宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

143 『日輪と山』と大森山(199.2m)

2009年04月25日 | Weblog
 「経埋ムベキ山」の中に大森山という山がありその大森山は賢治の詠んだ詩から判断して鉛温泉に近い大森山(543.6m)のことであろう
 ところが、
《1 胡四王山》(平成21年4月23日撮影)(花巻IC付近から)


《2 近くにも大森山(199.2m)》(平成21年4月23日撮影)

がある。写真の右端のピークがそれである。最近、この大森山は宮澤賢治にとって実は重要な山なのではなかろうかと思うようになってきた。
 先程の地点からカメラアングルを左(北)側に回転すると
《3 権現堂山》(平成21年4月23日撮影)

が現れるような位置関係にある。では今度は単独にその
《4 大森山》(平成21年4月23日撮影)

を撮影してみる。
 実は、しばしば胡四王山通いをして来たわけだが、地形的な配置から言って必然的にこの大森山を眺めることになる。そして、この大森山を眺める度に『あれっ!この山ってあの山じゃないのかな』という思いが強くなってきていたからである。というのは、いわゆる
《5 『日輪と山』》(平成21年4月23日撮影)

  <『校本 宮沢賢治全集 第十二(下)巻』(筑摩書房)より>
の中の山はこの大森山(199.2m)がモデルなのではなかろうかと思うようになってきたと云うことである。まだ、太陽がこの位置にある状態での大森山を見たことはないが、この山のイメージが極めて似ていると思えるのである。
 <注:この絵の画題『日輪と山』は賢治がつけたわけではなく、昭和14年賢治全集の編集者がつけたものだという。制作年代は不詳とのこと(平成22年サライ7月号より)>

 そこで、今回はこの大森山に登ってみることにした。
《6 石塔群がある追分》(平成21年4月23日撮影)


《7 庚申供養併刻塔》(平成21年4月23日撮影)

に会えたりしながら近づいてゆくと
《8 大森山全景》(平成21年4月23日撮影)

ズームアップした
《9 大森山頂上の景》(平成21年4月23日撮影)

 その麓に着くと
《10 大森清水》(平成21年4月23日撮影)

があり、その
《11 北側》(平成21年4月23日撮影)


《12 大森山登り口》(平成21年4月23日撮影)

が見つかるはずである。大森山(199.2m)の登り口周辺には
《13 ナガハシスミレの群生》(平成21年4月23日撮影)

《14 ナガハシスミレ》(平成21年4月23日撮影)

《15 登山路》(平成21年4月23日撮影)

《16 ヤマツツジはまだ蕾》(平成21年4月23日撮影)

《17 シュンラン》(平成21年4月23日撮影)

 登りながら感じたことは、近くの胡四王山であればカタクリを始めとする山野草が咲き競っている頃なのに、この大森山は花が極めて少ないことである。出会えた花はナガハシスミレとシュンランだけであた。なぜなのだろうか・・・と訝っているうちに
《18 頂上らしきところに到着》(平成21年4月23日撮影)

《19 祠があり》(平成21年4月23日撮影)

《20 三角点もありそう》(平成21年4月23日撮影)

《21 四等三角点》(平成21年4月23日撮影)

であった。
 樹木が伐採されている場所もあり
《22 花巻市がかいま見られる》(平成21年4月23日撮影)

《23 江釣子森山方面》(平成21年4月23日撮影)

《24 東根山や南昌山方面》(平成21年4月23日撮影)


 なお、インターネットで”日輪と山 賢治”で検索してみると、この山のモデルは胡四王山とか兜明神というのがあったが、大森山であろうという方もあるようなので、大森山と思っているのは私だけではなかったのだと意を強くしている。

 というわけで大森山(199.2m)に登ることは出来たので、今後の課題は太陽が大森山に懸かる写真を撮ることである。

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