河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1528- ブルックナー4番、パッサカリア・イマジナリア、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、読響、2013.10.14

2013-10-14 21:52:29 | コンサート


2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2013-2014シーズン
.

2013年10月14日(月)4:00pm 東京芸術劇場
.
スクロヴァチェフスキ パッサカリア・イマジナリア
23′
.
ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック WAB.104
19′15′10′21′
.
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 指揮
読売日本交響楽団
.

同プロが二日前に有り(2013.10.12)。再訪。
まずは初めの一言、ミスターSがブルックナーを振ると空気が変わる。
.
演奏内容については二日前と同じだが、ホールとか聴衆が変わっているわけで、それなりの変化はある。
ホール空気の緊張感はかなりのもので、二日前の上をいく。自ら生唾を飲み込む音さえ拒否している聴衆の異常な緊張感。張り詰めた空気がものすごい。
この雰囲気は昔味わったことがある、同じ読響で。
1977年読響を振るために単身来日したセルジュ・チェリビダッケ、この時代チェリビダッケの録音は限られていたが有ることはあった。ただご本人を見ることができるなんて思ってもいない。かのフルトヴェングラーの映画で、がれきの中でエグモント序曲を下から上へのしゃくりあげ棒で精力的に振っていた若い指揮者を見たことがあるだけだ。その歴史上の人物が日本の舞台に現われたのだ。チェリを待つ聴衆の異常な緊張感。生唾もなければ、コトリのコもない。シーンという音がうるさく感じるほどの異様な窒息感。
そのなか、チェリが現われた。少し足が悪いのかゆっくりした歩で指揮台に向かう。そして最初の曲、真夏の夜の夢。全ての音がなんと柔らかくピアニシモで美しく響いたことか。度を超えた緊張感はプレイヤーにもあり、超弱音のクラリネットからは空気の音が鳴ったりした。チェリの棒のもとあれはあれで正しいのだと思ったものだ。(1977.10.18)
チェリの時ほど極端ではないが、ミスターSがくると同じ種類の空気となる。聴き手側の緊張感が一気に高まる。受動的であった受け手が能動的な思考回路に変化すると言えるかもしれない。聴き手側にアドレナリンが充満し脳内変化を起こす、その起因となるものがミスターSから出てくるエーテルなのである。
既に聴き手は、ブルックナーとミスターSの凄さを知っている。それがまた繰り広げられる。再現芸術の極み、愉しみ、面白さを心ゆくまで味わえる。
この日も揺るぎない構築物、一瞬、時間が静止し、第1楽章諦めのような下降する第1主題から第4楽章のフィナーレの角度のついた明瞭な3連音符と息の長いトーンまで、まるで壁画でも見るように、遠くの時間と過去の時間が合体し一つの絵のようになった。極めてクリアで安定感に富み、フレームの縁取り感覚に優れたものすごい演奏であった。ということです。
解釈は別宇宙のようにまるで異なるとはいえ、まさしくフルトヴェングラーと同じ、最初の音のときから、すでに最後が見えている、この構築感の素晴らしさに他ならない。
.

だから、
ブルックナーの4番は聴き方を変えるとホルン協奏曲みたいなところがあり、極めて難しいインストゥルメントであるのは重々承知しているとはいえ、吹くたんびに、次のフレーズは大丈夫かなと思わせるような吹奏は、エーテルに少なからず水をさすことになってしまう。二日前と同じ個所でのすべりもいいとは言えない。
.

前半の自作自演は、二日前と同じくいい内容。オーケストラの表現能力が高く、ハイレベルでの作品への共感がよくわかる。プレイヤー側に、演奏しやすいというか、演奏し甲斐があるような気もする。総じてミスターSの作品はそのようなところがあるのではないか。まんべんなく出番があり、やり応えがある、そんな感じです。
枠の中に留まっていると言えるかもしれないが、じゃぁ枠の外ってなに?うまく行ったためしがあるの?そう問われているようでもある。とにかく、ミスターSの作品は全部聴いてみたい。
おわり


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。