岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

伽羅木

2020-11-25 18:02:56 | いなか暮し

郷の「白鳥の湖」 湖面が凍るまで間、多くの白鳥が夜、羽を休めて、朝早くに近くの田んぼの、こぼれ籾を漁りに飛ぶ。

 平成の中頃だったと思う、見知らぬ方から、70年も前に亡くなった祖父宛てに一通の手紙が届いた。
 
   昭和14年、教育召集の際、餞別を頂戴いたしました。〇○家〇○の弟、〇○であります。
   昭和16年、満州に渡り、北朝鮮平壌で終戦、後に抑留生活を送り、昭和23年10月舞鶴に到着復員いたしました。
   本来この時に、ご挨拶申し上げるべきところ、今日までの長きにわたり御無礼をいたしました、心よりお詫び申し上げます。
  私の思いを同封いたします。・・・と、確か5千円が同封されていたと思う。
  ・・・であります、御無礼を・・・・昔人の律儀さにあふれた文面に感動し、都会にお住いのようだと郷土の米、野菜を送り、その後数度の文通をした。

 その後の手紙の文面に気になることが記されていた。
 「学校への行き帰りにお宅の前を通りました。お宅の長い伽羅木(キャラボク)の垣根が整然として美しく、今でも思い出されます」

 分家になった時に植えたとすれば、もう150年も前に植えられた伽羅木は、昔から庭に植えれば疫病を除くと言われるから、先祖が子孫に想いをこめて植えたものだろう。
 祖父が毎朝、伽羅木の手入れをしていた記憶はある、その祖父が昭和20年代に亡くなり、手入れ管理を引き継いだ父も亡くなって20年、整然としていた伽羅の垣根は、いい加減な管理で見る影もなく、肥えた豚が、のたうつ背中にも似て、まさに目も当てられない始末だった。
 人の言うことを聞かない生来の頑固さがたたり、誰も管理法を教えてくれなかったが、この秋、見かねた知人が詳しく教えてくれた。
 四苦八苦しながら、元通りとは遠く及ばないが、糸を張り、葉を刈り、枝を切り取り、やせた豚が背伸びしているほど位はと、何とか目が当てられるほどになったと自己満足している。
 褒めてくださった〇○さんも、もうこの世の人ではないとは思うが、今一度見てもらいたい・・・
 枝を切られた伽羅木は、もともと新しい芽が出るまで年数を要する、3年いや5年、すっかり元気になった我が家を取り巻く伽羅木の垣根は、果たして自分のこの目で見ることができるかどうか
 

コメント
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