような具合です。もちろん個々の評価は純粋に主観でしかありません。しかし私の友人kimiさんのように世界の素晴らしいゴルフ場を数百カ所も回っていると、ある程度評価基準が定まってくるため、相当程度客観性を持った評価ができるようになります。まあ言ってみればミシュランの評価者と同じです。彼は昨年、イギリスに本拠を置く「世界のベスト100コース」の選定委員会の委員に任命されています。その肩書きは今回も随所で威力を発揮し、我々のツアーが順調に行ったのも、彼のおかげです。その彼も上記の基準などに照らし合わせ、できたてではありますがトランプ・インターナショナルについて高い評価を与えています。

   今週は全米プロゴルフ選手権がウィスコンシン州にあるモダン・リンクスの一つであるウィッスリング・ストレーツというゴルフ場で行われています。全長7,970ヤードもあるモンスター・コースです。このコースも98年開場の新しいコースなのですが、すでにメジャーである全米プロ選手権を3回も開催するという快挙を成し遂げました。今年のメジャー4大大会はいつも決まったコースのオーガスタで行われるマスターズを除くと、他の3回ともリンクスタイプのコースでの開催になっています。どうやら時代はリンクスへ大きく回帰し始めたようです

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リンクスランドへ その3 あこがれのミュアフィールド

2015年08月12日 | ゴルフ

  今回のリンクス・ツアーのきっかけは、「ミュアフィールドへ行かないか」という友人Kimiさんの一言からでした。その友人は香港在住の日本人で、世界中の素晴らしいゴルフ場を1,000カ所プレーすることを目標としいて、すでに800カ所を達成しています。私は国内310カ所、海外90カ所くらいですので、彼の足もとにも及びません。彼のサイトはkimi golfの名で運営されていますので、興味のある方はどうぞご覧ください。

     その彼から一生に一度はプレーしてみたいと思っていたあこがれのミュアフィールド・ゴルフクラブに誘われては、断るわけにはいきません。私は1997年にスコットランドに10日間ほどのリンクス・ツアーに出かけたのですが、その時はミュアフィールドをプレーすることができませんでした。

  ジャック・ニクラウスが1966年に初めて全英オープンを制したのがこのコースです。それ以来大のお気に入りで、自分の作った故郷オハイオのコースには本家から名前をもらってミュアフィールド・ビレッジと名付けたくらいです。去年松山英樹が勝ったメモリアル・トーナメントの舞台です。

   ミュアフィールドはエジンバラの東、車で40分ほどの距離にあります。その名を世界に轟かせているプライベート・クラブであるオナラブル・カンパニー・オブ・エディンバラ・ゴルファーズのホームコースです。敷居の高さもさることながら、コースの難度も世界一級であることは間違いありません。プレーをするにはゴルフ場にある高級ホテル、グレイ・ウォールズに3泊もしなければなりません。ペブルビーチやオールド・コース・ホテルは1泊すればそれぞれのコースでプレー可能だったと思います。グレイ・ウォールズ・ホテルにはシェ・ルーという名のフレンチレストランがあって、ゴルフをやらなくとも高級なオーベルジュとして楽しむことのできるホテルです。部屋数はたったの23部屋で、世界中のゴルファーが1年も前から予約を入れてその日を待つのです。我々も予約は昨年の10月に開始しました。

   このコースの印象を一言で言いますと、「気品あふれるリンクス」です。オープン開催コースにありがちな挑みかかるようなところはありませんし、フォトジェニックでもありません。しかしラウンドが始まると見方が一変します。

   我々ゲストはインコースの10番ホールからのスタートでした。10番は470ヤードもあるパー4。私のティーショットはフェアウェー左の250ヤード地点。リンクスではボールが実によくころがり、飛距離がすごく伸びたように感じます。キャディが「残りは215ヤードだけど、200ヤードくらいのクラブで十分だ」とのこと。私はグリーン左右のバンカーを意識して、そこまですら届かないクラブを選択し安全を期しました。

  ショットは若干トップ気味で、途中にあるポットバンカーは越えましたが、自分の感覚としてはせいぜい170ヤードくらいしか飛んでいないだろうと思っていました。そのバンカーの縁が盛り上がり、私にはボールの行方は見ることができませんでした。するとキャディが「Good shot!」というではありませんか。しかしグリーン方向に歩いて行くとボールがありません。キャディにどこかなと聞くと、あれだよと50ヤードも先のグリーン上のボールを指さし「バーディーチャンスだ」というのです。にわかには信じられないのですが、行ってみると確かに自分のボールでした。ティーショットも飛んでいましたが、7番ウッドのミスヒットが215ヤードも飛んで、ピンの真横4mにあるとは驚きです。そのパットを慎重に決めて、なんとミュアフィールドの最初のホールをバーディーでスタートしました。

 

  とまあ、実はすべてのショットはホールごとの詳細なマップの書いてあるコースガイド上に、使用クラブや当たり具合をしっかりとメモしてありますのでたどることができるのですが、みなさんにとってはどうでもよいことだと思いますので、以下省略します。

   最終結果を統計風に記しますと、

・ティーショットのフェアーウェー・ヒット;14ホール中9ホール 64%

SWで出すような深いラフは1回だけで、あとはファーストカットか浅いラフでした。

・パーオン; 3回 だけ

・パット数;34回  1パット3回、3パット1回、2パットが15回

・バンカー;4回つかまり、すべて1回で脱出成功

・スコア;バーディー1回、パー3回、ボギー10回、ダボ4回  トータル88回(パー71)

   全英オープン開催の名だたる難コースで80台のスコアは、自分としては上出来だったと思います。あこがれのミュアフィールドでのプレーは、十分に満足のいくプレーができました。

   ちなみに戦後のミュアフィールドでのオープン優勝者は、59年ゲーリー・プレーヤー、66年ジャック・ニクラウス、72年リー・トレビノ、80年トム・ワトソン、87年ニック・ファルド、02年アーニ―・エルス、13年フィル・ミケルソン。

  トレビノの勝った72年はニクラウスの絶頂期で、彼はこの年4月にマスターズに勝ち、6月に全米オープンを制し、年間グランドスラム達成かと騒がれましたが、メジャー3戦目7月の全英では1打差でトレビノに敗れました。ちょうど今年のジョーダン・スピースがマスターズと全米オープンを制し、3戦目の全英では1打差でプレーオフに進出できなかったのと同じです。

  ホテルでは最後の夜に1度だけシェ・ルーのフレンチをみんなで食べましたが、イギリスとは思えないほどの美味しいディナーだったことを付け加えます。

  このツアーに誘ってくれたkimiさんに感謝です。

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