岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「もと(酛)売りのじいさん」

2017-08-04 06:16:32 | 日々の暮らし

  今夏、芋(ジャガイモ)が大豊作。
 昔の人は「芋が豊作の年はお米が不作」と言ってた、と老妻がつぶやく。

 昭和20年代、お金も物も無い時代に育ったが、苦しいとも思わなかったように思う。
 何しろ、日本中が貧しかったから・・・
 そんな時代、近所ではいろんな仕事をしている人たちがいた。

 大きな荷物を持って、釜石線で沿岸方面に米を売りに行き、帰りには魚を仕入れて帰り、農家を回り、少々怪しくなった魚を売り、代金を米で貰う。
 「かつぎ屋」と言っていた。近所にはこの商売の人たちが結構多く、収入も良かったんだろう、暮らしぶりが良かった。

 「あめがさ」売りのじいさんもいた。 「あめ」とは訛りで「編笠」売りの事だった。
 冬の間に、わらを使って器用に「編笠」作る。所々に裂き布の赤や青の色を織り込んだ「編笠」は 農家のご婦人方の作業帽として人気があったんだろう。

 難しく書けば 「酛(もと)」売り、
 一升瓶に、仕上がりの良かった”どぶろく”を入れて、発酵して栓が飛び出さないように、藁で栓をして、リュックに2、3本の「もと」を詰め込んで農家を回り、一合の”もと”を一升の米と交換する。
 買った農家は”もと”を使って多くの”どぶろく”を楽しむ。
 「酛(もと)売りの瀬五ェ門」は農家の主婦の人気だった。

 貧しくとも、逞しい昭和20年代ではあった。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする